レイブンズのレビュー・感想・評価
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難しいニュアンスとバランスを見事なまでに妖しく成立させている
英国人監督が日本人写真家についての映画を撮る。そこには無数の超えるべき壁があったに違いないが、結果として、一瞬にも永遠にも等しい幻想的かつ生々しい生き物の記録へ結実した。主人公の生き様を体現する浅野の演技はどんな状況にも流れるように身を任せ、その中にほのかな可笑しみをにじませる。言ってしまうと2時間、似たようなぶっ飛んだ演技が続くわけだが、しかしこの人の表現の引き出しの豊富さには舌を巻く。観ているだけで飽きさせないし、ぶっ飛んだ中に確かな感情の揺らめきが感じられるのだ。そんな主人公と対峙し、彼を照らす月のような存在の瀧内もこれまた秀逸。加えて古舘、池松が確かな存在感で彩り、さらに特殊造形によって具現化されたカラスの化身の訪問と英語による語りかけが、この映画の唯一無二の幻想性を高めていく。これら全てにおいて難しいニュアンスとバランスを見事に妖しく成立させたギル監督の情熱と表現性を評価したい。
浅野忠信、世界へのさらなる飛躍を予感させる渾身作
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿したので、ここでは補足的な事柄をいくつか書いてみたい。
まず俳優・浅野忠信の魅力が英国出身のマーク・ギル監督によって存分に引き出された一本と言える。評論で触れたように監督は「殺し屋1」を観て以来の浅野のファンであり、クールな外見と内に秘めた狂気などのような相反する二面性を活かして、矛盾を抱えた写真家・深瀬昌久の人物像をヴィヴィッドに造形しているし、浅野本人のアーティストとしてのセンスも役作りに有効だったろう。
評を執筆する前のリサーチで英文記事にいくつか当たったが、“「SHOGUN 将軍」のタダノブ・アサノが主演”という紹介が多いのにやや意外な思いもした。というのも、浅野は「マイティ・ソー」でハリウッド進出を果たしたほか、マーティン・スコセッシ監督作「沈黙 サイレンス」など外国製作や合作の映画にも多数参加してきたので、すでに国際的な俳優として認知されていると(日本にいる映画ファンとしては)思ってしまうけれど、ゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞した「SHOGUN」がまだ枕に必要なくらいの認知度なのか、と。とはいえ、GG賞とエミー賞で「SHOGUN」が席巻したことは出演者らの今後のキャリアの大きな足掛かりになるだろうし、さらに浅野は「レイブンズ」(日・英・仏・スペイン・ベルギーの合作)での熱演も評価されて、国際的なプロジェクトからのオファーが一層増えるだろうと予感させる。
外国人監督が撮った日本の映画として、日本の人物や文化・社会の描写に違和感のない真っ当な作品に仕上がった点も評価したい。ギル監督が深瀬の写真の権利関係をクリアしたことをはじめ、鰐部洋子やバーの店主・南海(なみ)ら存命の関係者に直接会いコミュニケーションを取れたことも、登場人物らと物語の真実味に大いに貢献しただろう。監督のデビュー作「イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語」では、実はモリッシーが在籍したバンド、ザ・スミスの楽曲を使用する権利が得られず、モリッシーがバンドを組むまでの若き日々に限定して描くという苦肉の策をとらざるをえなかった。その点でも、ギル監督はこの2作目でようやくやりたいことを思いっきりやれただろうし、彼にとってもまた飛躍の一作になるはずだ。
Through the Raven’s Eye
Fukase was one troubled soul who found his way to being one of the most influential photographers of our fashionable era. Befriending an imaginary crow that's as horrowing and adorable as Donnie Darko's campy bunny costume, Asano naturally leads Ravens as a pseudo-psychological headtrip into the pangs of strict uprbinging and eventual entrepreneurship. A European production organically Japanese.
