遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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見終わった瞬間から一日中考察が続いてしまって大変…
難しい作品だった。
エンドロール中にはすでに「???」と、物語の復習が始まり、帰り道もずっと考え込んでしまった。
考える時間のあるときに見た方がいい作品なのかもしれない。
何はともあれ、主人公となる3人の女性たちは美しく、ミステリアスで素敵だった。
流れるような会話もテンポ良く、耳ざわりがよかった。
それを取り巻く他の俳優さんたちの演技も素晴らしく、それぞれの人が映るときには、その人たちは主人公になる。
あえて声だけ、手先だけ、背中だけ、といった画像表現も、作り手の意向が様々感じられ、凝られた作品だと感じた。
原作を読んでないせいなのかもしれないが、一度観ただけでは消化しきれない映画で、何度か観なければ、と思った。
暗闇を走るシーンがあったり、映画館でなければきちんと見ることができない映像もありそうなので、ぜひ映画館でみることをお勧めする。
どうしても、感想に考察を載せたくなってしまう…
これはこの物語に囚われた人の宿命だろうからご容赦いただきたい。
制作側は解釈を受け手側に任せており、自由に考えて良い。
決して「正解」があるわけではなく、私が想像で補いつつ考えた考察であるので、「違うよ」と思われる方もいるだろう。
あくまでも一個人の受け取り方を述べてみる。
以下は作品の考察となるので、観ていない方は鑑賞後にしていただきたい。
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個人的な考察であるが、この物語には時間軸が実は3つあるのではないかと思う。
一つは悦子が若い頃の団地住まいの時間軸。
二つめは佐知子の時間軸。
そして三つめはイギリスで過ごしている時間軸。
一つめと三つめは初めから明らかにされており、区別するのに問題はない。
二つめが別人の時間軸だとして物語が進むが、佐知子は後に悦子と同一人物であることが明らかにされる。
ここで我々は混乱に陥り、帰り道にぐるぐる考えながら帰るハメになる。
個人的な考えを述べると、
①被爆を隠し、団地住まいだった時代
②被爆に向き合い、明らかにした結果、バラック住まいに落ちた時代
③その後の現在
という、1人の女性の半生を描いた物語なのだと思う。
団地住まいの頃、被爆したことを隠し、表向きには幸せな生活をしていた。
おそらくその頃に、川の向こうにバラックを見ていたのだろう。
ただ、その時は、自分の生活を守るため、きっと遠くから眺めるだけだっただろう。
夫は被爆に対して拒否的であり、もし夫にバレたなら、「きっと私もあの場所に行くことになるだろう」と思いながら…
そこに、義父が現れ、戦時中の行いで昔の教え子と口論しているのを見る。
「過去と向き合わなければ、変わらなければ」と義父に言う言葉は、自分にも向ける刃となる。
そして、「私が被爆していたら?」という問いにつながる。
夫は「今さら何の話を」という様子だが、被爆という過去に向き合った彼女は離縁され、お腹にいた景子とともにあのバラックでの生活に行きつく。
母子家庭であの頃生きていくのは、佐知子が言うように何でもしなければ生きていけなかっただろう。
その頃に新しく「夫」と出会い、景子(作中では途中まで万里子)を伴って渡英する。
作中、万里子が被爆で差別を受けているとあるが、景子は戦後生まれなので、被爆2世でしかない。
そう考えると、景子が受けたという差別は、それすらも「自分への差別」を転換したものなのかもしれない。
ちなみに、佐知子は渡米する話になっているが、それも「嘘」というか、他人の話になるための要素だったのだと思う。
佐知子の家にはイギリス式のお茶を楽しむ食器があり、度々紅茶を楽しんでいる。
あのバラックに出入りしていた男性は、イギリス出身と考えるのがしっくりくる。
そして、全てを経験した後のイギリス在住の現在。
ニキと言い争うシーンの真意まではまだ理解できていないが、悦子は子供たちが自分で選んだ人生を認めているのだろうと思う。
むしろ、被爆の過去を隠していた自分の過去の方が、恥ずかしい記憶なのかもしれない。
過去に出てくる縄は、まとわりつくしがらみや苦しみの表現なのだろう。
色づいたもみじが移動して日が当たるのも、人生の終盤だが、これからの彼女の人生が明るく照らされる比喩なのかもしれない。
と、自分を納得させるためにじっくり考察した内容は以上。
この考察を胸に、もう一度観てみたい。
どのみち答えはないので、自由に受け取り、作品と対話しよう。
質の高い作品で、とても素晴らしかった。
久しぶりにいいミステリーを観た。
戦後の長崎を経て、イギリスへと移り住んだ女性の過去と、現在を交互に行き来する今作。
一風変わった変わった女性の佐知子と出会い、関係を続ける主人公。
