トラップのレビュー・感想・評価
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やってんな
トラップゼロなのが逆にトラップ
会場についた瞬間に入り待ち時間ゼロでちょうどレディが会場に入るのを観れてる時点でタイミングが良すぎてあり得ないんだわ。
中に入ってからも店員とたまたま仲良くなって店員だと証明するキーワードを入手したりレディのステージに呼ばれるとか都合があまりにも良すぎる上に緊張感が全く無いし完全にナメてるとしか思えない脚本で本来なら半分まで我慢したからもう観るのを辞めてもいいんだけど感想を書く上で途中でギブアップしたクセに偉そうに感想を書く訳にもいかないから後半も観ましたが奇跡的にレディの車に乗れて会場から出れるとか更にふざけたバカ展開だし更に更に言うとライブ終わって他人の家にミュージシャンが一般人の家に行く訳無いし警察が家に来た時にどうやって逃げたのかの説明が無くて更にリムジンが囲まれた時の脱出の仕方の説明も無いし更には家の周りに警察がいるのに普通に家に戻れたのは何故かの説明も無いしここまであり得ない事しか起きない話は見た事無いですよマジで!
ラスト付近で上半身マッパになって警察に捕まるのは良いとして家での事情聴取もしないで警察が全員家から帰って行く場面や捕まって車に乗せられるのはいいけど護送車の中で見張りの警察ゼロで乗せてるとか本当にマジでいちいち全部のシーンがあり得ないし映画なんてファンタジーなのは承知の上だけどこちらにも許容範囲があってこれは流石に無いわ。
総合的に考えて劇場で観て無いのが唯一の良い点ですわ。
全シーンツッコミどころな映画は人生初です。
撮影する時や企画の説明の時に違うって言ってくれる人が居ない状態で好き勝手に作った末路なんだろうね笑
子煩悩なマイホームパパ、たまに人を切り刻むのが玉に瑕
シリアルキラーがコンサート会場に姿を現すという情報をキャッチしたため警官隊を投入して袋のネズミにしようという作戦が実行される。
どう見てもコンサートの警備とは思えない重装備のSWAT部隊みたいのが大勢いて明らかに不自然。それに通常これだけのお客で混雑するコンサート会場でそんな危険な作戦するかな。一般人を人質にされたらどうするんだろ、なんて野暮なこと考えずにシャマランによるエンタメを楽しむのがベストな映画。映画なんてありえない設定はいくらでもある、そのあり得ない設定をもっともらしく見せてなんぼ。本作はそれがまあまあ出来てるので問題なし、多少のご都合主義も許せるレベル、かな。
コンサート会場内で警備の警官を躱して上手くすり抜けたり立ち回ったりとただのシリアルキラーではない知能犯的な側面も見せるクーパー。普段子煩悩パパと殺人鬼を使い分けてるだけに二重人格的側面も垣間見せる。時折彼の幻覚に現れる母親の姿からして幼少期のトラウマが今の彼を殺人鬼にしたのだろうか。
意外にコンサート会場を脱出した後が長くて少し冗長な感じ。ならばそこで彼の人格をもう少し掘り下げてもよかったかも。
最後まで楽しめたが、残念な点はラスト。クーパーを生き延びさせての続編狙いなのかな、非常に歯切れが悪く感じられた。どこで終わらせるのがベストだったのだろうか。
せっかく大技を決めても着地でしくじれば10.00は難しい。もう少し切りのいいところで終わらせられなかったかな。
個人的にはリムジンでレイブンをさらおうとしたとき群衆からスマホのカメラのライトを照らされた所で警官隊に撃たれてたほうがよかった。コンサートでお父さんあなたを許すわというレイブンのトークに共感した観客がスマホのライトを照らすくだりが伏線としてそこで活かされると思ったけどな。クーパーお父さん、あなたを許しますとね。
映画はラストシーンで作品の締まりが良くなるのでいいタイミングで終わってほしかった。
Show Must Go On
駆け引きと騙し合い、脱出ゲームみたいな映画
ノーシャマ解消!
