「期待度○観賞後の満足度◎ 上手く云えないけれども世の中が少しずつ変わって来ている(勿論良い方に)ことをそこはかとなく感じさせて何故か感動してしまった。」ふたりで終わらせる IT ENDS WITH US もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
期待度○観賞後の満足度◎ 上手く云えないけれども世の中が少しずつ変わって来ている(勿論良い方に)ことをそこはかとなく感じさせて何故か感動してしまった。
①オープニングの紅葉が美しいメイン州の風景に心が和む。ボストンの夜景も美しい。
そんな舞台設定に加え、ベストセラーの恋愛小説の映画化だということしか事前知識が無かったのと前半は上等なソープオペラみたいな恋愛映画のノリだったので勘違いしかけていたが、実は私達男が頭では理解しているつもりでも心というか肌感覚では殆ど理解出来ていない問題をデリケートに扱っている映画だった。
②当たり前ではあるが、基本的に男はPHYSICAL に女性より力が強い。だから力に任せて女性に絡んだり迫ったり言うことを聞かせようとするのは悪いことだとは頭では分かるのだか、被害者である女性がどんなにそういうことをされて恐怖・嫌悪を感じるかは理解出来ていないと思う。
(子供の頃に性被害を受けた男の子なら理解できるだろうけれども)
③だからでもないだろうけどDVはなかなか無くならない。
私の周りでも、一見良いカップル(夫婦)の様だったのに実は旦那がDV男だったり、会社では大人しくて真面目そうな人だったのに家では酷いDV男だったとか(この人、会社にばれて辞めました)ビックリすることが時々あった。
私は子供の頃から女性に手を上げる男は最低だとは思っていた。勿論自分でもこれまで女性に手を上げたことはない。でも結婚しなかったからだけかもしれず、結婚していたら喧嘩の時に手を出していたかも。それは自分でも自信はない。
④本作でも、最初から恋愛映画のつもりでも観ていたけれども、後から思い返すと最初からこのテーマの伏線は至るところに敷かれていた。
冒頭の父親の葬式でリリーが告辞を述べられなかった件。過去に何か確執があったのだろうとは思ったがヒロインの人間像を膨らませるエピソードの一つだろうと思っていたら作品テーマに思いっきり絡んでいた。
公の場では人望のあった(みたい)市長だっが家ではDV男だったのだ。
母親に「なぜ別れなかったの?」と尋ねた時の母親の言葉「だって愛していたし…」。
母親は私と同世代くらいと思うが、私の子供の頃(以前)はまだまだ女性の経済的自立は少なかったし(普通の主婦であれば仕事も見つけにくかったろうし)、妻は夫に従うものという考えがまだ根強かった。そういう時代に育ったからそういう考えを刷り込まれそうだけれども私は幸いそうではなかったし、映画を本格的に観出した1970年代はウーマンリヴ運動の時代でもあったけれども(1970年はたしか国際婦人デーが制定された年)、映画界でも女性映画が大量生産された時代で、『愛と喝采の日々』(なぜ女性だけ家庭とキャリアの二者択一をせねばならないのか)、『ジュリア』『歌う女、歌わない女』(女性間でも友情は育つ)、『結婚しない女』(女性の自立)、『ネットワーク』(男以上にワークホリックで野心があり上昇志向が高い女性)、『ウィークエンド』『エイリアン』(女性は守られる弱い存在ではなく必要に迫られれば闘う)と、それまでの社会通念を覆す映画が次々と出てきて、それをリアルタイムで観ていた私も大分感化されました。映画はやはり人の一生や考え方にに影響を及ぼすもんだね(特に頭の柔軟な若い時に観た映画は)。
本作の話に戻るけれども、アメリカでもまだそんな考え方が残っているとはやや驚き。アメリカの田舎は保守的だけれどもニューイングランド地方はまだ進歩的と思っていたので。
お母さんは「愛していたから」と言っただけだが、この「愛していた」という一言には沢山の思いが詰まっていたと思う。
アメリカ映画では何かあればすぐ「I Love You(愛している)」というけれども、この歳になると皆結構簡単にいうけれども“愛”って何かな、と最近よく思う。
“愛があるから”とか“愛しているから”というのが全ての免罪符になるとは思わないし、“愛している”と相手に言えば何をしても良いわけでもない。日本語には“恋”という言葉もあるから“恋”と言えばどういう感情かイメージしやすいんだけども“愛”という感情は大変茫漠としているし、“愛”と言えば聞こえは良いし美しいけれども悪く言えば便利な言葉である。
劇中で、ライルがリリーに「アトラスを愛しているのか」と訊いたのに対して、結局「分からない」と答えたけれども、実際にそういうものだと思う。
⑤そのアトラスだけれども、最初は、ヒロインの青春時代の恋人で、大人になってから再会してヒロインの心を揺さぶる存在になるという、よくある三角関係の話かいな、と思っていたら彼もある意味DVの被害者であることがわかりテーマの一方の重要な担い手であることがわかる。
母親はDV男ばかり連れ込むとアトラスは言った。それ以上の彼の母親に関する情報はなかったが、そういう女性が居ることもよく耳にする。
マゾヒストとまでは呼ばないものの、同じタイプの女性を選んでしまう女性たち(男にも同じことが言えるようだけれども)や、自分でないとその男を救えない救えない、その男には自分が必要だと勘違いする女性たち。
アトラスはそういう男たちの一人に暴力を振るわれたのかも知れないし、母親は彼より男たちを選んだのかもしれない。