そして夫と娘を亡くしながらもイギリスで暮らす主人公の誰にも見せない心の奥深くに迫りたいとする2人目の娘。
2人のやり取りと過去の回顧録から察するストーリーは、ミステリーとして凄く濃厚で、簡単に正解を示さない。
また原爆の被害者の心の傷に迫った物語なのかと思いきや、この作品がフォーカスを当てているのは果たしてそれではない気がする。
それよりかは、チェンジをしながら前に進む人としての強さを感じた。
そこが凄く良かったと思う。
嘘、願望、夢、記憶、現実。そして希望。
原作は未読だが、非常に文学的な印象を受ける映像作品だった。
現在(80年代)のイギリスと過去(50年代)の長崎を行きつ戻りつ進む物語。
薄暗く、湿気を帯び、不穏な雰囲気の漂うイギリスのカントリーサイドの平屋の家。
窓から光がさす、どこか希望を感じさせる団地の一室。
豊かな現在と悲惨な過去の対比がなされるのかと思っていたが、どうやらそう単純な話ではなさそう。陰鬱さの漂う現在の悦子。過去の若い悦子も朗らかのように見えて何かを抱えている。単なるヒューマンドラマではない。ミステリアスな雰囲気。
過去の悦子が抱えていたものは、そこが長崎であることから、生き残った人々が抱えているであろう忌まわしい原爆の傷であることは容易に想像できる。しかし、彼女が抱えているもの(内に秘めているもの)がそれだけではないということが、佐知子と万里子の母娘、元上司であり義父の緒方、夫の二郎との関わりの中で徐々に浮かび上がってくる。
佐知子と万里子に惹かれていく様子。緒方との弁当の会話、バイオリンをやめた話。順調なようでどこか冷めた二郎との関係性。
しかし、一体何を秘めているのか、はっきりしない。
佐知子と万里子の暮らすバラックは、橋を渡った先の湿地帯のようなところに建っている。その向こうには一切の人工物が見えない。バラックの中に入ると場違いなテーブルと洋食器、ライトがある。この2人はこの世の者か?実在するのかという疑問符が浮かぶ。
色々な場面に、違和感を抱きつつも物語は静かに進んでいく。
突然、ゾワッとして鳥肌がたった。
ロープウェイで登った展望台で悦子と佐知子が並んで会話を始めたときのことだ。
佐知子はもう一人の悦子!急に合点がいった。では、万里子は一体誰?
万里子の正体は、それから徐々に明らかになり、最終盤で完全に明かされる。しかし、この物語は、悦子の妊娠や二郎の存在など、つじつまの合わない細部の真相を明らかにしない。それは、映画のポスタービジュアルに描かれたように「嘘」だったのだろうか?
ここから先は、映画を見た人それぞれの考察になるだろうが、私は全てが「嘘」ではなく、そこには真実や願望、夢も含まれていただろうと思う。あるいは、悦子が自死で失った娘に対する贖罪と自己防御のために「歪めた記憶」も含まれていたかもしれない。
この作品は、文章から場面映像や登場人物の心情を想像をするような小説を読むような感覚を覚える。
戦争・原爆で見た地獄と生き残り背負った罪の意識。
家庭や世間体に縛られず自己実現を果たしたい女性。
失った娘への贖罪と後悔。
(真相を知らない故に)姉への嫉妬、母への複雑な感情を抱える妹。
そして、変わろうとする人、変わることのできない人・・・。
非常に文学的で、重層的な作りになっているように感じた。
長崎編の広瀬すず、二階堂ふみは、役柄に非常に合う配役だったと思う。イギリス編の吉田羊とカミラ・アイコの演技もよかった。
相当難易度の高そうな原作の映画化を成し遂げた石川監督の手腕は凄い。「ある男」で人間とは何か、ということを考えさせられたが、本作も人間について考えさせられる作品だった。
後半もう少し短くまとまっていたら・・・という思いもあるが、余韻と前向きな希望を残すまとめ方も、選曲にもセンスを感じる作品だった。
母の本心を想像する
母の悦子より、長崎時代の話を聞く次女のニキ。母が語る被ばく体験、佐知子母娘、長女の自死などの話が絡み合い、徐々に不穏な空気が漂う。他にも、母はなぜイギリスに来たのか、なぜ家を売り出すのか、悦子と夫との関係、義父の戦時教育、ニキ自身の問題など、さらに不穏な空気が漂う。
後半になって、ニキは母の語る話に疑問を持つが、見ている私たちも混乱させられる。何が真実なのか、母の本心は何か、はっきりと描かれていないので、想像するしかない。ただ、誰もがいつも正直に、真実を語ることはないのは当たり前なのだ。人間だもの。分かりやすい映画が好きな人は納得しないだろうけど、見ている人が自由に感じて、考えるのも、映画の見方ではないだろうか。
本当に辛い過去をどう伝えるか
ネタバレがあるので見る前には読まないでください
「友達の話なんだけどね」というのが実は自分の話だったりするのは良くある話。それは友達の話という部分は嘘かもしれないが、伝えたいことは満たしているかもしれない。そういう意味では嘘が混じっていても伝える価値はあるのかもしれない。
