「人間社会に潜む怖さ」嗤う蟲 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
人間社会に潜む怖さ
観るかどうか決めるのに一番重要視する要素はキャスティングだが、それには全然魅力を感じなかったが、予告編の怪しげな空気に興味をそそられて観賞。
【物語】
田舎暮らしに憧れたイラストレーター杏奈(深川麻衣)は、夫の輝道(若葉竜也)と共に都会を離れ、辺境地の小さな村、麻宮村に移住する。期待に胸を膨らませて新天地での生活を始めた二人だったが、都会では経験しない村社会の文化に戸惑いを覚える。近隣の住民からしつこく子作りを勧められたり、過剰と思える親切を押し付けられたり、自分たちの生活に強く干渉してくるのだった。
それでも輝道は何とか村の中でうまくやって行こうと自治会長の田久保(田口トモロヲ)や自治会活動に積極的に関わって行くが、杏奈は一見親切に見える田久保がこの村社会で異常とも思える権力を持っていることに気付くなど、次第に居心地の悪さと嫌悪感を募らせていく。
【感想】
これはなかなかでした。
怖い!!
何も知らずに観始めると、一見ヒューマンドラマか社会派作品みたいな感じで始まるが、これはもうスリラーだった。 しかし、霊的とか超常現象とかではない極めてリアルの世界で生み出される恐怖であるところが凄い。村社会ではこんなことが起こってもおかしくないと思わせる。 実際にこういう田舎に住んでいる人は「ここまで酷いことは起きるはずない」と言うとは思うけれど、ひとつ間違えばこういうことが起きるかも? と思わせるところが秀逸。
そういうリアリティーを醸せているのは脚本・演出・役者それぞれが良いからで、拍手を送りたい。
書きながらふと、昔からよく言う“村社会”てなんだ?と改めて考えてみた。 村社会とは以下のような特徴を持つ集団ではないだろうか。少数で構成され、構成員は別の集団に移る選択肢を持たず、かつその集団から追い出されると非常に生き難い環境下にある。 そう考えると実は似たような集団は都会にも存在する。例えば学校のクラス。小集団で、生徒には今のクラスが嫌だから別のクラスに移るという選択権は無く、ハブかれれば学校に行くのも苦痛になる。学校でイジメが起きるのは子供達の未熟さもあるが“村社会”だからではないか。会社の職場にも似たような状況が生まれ得る。 大企業では人事異動による人の流動性もあるので閉鎖的にはなりにくいかも知れないが、小さな会社ではどうだろう? 社長の顔を毎日見るような会社では人の流動性は少ないだろうし、一部の能力の高い人ならその会社を見切るという選択肢を持てるが、多くの人は簡単に別の会社に移ることを選択できないだろうし、クビになったら困ると思っているだろう。そういう職場ではやはりイジメが起こり得る。 他にも色々なところに“村社会”は存在するのでは?
元々人間には自分の欲求が満たされるように集団を動かそうとする習性を持っていると思うが、“村社会”では、特定の人間が集団での自分の力を誇示し、存在感や統率力を高めるために、弱い者を攻撃したりすることが置き易いということだと思う。 大人の社会ではイジメまで行かなくても「村のため」「会社のため」「皆のため」「あなたのため」という色々な都合の良い言葉を使って同調、もっと言うと服従を促す。
一方、社会で生きている限り協調することは必要だが、協調・同調・服従の境界に明確な線を引くことは出来ないのだと思う。個人の価値観や置かれた立場で全然違ってくるはず。そこが難しく、一歩間違うと酷いことになるのが人間社会の怖さだと思う。 さらに言えば、協調・同調には個々の人の一定の“我慢”を伴うが、同じことを我慢しても苦痛の程度は人それぞれなので、属する“村社会”が良好な状態か酷い状態かの判断さえ違って来るのだと思う。
そんなことを考えながら観るとこの作品もまた違って観えて来る。
ある意味、ジャパニーズ・ホラーよりよっぽど怖い!
こんばんは。
コメント失礼しますm(__)m
とても深い深〜いレビューに
なるほど!そう観ると中々コワイなと思いました。
最小の村社会として考えると「家族」も当てはまるなと思い、痛ましい悲しいニュースを連想してしまいました。
個人的に若葉君の作品はハズレ無しです。今後お見知り置きを♡