This is truely マイ・ファースト・シャマランwww
自分でも意外だけどこれまでにシャマラン監督作品をひとつも観たことがなく……。明確な理由があるわけではないんだけど、かつて『The Sixth Sense』に挑戦しながらも冒頭15分で諦めるのを何度か繰り返し、あぁ〜自分には合わないのかな〜と思ったところで停滞してた感じ。
今回、ソウに続きこれまた有識者の方にお誘い頂きチャレンジしてみることに。
結果面白かった〜〜〜✨✨✨
Deva役の綺麗なお姉さん、監督の娘さんでリアルに歌手やってるとか。曲も良かったし、ノリも良かったし、ライブ見てる感覚あったし、(←シャマラン作品が全部そうとは思ってない、わかってる。)普通に普通に楽しかった☺
狂人パパの普段の様子があまりに普通過ぎてソレが逆に怖さマシマシ💦安心して見られる場面と、手に汗握る感じのバランスが個人的にはとっても良かったかと振り返る。
有識者に聞くところによると、どぉやら監督には『良いシャマラン』と『悪いシャマラン』が存在するのだけど、『トラップ』は好みにもよるけど比較的『良いシャマ』に分類されるのでは?とのこと。
シャマランデビューが『悪シャマ』でなくて幸せなこと、だとww
その後参加した映画好きオフ会でシャマランデビューしたことを報告し、次回オフ会までに3シャマすることを宣言‼️
さて、何を観るべきかな〜 (*´艸`)
娘を愛する殺人鬼の姿と、娘を盲愛するシャマラン監督の姿がオーバーラップする……(笑)。
調子にのって保存もかけずに書いていたら、突然どこのキーにも触ったつもりないのにメルセデス・ベンツの広告がやおら立ち上がって、二度と元の原稿画面に戻れず、書いていた原稿が全部パーになりました(泣)。なんだよ、このクソ仕様。
前から何度も何度もこの現象の被害にはあっていたので、気を付けてときどき保存はかけるようにしてたつもりだったんだが、久しぶりにしてやられた。
ぜ、ぜ、絶対にメルセデス・ベンツだけは買わねーんだからな!!!
お、お、覚えとけよ(そもそも免許をもってないんですがww)
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まあ、映画はふつうに面白かったけどね。
でもなんか、すごくないすか?
実の娘を映画デビューさせて、
それがアリアナ・グランデみたいな、
世界的な歌姫の役とか(笑)。
やるかな、ふつう、そんなこと?
『ノック 終末の訪問者』では、実の娘に第二班の監督をやらせて、
『ザ・ウォッチャーズ』では、その娘に初監督をやらせて(自分は製作)、
『トラップ』では、別の娘に音楽制作の全権と準主役をあてがう。
どんだけあんた娘、好きやねん!!(笑)
しかも、やり口が臆面もへったくれもない……。
なんていうか、いちばん怖いのは
殺人鬼が見せる実娘への慈愛以上に、
監督が見せる実娘へのなりふりかまわぬ愛だったりして(笑)。
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ここ数作、シャマランは、何よりもまず「家族の絆」に重きを置いた映画を撮り続けている。
「家族を大事にする」ことを、無上の価値として描き上げた作品。
それをある種の口実にして、家族への身びいきを推し進めているとでもいうべきか?