ある写真家の一生。
全くノーマークでしたが、雑誌で写真家の映画である事を知りラストだったので急いで鑑賞しました。
深瀬昌久って写真家は初めて知りました。昭和の伝説の写真家のようです。
写真館の家に生まれて家業を継ぐよう厳格な父に育てられ、耐えきれず家を飛び出して東京で酒、女、ドラッグに溺れていきます。破天荒で狂ったような一生が故に大胆でグロテスクな写真を撮れたのは十分に理解できました。酒、ドラッグのおかげで自分では意識はしていないが、常識には囚われないぶっ飛んだ写真が撮れたこともあったでしょう。
私も写真を趣味としていますが、せこせこデスクワークをしている身ではとても撮れない写真です。なので彼の一生だけでなく、もう少し写真の事を掘り下げるシーンが欲しかったところです。
自宅の団地の窓から、はにかむ奥さんを定点観測的に撮っていくシーンが印象的で彼女に出逢わなければ、彼はもっと早死にしていたと思います。
やはりそれなりの芸術家は狂人か変人である要素が必要ですね。
凡人である私は静かにネイチャー写真を撮る事にします。(泣)
カラスはオレかぁ、、、。
荒木をモデルにした映画かと思ってた。
深瀬の事は不勉強で知りませんでした、すいません。
でも劇中に出てくる写真は見た事有るのが色々、、特にカラス。深瀬の中のもう1人の深瀬としてカラスマン(ちゃんと瞬きしたり指の造作もレベル高い)は登場する、ちょっとダークなファンタジー的な作りですが芸術への真剣さ故崩壊していく様はかなり生々しく描かれていると思いました。奥様の濃厚なキャラも瀧内さんががっつり取り組んでてよい恋愛映画とも言えると思います。作りの良さと構成の巧みさは海外の監督だからかなぁ、、、。
英名レイヴン=和名オオガラス(ワタリガラス)Corvus coraxという種類で、日本は北海道の北の方にしか居ないのです。その辺のカラスとは違うのよ。
大切な人を手放す愚か者
写真家・深瀬昌久を知る
北海道の高校を卒業した深瀬昌久は、父の写真館を継がずに上京し、美しい強い女性・洋子と結婚した。洋子は深瀬の写真のモデルとなり、革新的な作品を生みだした。しかし、深瀬の心の闇から彼女に傷害事件を起こし離婚されてしまった。その後、酒に酔い、階段から落ちて脳挫傷となり、2度と写真を撮ることは無かった彼の半生を描いた事実を基にしたファンタジー作品。
深瀬昌久の事を全く知らず、鑑賞前にぐぐって一応彼の生涯を把握してから鑑賞した。
レイブンズってカラスの事らしいが、英語を話すカラスが出てきて哲学的な事を言ってたが、なんのこっちゃ?だった。
あれはファンタジーだったのはわかるが、カラスの所だけがファンタジーなのか?洋子と離婚後新しい女性と再婚してる筈だが、そこは描かれてなかった。
で、深瀬昌久という写真家がこんな人というのはわかったが、凄いとは全く思えずさっぱり興味持てなかった。
狂気を見せた浅野忠信は上手かったんだろうけど。
洋子役の瀧内公美も存在感有った。
カラス役の 声による圧倒的な演技
ふらっと映画館に入って、これ観てみようかな、という軽い気持ちで鑑賞しましたが、観て良かったです。写真家・深瀬昌久さんのことも、そのミューズであった妻 洋子さんのことも何も知りませんでしたが、深瀬昌久さんが写真館を営む父親との間で抱え続けた葛藤や、心の闇が生み出したカラスと対話する様子などが巧みに描かれていました。
妻の洋子から「カメラの後ろに隠れないで、人の目で私を見て」と言われても、何をどうしたら良いのか分からず、戸惑い、どこか踏み出せない深瀬昌久の様子を浅野忠信さんが、眩しいばかりの奔放さで深瀬昌久のミューズであり続けた妻 洋子を瀧内公美さんが、時にぶつかり合いながら苦悩を共に生きた夫婦をよく演じていました。個人的に瀧内公美さんは、1人で立っていても、傍に男性がいる(男性に腕や身体?が絡んでいる)かのように感じてしまう不思議な女優さんなのですが(って、こんな事を書いたらご本人に失礼ですよね。この場でだけこっそりと自分からみた印象を打ち明けておきます)、女の情とか情念を表現する役によく合うように感じました(光る君へ、でもそういう役だったかな)。
この映画で驚いたのは、カラスの声を担当された、ホセ・ルイス・フェラーさんという方。無知なのですが、舞台俳優の方でしょうか?深瀬昌久に内省を促すカラスの存在は、この作品では不可欠に感じますが、映像には、CGではなく、人間より一回り大きいカラスのロボット?のような姿で現れます(着ぐるみではないんじゃないかな)。このカラスのキャラクターは、日本の天狗とか、能楽などにヒントを得て設けたもので、監督にとって一つの挑戦だったそうですが、カラスの声(英語で深瀬昌久に語り掛けます)が、ものすごく説得力があってストーリーに引き込まれます。シリアスな場面に着ぐるみのようなものが出てきたら、もしかしたら少しコミカルにみえてしまうかもしれないと思うのですが、カラスの語り口の重厚感と説得力が凄かったです。声による演技の凄さを初めて知りました!
