遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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1952年の素晴らしい世界観と女優3人(子役含め)
1952年長崎の広瀬すずの悦子の世界。
1982年イギリスの吉田羊の悦子の世界。
2つの時代の悦子の秘密は徐々に明かされるにしても、人物関係が分かりにくい。その分かりにくいが秘密に隠されているのなら理解できるが、そうとも思えない所が多いので評価が厳しくなる。
先生或いは父親の(三浦友和)は夫の親だと思うがなんかヨソヨソしい。(広瀬すず)と夫の関係がどう渡英に決意したのか。(三浦友和)の教え子に対して声を荒げるが、それが(三浦友和)の当時の教育観や戦争感に関係するのか。戦後の悦子(広瀬すず)や佐知子(二階堂ふみ)は裕福ではないと思うが、その割に身なりがすごく良い。
(吉田羊)と娘ニキが在英だとしても自宅で英語で会話。実際にはどちらかの言葉になるのかもしれないが、イギリスの夫が出てこないし、しかも吉田羊だから。
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川に沈めた箱が、1982年の(吉田羊)の部屋に(二階堂ふみ)の子 万里子の私物と共にある。3人で乗っていたはずの路面電車に、(二階堂ふみ)が乗っていない。
万里子は悦子だったのか。
それでも佐和子がそれほど自立した女性に思えない。隠したい過去があったのかも不明。
私は小説が読めないので原作と比較できないし、分からない事が多すぎる。
え?解釈が。ちょっと待って助けて!
え???ちょっと待って!?誰か助けて〜。これ分からないまま終わりで正解なの?分からないの私だけ?各自の想像におまかせ?私の理解力の無さはしょうがないけど、この映画がミステリーなのかどうかも不明だよ。すごいの見ちゃったな。困った〜。本とか普段読まないから文学作品的な要素はちと難解だなあ。解釈は色々調べて勉強したいと思います。点数つけづらいよ。
★演技、映画自体はとても素晴らしく、テレビドラマみたいな映画とは明らかに違う独特な空気感、本物の映画を見ている感じがありました。
★追記もしこれが文学小説にありそうな読者にこうだったのか?と面白がらせるための作者がワザと仕組んだトリックだとしたら私には難解すぎて少し過剰だなあ。
万人受けはしないと思う
広瀬すずが年数たち、吉田羊になっているのを理解するのに 顔が似てないから時間がかかってしまいました。
難しい映画なので 軽い気持ちで見た方が低評価なのもよく分かります。
個人的には好きです。
最後くらいスッキリ終わって欲しかったけど原作があるなら仕方ないのかなと。
役者陣は良いが、それ以外が残念
さっき書いたのが消えたので短めで
不思議な感じ
原作は未読です。
舞台は1980年代のロンドン。
長崎から移り住んだ母悦子と久しぶりに実家に戻った娘ニキ。
この2人の会話と母の過去の回想が繰り返される。
その回想にどこか違和感を覚える娘。
これは原作を読まないと理解し切れないな思った。
ミステリーとも言い切れない不思議な感覚。
終盤での描写は頭が混乱してしまった。
事件ではないので悦子の記憶を正す必要もなく何故悦子の記憶がそうなったのかは誰にも分からない。
レビューを書いてる今も何が本当で何が妄想なのか理解出来てない気がする。
要は消化不良なのだが不思議と不満はない。
人の記憶はその人に都合の良い心地良いものに少しづつ置き換えられていくというのは普通なのかも知れないと思うからだ。
この作品の評価は観る人によって大きく変わるだろうな。
広瀬さん、「すずちゃん」から「すずさん」に変わりましたね。
ミステリーのお手本!違和感で引っ張る巧妙な脚本と演出!