結論としては、悦子が佐知子とその子供(万里子)と語っているのはフィクションであり、良き妻でいようとする自分がいる一方で未来へ向けて葛藤しているもう一人の自分がおり、それが佐知子という架空の人物として語られていて、万里子は実際は景子のことに他ならない。そのことは明示こそされないものの間接的に表現されている。つまり、会話ではなく、写真や映像で表現されており、なかなか難しい映画でもある。
話を元に戻すと、どう考えてもいくら考えても、自分を主語にして話せないことが世の中にはあるのかもしれない。世の中とは残酷なもので、自分がどうしてもこうしたいとという時にだれかの夢や希望を奪ってしまうことだって現実にはある。
悦子は、いい妻でありたい一方で、被曝しているとわかられた瞬間に平和な時間は終わって、酷い扱いを受けるかもしれない、海外で女優になりたいという希望も捨てられない、男性社会の中で女性は弱い立場でもある。ここから逃げたい、それは子供である景子の希望を奪い取ってでも成さなくてはならない。自分の夢のためには犠牲があっても前へ進むのだ。それは悲壮な決意でもある。
悦子は大筋は後悔はしていないだろう。でも疼くのだ、景子が大切にしたかったものを自分の夢のために自分の手で葬ってしまったこと、嫌がる景子をイギリスまで連れてきたこと。そして結果的に馴染むことなく自分で終止符を打つことにさせてしまったことに。
景子の部屋を見ると悦子が景子のことを自分目線で大事に思っていたことは確かであるが結果としては景子本人の目線で大切にしたい意思や希望を潰す形で夢を推し進めたということになって、景子を深く傷つけ、それは治癒されることなく景子はこの世を去った。
子供は親の運命に翻弄されることがある。大きく翻弄されることがある。今回はその結果何処へも行けなくなった子供の話でもある。しかし思うのは、翻弄される中でも自分で運命や宿命に逆らって生きる強さを持たなければならない。親を恨むことは簡単だ、でも運命や宿命に逆らって自分で人生を切り開くことの大事さを世の中でもっと認識して欲しいと、親に大きく翻弄される人生を歩んできた自分は個人的には思うのである。
なにしろ色が良くて 追記
原作未読、とても素直にスジを追って、美しい映像にジャストな演技に酔っ払っていい気持ち。あり?え?はぁ…。なるほどぉ。今年の上位は確定した。
撮影がヨーロッパ人だからなのか、今作もまた細部までコントロールされた映像が素晴らしい。特に1950年代の長崎。街並みや家の中や小物類。土手の草ぼうぼうな段も。
広瀬すず始め役者はみんな良いけど、二階堂ふみが特に良かったね。あの子も良かった。
(追記 スジが合理的に整合できないところや矛盾は、本人自身が整理しきれていないことを示している、と好意的に解釈しました。)
しかしね。イオンシネマ武蔵村山で鑑賞後にパンフレットを購入したのだが、元々ビニール袋に包装された状態で売られていたので、男性店員の「袋入りますか?」の問いに「要りません」と回答したら、元々入っていたビニール袋をわざわざ外して裸で渡された。いやあ驚いたわ、一手間かけちゃうんだねー、いやいや。
評価が分かれるようだが
事前にいくつかのレビューを読んで、あまり期待せずに鑑賞したが、想像以上に良かった。
被爆で地獄をみた一人の女性の強く生きる心と、その裏に閉じ込めている弱く壊れた心の様子を、二人の女性の人生を通して表現したかったのてはないかと思った。
現実なのか想像なのか、全てを分かりやすく描写されてない分、観る人によってストーリーは別の解釈になると思う。
個人的には戦争の生々しい苦しみを感じることができる名作だと思う。
あの時私は其処に居た
長崎市出身のカズオ・イシグロ氏の原作を元に映画化された作品。
終戦後の長崎で懸命に生きる悦子を広瀬すずさんが、佐知子を二階堂ふみさんが熱演。
作家を志す娘ニキ( カミラ・アイコさん )に促され、自身の過去を語り始める母・悦子を吉田羊さんが好演。大半の台詞が英語でした。凄い!
悦子の義父・緒方を三浦友和さんが好演。安定の存在感と演技力。
元教員の悦子が「 私が生徒を殺した … 。」と嗚咽するシーンに涙が溢れた。
広瀬すずさんの凛とした表情と佇まい、粋な雰囲気を纏った二階堂ふみさん、お二人の演技に魅了された。
あの時代を懸命に生きた女性達の苦悩や想いが胸に迫る。彼女達の苦しみを、私達は決して忘れてはいけない。
余韻の残る作品。
ーシェパーズパイ
映画館での鑑賞
いくつかの謎が気になる
予告から気になってた映画で鑑賞しました!
日本人の母とイギリス人の父を持ち、大学を中退して作家を目指すニキ。彼女は、戦後長崎から渡英してきた母悦子の半生を作品にしたいと考える。娘に乞われ、口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める悦子。それは、戦後復興期の活気溢れる長崎で出会った、佐知子という女性とその幼い娘と過ごしたひと夏の思い出だった。初めて聞く母の話に心揺さぶられるニキ。だが、何かがおかしい。彼女は悦子の語る物語に秘められた<嘘>に気付き始め、やがて思いがけない真実にたどり着く──。
というのがあらすじ!
