「アーティストの極、日常生活者の極とカラス」レイブンズ かなさんの映画レビュー(感想・評価)
アーティストの極、日常生活者の極とカラス
浅野忠信と瀧内久美のW主演。さすがの演技力に賞賛!!
U-NEXTでポイント交換で視聴しました。
アーティストって辛いなと実感。
映画感想文を読んでみてください。
【映画批評】
アーティストは、放っておくと自己の表現を突き詰めるためにいつか人間破綻してしまうのではなかろうか。それをつなぎとめるのはパートナーの存在であり、自分が信じる何かがうまくバランスを維持し人間生活をおくっているのではないか。
深瀬はアーティストになる、日常をまっとうにおくる人になる、この両極を持っていた。その両極で自己葛藤しているのがカラスとの会話だ。自己葛藤を映像化するのは難しい。それゆえ作り手は巨大なカラスを登場させ深瀬のアーティストの極を前面に押し出していく。そして深瀬はアーティストの道を歩む。
ある日深瀬は魅力的な女性、洋子と出会い恋に落ち結婚する。洋子をモデルにした写真を撮りまくる深瀬はまさに女神をえたアーティストとしていきいきとしていた。しかし洋子はアーティスト深瀬を愛したのではなく、一人の男を愛した。深瀬に日常生活をおくる人生を要求し、アーティストの狂気を愛せなかった。
深瀬は洋子をえたことでアーティストの極と人間生活をおくる極がうまくバランスをとって生きていた。二人が破綻したことによって深瀬はまさに破滅していく。一方の極を完全に失ったからだ。
洋子と別れた深瀬はアーティストの極にふれて偉大なアーティストになったのか。否である。洋子という女神が去ったため深瀬は両極のバランスを完全に失ってしまったのだ。深瀬は洋子と別れてから二回の個展を開催した。しかしそこにある写真はすべて深瀬のカラスとしての残りかすだ。深瀬はもはや深遠なアートは撮れない。洋子がいないからだ。つまり深瀬は洋子と別れてから事実上死んでいた。
ラストシーン、洋子が深瀬の見舞いに来て病院を出てから歩く洋子の表情をカメラはずっとおう。洋子の表情は後悔の一念しかなかったのではなかろうか。自分がアーティスト深瀬を理解しパートナーとなっていれば。でもそれでは自分をコントロールできない。そんな洋子の心の葛藤が表情からにじみでていた。深瀬と洋子が出会い愛し合った幸福と不幸が、まさに二人の両極の描写が切なくて胸をうつ。