原作未読です。
80年代イギリス。戦後間も無く英国に渡った女性が長崎に居た時代の回顧録をめぐるミステリーです。
人の記憶はそもそも曖昧なもので、当人にとって都合よく美化されたり補完されたり、時に改変されたりすることもあると思います。それらの曖昧さを軸にミステリーは巧妙に組みあげられております。
また印象的だったのは、広瀬すずさん演じる若き日の悦子が活躍する長崎時代の回想ですね。まあ、大変清楚で美しいってのが前提の高評価でございます(笑)。
その中で、本来見えない細部を何度もフォーカスしてみたり、また重要と思われるシーンを意図的にブラインドにして観客に見せなかったりする独特な演出が施されておりました。効果的な背景音楽も手伝って不穏な雰囲気、違和感みたいなものが浮き彫りになる演出は、ミステリー以上、ホラー未満という感じで私は、スクリーンに釘付けになりましたよ。
ただ、回想に出演する男性が小さい子供含めてことごとく「愚か、もしくは粗暴」なのは悦子の偏ったアイデンティティが原因なのでしょうか。なにかそこだけひっかかってます。
中高年の男性の私にとってはそれが一番の違和感で、今も引きずってます(笑)。
では。
自由に生きることは難しい
分かるのよ、私たちはよく似てるもの。あなたもあの日あそこにいたんでしょ?
秘密がわかっても難解
原作読まずに
余韻に包まれる芸術的な映像美
◇合わせ鏡の中の私はあなた
ノーベル文学賞作家カズオイシグロの優しい語り口が好きです。特に、映像化された『#日の名残り #TheRemainsoftheDay 』、『#わたしを離さないで #NeverLetMeGo 』は、小説も映画も私にとって思い入れ深い作品です。
カズオ・イシグロの小説は、曖昧な記憶や思い込みを通して人間の弱さやすれ違いを静かに描くのが特徴です。登場人物の心理を投影するような風景の描写が映像向きなのかもしれません。
彼の最初の長編小説である『遠い山なみの光』も、母から娘へと語られる回想劇を装いながら、記憶の構築過程そのものを提示しています。映画でも、記憶がいかに不安定で、現実と虚構の境界がいかに曖昧であるか、静謐な映像と余白の多い構成で巧みに表現しています。
母親が娘に語る物語には、自分ともう一人の女とその娘が登場します。1980年代のイギリスと1950年代の長崎という時空を越えた合わせ鏡のような物語構造。鏡の中にいるのは、過去の自分という他者なのです。
記憶によって成り立っている自分という意識の連続体。その自我の根幹を成す記憶の中身が、無意識に潜む罪責やズレを含んでいることを知らず知らず隠蔽しようとするものです。
そんな人間心理の有り様を考えながら、物語を“追う”のではなく、語り手の心の深層をさまよう体験へと誘われているように感じました。気がつけば、語り手の意識の合わせ鏡の中に、私自身の自我も写り込んでいるような、自分自身の意識と記憶を解体再構成しているような奇妙な感覚に覆われます。この映画は意識の深淵を覗かせてくれるようです。
気合の入った力作、完成度の高い作品
広瀬すずの美麗さと存在感に終始見惚れる!
原爆を投下された長崎で戦後を生き抜き、その後、渡英したひとりの女性・悦子の半生を、彼女の口述から悦子の娘・ニキが綴っていく。
長崎時代に知り合った謎の女性・佐知子、その娘・万里子、そして悦子の夫・二郎などが登場して、長崎での生活が語られていくが、全体的にその生活を支える人間模様が謎めいており、ひた隠しされた「何か」が見え隠れして不穏当な雰囲気が漂う。そして終盤、その「何か」の正体が明かされて──。
うーん、お恥ずかしながら今ひとつ理解できないまま上映終了。「何か」はわかったものの、そこから生じた真実が何を指し示すのかが、よくわかっていない模様。
多分に戦後長崎の歴史的背景とその文脈を、私が知識として持っていないからだろう。ひとまず解説レビュー等を見て知識を補完したうえで、サブスク化したら改めて鑑賞したいと思った次第。
追記)
ふと思い至ったことがあったので追記。
吉田羊(悦子)の回想は、二つの時代を混ぜ合わせての嘘を構築していたのか。
子を産む前の広瀬すず(悦子)と、万里子(景子)と二階堂ふみ(佐知子/悦子)母娘。被爆した者としての差別に遭いながら果敢に生き抜き、渡英に漕ぎ着いてようやく幸せを掴みかけたが、景子の自死が大きな影を落としている。
回想での、広瀬すず(悦子)が万里子に優しく接している様は、後悔の念だからだろうか物悲しく切ない。
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