花まんまのレビュー・感想・評価
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脚本とか演出とかはいいんだけど……
鈴木亮平主役だから期待して見た。予想通り鈴木亮平のお兄ちゃんの演技は文句なしでものすごい熱演だなと感じたが、それに対しての妹のふみ子の有村架純があまりにも冷たい演技で見ていて度々イラッとした。原作のふみ子がそういう人なのかもしれないけど、ちょっと性格良くなさそうに感じた。
他のキャストや大まかなストーリー、伏線は面白かっただけによりそれが際立ってて残念。
てか最後のふみ子はもはや誰なの?喜代子さんの記憶が消えたからといってふみ子という人格は地続きであるはずなのに最後繁田家のことを覚えてないのは流石に違和感。
タイトルなし(ネタバレ)
いわゆる町工場にいそうな声でかい自分の一方的な気持ちを
押し付けてくるけど情に厚いから憎めない正義感の塊みたいな
父性愛たっぷりな男をやらせたら右に出る人いないでしょって感じ。
公開当時から見たいみたいと思ってたんですが
秘密とはこれだったんですね。
転生と天国人とのトークなどファンタジー要素もかなりありますし
元々、主役の二人が好きだったので楽しみにしていたのですが
いやぁ、酒向さんにやられました。がいこつといえば確かに骸骨
魂の抜けた屍が花まんまを見たとたん息を吹き返す。
思わず涙するというよりも息を飲むといった方が良いかもしれません。
まだ小さい愛娘の作った花まんまをうんうんと頷きながら
食べる相手をしてやった事を思い出している。そんな情景が
はっきりと見えました。
途中までは
キヨミの父親とヴァージンロードを歩く姿は、『兄可哀想』とは思ったものの号泣シーンでありその後の親族挨拶も泣けた
だがしかし、キヨミが成仏して『どちらからいらしたんですか?』で全て冷めた
キヨミの人格が入り込んで二重人格状態になっているならともかくあくまで“キヨミの記憶を持って産まれた”設定だと思っている
これだと、小さい頃から元父親と文通していた記憶も消えている
結婚報告しに会いに行った記憶も消える
私が号泣したヴァージンロードを歩いた画像や動画を後で見た時フミ子は何を思うんだろう
小さい頃から人生を共に過ごしたキヨミの記憶がスパっと消えるって事は少なくない人生の記憶が消える事
それでいいのか?と思ってしまった
鈴木亮平の関西弁
兵庫出身の鈴木亮平なのに関西弁の役を見たのは 私は初めてだったかもしれない。
同じく兵庫出身の有村架純。
(調べたら 酒向芳 六角精児 キムラ緑子始め全員 関西ネイティブ)ここ重要。
最初は ん? なんだ?
誰? どっち? この子は?
となった。
次第にそれが判明していく。
ファーストサマーウイカも 今までで一番綺麗だった。
酒向芳 六角精児 キムラ緑子の家族って
こんなクセある役者揃えて どんなーーー
と思うが ただただ良識ある人々
鈴鹿央士が カラスと話すという超ファンタジーを織り交ぜた話で (って元から 前世の記憶や死後の世界を織り交ぜてる時点で まあそう言う事なんだけれど)思考があっちこっち行きつつも
総じて面白く見た。
想像以上に泣けるストーリー
ファンタジー要素多めですが、とてもよかったです。あり得ない話なのに、ありえないと思いきれないような心温まるお話でした。
あぁ、こんなことが本当にあったら素敵だと心から思いました。
有村架純ちゃんや鈴木亮平さんの演技はやはり素晴らしい。そして酒向芳さんが本当にすごかったです。何回も酒向さんに泣かされました。
娘を持つ親としてもかなり感情移入してしまい、中盤から後半は何回泣いたかわからないくらい何回も泣きました。
とても素敵な映画に出会えて幸せです。定期的に見たくなるような映画でした。
怪談もどき
大阪の下町で暮らす加藤俊樹とフミ子の兄妹、妹想いの俊樹を悩ませているのはフミ子にとりついた繁田喜代美の霊、幼いころから観た悪夢のせいでフミ子は自分を喜代美だと思い込み・・。喜代美は観光バスのガイドだったが無差別殺人の被害にあい死んでしまった。フミ子の母が産気づいて病院に入るとき運び込まれた瀕死の喜代美とすれ違ったのが縁だったらしい。タイトルの花まんまは喜代美が父に作っていた花飾りのお弁当、なんとフミ子も再現していましたね。
フミ子も成長して結婚式を挙げるのだが、喜んだ天国の両親が喜代美の霊も天国に連れ帰るということで悪夢は解消、ファンタジックな怪談調の兄妹の愛情物語でした。
誰だよ!下町人情ドラマ!って書いたの
劇場で見ても良かったな
素晴らしい作品
2025年の作品
直木賞受賞作の映画化だけに、素晴らしいファンタジーを描いている。
この作品に感じる「喪失」という心の痛み
そして明らかな喪失にもかかわらずどこかで生きているという確かな手ごたえ。
そこに感じる「希望」は、死んでもなお生きていると感じざるを得ないことで、喪失というのは一体何かという問いとなって表れる。
重田家に起きた大きな喪失
同じく加藤家にも起きた喪失
この誰にも共通する喪失の正体は何だろうか?
