「色々とおおざっぱだけど不意なラストに泣かされる」花まんま KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
色々とおおざっぱだけど不意なラストに泣かされる
長年、親に代わって面倒を見てきた妹のフミ子(有村架純さん)がいよいよ結婚することになり、兄の俊樹(鈴木亮平さん)の立場での感慨や葛藤を描く映画。
妹は幼いころ、見ず知らずの他者(結婚間近で亡くなったバスガイド)の記憶を抱えることになり、それが兄と妹の関係に不穏さをもたらしている。兄としては、亡くなった実の父母(加藤家)のために今まで頑張ってきたのに、妹は別の家族(繁田家)に対しても「恩返し」しようとしているのが納得できないのだろう。
この2つの家族や記憶の設定についてはいろいろと疑問に思うことがあった。別の記憶が同居しているといっても、二重人格のように人柄や個性まで入れ替わってしまうというのではなく、いってみれば別の人生を疑似体験したようにフミ子のなかに記憶されているのだろう。
そうであれば兄がそこまで過剰に反応する理由がよくわからない。たとえば妹自身にも自分がコントロールできなくなったり、急に別人格になって話し始めたりする設定だったら、不穏さが際立ったと思うのだけれど。
いっぽう、バスガイドの繁田家はフミ子の成長を楽しみにして、入学式や卒業式の写真を大事に保存しているが、なぜ亡くなったバスガイドの生まれ変わりのような扱いをするのか。むしろバスガイドは成人するまでの経験とか記憶をもう持っているはずなので、それをフミ子に思い出してもらって関わったほうがいいのではないですかね。
その他、兄が働いている大阪の下町の町工場とかお好み焼き屋がコテコテに描かれているのに対し、大学で働いて助教と結婚する妹の世界はだいぶ違うはず。妹が繁田家にこだわる以前にどういう内面の人なのかよくわからず、感情移入が難しかった。
後半の結婚式のシーンはもはや間延びを感じながら見ていたし、バージンロードを繁田家の父に歩かせるのはびっくり。さきほども書いたが、フミ子の中にバスガイドの記憶があるだけで、フミ子自身は独自の人格を持つ人のはず。それこそ、兄や実父母の立場はどうなるのか。
かと思ったら、帰り際にあいさつした繁田家の記憶は、フミ子の中からすっかり消えていたのだった。つまりバスガイドさん、無事に成仏したのね…。いささか都合がいいようにも思うけれど、繁田家の喪失感を際立たせるラストだったと思う。繁田の父が電車の中で見た「花まんま」には泣かされた。
鈴木亮平さん、ファーストサマーウイカさんの演技の良さに助けられ、終わり良ければ総て良しですかね。
なおこの映画を見た理由の半分以上は、閉館が迫る丸の内トーエイに行きたかったから。たまたま「大きな玉ねぎの下で」をこの映画館を見て、シネコンとは全然違う「劇場」の存在を知った。この映画館で見ると、予告編であっても自分の身体への浸透度が違う気がする。単に歴史の古さでも収容人数の多さでもない、その理由は何だろうか。それを探して来月までにまた来る機会をつくりたい。