「大変面白く観たのですが‥」花まんま komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
大変面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(他レビューも溜まり短く‥)
結論から言うと、今作の映画『花まんま』を大変面白く観ました。
特に大阪の雰囲気は見事に表現されていて、大阪出身の前田哲 監督をはじめとして、ほとんどが関西出身者の俳優陣による自然の演技もプラスに作用したと思われます。
そして、主人公・加藤俊樹(田村塁希さん/鈴木亮平さん)と妹・加藤フミ子(小野美音さん/有村架純さん)の、人物像も関係性も、魅力が溢れていたと思われます。
ただ、もう一歩、踏み込みがあった方が‥と思われたのも事実です。
兄の主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平(板橋駿谷さん)を事故で、その後に母・加藤ゆうこ(安藤玉恵さん)を、早くに亡くしています。
しかし、主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平との「どんなことがあっても妹を守る」約束を果たすために、母・加藤ゆうこを亡くした後も懸命に働き、妹・加藤フミ子を育て上げます。
一方で、妹・加藤フミ子は、自身が生まれる時に、勤務中の事件で刺されたバスガイド・繁田喜代美(南琴奈さん)が同じ病院で亡くなり、繁田喜代美の記憶が出産される直前の妹・加藤フミ子に乗り移ります。
そして、妹・加藤フミ子は後に、兄と共に、繁田喜代美の実家を訪ねて行き、娘を失った繁田家の人々(娘・繁田喜代美の、父・繁田仁(酒向芳さん)、姉・繁田房枝(キムラ緑子さん)、兄・繁田宏一(六角精児さん))と出会います。
そして、妹・加藤フミ子は、繁田喜代美の記憶を持ったまま、その後も繁田家の人々と手紙のやり取りを長年続けるのです。
主人公・加藤俊樹は、両親を亡くした喪失感を、両親の想い出と共に、「どんなことがあっても妹を守る」という父との約束を果たすために、妹のために懸命に働くことで、埋め合わせていたとも思われるのです。
加えて、主人公・加藤俊樹が良く行くお好み焼き屋の三好駒子(ファーストサマーウイカさん)や大将の三好貞夫(オール阪神さん)、主人公・加藤俊樹が働く工場の社長の山田社長(オール巨人さん)などとの、大阪の下町での人間関係も、主人公・加藤俊樹の喪失感を埋めて支えていたと思われます。
一方、妹・加藤フミ子は、(父との約束を守り懸命に妹のために働く)主人公・加藤俊樹によって支えられ、かつ繁田喜代美の記憶から繁田家の人々との手紙のやり取りで、両親を亡くした喪失感が埋め合わせられていたと思われるのです。
つまり、今作の映画『花まんま』は、基調の喪失感が埋め合わせられた充足感との引き換えで、充足しているからこそ逆に全体としては大きなドラマ性は起こしにくい物語構成になっていると思われました。
それが理由によって、今作は全体としてハートフルな雰囲気が溢れながら、一方で、観客が現在に感じている殺伐さや孤独感などの現在的なドラマ性の方は余り感じない印象になっていたと思われます。
唯一と言って良い今作の劇的なドラマ性は、父との「どんなことがあっても妹を守る」約束を大切にしている主人公・加藤俊樹が、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々に捉われている妹・加藤フミ子を自分の家族の想いに引き戻そうとした時に、妹・加藤フミ子が「私は私や!」と拒否する場面であったと思われます。
しかし、このドラマ性の高い場面も、一観客としては、予告で既に見ていたというハンデがあったと思われます。
(ここでも、映画における予告に難しさがあったとは‥)
主人公・加藤俊樹はその後、自身が、亡くなった父や母との約束や想い出によって支えられていたことと、繁田家の人々が、妹・加藤フミ子の中に記憶されている亡くなった繁田喜代美に支えられていたことが、同じだと感じたと思われます。
だからこそ主人公・加藤俊樹は、繁田喜代美の記憶を持つ妹・加藤フミ子と中沢太郎(鈴鹿央士さん)との結婚式に、繁田家の人々も参加させようと奔走し、ついに実現させたと思われるのです。
しかし妹・加藤フミ子は、結婚式が終わる頃に、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々との関係性の記憶も失くしてしまいます。
そしてこの、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を忘れてしまう最後の映画の着地に、釈然としなかった観客も多かったのではと推察します。
その理由は、妹・加藤フミ子が繁田喜代美や繁田家の人々との記憶を最後に無くしてしまった今作の着地が、4つの喪失を生み出していた所にあると思われました。
その4つの喪失とは、
1つ目は、繁田家の人々にとっての、繁田喜代美の喪失の現実化です。
2つ目は、妹・加藤フミ子にとっての、(本人はそこまで気がついていなかったとしても)自身が埋め合わせていた両親を亡くしたという喪失感の現実化です。
3つ目は、主人公・加藤俊樹にとっての、亡くなった両親との約束や想い出の交流と、妹・加藤フミ子と(亡くなった繁田喜代美の記憶を通した)繁田家の人々との交流の、同質性の喪失、つまり自身も両親を亡くしたという喪失感の改めての現実化です。
そして最後の喪失の4つ目は、観客にとっての、この映画に終始感じていた、亡くなった人との約束や想い出や、周りとの交流による、ハートフルな雰囲気の、喪失の現実化です。
つまり、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、この映画が持っていたあらゆる充足感とハートフルな雰囲気が、すっかり喪失してしまった映画のラストになっていたと思われるのです。
なのでやはり、そこからさらに踏み込んで、4つの喪失感に対して、別に埋め合わせる(出来れば現在的な)回答は示して映画を終わらせた方が良かったのではないかとは、僭越思われました。
今作の映画『花まんま』は、喪失感を満たすハートフルな雰囲気の良さがある一方、現在的な孤独のドラマ性にまでは深まらず、逆にラストの妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、映画全体にあったハートフルな雰囲気を失わせ、その解決策は示されないまま映画が閉じられるという弱点もある作品だと、僭越思われ、今回の私的点数になりました。
ただ、映画全体を覆っている記憶と想い出と下町での人間関係のハートフルな充足感の魅力は、観客の心をつかみ、素晴らしい俳優陣の演技によって、一方での良さは感じる作品であったことも事実だったとは僭越思われました。