他人というストレンジャーは、本当に自分とは「何も関係ない」のか?
この自分と他人を区別する枠
無関心と拒絶
物語はこの他人との関係を、喪失という共感でつないでいる。
さて、
伏線と思わせておきながら登場しなかった「写真館」
2度も登場していながらまったく関係ないように留めたのは、そこに余白があるからだろう。
連想する想い出 記憶
この記憶こそこの物語の核
前世の記憶というのは、まったくミステリーそのもので、でも信じてしまう説得力がある。
人は、本当に生まれ変わるものなのだろうか?
このファンタジーをモチーフに、魂なるものの不滅と喪失感という絶対的感覚の矛盾
そして、自分と他人とは違うという幻想をこの作品は描いている。
また、最後の繁田家のがっかりするほどの切なさは、「現実」に引き戻された喪失が漂うが、引き出物の中に見た「花まんま」が、不滅の魂を「実感」させる。
兄トシキ
妹フミコの前世の記憶などと言うものによって、唯一無二であるはずの「家族」を根底から壊されてしまう「思い」がどうしても我慢できない。
フミコは、前世の記憶と感情が「本物」でしかない。
トシキの記憶に焼き付いて消えない父と母
妹にあるはずのない他人の記憶を受け入れられない。
「実感がある」というのは、どうやって証明できるのか?
「実感がない」ことはどうやって証明できるのか?
この哲学の領域
さて、、
繁田喜代子
結婚2日目に起きた事件
人の想い 無念さ
物語上の設定では、この出来事は霊界のイレギュラーだった。
つまり、たまたまだった。
通常は起こらないということだ。
しかしそうなれば、この現世という世界で我々はいったい何をしているのだろう?
そして、各々の時代で何を繰り広げているのだろう?
また、記憶のない魂の成長などあるのだろうか?
誰もがつい考えてしまうこの問いの答えは「ない」ように思う。
あたかも「それだ」と言っている人々はいるが、どうもピンとこない。
それは「自分で見つける」しかないのだろうと思う。
それが今ここにいる「理由」だろうか?
それさえわからないのに、我々はいったいここで何をしているのだろう?
各々の経験は、いったい何の役に立つのだろう?
