劇場公開日 2024年11月22日

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「構想60年前」海の沈黙 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

0.5構想60年前

2025年5月20日
PCから投稿

原作脚本は誰もが知っている有名な脚本家劇作家演出家の重鎮。
ネットの拾い記事によると──、
作家は『どうにも納得がいかないという美の価値への思い』を出発点とし『60年前に仕込んだ子どもがやっと生まれてくれた』と構想60年をしみじみ語った。
『時代が違うとわかった途端、作品を認めていた評論家も世間も美の価値を下げる。この風潮に納得がいかなくて、なんとか映画にしたいと思ってきた。』とのことで『作品の美に、作者や時代の裏付けが必要なのか。そんな問いかけだ。』と記事は結んでいた。
簡単に言うと時代遅れの不器用な絵描きの壮絶な生き様を描いた──という感じの映画。

世界的な画家の田村修三(石坂浩二)の展覧会で作品の一つが贋作だと判明する事件が起こる。 連日報道されるなか、北海道の小樽で女性の死体が発見され、この2つの事件の間に浮かび上がったのが、新進気鋭の天才画家と呼ばれ、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次(本木雅弘)だった・・・。

──というストーリーの中に、津山が田村の妻(小泉今日子)に淡い恋心を抱いていたり、彫り師でもある津山に女が寄ってきたり、病に侵され喀血しながら絵画を仕上げる、などが描かれる。

芸術家とはデカダンであるという大正浪漫趣味を恥ずかしげもなくさらし、刺青の針が女の柔肌に花や龍をきざむのが耽美であるとか、まだそんなたわごとを言うあほがいるんだ、という感じの昭和から一歩も動いてやるもんかという決意のみなぎった定石日本映画。
太宰治みたいな画家が吐血しながら絵を描くという退廃表現を令和に見るとは思わなかったという話だし、刺青が美学だって言いたいなら彫り物見せびらかしたい与太公だらけの三社とかだんじりとか見てからにしとけ、という話。

偉大な芸術家とは不健全なものである、という不文律がある。これは作家や作曲家、概して創造をする人物にいえる方程式のようなものだ。じっさいに、わたしたちが好きな大時代の絵描きや作家や作曲家はデカダンや不幸せを背負っていた。
ロートルならきっとモンパルナスの灯(1958)をご覧になったことがあるだろう。代名詞的な美男俳優のジェラールフィリップがモディリアーニを演じていた。貧乏なのに酒飲みで、カフェに入り浸って客の似顔絵を描き、むりやり売りつけて得た金を酒代にして夜の街を徘徊していた。それを身重の同棲者ジャンヌが一晩中探し回る・・・。結局モディリアーニは貧困と肺結核、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生と荒廃した生活の末にしぬんだ。
この絵に描いたような悲劇映画は日本で大ヒットした。

おそらくこの映画を書いた大先生もモンパルナスの灯を見て感涙したくちであろうと思う。フランス映画の退廃は日本映画に芸術家=デカダンという紋切り型を生成した。だから津山は喀血しながら絵を描くわけ。
念のために言っておくがジャックベッケルのモンパルナスの灯はいい映画だ。が、2020年代にその憧憬で映画をつくられたらかなわない。構想~年ていう日本映画が大好きな謳い文句あるけれども、およそ時代にそぐわなくなっている題材を後生大事にかかえてきたってだけの話でしょうが。

だいたいデカダンが芸術家のあるべき姿だというなら、健全で裕福でハングリーさのない人間はいい絵を描けないのか。その両義性や相対性や複合選択性を一顧だにしないのが日本映画の特徴であり、日本では悲劇的状況にフルスロットル入れちまう猪突猛進な人しか映画をつくらないことが再確認できる安定の日本映画だった。

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津次郎
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