「時代の変化 戦後の傷跡 フェミニズム ???」遠い山なみの光 あべべさんの映画レビュー(感想・評価)
時代の変化 戦後の傷跡 フェミニズム ???
冒頭のニキと悦子の会話シーンでは、イギリスが舞台であるため英語が中心だが、吉田羊の日本人のアクセント強めの英語が逆にリアルでよかったと思う。流暢すぎても、成人してから渡英した日本人がネイティブ同様の発音になることはいくら夫と娘が英語ネイティブだとしてもまあ稀だと思う。ただ、悦子の英語のセリフ自体がセリフ感強めだったので、カタコトならカタコトらしくもっとカタコトな英語表現にしたほうが違和感はなかったと思う。
作中、悦子が夢についてニキに語るところから、イギリスと日本でシーンが何回も切り替わるようになるが、初めは違和感なく見られていたがだんだんと比重が日本での過去の話に偏り、たしかに登場人物もイベントも内容として濃いのは日本での回想だが、結局最後で佐知子と万里子は存在せず、夫も義父もいないことになるなら、登場人物の数よりも、実際にはどのように悦子がニキに語っていたのかが気になった。でもそれを含めてしまうと英語の会話量がさらに増えるから避けざるを得なかったのかもしれない。
あのヒモは?悦子を幼女連続殺人犯風にした意味は?
悦子は子猫たちを殺して、その箱を抱えた悦子を恵子は忘れられず、悦子が話す夢の内容中で、万里子と佐知子が言っていた赤ちゃんの死体を水から抱え上げる女性と重ね合わせているのか?でもイギリスでニキが見つけた箱の中には猫じゃらしのようなものも一緒に入っており、子猫を殺すのに使った箱をわざわざイギリスにまで持ってくるのも不思議。
夢についての語りの中では、佐知子がアメリカをものすごくドリームランドのように語るシーンがあるが、結局イギリスでも恵子は生きづらさを感じ(被曝しており、日本人であるが故の差別がひどかった)、異父姉妹とも仲良くなれないまま自殺してしまって、葬式にも来ないほどに険悪な仲。
フェミニズムに関しては、シングルマザーの佐知子と家庭を持ち退職した悦子で、女性の生き方の対比が示されているが、どちらにしても自分の生きたい生き方を選ぶには程遠いように感じる。それでも、希望がそこになると信じることはやめなかったし、希望がそこにあったが故の決断であったと過去の人生を振り返って合理化している。
当時、今の日本とは大きく異なる生きづらさを多くの人が感じていたのはよくわかった。オムレツのようないい変化もありながら、変化に流されて心に余裕がなくて、どこかにここよりいい場所があってそこでなら幸せになれるという幻想を抱きたくなる気持ちもわかる。
人生は選択の連続の結果だとよく言うが、自分から選択肢を増やして変化する方向へ行くのも、与えられた選択肢から最善を選ぼうとするのも、どちらにせよ選択であることには変わりなくて、変化に流されるのも抗うのも、変化に順応するのも、間違いではないのかなと思う。
ただ、佐知子と悦子の対比がメインなのは重々承知だし、映画の展開として2人が別々の人間ではなかったという要素がこの映画のクライマックスなんだとしても、佐知子単体としての人生、悦子単体としての人生、それぞれのストーリーをしっかり見守りたかった気持ちも残ってしまった。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。