80年代の悦子から50年代のことが語られるですけどもしかして佐知子と悦子が逆かなと思ってたました
そんなことはなかったですね…
途中から万里子が景子だとわかったんですけどいろいろ謎が…
佐知子も悦子ってことでいいのかそれとも違うのか?
佐知子が悦子なら二郎が前の夫なのか?
二郎だとして二郎は離婚したのかそれとも亡くなったのか?
それに紐が何回か出てきてそれは連続殺人の関係あるのかも気になる…
よくわからないことがいくつかあってU-NEXTに動画あってたので映画を観る前に観るべきなんですけど何かわかるかなと思い観ました
5つのヒントがあったんですがその一つに
少なくとも5組の親子が登場するってありました
5組もあったかなと思いました…
動画を観て思ったのがそれぞれに受け取って考えてくださいみたいな感じ笑
観た人といろいろ感想を語り合えたら面白いかもですね!
個人的には面白かったのですがいろいろわからないことがいくつかありました…
何回か観ればいろいろわかることもあるのかな🤔
それとみなさんの演技も良かったですね!
いろいろ謎があって何回も観てみたくなる映画でした!
ありがとうございました😊
ハッと二度はする!心胆を寒からしめる、この闇に触れる思いがした。
戦後80年、先月”雪風”、”木の上の軍隊”を見て今年のお盆は締めくくったと思っていたのですが、いえいえ 本命が残ってたと言う想いですね。
ここに来てこの作品なのでしょうか。そう言う思いが強いです。
今日はカズオ・イシグロ作「遠い山なみの光」の鑑賞です。
本作は第78回カンヌ国際映画祭でワ-ルドプレミアが行われました。
劇場内、女性の方が多く来られており関心の高さを感じましたです。
まずこの映画ですが、流れ仕掛け的に似ている作品が思いつくところでは
”ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日” これかなと感じました。
自分の事だけど他の物に例えて話していく様ですね。最後に総てを一瞬で語る辺りがそうかなと。
総評から言うと、4.2。
原爆病に触れた女性視点に立ち、心の底に抱いた どうする事も出来ない悲しみ、怒りの様なものが根底にあり そこから派生する主人公のやり切れない運命の定めを強く感じる事ができました。その点が素晴らしい点と評価致しました。
特にこの題名の ”山なみの光” とは何を指すのかです。色々と解釈が出来ると思いますが、私は素直に長崎に落とされた原爆光と感じました。
しかしそれだけでは無くて、主人公悦子が家族(夫)を捨てて再婚でイギリスへ渡った時に孤独の中で感じ得た脳裏に思い起こす故郷。その想いが遠くの山奥で仄かに光っている様な情景を思い描いてる様に感じます。そしてそれは同時に景子の運命をも引きずっています。
それらを感じて欲しい所でしょうか。その想いが次女へ語る話の中に虚構を産んでしまうキッカケの一つに繋がるのだろうと感じます。
原爆病を遺伝させたかも知れないと思われる自身の子供に関して、特に女性は切っても切れない程の運命の繋がりを持たれると思います。男性は女性のこの不安な思い苦しみはきっと分からないだろうと 私はそう感じます。
この部分の人物背景だけでも 心に重く響くものを受けました。
何故彼女は日本を離れようと思ったのか。娘が亡くなって閉ざされた部屋の秘密。
そして拾われた子猫達。戦後に忘れては成らない感情が沸々と蘇ってきます。
女性視点の戦後80年を私は忘れていたんだと、この作品を観てそう深く感じました。
原作:カズオ・イシグロ氏(長崎出身)
監督・脚本:石川慶氏
-------素晴らしい俳優陣--------
緒方悦子役:広瀬すずさん
緒方二郎(夫)役:松下洸平さん
緒方誠二(元校長 義父)役:三浦友和さん
悦子(現在)役:吉田羊さん
景子(長女)役:
ニキ(次女)役:カミラ・アイコさん
佐知子(友人)役:二階堂ふみさん
万里子(佐知子の子 子猫拾う)役:鈴木碧桜さん
藤原役(食堂):柴田理恵さん
松田重夫(誠二の教え子):渡辺大知さん
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(2度の驚き)
①驚き
私は家に老猫(オス)を飼っています。(保護ネコ)
餌をあげても猫パンチを時々して来て彼の愛情表現を食らってます。
そんな私ですが、この映画の 佐知子が引っ越す前日に、ダダをこねる万里子の拾ってきた子猫が入った箱をそのまま川岸に持って行く場面はかなり衝撃を受けました。
”うわぁっ” て 思わず口に手をしましたです。
これはかなりトラウマに成りそうな場面でした。
実は映画では 娘万里子の猫を取り上げて、母佐知子が殺める場面と成ってますが、元話は 悦子が気がついて止めたと言うのが本スジらしいです。間違っていたらごめんなさい。