父の記憶が…
深瀬昌久の名は、写真集「父の記憶」を人に見せてもらって知った。その当時で写真集は絶版だったし、写真家がゴールデン街の階段で転落し、再起不能となり、新作が出るのは絶望的なことも知った。そういう前情報が、写真を見るのにフィルターをかけたかもしれないが、事情を知らずとも「父の記憶」は切なくて泣ける写真集だった。深瀬家の家族の歴史と、父への思いが胸を打つ…それが…あんな独善的で暴力的なお父さん!? あまりのギャップに呆然。まあ、この映画は伝記じゃないからね、これが事実というわけではないよね。
まあ、私にとっては深瀬昌久は「父の記憶」のイメージだけど、英国人監督にはもっと前の写真集「洋子」や「鴉」のイメージなのだろう。「レイブンズ」のタイトルもカラスだし、カラスが主人公の語り相手だし。このしゃべるカラスってのが、好みの別れるところかもしれないが、私はけっこう好きかな。カラスくんのおかげで、実在の人物を描いていても、どこか架空の出来事めいて見える。これは、日本人が深瀬を描くより、外国人の監督の方が、いい距離感なのかもしれない。洋子さんも、イギリス人だから映画化を許可したのでは、と推測する。そして、写真使用の許諾も取ったのはグッジョブだ。長らく深瀬の写真集は入手できなかったが、最近再販されたので、映画きっかけで売れるといいね。「父の記憶」も、私の記憶がおぼろげなので、また見たい。
洋子の登場シーン、フレームに現れてピントがバチっと合った瞬間にシビれたー。あの登場の仕方、うますぎる。瀧内公美の目が強くて、とてもいい。蠱惑的で、享楽的で、自己主張のはっきりしている洋子。でも、自由を欲しつつ、枠がないと少し不安、という感じがした。若い洋子は芸術家のミューズを楽しんでいたが、芸術家の不安定さを支えるには、自身も不安定だったのかな。でも、歳相応に成長変化したので、深瀬を最後まで見守れたのかも。
浅野忠信は写真家の役をやるの3度目じゃない? 縁があるのね。とはいえ、「地雷を踏んだらサヨウナラ」も観てないんだけど。ひとつ気になったのは、左目が閉じ気味なことかな。右利きなら右目がファインダー、左目は開けたまま被写体の状況を確認しながら、シャッターを押すというワザができると、とてもプロっぽい。次にオファーが来たら、ぜひ使ってくださいませ。浅野忠信のこの映画の一押しシーン…久しぶりに再会した洋子に再婚したと言われ、喜びからがっかり、持ち直すが視線泳ぐ、ここの表情の変化が最高にチャーミングだった。
エンドロールのthe cureは、まるでこの映画のために作られたかのようにぴったり。これだけでおしゃれ度が爆上がり。そして、不遇な最期と見られがちの深瀬を、こんなキラキラしたサウンドで彩ると、人がどう思おうと、本人は精一杯楽しんで生きたんだと、全肯定しているようで、とてもポジティブな締め方だった。
40にして成せなかったダメ男を名優:浅野忠信さんが好演技(高演技)で魅せてくれました
著名な写真家をモデルにした映画なので、観ました。
日大芸術学部卒業の異色写真家の深瀬昌久さんは、モノトーンの象徴として、カラスの写真を撮り続け「鴉《Ravens》カラス」と言う写真集を出版し、著名になったが、
映画の中では、洋子を自分が独占した被写体として写真を撮り続けた事を、成功への階梯として焦点を当てている。
その中で、深瀬昌久さんを読み説く"切り口"として、カラスを使ってはいるが、彼を表現するには、それだけでよいのであろうか?
