遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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生きたいようにできるか…できないか…
時代的に男女平等なんて言葉は存在してないん気がしたなぁ……
男の言うことが全てな世界、まだ戦争の匂いが少し残ってる世界で立ち上がる女性のこうやって生きたいという欲を感じたなぁ
思うように生きてほしいという事を直接語りかけてくる作品だと感じた
原作読んでないと意味不明
現在のイギリスと回想の戦後の長崎がパラレルに続く。
回想には佐智子という女性とその子の万里子が出て来て、娼婦をしていてGHQのアメリカ兵とアメリカに行く前の話になっているが、最後に実は万里子は自分の娘の恵子だった事が判る。
と言う事は佐智子は自分が作った妄想?
良く解らない。
原作を読んでないと訳が分からない。
Theカズオ・イシグロ
変わりゆく女性は美しい
封印して来た過去の記憶と向き合う事こそが、新しい未来に向けて『私達も変わること』に繋がっていく
人は、誰しも触れられたくない過去の記憶があり、それが理不尽な被爆者への差別や偏見であり、
主人公の『あの頃は一人で立ってられなかったんです』という台詞に込められていると思います。
ニキとの確執や親子関係が、とても丁寧に描かれていて非常に気になる所でした。
幼少の頃から姉に対するコンプレックスがあり、
ピアノが得意な姉を母親は溺愛し、自分に無関心だ
と責めよる場面や姉が自殺した事を隣人に隠す場面では、ニキがこれまでの母親に対する不満をぶつけ
る事により、本物の母娘になれたんだろうなと確信
出来ました。
けいこに対する後悔や懺悔の思いが、複雑に交差しながら恐らく自分でも咀嚼できない複雑な感情に苛
まれてきたのであろうことは容易に推察できます。
辛い過去と向き合う事で、自分自身を締め付けてい
た紐からやっと解放出来たんだと思います。
ラストの何か吹っ切れた様なニキのスッキリとした笑顔が希望が見えて標題の
『遠い山なみの光』とオーバーラップした秀逸な作品でした。
三浦友和翁に最優秀主演男優賞を!
観てきました。原作知らないものを観る派。チラシと予告編の情報だけで期待値高めてましたが、期待以上でした。
久しぶりにスクリーンの二階堂ふみさんを観たけど存在感抜群。広瀬すずさんも二階堂さんに共鳴するような演技でとっても良かった。
そして、圧巻は三浦友和翁!これは助演男優賞来るかって思いました(国宝の横浜流星さんはダブル主演で主演枠でお願いします!主演男優賞はあの、2人で争ってこそよ!)。春ドラマの続々最後から二番目の恋でも相変わらずいい味出していたけど、どこまでいってもいいおじさん、物分かりのいい理想のシニアみたいな判で押したような役ではなくて、過去と向き合って、簡単には過去の自分を否定できない、プライドも覗かせてついには爆発する難しい役を見事に演じていたと思います。
吉田羊さんも全編英語での演技、素晴らしかったし、文芸作品由来らしい重厚な、だけど飽きない佳き映画。カズオ・イシグロさんの小説も読みたくなりました。
それでも、下半期No. 1は、海辺へ行く道 ですけどね。点はこっちが高いのに💦
<追記>
二階堂さんと広瀬さんが美しすぎるのは少し問題だったかもしれません。あのお二人を頑張って十人並みの容姿に脳内変換して観たら、夫やうどん屋の男たちのぞんざいな扱いへの違和感は薄くなったかも…
役者陣は素晴らしい…
長崎で原爆を体験し、戦後にイギリスに渡って暮らしていた日本人女性の悦子。作家志望の娘ニキに長崎時代の体験を尋ねられて少しずつ語りだすのだが……。
1980年代のイギリスの田舎町に住む悦子が1950年代の長崎を思い出しながら語るという形式をとるのだが、その記憶は一見はっきりしているようで、実はぼんやりとした景色(a pale view)の如く細部は何となく誤魔化されている。
その時代の価値観や差別意識などを何となく匂わせながら、でもオブラートに包みながら描く手法は、好きな人は好きなのだろうが、個人的には鼻につく感じで、正直、自分の趣味ではなかった。
欧米人の日本人への見下しや、女性・被爆者・傷痍軍人等への差別など、古い価値観から抜け出せない人々を糾弾したいのならハッキリと糾弾すればいいのに、雰囲気だけ美しい景色で誤魔化していないだろうか?
それでも救いなのが、登場する役者陣が皆とても達者なこと。2時間みるに耐えられるのは彼らの功績が大きいだろう。
路面電車や長崎駅ホーム車両や橋の欄干などがいろいろ変で画面が雑過ぎです。
本筋とは別次元?で違和感がありました。
まず長崎電軌(路面電車)の車両。この時代にこのような明治期のものはありません。
また、国鉄長崎駅のホーム向こう側に停車している車両。どこ?欧州なの?全く当時の日本の客車とは別物でこれはあり得ません。
更に、走り去る路面電車になぜ白色の前照灯が点灯しているのか、、
前照灯は文字通りヘッドライトですから後部になった場合は消灯して代わりに赤色の尾灯を点灯します。これは自動車も同様です。
そして川に架かる歩道橋?にも違和感アリアリでした。
この欄干の模様は1980年代みたいですね。とても戦後すぐにあったものとは思われません。
時代考証が全くなっていません。
団地の台所から居間の間にお弁当などを渡す小窓があるなど部分部分でこだわりがあるのに全体を諦観するとてんでなってません。
そのせいか映画に没頭できず、テレビの安ドラマのような大雑把な製作だなあ、という印象しか残りませんでした。
被爆者差別という時代背景
原作は未読ですが、長崎の原爆資料館で「被爆者だから結婚が破談になった」話を読んだ覚えがあります。
悦子にも幸せになる権利はあって、だから「あの時はそうするしかなかった」のだろう。
必死に生き抜いてきたけど、「自分の人生はこれでよかったのだろうか」と背負ってきた十字架の重みに押しつぶされそうになっているようでした。
ニキがこれから、悦子の抱える深い闇に向き合い、執筆を続けていくことで、希望が見出せるのかなと思います。
静かに流れるイギリス時間…激流な人物史の対比!!
