「戦後の過渡期を生きた人々」遠い山なみの光 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後の過渡期を生きた人々
カズオ・イシグロ作品の特徴であるいわゆる「信頼できない語り手」による手法で描かれた本作。
主人公の悦子自身により語られる彼女の過去の出来事。それは彼女が渡英する前、故郷の長崎での夏のひと時、友人関係にあった佐知子とその娘万里子との出来事であった。
戦後の混乱期から高度成長期へと向かおうとしていた当時の日本。戦争の傷をいやす暇もないくらい好景気に沸き、人々は活気づいていた。
悦子も夫の二郎の仕事は順調で生活は安定しており、初めての子供にも恵まれた。そんな社宅の団地に住む悦子とは対照的な暮らしをしていた佐知子。名家に嫁ぎながら戦争で夫を失い、いまや貧しくみじめな生活を強いられていた。
彼女には裕福な叔父の家での安定した暮らしという選択肢があったが、米国人の恋人との渡米にこだわった。
敗戦後日本にもたらされた民主主義が人々に自由を与えた。それは戦前、軍国主義の下で思想統制がなされ多くの思想家たちが投獄されていた時代とは真逆の自由な時代。
かつて体制側に加担した悦子の義父緒方は職を解かれ糾弾される立場となった。かつての教え子でさえ自分を批判する寄稿文を寄せている。彼もこの時代の過渡期に、価値観の変化に置いてきぼりを食らった人間の一人だった。
一方で女性たちには参政権が認められ、女性の自由意思が認められる時代になったかとも思われた。しかし実際は夫と異なる政党への投票は憚れるなどまだまだ女性たちには不自由な時代であった。
安定した暮らしを得る代わりに女性は家に入りそこでただ漫然と歳をとっていく、そんな人生から抜け出したいと佐知子が渡米を願ったのも無理からぬことであった。確かに渡米すればそれが必ずしも幸せにつながるとは言えない。それでもそれに人生をかけたいという彼女の思いは強かった。たとえそれが自分の娘を犠牲にすることとなったとしても。
劇中で何かと不穏な描写がなされる。幼児連続殺人事件の報道、赤ん坊を水につけて死なせる若い女の話、万里子の飼う子猫を川に浸して死なせる佐知子、足に絡まった縄を手にして近づく悦子におびえ警戒する万里子。これらの描写はこの過去を回想する悦子自身の主観が大きく影響したものと思われる。
悦子は友人佐知子のことを話しているようでその実、自分のことを話していたのだ。彼女は自分の人生の決断に負い目を感じていた。娘景子を犠牲にしてしまったという負い目を。だから自分のことを他人の話に置き換えて娘ニキに話していたのだった。
夫二郎との生活に満足してるようで悦子の心は揺れ動いていた。ここでの安定した生活、ここで暮らす方が娘景子にとってはいいことなのだろう。しかしそれは自分が女としてただ家に閉じ込められて漫然とした人生を送ることを意味した。
悦子は昔ながらの日本の古い価値観の下で女性の自由意思が尊重されない人生よりも知りあった英国人男性との渡英の道を選んだ。それが娘景子を幸せにしないと知りながら。
彼女は自分の人生のために娘を犠牲にしたのだ。もちろん結果的に不幸な結末を迎えただけで必ずしも悦子のせいだとは言いきれないが、少なくとも景子の自殺が彼女にそのように思い込ませたのは事実だった。
過去の回想の中での数々の不穏な出来事は親にとって足手まといの子殺しを思わせるものであり、悦子が娘を自死に至らしめたこと、娘を犠牲にしたことへの罪悪感が彼女の過去の記憶に干渉したからであろう。
景子は新しい環境になじめず引きこもりになり、はては自死にいたった。これは悦子のせいではないのかもしれないが、母として娘を犠牲にしてしまったという重荷を感じずにはいられなかったのだろう。そんな彼女の負い目が本作で彼女を「信頼できない語り手」とならしめたのだ。そして見る者はそのヒューマンミステリーに酔いしれるのである。
思えば新しい環境になじめなかった景子は古き時代の象徴ともいえた。新しい価値観を受け入れることができず保守的な性格が災いして周りの環境に溶け込むことができず破滅を迎えてしまう。
時代の変化と共に価値観も変化する。その変化についていけない人間は生きづらくなる。緒方がそうであったように。
悦子は時代の変化に順応してこの古き祖国を捨て去り新たな環境へと旅立った。女性が自由に生きられる環境を求めて。
そしてそこで生まれたニキは母悦子との価値観の相違に苦慮していた。ニキはもはや結婚にさえ縛られない、女性として生きる上で制約を一切感じない生き方をする女性であり、渡英のために結婚に頼らざるをえなかった母悦子以上に何物にもしばられない自由人であった。そんな彼女にすれば結婚にこだわる母悦子は彼女にとっては古い価値観の持ち主であった。
ある意味古き時代の象徴ともいえる景子の犠牲のもとに新しい時代の象徴のニキは生まれた。ニキは母の決断は正しかったと励ます。その決断のおかげで今の自分が存在するのだから。ニキに励まされて悦子も納得するが、それでも彼女は娘景子を想う。
祖国を捨て、娘を捨ててまで自分の人生を手に入れようとした悦子。古き日本を捨てて、自由を求めて渡英した。しかし彼女は古き時代の象徴ともいえる緒方を尊敬し慕っていた。
日本の持つ古き伝統や習慣を愛していた。そんな祖国に置いてきたものへいま彼女は思いを馳せる。娘への思い、義父への思い、あの日見た遠い山並みの光に今彼女は思いを馳せる。この遠い異国の地から。
本作は原作者がエグゼクティブプロデューサーをつとめただけにかなり完成度の高い映画化であった。
共感ありがとうございました。
日本の作家なら、あの時代を描くのに絶対的観察者を設定する必要に迫られるでしょうが、曖昧な語り手を由とするのは翻訳モノだから。原作未読ですが、たぶん映画のほうが“面白い”のだとおもいます。
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