②驚き
何と言っても、イギリス宅で次女のニキが閉ざされた景子部屋の遺品を観る時でしょう。流石に 何が何だかって成るかもです。
今まで娘ニキへ母が語ってきた ”家族を原爆で失った母”のその後の結婚生活、姉景子の話、友人の話と友人の子供の話。
どれも本当なのかと思っていたけど、 どうやらこの友人(佐知子)と友人の子(万里子)は虚構だと分かる所ですね。
実は 母悦子と、娘景子の事だったと遺品から分かるんですね。
私もこの場面は 心に震えが出るくらい ”えっ”て 成りました。
同時に何故長女景子がこうなったのか。(つまり自殺)
自分が過去(長崎を捨てた理由)そしてこのイギリス宅とも離れる理由。
生まれた日本長崎の思いとの断絶感。何も良い思い出が無かった自分。
イギリスに来ても孤独だった日々を過ごしてきた自分。
これはまるでイシグロさんの歩んできた半生(日本に居た時受けた感傷)を作品を通して そこに垣間見た気がします。
作者は何処かに自身の過去に獲た想いを透過させていたのでは無いでしょうか。
私はその様に感じました。
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結局のところ、これから書くことは映画では描かれてはいませんが
悦子は長崎の原爆で家族が亡くなり被爆者で原爆病に成っていたのではと思います。気になって周囲に馴染めない彼女。原爆の風評被害を受ける事もあったでしょう。その中で教育者として先生との結婚生活、景子妊娠出産は最初は上手くいったと思います。しかし・・・
やがて歯車が狂い夫と距離が出来て愛されなくなって孤独に。すべてはこの病からだったのかと感じます。そして何もかもから逃げ出しくて 夫を捨てて。
新しく出会ったイギリス人の元、自分を全く知らない異国へ娘を連れて向かったのでは無いでしょうか。
これらを叶える為に悦子は色々な仕事をすべてしたと思うのです。
しかしイギリス人との結婚生活、次女ニキが生まれても 戦後の敗戦国日本人への差別を受けたと思います。そうでは無かったでしょうか。
同時に無理やり父と離され連れて来られた景子。彼女の心が蝕んでゆく。
そして自身の命を絶つ事に。
ひょっとして この蝕んだ元凶も原爆病からの何らかの遺伝ではないでしょうか。
私は全ての不幸の繋がりが 結局のところ ”山なみの光”にある様に感じたのです。そう言う思いを心の奥深い所で触れたかなと、 そう想っています。
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俳優陣(特に女優)は素晴らしいかったです。
特に広瀬さん、今までにない位の成長を感じました。
目線に表情に訛り台詞、今作はとても良いですよ。
特にバイオリンへの想いを語る涙の場面。
あそこの場面の あの思い、こちらの心の奥までズーンと響きましたです。
そして何と言っても二階堂さん。
彼女らしい演技。そして役どころでしょうか。
何処となく はぐれ者、交えない自分を見事に演じていたと感じます。
私はあの川岸の場面、めちゃ衝撃を受けました。
義父役 三浦さんの優しさある目線。そして苛立ち。
元教え子との勇気ある対峙。(軍国主義と平和主義)
昭和初期の男姿を感じました。
9月入って 秋の新作が目白押し。
ご興味御座います方は、
是非、是非お早く劇場へお越し下さい!!
人によっては解釈が変わる?
本編が始まったときは、悦子と佐知子が反対のように思える場面が多く、ニキの姉は誰なんだろうとずっと考えながら観ていた。
悦子の過去の話を聞いているうちに少しずつ違和感を抱くことがある。
ラストまで観終わって、タイトルの意味などを考えたときに、悦子の人生は佐知子の方の人生で、景子が亡くなったのはイギリスに渡ったことで耐えられなくなって亡くなったのかと考えた。(佐知子はアメリカとなっていたが、そこを変えたのは自分の事として話すのを避けるため?
)
結果的に、悦子は回想をしながら、客観的に自分の過去を回想していたのかと思う。
原作を読んでいないので、あの悦子の人生(広瀬すず)は理想のものを考えていたのか、なんだったのかがまだ処理しきれていない。
原作読んでないからかな?
結局誰がどのような嘘をついてたのかが分かりにくいし、
どの話のパートも結末が中途半端
良いように言えば観客にすべて想像させる話
主人公の旦那と父親も最後までわかりあえなかったし、旦那と主人公は死別したのか離婚したのかもわからないまま、父親と元教え子もお互いの教育論がどのようなものかすらわからないのに対立場面だけ見せられる
景子の自殺の理由は?
うーん原作読んだら全ての話がわかるのかなぁ?