彼は自分の娘たちを自作にスタッフや演者として引っ張り込み、全力でサポートし、親として最大限の「飛翔するためのチャンスメイク」をしてやっている。
なんら、悪びれる様子もなく、嬉々として、むしろ誇らしげにやっている。
単純にお金がないから家族でやっているとか、
こぢんまりつくってるから家内制手工業とか、
断じてそういう話ではない。
そんなにお金がないなら、こんなスタジアムを借り切ったコンサート・シーンとか、最初からできるわけないからだ(ただしパンフによれば、ステージはリアルで撮ったが、観客のほうは300人をCGで30000人に増やしているらしい)。
自分の家を抵当に入れて撮るくらい、創作上の自由度を優先している以上、もはやこれは「ファミリービジネス」であって、自分の好きなようにキャスティングして何が悪いんだ、くらいの割り切りをもってやっている感じがする。
まあアメリカの小説界では、クライブ・カッスラーが息子のダーク・カッスラーと共作して、ダーク・ピットもののシリーズを引き継がせているし、イギリスでもディック・フランシスが奥さんや子供と一緒に執筆して、死後は競馬シリーズを息子のフェリックス・フランシスに引き継がせている。
フランスの映画界では、クロード・ルルーシュという監督がいて、そこまで有名ではない女優の奥さん(新旧ふたり)と、自分の娘を自作に出しまくっている。
職権濫用ではない。これも立派な「家族愛」の発露である。
だから、そう異端視するような動きではないのかもしれない。
にしても、作品のテーマとしての家族愛と自分の家族愛を「セット売り」にして、娘たちを次々と全世界デビューさせるお父さんってのは、まさに「マイホームヒーロー」だよなあ、とは思う。
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映画としては、きわめてシンプルだ。
「凶悪な連続殺人鬼が、家庭では良きパパで、掛け値なしに娘を愛している」
「スタジアムのコンサートに行くことがバレて、このままでは捕まってしまう」
以上の2点で、キャラクターとサスペンスのすべてが構築されている。
やってることは「ハンニバル・レクター」の逃走劇だけど、
表と裏の顔設定としては『トゥルーライズ』みたいな。
素材がシンプルなぶん、観ていてストレスが少ないし、
ピカレスクもの、ダークヒーローものとして、ふつうに楽しめる。
あの手この手でブッチャー(この殺人鬼の通称)が脱出に向けて知略を練るさまには、コンゲーム的な面白さがあるし、パパの顔と殺人鬼の顔を使い分けてバタバタ行ったり来たりするブラック・ユーモアには、「必殺」シリーズの中村主水やかんざし屋の秀みたいなところもあって、なんとなくなじみがある。
女子供には優しくておちゃらけてるけど、非情な凄腕の殺し屋としての一面を隠し持つって意味では、『シティーハンター』っぽい設定でもあるしね。
あと、全体として、アルフレッド・ヒッチコックへのオマージュが強い映画であることはたしかだ。
スタジアムを舞台に展開するサスペンス・スリラーとしては、なんといってもブライアン・デ・パルマの『スネーク・アイズ』(98)がまず想起されるが、あれもヒッチコック・フォロワーによる模倣作で、源流をたどっていくとヒッチコックの『知りすぎていた男』(56)におけるロイヤル・アルバート・ホールでの攻防に行きつく。
あの映画では、息子を見つけるために母親が「ケ・セラ・セラ」を歌ったが、
この映画では、父親が自分の脱出計画のために、あえて娘を舞台で踊らせる!
(そういや、危機的状況から脱出するために、あえて舞台に立ってステージで歌い踊る超有名な映画があったような……とひとしきり頭をひねったが、なんのことはない、『サウンド・オブ・ミュージック』でした(笑)。)
それに、終盤の展開とか、あえて詳細はいわないけど『断崖』(41)とやってることはあまり変わらなかったり。
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総じて面白い映画だったし、作り手もB級エンタメを志向して気楽に作っている作品だし、細かいリアリティの欠如とか、警備やスタッフのお粗末さ加減をいちいち指摘しても感じが悪いだけなので、細部の揚げ足を取るのはやめておく。
ただ、自分の娘をドリーム・ガールに選ばせる展開だけは、ちょっとさすがにどうかと思ったなあ。あそこだけ、リアリティ・レヴェルが低すぎる。
3万人もスタジアムにいて、そのうち1万人はティーンがいて、スタッフだって何百人と稼働している状況下で、偶然近くにドリーム・ガールを指名する役の重役スタッフ(演ずるは出たがりシャマラン監督!)が通りかかって、その人物にブッチャーが接触して、娘の白血病(これも大嘘だろう)の話を相手に伝えた結果として、娘がドリーム・ガールに抜擢される確率って、いったいどれくらいあるんだろうか??
ここだけは、「なんかうまくいった」レヴェルの僥倖ではとてもなさすぎて、ちょっと引いちゃいました。
あと、父娘とステージの関連でいえば、この大規模捜査って、ブッチャーの隠れ家からチケットのレシートの残骸が見つかったことから始まってるんだよね。このチケットを買うときに、ブッチャーは間違いなく、「連番で2枚」チケットを買ってるはずなんだが、そこが捜査陣のあいだでちっとも強調されないのは、かなり違和感があった。それだけでだいぶ捜査対象が絞り込めるはずだと思うんだけど。切れ端だったからわからなかったってこと?