登場する"江戸川乱歩"風カラスと、被写体としてのカラスの同期的な結びつけとを、本人と被写体である洋子との真逆に位置する関係性として
いまひとつ描ききれていなかったのに、食滞感を残した。
深瀬昌久さんは、自分と被写体とが"主客未分"となる関係を重んじた為に、被写体であった妻:洋子との関係が 上手くいかなくなると
被写体を烏に換える。
カラスをシュールに撮り続けても、自分との距離感が埋まらない事を感じ
被写体を猫、そして自分自身に次々と換えていく事に成る。
人間には見えない紫外線が見える生物は数多く存在する。
カラスもその中の1種で、カラスの羽根には、人間には見えない"個体差が有る模様"が入っています。
その事を大学で学んだ深瀬昌久さんは
人間には見えない模様を、あえてモノトーンで撮り続けましたが、
心の葛藤として、”カラスが自分"なのか、"カラスが父親"なのかを、”カメラ”と言う共通した宿命を持った親子関係をも交えて、彼自身でも整理しきれなかった多々の関係を、もっと鮮明に打ち出す脚本にした方が、
彼のモノトーン写真に拘った事が、心の葛藤として、表現できて、深瀬昌久さんがカラスに執着した葛藤とも重なり、素晴らしいATG映画(アート・シアター・ギルド)的な仕上がりになったと考えます。
写真家をテーマにした映画だけに、光と影の撮り入れ方や、オレンジと青の照明の明暗の使い方が、絶妙に優れていました。
ちなみに、彼が写真家としていた愛機は、コンタックスRTS、ニコン F2・F3であり、洋子をマンションから望遠レンズを使って撮影していた"スナップ写真"には、ふたりの関係性がとても良く現れています。
本筋には、関係してこなかったが、要所要所に重要な位置を占めていた母から貰ったカメラは、最新鋭のカメラではなく、ドイツ・Kodak や Zeiss(Carl Zeiss)、 Agfa といった蛇腹沈胴式機械カメラでもなく、当時では古くても まだ高額であった Konica Pear であり、本作中には、ミノルタSR-1他名機が何台も"顔出し興行"をしてくるが、これは単にカメラマニアを喜ばす為のサービスカットです。
白黒写真は、赤灯下の暗室でないと、現像できないのですが、本作スタッフは
その知識がなく、2シーンとも非暗室での現像場面を本作に組み入れてしまったのは、写真家の映画としては失笑でした。
最近の戦場カメラマン映画なら「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を観るとよいが、この作品も白黒フィルムの現像が良く理解できていない デジタル映像世代映画ではあります。
追記) 深瀬昌久さんにとっての"カラス"とは、写真と言う"宿命"です。
カメラマニアから見た視点 小道具の時代考証ミスだけが・・・惜しい・・・
映画も好きですが、それ以上に写真カメラが好きで、敬愛する深瀬昌久が題材の作品という事で期待して鑑賞しました。
構成、映像、演技いずれもしっかりとした文句のない作品で、カメラマンの生涯として重要な小道具の写真機も実際に深瀬がそれぞれの時代に持ってものだったのでよく調べているなと思いました。ただ1点だけの時代考証のミスを除いては・・・
冒頭に近い場面に主人公正久が結婚前のモデル洋子のポートレートを撮っていたシーン。時代は1960年後半~1970年代初めのはずです。撮影しているカメラは彼が当時使っていたミノルタSR-1で、よく調べてるなと思ったのですが、カメラストラップのミノルタのロゴマークが当時に存在していなかった1980年以降のものでした。時代的にありえない組み合わせで、少しカメラに詳しい人ならば誰でもわかるミスでした。
この一瞬だけならばよかったのですが、そのカメラが写るシーンが何度も何度も出てきましたし、おまけに映画ポスターにもわずかですが、そのロゴが写ってしまっています。なので冒頭のこのシーンがどうしても自分の中で引っかかってしまって、かなり映画のストーリーに没入できない自分がいました。
ご存じない方には全然問題ないシーンで、普通の映画なら私自身もご愛敬でOKなのですが、仮にも日本が誇る写真家の深瀬昌久を描いた作品です。これはしっかりしてほしかった。言い換えれば小道具はじめスタッフの中にはこのことを指摘する人がいなかったんだなあ、写真をやっている人がいなかったんだなあ・・と感じました。