「遠い山なみの光〜A Pale view of Hills」の意味するところ
この映画に関して、書きたい事がいっぱいある。けれども、まずは素晴らしい映画でした。戦後80年の節目として見ておくべき映画だと思います。日本はまだまだ80年経っても総括できていないいろんな事があるのだと感じるものです。題名の「遠い山なみの光〜A Pale view of Hills」の意味するところは、自分自身を客観視して捉え直すために必要な、長い時間と遠くから見る目線なのだという事なのでしょう。
===さてここから「ネタバレ」。見てない人はご遠慮ください。===
素晴らしく良い映画なんですけれども、見終わって感動に浸る前に、なに?なに?なに?どゆこと? ねぇ!誰か説明してくれぃ!?? という????の嵐になってしまうことですよねぇ。
妻と二人で見終わってから1時間くらい映画の解釈について話をし、他の人のレビューも見たりしましたが、原作を読んでも結局疑問は解決せず、映画レビューでも誰一人説明できる人がいない。つまり、どう解釈するかは見た人次第という名の「放置プレイ」のようです。
ただ、わたしの理解として、緒方悦子(広瀬すず)自身として、まだ自分自身を客観視して見る事しかできない、他人の姿をした自分が佐知子(二階堂ふみ)であること。そして、自分が長崎という場所で負った戦争の記憶が、何十年経っても自分ごととして受け止めきれない状態のまま、この映画の現在である1981年に来てしまった事。それを、ロンドンへの移住と娘のニキの取材に応じる中で、ようやく区切りをつける自分(それが、電車の外に経っていた現在の悦子=吉田羊)を見つける事ができた。吉田羊が昔に黒い人物として登場する頃から、広瀬すずが二階堂ふみなのではないか?みたいな可能性が見えてきて、広瀬すずの長女景子は二階堂ふみの子供万里子なのではないかとか、だんだんと明らかになってくる。。。
ただ、
だとしたら、誰?あの松下洸平扮する旦那は?三浦友和扮する緒方誠二は? 孕っていたはずの子供はどうなった? 謎だらけ。 散らかし放題に伏線を拡げまくって、少しも回収してくれないもどかしい感じが強い終わり方でした。
まー、原作カズオイシグロで監督脚本が石川慶なので、こういう作品なのでしょう。
映画のテーマといっていい部分は、三浦友和扮する緒方誠二元校長が、かつての教え子書いた、校長が行った戦時の責任についての記事で口論になるところでしょう。 この核心部分を端的に顕すこのシーンが、ただの悦子の「想像の世界」???なのか。あの戦争で右手が不自由な旦那さん、父である三浦友和と不仲だったりした、細かい描写の全てが、ただの「妄想の世界」??? そこの座りのわるい椅子に腰掛けた時のような落ち着きのない感じが、単純に「感動した」と言いにくい後味になっていますね。
あと特筆すべき事は、子(万里子と景子)役の鈴木碧桜さん、めちゃくちゃ凄い! また凄い子役スターが生まれたと言って過言ではない。演技が自然。もう何年も役者やってます!みたいなセリフ回しの自然さが、際立っていて、芦田愛菜よりも凄いかもしれない。すでに河合優実なみの場面に溶け入るような自然さと艶やかさが際立っています。この人は、今後大注目の役者さんです。
音楽も素晴らしい。カメラも素晴らしい。
そして、広瀬すずちゃん、二階堂ふみちゃんの二人の美人を、堪能するためだけでも十分に価値ある映画です。めちゃめちゃいい表情をしています。特に、緒方誠二がかつての教え子と口論する場面の、凛とした着物姿の広瀬すずは、バッキューンッって死にそうなくらい艶やかでした。
いろいろ書きましたけど、とはいえ、最初からグイグイ惹きつけられて、非常に面白い映画でした。主人公が、自分でもどんな風に収拾して良いかわからない自分自身の過酷な中で生きてきた道を、独特の表現で現した、良質な映画だったという事だけは間違いありません。
稲佐山展望台からの展望は懐かしい
遠い山なみの光
この映画を観て、70数年前に長崎市稲佐山近くで生まれた者として、自分も被爆者なのだと意識してしまった。
1年しか住んででいないので、50年間長崎に行ったことはなかった。
原作は読んでいないし読みたくもない。
でも、深い洞察をしてしまったのは、
本籍地が長崎市生まれだからろう。
そんな僕の感想は、
悦子は夢として佐和子を作り出し、悦子が何時迄も被爆したことを隠し通そうともがいてる。
それは二郎との関係も妊娠しているにも関わらず城山で働いていて被曝したことの真偽が心の不和となり離婚したのだろうと思えるからだ。
そんな被爆者としての不安定な精神状態が万里子であり自殺した景子なんだろう。
それは脚にまといつく紐が象徴的だ。
そして戦後日本の大変革があっても、何十年経ても、異国の地に逃れても、怖い夢を引き起こす惨劇が、原爆なんだと思った。
トラウマでは済まない深いドラマスティックな傷なのだ。
ちなみに、
ロープウェイで稲佐山に上がると、世界三大夜景、モナコ、上海、長崎で、
夕陽に霞む山並みが消える頃、長崎市街の灯りがドンドンと輝き出し、夜が暗くなるほど綺麗に輝く。
それは原爆の光ではなく、足下に光る平和の光
ところで、悦子は家を売って日本に行くのだろうか?