そもそも、「日時」と「場所」は特定できてるのに、「席」も「購入日時」も「金額(=枚数)」もわからない状態でレシートが見つかるのって、どういう状態なんだろう? チケットって偽名では買えないわけで、ちょっとの情報があれば買い手までたどれるはずなんだが。それなのに「日時」しかわからないって、かなり作為的というか、捜査側からするとむしろ「怪しい」証拠にも思えるよね……(笑)。
だいたい、このチケットのレシートが警察の手に渡る経緯が最後に明らかになるんだけど、この通報者って、他にいくらでも密告する手段があるわけ。
なんで、わざわざ3万人の観客を巻き込んで、警察も大量動員しないと検挙できないような「猛烈に回りに迷惑のかかる」さし方をとったのか、個人的にはよくわからない。
だって、これって、自分の●●まで、巻き込まれることが「最初から」わかってるんですよ? そんなこと、人の●としてふつうするかな?
俺はしないと思うなあ。
結局、監督が「スタジアムに閉じ込められる殺人鬼」って設定を作りたいからこうなってるんだけど、うまく「逆算」ができていない脚本ってことなんじゃないかと。
同じ理由で、最終盤でブッチャーが取ろうとするある行動も、個人的には大いに納得がいかない。
だってそんなことしたら、100%最愛の娘がめっちゃ悲しむじゃん。
そこまで娘が好きだっていうのなら、俺はそれだけは絶対やらないと思うけどね。
あとは、中盤以降の警察が本当に間抜けすぎるとか、そんなにふたりとも簡単に●●外せちゃっていいのかとか、運転手を放っておいたら指示とかなくても通報されるだろとか、総じて「出てから」の後半戦は、後ろに行くほどグダグダな感じになってる気がする。いつまで経っても蛇足みたいな付け加えが終わらないあたり、なんかアルジェントの中期作でも観てるみたい(笑)。
って、揚げ足を取らないって最初に言ったのに、嘘つきで文句が多くてすみません。
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文句ついでに、あと一つだけ。
ジョシュ・ハートネットの百面相演技自体は素晴らしかったのだが、あまりに「ブッチャー」のキャラクターが単純化されすぎてるような気がするんだよね。
表の顔は、やさしい家庭人で良きお父さん。
裏の顔は、ジグソウみたいな凶悪な殺人鬼。
はい、お父さんの顔。
はい、殺人鬼の顔。
オン、オフ。
オン、オフ。
なんか、アメコミ映画の変身前/変身後なみに、薄っぺらい。
二つの人生を同時に生きるのって、結構ブッチャーにとっては大変だと思うんだよね。
そこを戯画的なくらいに単純化してしまっているので、殺人鬼としての深みがぜんぜん出てこない。これが、一人二役のコメディとかだったら、それで十分なんだろうけど。
せめて、善と悪のあいだのあわいの部分とか、二重生活の苦労とか、ダブルバインド状態とか、スパイス程度には利かせてあってもいいんじゃないのか?