その他には小西六パール、PENTAX SP オリンパスXAなどの名機が次々と出てきて見ごたえがありましたし、深瀬の有名な作品も沢山見れました。特にクレジットに出てきた作品は映画を圧倒するクオリティでしたし、鴉が舞うラストシーンと音楽は過去に見た作品の中でもかなり印象に残りました。他には文句をつけるところがない映画だったので、返す返すもあの設定は残念でした・・・
異化効果
実在の日本人写真家・深瀬昌久の生涯を、英国人監督が映画化。こうした破滅型の芸術家を描く場合、得てして独りよがりなものになりがちだが、本作は構成・映像・演技いずれもしっかりした見応えのある作品となっている。
主人公の分身のカラスが、最初は奇異な感じもするが、作品全体に客観的な視点をもたらす効果を与えている。英語と日本語で対話することも含めて、ある種の異化効果と言うべきか。
浅野忠信は、自己顕示欲と小心さを併せ持つ主人公のキャラクターを表現して、さすが。モデルの妻がちやほやされてむくれる姿とか、久方ぶりに彼女と会ってニヤける顔とか、見事なもの。瀧内公美の魅力も全開。
マーク・ギル監督は、かつてモリッシーを題材に作品化したとのことで、音楽の使い方、選曲も上手い。エンディングのザ・キュアのナンバーは、この作品の主題歌のよう。
ちなみに、当地では単館午前中1回のみの上映で、観たときの客は3人だけ。旬の役者陣が出演した良作なので、もっと評判になってほしいと思う。
破滅型アーティスト
深瀬昌久も洋子も知らずに鑑賞。
邦画と思いきや、イギリスのマーク・ギル監督による作品だった。
確かに物語の紡ぎ方や絵づくりは邦画っぽくないし、
何より深瀬の自問自答の相手として、鴉人間が出てきて英語で話すこと自体、
ぶっ飛んでいると言っていい。
鴉人間と深瀬との会話は、劇中で「ひとり言」とされているが、
自分会議というか自問自答なんだろうと思った。
とにかく俳優が素晴らしい。
主演の浅野忠信は破滅型の写真家を迫真の演技で表現していたし、
洋子を演じた瀧内公美も表情特に目の演技が凄すぎて怖いくらいだし、
池松壮亮が深瀬にビンタする手首のスナップも強烈だったし、
芋生悠が出演していたのも私としてはサプライズでうれしかった。
私がグッときたのは、不仲だった父親(古舘寛治)の死後の遺品で、
息子の昌久への愛情を感じるものを深瀬自身が目の当たりにしたときの表情。
ベタかもしれないが、この作品でかようなシーンが出てくるとは思っておらず、
私は意表を良い意味でつかれた。
ラストに至るまでが実に壮絶で、こういう生き方しかできなかった人なのだろう。
深瀬の伝記映画というよりは、深瀬というアーティストをアーティスティック
に、且つファンタジックに見せる映画であったと思う。
こういう邦画が出てきて欲しいとも感じた作品だった。
愛とアートと商業と
1950〜90年の日本の映像をイギリスの監督が
とても美しく描いてくれている事に感謝
光や色がとても綺麗です。
実在の写真家で1970年代にMOMAで初めて日本の写真家として取り上げられた深瀬昌久と妻の洋子の物語
洋子は彼のミューズであり、彼女の存在があってこそ
MOMAでも注目されたのだが
その事がかえって彼の芸術家としてのプライドを傷つけるし、洋子は芸術性より商業的でも金を稼ぐ事を求める。
洋子との『愛』は
はじめあまりしっくりこなかったのだけど
別れて再会してからの後半のシーンでとても泣けてしまった。
写真家として何度も注目されては堕ちてを繰り返し
その度に新たな視点を生み出すのが素晴らしかった
結局は彼を一番理解していたのは洋子であり、
だけれど結婚生活を共にする相手ではない、という悲しさ
再会で白いスーツを着ていた洋子が
お見舞いのシーンで真っ黒なワンピースをきていて
まるで深瀬の心の鴉そのもののようだった。
瀧内公美さんがナチュラルでエネルギッシユで
とても素敵でした。
新宿ゴールデン街
私の生涯ベスト3に入る映画です。
実在した強烈で破滅型の写真家をモデルにした映画です。カメラワークや編集方法、狂言回し(心の声?)が登場する点など、2014年作品の「バードマン」に似ていますが、私には愛しくて悲しくて、生涯ベスト3に入る映画です。男と女、親と子、愛と憎しみ、生と死の葛藤と混沌を描いています。主役の2人がラブラブの時、別れが近づいている時、別れた後、それぞれの時の演技が、絶妙な空気感・温度感を醸し出しています。
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