人は物語に生きる
人は物語に依存して生きていると思います。有名大学卒の人生、一流企業社員の人生、金持ちの奧さん、立派な教育者、頑張っているお父さん、そういう物語を折に触れ、人に伝え、自分を確認しています。人からもその物語を称賛されることもあるでしょう。しかし、人に語れない物語しかなければ? 別の物語を作り、その物語で生きる他ないかもしれません。悦子は被爆者のことを隠したかったし、イギリスでは自分の娘が自殺したことも隠したかった。ニキは日本での悦子のことを知らないし、姉の景子の本当の物語を知らない。人は物語を知らないということで、不安になる。ニキも別の意味で、別の物語の中を生きるしかなかった。だから、実家に寄りつこうとしなかった。
物語の中では、変わらないと、という台詞が何度か出てくる。これは軍国主義から変わる、男性中心主義から変わる、女が自由に生きる、という意味でもあるが、物語を変える、つまり本当の自分の物語で生きるべきだということではないだろうか。そのことにより、幸せになるのかどうかはわからない。遠い山並みの光のように、それは沈んでいくのかもしれないし、あるいは昇るかもしれない。いや両方なのだろう。
私の父には弟がいた。祖母から何度も聞いていた。祖母は六人生んで、そのうち、三人が病気で死んだということになっていた。特に長女の愛子のことはずっと語っていた。よくできた子どもだったようだ。あとの二人のことで一人だけつとむという人のことは名前を聞いていた。父と琵琶湖へ泳ぎにいった。小2の頃だ。偶然父の友達に出くわした。そのとき、つとむくんはどうしてる? と聞かれた。父は少し困った顔になり、死んだんや、と言った。おばあちゃんもいうてたしなー。と思った。それから50年近くたって、父と飲んだ。父は死を意識していたと思う。その頃、何度もうちにきて、飲みたがった。あるとき、自分にはつとむという弟がいると言った。知ってるよ、おばあちゃんに聞いてたから。病気で死んだんやろ? というと、自殺したんやといった。驚いた。と同時に、本当の物語を祖母も父も言えなかったのだろうなと思った。恥ずかしから? 私に影響を与えないように?
私は驚いたが、物語が開いたような気がした。つとむさんは自殺したけど、それまで懸命に生きようとしていたはずだと感じた。それ自体、また別の物語なのかもしれない。でも、つとむさんの物語を私は大事にできると思った。
悦子の物語は、美しい物語ではなかった。猫も殺したし、景子を殺めようともした。
しかし、そのことを佐知子の物語として語り直すうちに、変わった。
物語には力があるという。語ることで何かが変わる。
そのことをまた、自分ごととしても確認できた。
広瀬すずさんの圧倒的美しさ✨✨
記憶の境界線の曖昧さ
やはり原作を読んでないと厳しいかな
信頼できない語り手の自己欺瞞
原作を読んで勉強していきましたが…
前評判で、難しそうな印象があったので、原作を読んでしっかりと勉強して鑑賞しましたが、かえって良くなかったかもしれません。映画と原作は全く別な作品として鑑賞すべきものかもしれない。
最近、ドストエフスキーとトルストイの作品を再読しているが、古典と呼ばれるこれらの作品は、実に微に入り細に入り、人物の背景、心情が描かれるから、読み手の想像の余白は全くない。
ところがカズオイシグロのこの作品は、人物の背景、心情はできるだけ割愛しようとするから、読み手は余白だらけということになる。トルストイなら、原爆の被害の状況から、被害者の心情まで事細かく描くであろうが、カズオイシグロはそれを最低限に抑えている。だから、読者がしっかりと読み取るしかないのだ。
小説としての一本の大きな木がある。この木にどんな花が咲き、どんな実がなるかは、読者におまかせなのだ。
だから、この映画のような、衝撃的な結末にもなんら不思議はないことになる。
総監督のカズオイシグロにも、なんの異論もなかっただろう。そこには自分の描いた一本の大きな木は、ちゃんと存在しているのだから。
ところで、稲佐山ロープウェイは1959年開業だから、映画小説の時代設定の1952年には存在しない。となると、あのロープウエイのシーンは…。景子(7歳)=万里子、悦子=佐智子ということが成り立つということになるのだ。
石川慶監督考えましたね。何度小説を読み返しました?1回読んだきりの私は、思いもよりませんでした。
でも、悦子はニキにこんな嘘をつく必要があったのでしょうか?謎です。
だから評価は☆4.5とします。
でも、これ以上考えだすと、きりがないので、コメントでのご意見はご遠慮ねがいます。
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