新たな世界を何処で歩もうとしているのか?
分からないが、望みという光はあるのだろう…
長崎に行ったら、
四海樓本店で、ここからの夜景とチャンポンは絶品です。
ランチは、丸山の花月で卓袱料理とお庭を楽しめます。
レビュー93
(^ν^)
遠い山なみの光
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作を映画化したヒューマンミステリー。
日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。
1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。
そこでは夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。
それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。
1950年代の長崎に暮らす主人公・悦子を広瀬すず、
悦子が出会った謎多き女性・佐知子を二階堂ふみ、
1980年代のイギリスで暮らす悦子を吉田羊、
悦子の夫で傷痍軍人の二郎を松下洸平、
二郎の父でかつて悦子が働いていた学校の校長である緒方を三浦友和が演じた。
2025年・第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。
遠い山なみの光
2025/日本・イギリス・ポーランド合作
難解‼️
「ある男」も大した事なかったんですけど、石川慶監督の作品は自分には合わないのかもしれない⁉️描こうとしてる事は解る‼️あの悲惨な戦争と戦後の時代の中でたくましく一生懸命生きる複数の女性像を描きたいんだと思うんですが、演出に難ありというか、見せ方が下手ですよね‼️結局悦子は佐知子であり、万里子が恵子なわけで、長崎時代の夫は⁉️お腹にいた子は⁉️悦子と佐知子は違う時間軸なのか⁉️夫とは死別したのか⁉️そういうことを探るのは狙いじゃないと思いますが、ちょっと混乱を招く作風で、広瀬すずと二階堂ふみが同一人物とわかった時もそこまでカタルシスを感じなかったし、伏線回収とまでもいかないし、エモーショナルに盛り上がるわけでもない、何かモヤモヤが残る作品ですね‼️
これは◦◦◦
原作未読。最初は地味に淡々と進む。昭和の一般的なサラリーマンと献身的な妻。ただ、途中から、あれ、と思うようになって、最後ぞわっときた。あれからずっと考えているので、凄い作品だと思う。結局あの時何が起こったのだろうか・・・原作もいつか読んでみたい。
変わらなきゃ‼️❓三人の一人‼️❓
老年の吉田羊と、若い広瀬すずと二階堂ふみの場面が交錯するが、全て一人の女性、広瀬すずは戦前の姿、二階堂ふみは戦後の姿、なぜか戦後と戦前が同時進行、本当の姿は広瀬すずだけでしたが、二人が交流するかのように描く、多分、三浦友和や日本人の旦那は戦争で死んでいるのだろう、回想と生き方を変える姿を二階堂ふみと広瀬すずで交錯させている。
原作者は、多分、自分の生き様を重ねている長崎原爆、イギリス、ルーツ。情緒的な映画だが、意志は感じる、戦争責任、差別、女性人権、さすがノーベル賞。原作の深さは追究出来ていないだろうが、演技は凄まじい、特に、広瀬すず、二階堂ふみ、三浦友和、これまで観たことの無い演技、引き込まれた。凄い映画、是非。
だから、生きてこれた
??…。
………。うーん…?
観賞後3時間、やっと少し言語化出来てきた。
受け止めきれない、持ちきれない。そんな辛いことを忘れられない、捨てられない、ならどうしよう?!
そこで彼女は、記憶を操作しつなぎ合わせ、共に歩めるストーリーを、1つだけのウソをついて、作り上げたのかな。 希望とともに。
戦時中教育の後悔、大切な人との別れ、被曝差別、男女差別。
戦争中じゃなく、終わった後にも襲ってきたどうしょうもない辛さ。
あの当時こんな思いをすべての日本人が、多かれ少なかれしていたと思うと…言葉がうかばない。
そう、あの時、すべての日本人が変わることを求められたのだろう。
生き続けるために日本から逃げざるおえなかった母と、日本に残りたかった娘。
どちらも罪など無いし、お互い努力したように思えるが、距離は埋まらなかったのか、悲しい結末に。
先日長崎の映画を観たばかりだし、朝ドラで、戦時教育の問題も見てきたので、身近なテーマに思えた。
この映画のさまざまな捉え方は、すべて否定せず尊重する上で、私が受け取ったモノも書いておきました。
衝撃的でした
最後の最後に、子供のセリフで、「イギリスには行きたくない」とあったときに、鳥肌がたちました。
そして、また、もう一度観なければ、と強く思いました
こんな体験初めてです
役者の皆さん、一人ひとりの演技も素晴らしく、最高です
カンヌへ二階堂ふみが行かなかった《謎》が解けました。
観て分かりました。行かない訳です。
二階堂ふみがカンヌ国際映画祭のワールドプレミアに居なかったことに
とても違和感を感じていました。