この物語には感動がある。
喪失という共感と、他人の喪失を自分の喪失と重ねたとき生まれる共感
自分が感じた喪失を、他人の中に見たとき生まれる共感
ずっとあったはずの記憶が消えてしまう切なさ
しかし、それが幻ではなかった「証」 花まんま
失ってしまったけど、やっぱり失ってなどいなかった喜び 感動
カラスとのコミュニケーションは、人と人以外にもつながれる存在がこの世界にはあるということ。
植物も無生物も同じだと思う。
意識の鼓動
この意識の鼓動こそ接点であり、そこに意識があることを感じようとすれば、何らかの「声」が聞こえるのかもしれない。
フミコの前世の記憶とその消去は、喜びと悲しみの両方だった。
それを感じたのは重田家のみならず、トシキも太郎も同じだった。
他人の気持ち それを汲み取ろうとする意識は、まぎれもなく共感の接点を作り出す。
個人的には何もしていないようでも、他者に意識を傾けることこそ、人間としての「在り方」なのかもしれない。
いい作品だったと思う。
大変面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(他レビューも溜まり短く‥)
結論から言うと、今作の映画『花まんま』を大変面白く観ました。
特に大阪の雰囲気は見事に表現されていて、大阪出身の前田哲 監督をはじめとして、ほとんどが関西出身者の俳優陣による自然の演技もプラスに作用したと思われます。
そして、主人公・加藤俊樹(田村塁希さん/鈴木亮平さん)と妹・加藤フミ子(小野美音さん/有村架純さん)の、人物像も関係性も、魅力が溢れていたと思われます。
ただ、もう一歩、踏み込みがあった方が‥と思われたのも事実です。
兄の主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平(板橋駿谷さん)を事故で、その後に母・加藤ゆうこ(安藤玉恵さん)を、早くに亡くしています。
しかし、主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平との「どんなことがあっても妹を守る」約束を果たすために、母・加藤ゆうこを亡くした後も懸命に働き、妹・加藤フミ子を育て上げます。
一方で、妹・加藤フミ子は、自身が生まれる時に、勤務中の事件で刺されたバスガイド・繁田喜代美(南琴奈さん)が同じ病院で亡くなり、繁田喜代美の記憶が出産される直前の妹・加藤フミ子に乗り移ります。
そして、妹・加藤フミ子は後に、兄と共に、繁田喜代美の実家を訪ねて行き、娘を失った繁田家の人々(娘・繁田喜代美の、父・繁田仁(酒向芳さん)、姉・繁田房枝(キムラ緑子さん)、兄・繁田宏一(六角精児さん))と出会います。
そして、妹・加藤フミ子は、繁田喜代美の記憶を持ったまま、その後も繁田家の人々と手紙のやり取りを長年続けるのです。
主人公・加藤俊樹は、両親を亡くした喪失感を、両親の想い出と共に、「どんなことがあっても妹を守る」という父との約束を果たすために、妹のために懸命に働くことで、埋め合わせていたとも思われるのです。
加えて、主人公・加藤俊樹が良く行くお好み焼き屋の三好駒子(ファーストサマーウイカさん)や大将の三好貞夫(オール阪神さん)、主人公・加藤俊樹が働く工場の社長の山田社長(オール巨人さん)などとの、大阪の下町での人間関係も、主人公・加藤俊樹の喪失感を埋めて支えていたと思われます。
一方、妹・加藤フミ子は、(父との約束を守り懸命に妹のために働く)主人公・加藤俊樹によって支えられ、かつ繁田喜代美の記憶から繁田家の人々との手紙のやり取りで、両親を亡くした喪失感が埋め合わせられていたと思われるのです。
つまり、今作の映画『花まんま』は、基調の喪失感が埋め合わせられた充足感との引き換えで、充足しているからこそ逆に全体としては大きなドラマ性は起こしにくい物語構成になっていると思われました。
それが理由によって、今作は全体としてハートフルな雰囲気が溢れながら、一方で、観客が現在に感じている殺伐さや孤独感などの現在的なドラマ性の方は余り感じない印象になっていたと思われます。
唯一と言って良い今作の劇的なドラマ性は、父との「どんなことがあっても妹を守る」約束を大切にしている主人公・加藤俊樹が、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々に捉われている妹・加藤フミ子を自分の家族の想いに引き戻そうとした時に、妹・加藤フミ子が「私は私や!」と拒否する場面であったと思われます。
しかし、このドラマ性の高い場面も、一観客としては、予告で既に見ていたというハンデがあったと思われます。
(ここでも、映画における予告に難しさがあったとは‥)
主人公・加藤俊樹はその後、自身が、亡くなった父や母との約束や想い出によって支えられていたことと、繁田家の人々が、妹・加藤フミ子の中に記憶されている亡くなった繁田喜代美に支えられていたことが、同じだと感じたと思われます。
だからこそ主人公・加藤俊樹は、繁田喜代美の記憶を持つ妹・加藤フミ子と中沢太郎(鈴鹿央士さん)との結婚式に、繁田家の人々も参加させようと奔走し、ついに実現させたと思われるのです。
