劇場公開日 2025年9月5日

「団地妻は河川敷を覗く」遠い山なみの光 うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 団地妻は河川敷を覗く

2025年9月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

長崎で戦中戦後を暮らしていた一人の女性の決断と、その決断が家族にもたらしたものを回想する物語。

物語は1980年代、若きライター・ニキが、1950年代に日本からイギリスへ移住してきた母・悦子に、渡英前の日本での暮らしを語るよう促す形で始まる。ヨーロッパでは反核運動における女性達の活躍が注目されており、ニキは主体的に英移住を決めた悦子も自立した女性であると語り、母がこれまで言葉を濁してきた渡英のきっかけを打ち明けさせようとする。

登場人物達は、戦地から戻って来た人も、国内にいた人も、若者たちを戦地へ送り出していた大人も、戦中戦後それぞれの傷を抱えている。暮らしの糧も世間の価値観も激変する中、時に身を寄せ合い、時に押しのけ合いながら、誰しも何かしら後ろめたい物を持ちながら生き抜いていることが示唆される。復興という言葉の陰にある、大きくは語られない戦後の個人史を題材にした点が興味深かった。

予告やイントロダクションの時点で『嘘』がある物語だということは明かされている。あえて嘘を選んだ部分もあれば、嘘と真相の境界をぼかしてある部分もあり、記憶が錯綜しているように描かれている部分もある。いずれにせよ、悦子が一人称で語らなかった部分と、嘘の中にあっても言葉にしなかった箇所には、彼女達の不安定な生活の壮絶さがうかがえる。悦子の言葉や表情の端々から、女性でなければ味わわずに済んだかも知れない苦しみや、母の生きづらさが子を生きづらくする無念が伝わってきて胸が痛んだ。

書割や模型のような1950年代の長崎の光景と、広大な河川敷が異様だった。悦子の心象風景や回想の不確かさを表現するため、意図的にそうしているのだろう。あの不気味さからは、悦子の語り手としての不確かさだけではなく、他人の記憶や心の中を覗き見る行為の落ち着かなさを感じた。
イギリスの風景は時に瑞々しく描かれるが、劇中の行動範囲はごく狭く、悦子の安息の場所の少なさを物語っているようだった。

本編は、母と心を通わせたニキを希望として終わる。ニキは果たして生きづらさの再生産から抜け出せるのだろうか。

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うぐいす
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