つまりそれが、この映画の最大の《謎》でした。
最後の最後まで騙されましたね。
川を挟んで向かいに立つ高い丘に高層の新興団地がある。
団地には悦子(広瀬すず)が夫の緒方二郎(松下洸平)と平穏に暮らしている。
悦子は身重で家のベランダから遠くに見える川下の粗末なバラックに住み、
米兵を家に誘い入れている派手な服装の佐知子(二階堂ふみ)の様子を
気にかけている。
佐知子には幼い万里子(鈴木碧桜)という娘がいる。
その万里子が行方不明になったと佐知子が駆け込んでくる。
付近では少女絞殺事件が3件も発生している。
二郎の同僚たちの客を放り投げて、悦子は万里子を探す、
えっ、アレっと違和感。
佐知子はアメリカへ渡ることを夢見ていて、荷造りをしており
もうすぐ神戸から船に乗るつもりでいます。
この映画は1952年長崎の悦子を広瀬すず。
イギリスに渡った1982年の悦子を吉田羊が演じている。
1982年の悦子は長女の景子の自殺に傷つき、ベッドでは眠れず、
居間のソファで仮眠を取り悪夢にうなされている。
そんな時、文筆業に踏み入れた次女のニキが、母親の長崎から
イギリスに渡った日本女性の回想を書く依頼を受けて、
「ママの全部が知りたい」と取材を始めるのです。
ニキを演じるカミラ・アキコが実にチャーミング。
美しいし聡明だし演技の基礎がしっかりしている。
そうして、長崎時代の悦子の人生を振り返る回想場面がとても多い映画です。
原作者のノーベル賞作家カズオイシグロは1954年長崎に生まれていました。
1960年にイギリスに移住して、帰化。
1985年に書いたデビュー作がこの「遠い山なみの光」
発表当時の題名は「女たちの遠い夏」だったのも、意味がありますね。
長崎は1945年8月9日午前11時2分。
原子爆弾が広島に次いで2番目に投下された都市です。
一瞬で7万人以上が死亡しました。
生き残った人も一様に傷つき必死で生きようとしている1952年。
その長崎ですら被爆者への差別が存在しているのには正直言って
驚きました。
二郎は悦子が被爆してしなくて良かった・・・と妊娠を受け止め、
悦子は「私が被爆してたなら、結婚しなかった?」と、
問うのでした。
如何にも従順でお淑やかで危なげない悦子。
それに対して佐知子はバラックで派手に着飾り、ロイヤルコペンハーゲンの
紅茶セットで悦子をもてなす、夢見がちな女性です。
けれど娘の万里子は汚れた粗末な服装に、腕にはケロイドのような
傷跡さえある。
悦子の生活に突然割り込む二郎の父親・緒方誠二(三浦友和)は、
軍国主義の高校校長で未だに自分の過去を反省などしていない。
《3人の女》と娘が2人。
1952年の悦子と佐知子。1982年の吉田羊の佐知子。
そして万里子は、実はイギリスに連れて渡った悦子の長女。
万里子と景子は同じ子供です。
そしてイギリス人の父親に生まれた悦子の次女がニキです。
イギリスの田舎の悦子の家は日本風の庭を持つ西洋建築。
とても居心地の良さそうな素敵な家。
対して1952年代の長崎はケーブルカーもできて、市電も走り
たった戦後7年で、見た目は力強く復興している。
もしか悦子が1952年にイギリスへ渡っていたら、
《日本人に当時のイギリス人の風潮は決して優しくは無かった》
との会話があります。
ここで大きな種明かしをしてみれば、
佐知子(二階堂ふみ)イコール・悦子(広瀬すず)
万里子イコール景子。
佐知子は居なかったととも言えるし悦子もいなかったとも言える。
2人で1人の同一人物であるとともに、あの長崎の原爆を経験した
不特定多数の1人である女性像だと私は思います。
2人とも創作の上で生まれた戦後を生きて海外へ渡った日本女性の
モンタージュでありメタファーであり架空の人物なのです。
そもそも映画も小説もフィクションですから、登場人物は
架空の存在です。
しかし原作者のカズオイシグロの小説を映画化した石川慶の脚本は
素晴らしいし、1952年の長崎を再現した映像は、懐かしい昭和そのもの。
セピア色がかった暖色系の夕刻の市街地が本当に美しい。
橋の下の佐知子と新興団地の悦子との格差を映像で際立たせ、
広瀬すずという芯が強く美しくブレない真っ当な女。
対して米米兵を受け入れ、派手な生き方で眉を顰められる二階堂ふみの
現実にもがき打破しようとする強い女性像。
その2人が1人だなんて。
本当に驚きました。
かなりのサプライズでした。
しかし前述した通り、悦子も佐知子も戦後の長崎を生き抜いた女たちの
不特定多数の集約だと思います。
そして石川慶監督は人物に生命を吹き込むことに成功。
悦子も佐知子もニキも万里子も、登場人物が現実として生きて
その人生を暮らしていました。
創作上の人物に原作以上に膨らませて味付けした石川慶監督の
演出は冴えわたりました。
佐知子と悦子が同一人物と、ラストで知った時、
熱い涙が込み上げて、なんとも言えない感動に震えました。
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