しかし妹・加藤フミ子は、結婚式が終わる頃に、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々との関係性の記憶も失くしてしまいます。
そしてこの、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を忘れてしまう最後の映画の着地に、釈然としなかった観客も多かったのではと推察します。
その理由は、妹・加藤フミ子が繁田喜代美や繁田家の人々との記憶を最後に無くしてしまった今作の着地が、4つの喪失を生み出していた所にあると思われました。
その4つの喪失とは、
1つ目は、繁田家の人々にとっての、繁田喜代美の喪失の現実化です。
2つ目は、妹・加藤フミ子にとっての、(本人はそこまで気がついていなかったとしても)自身が埋め合わせていた両親を亡くしたという喪失感の現実化です。
3つ目は、主人公・加藤俊樹にとっての、亡くなった両親との約束や想い出の交流と、妹・加藤フミ子と(亡くなった繁田喜代美の記憶を通した)繁田家の人々との交流の、同質性の喪失、つまり自身も両親を亡くしたという喪失感の改めての現実化です。
そして最後の喪失の4つ目は、観客にとっての、この映画に終始感じていた、亡くなった人との約束や想い出や、周りとの交流による、ハートフルな雰囲気の、喪失の現実化です。
つまり、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、この映画が持っていたあらゆる充足感とハートフルな雰囲気が、すっかり喪失してしまった映画のラストになっていたと思われるのです。
なのでやはり、そこからさらに踏み込んで、4つの喪失感に対して、別に埋め合わせる(出来れば現在的な)回答は示して映画を終わらせた方が良かったのではないかとは、僭越思われました。
今作の映画『花まんま』は、喪失感を満たすハートフルな雰囲気の良さがある一方、現在的な孤独のドラマ性にまでは深まらず、逆にラストの妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、映画全体にあったハートフルな雰囲気を失わせ、その解決策は示されないまま映画が閉じられるという弱点もある作品だと、僭越思われ、今回の私的点数になりました。
ただ、映画全体を覆っている記憶と想い出と下町での人間関係のハートフルな充足感の魅力は、観客の心をつかみ、素晴らしい俳優陣の演技によって、一方での良さは感じる作品であったことも事実だったとは僭越思われました。
3.7くらいかな、演技は良いし雰囲気も良い!
思ってたのとは違った
記憶障害や、何かしらきっかけで本当は兄弟の血が繋がってなかったなどの、そういう複雑なお話なのかと思って見ましたが、ファンタジー系な要素が含まれてる作品でした。
俳優陣は文句なしに素晴らしい演技と
本当に関西出身の方々が演じられているので
すごくリアルな言葉のイントネーションなんだろうなぁと作品を見ながら感じていました。
花まんまのお弁当の伏線回収も、伏線というよりは
確実にそのお弁当が来るんだろなとはわかって見てましたが、こころがぎゅーってなりました。
過去のお父さんの演技がずっと素晴らしいです。
ガンニバルの時もそうですが、本当に別人のようになれる役者さんだなと思います。
思ってた作品とは違いましたが、ファンタジー要素があるとわかって見たら見てよかったと思う作品だと思います。
観終わったあと、誰かにやさしくなれる映画
登場人物の誰もが優しく、安心して身をゆだねられるハートフルな作品。
家族や大切な人との関係の中で生まれる、すれ違いや未熟さ、そしてそれらをそっと包むような思いやりが、丁寧に描かれています。
特に印象に残ったのは、兄妹を中心に描かれたエピソード。
兄・俊樹(鈴木亮平)は「すべてを一人で背負ってきた」と信じ、それを誇らしげに語るのですが、どこかに微かな違和感がありました。
劇中には、夢の中で両親と再会するようなファンタジー的な描写も登場します。鑑賞当初は少し幼稚にも感じたその描写が、時間が経って振り返ると、俊樹自身の内面──“世界の捉え方”を表現していたのかもしれないと思うようになりました。
幼さゆえの思い上がりに気づき、支えられていたことを受け入れていく俊樹の変化。
そして、それを責めることなく、静かに見守り続けた周囲の人々。
物語に流れる、そうした優しさの連なりが、じんわりと心にしみました。
妹・フミ子を演じる有村架純さんの演技も印象的でした。
ある場面でふと見せた幼さの残る表情に、何かが変わってしまったことを悟らずにはいられず、張りつめていた感情があふれ出すような感覚がありました。
親しい人の結婚式に参列したときのように、自然と祝福の気持ちが湧いてくる物語。
華やかさや派手な演出は控えめで、「映画館で観なくてもよい作品」と感じる人もいるかもしれません。
けれど、ハートフルな物語に静かに心を揺らし、温かな涙を流したい方には、映画館という没入空間で味わう時間をおすすめしたいです。
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