劇場公開日 2025年9月5日

「どこまでが“嘘”なのか・・・ 想像することを楽しむ」遠い山なみの光 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 どこまでが“嘘”なのか・・・ 想像することを楽しむ

2025年9月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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俺の再推し女優広瀬すず作品なので、早速2回観賞。近年分かり易いとは言えない作品に出演が続いているが、今作もそう。「メチャ難しい」と言うほどではないが、観賞者の想像力に託される部分が大きく、複数回観たくなる作品だと言える。

【物語】
長崎生まれの母(吉田羊)が一人で暮らすロンドン郊外の実家にイギリス人の父との間に生まれ、今はロンドンで暮らす娘ニキ(カミラ・アイコ)が帰っていた。大学を中退し、ライターをしているニキは被爆地ナガサキの記事を書くため、今まで母が話したがらなかった長崎の話を聞き出したかったのだった。母悦子はニキに聞かれ、少し躊躇いながらイギリスに来る前、長崎での30年前の夏の記憶を語り始める。

被爆から7年経った長崎は活気を取り戻しつつあった。悦子(広瀬すず)は戦争から復員した二郎(松下洸平)と戦後結婚し、団地で暮らしていた。腹には一人目の子供を宿し、つつましくも平和な日々を送っていた。そんなある日、部屋の窓から見える粗末な小屋で暮らす女性・佐知子(二階堂ふみ)とその娘と知り合う。その夏のことを悦子が話したのは、最近その頃の夢をよく見るからだった。

ニキは母と佐知子母子の話を一通り書き留めるが、近く売却されることになっている実家に仕舞いこまれていた母の古い収納品をたまたま目にして、母の話にはある “嘘”が隠されていることに気づく。

【感想】
中盤までは、「被爆地長崎」「敗戦後間もない日本」が強調される。事前に読んだ作品の記事によれば、そこは原作より濃い味付けになっているようで、「あの時代の長崎を舞台にするなら」という監督の思いが込められていそうだ。

そして全編にわたるキーワードは「変わる」。悦子、佐知子、ニキ、作品の中心にある3人の女性の「変わって行く」決意。時代の変化に応じて「変わる」ということもあるが、人生のどのような状況の中でも「常に前を向いて進む」という意志が込められていそうだ。

しかし、ハイライトは終盤に明かされる悦子の“嘘”。そのシーンに観客は結構驚かされることになる。嘘は、ボヤっとではなくハッキリ描かれるのだが、嘘の解釈には想像力を働かせることになる。悦子が語った話のどこからどこまでが嘘なのか? また、二郎は・・・
もちろん、全てが作り話のはずはなく、真実と嘘が入り混じっているはず。

また、嘘なのか、悦子は嘘を言っているつもりはなく記憶がそう書き換えられているのかどちらかも分からない。意図的嘘ではなくて、30年の間に記憶が置き換えられたと俺は解釈したい。

原作を読もうかとも思った。原作を読めばカズオ イシグロの意図はどうだったかのヒントは読み取れるかも知れない。でも、やっぱりやめておこうと思う。観賞者に委ねられる場合は、解釈に正解は無く鑑賞者がそれぞれ物語を作ることが作品の一部だと思うから。むしろその想像こそが本作の楽しむべきところだと思いなおした。

いずれにしても、文学的作品だ。脚本・演出は非常に丁寧に作りこまれていることは冒頭5分で感じた。そして役者の演技も素晴らしい。広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、そしてカミラ・アイコの4女優が中心となるが、それぞれ納得感の高い演技を見せてくれている。

最後に役者に目当ての広瀬すずについて。
今年は“阿修羅のごとく”に始まり、なぜか大正・昭和の作品が続いていて、必然的に古いファッション、現代の感覚からすればダサい風体になってしまうので、ファンとしては現代的なファッショブルな彼女をもっと観たいと思たりもするのだが、オールドファッションでも「やっぱりキレイだ」と実感してしまった。 また、興行的には不利なエンタメ性の低い作品への出演が続くのもファンとしては若干歯痒さも感じるのだが、今作も才能ある監督が熱を持って制作した作品で一流の役者共演する機会を得たことは間違いなく財産になったはずなので、今後の益々の進化と活躍に期待したい。

最近では“国宝”が異例の大ヒット中ではあるが、昨今実写邦画は全般的に興行的に苦境にある。 前述のとおり特にこういう映画芸術に真正面から取り組んだ作品は特に厳しい傾向にあり、本作もやはり地味な興行成績になりそうだ。自分が観た上映回では年齢層が高く、若者には興味が薄いことが良く分かる。でも、エンタメ作品ももちろん良いのだが、こういう作品も観たいし、無くなっては困るので本作も大いに応援したい。

泣き虫オヤジ
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