殺人鬼の顔のまま、娘への愛をむき出しにするとか(ラスト近くでちょっとあるけど)。
お父さんの顔のまま、娘をいじめた同級生にぞっとするような仕返しするとか。
そんなシーンが欲しかったかも。
なんか、あまりにマシンみたいに善悪の両面を切り替えられると、キャラとしての人間味がどんどん希薄になって、ただでさえ全く応援できない「悪」の主人公に、どんどん寄り添えなくなっちゃうんだよね。記号的というか、ゲームキャラっぽいというか。
このへん、キャラクターの人間くさい複雑な内面に踏み込んでいくような、『動物界』の人物描写を観た直後にハシゴしたものだから、よけいにそう感じてしまったのかもしれない。
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とはいえ、先に書いたとおり、ジョシュ・ハートネットはさすがの演技で引き込まれた。
やっぱり、トップ張ってた人ってのは、何をやらせてもうまい。
マイケル・ケインとか、ニック・ノルティとか、玉木宏とか、岡田将生とか、二枚目もできるのに癖の強い悪役をやりたくてやりたくてしょうがない業の深い俳優さんっているけど、彼もそんな感じで、いい演技でした。
娘さん役のアリエル・ドノヒュー(ちょっとテイタム・オニール系の顔立ち)も上手。最近の子役は、『アビゲイル』にしても、『コット、はじまりの夏』にしても、みんな本当に上手な子が多い気がする。素人くささが全然ないっていうか、こなれてるっていうか。
あとは、ウザ絡みしてくるいじめっ子の母親役の人が助演賞っすかね(笑)。
いやあ、怖いわあ、あんなん。
あれに後ろから背中ツンツンされて、「今なんておっしゃいました??」とか言われたら、俺とかマジでちびっちゃいそう……。ドリームガールのくだりの観客席で見せる母子の小芝居は、本作のなかで一番面白いシーンだったかもしれない。
ちなみにレディー・レイヴンのスマホを使った一連の行動って、熊切和嘉監督、中島裕翔主演の『#マンホール』(23)とおんなじネタだったな。今後もあのネタはいろいろと重宝だからあちこちではやりそう。
ライリーの天国と地獄の1日
こういうので良いんだよシャマラン
シャマラン作品はくじ引きのようなのです。当たりなのかハズレなのかどうしても劇場に足を運んで確かめたくなる、そうなったらもうシャマラン映画の虜なのです。奇想天外な方向に進みすぎて明らかに失敗していた前作と比べると今回は見事に大当たり!良い意味でくだらないのがシャマラン映画の良さだと思っていますが、ヴィジットを見た時のようなワクワクがあり大満足です。特に前半部のコンサート会場での場面は中々斬新でとても面白く鑑賞しました。歌姫がまさかの娘さんだとはびっくりしました、家族で作り上げた作品、素晴らしい。クーパーは新たなるシャマランユニバースのキャラクターとして今後も活躍してもらいたいものです。ところでジョシュハートネットを久しぶりに見ました、最後の最後までどこかで見たことがあるけど誰だったかなあと胸がつっかえてしまいました、歳をとってクリスヘムワーズそっくりになってしまいましたね...
シャマラン版劇場型スリラー開幕
3万人の観客を収容し無数の監視カメラが設置された有名アーティストのライブ会場を舞台にある親子がライブ会場へ訪れるなか指名手配中の切り裂き魔を巡る様子を描きだす。シャマラン版劇場型スリラー。シリアルキラーを大勢が密集する会場で捕まえろ!シャマラン特有の大胆不敵な大仕掛けによるお家芸が炸裂。前回「ノック 終末の訪問者」(‘23)からある意味での新規軸で現代にピントをあわせた方向転換。シャマランの実女サレカ・シャマランが歌姫役で出演していて包括的に本作品のテーマが”家族”なのもうなずける。ステージパフォーマンスだけでも一級品の価値はある。オチが終着点というより仕掛けの攻防の積み重ねによるカタルシスがありそのへんのピントを合わせる術はシャマラン監督のお手のもの。シリアルキラーとFBIによる回避と仕掛けによる騒動を楽しめる作品に仕上がっている。
深く考えなければ楽しく見られる
久々シャマラン監督。やはり娘シャマラン監督のウォツチャーズの時よりわかりやすく見られる。
殺人鬼目線で脱出できるかな?と思いながら見るのは結構新鮮。飽きずに見れました。ジョシュハートネットの良い父と狂気の共存演技良かった!
四六時中ん?なぜ今捕まらない?とかなぜ今気づかない?とかなぜそれ言った?とかなぜ一人にする?とかツッコミどころは満載、しかしそれを全て指摘して酷評してる記事を読んだら気が済んだ。笑 一番気になったのはコンサートの間中、歌を聞かずに外を歩いてる人があまりに多いこと、何しにきたんじゃーと推し活的には一番無理を感じる。
こういうのって制作現場では誰かは指摘するけど、んー無理あるかなあ、まあいっか!って進めていくんだろうか。。
でもまあなるほど、次はその手か、おおそうくるか、と特に後半テンポよく楽しめました。しかし最後。。いや、続かなくていいよ?
歌姫演じた娘シャマランさん2は顔ちっちゃくて可愛かったです。安室ちゃん風味を感じた。
あぁ、怖かった〜
今映画館を後にして、まだドキドキしています。
ダラダラ血が出るわけでもなく、銃や殴ったり蹴ったりがあるわけでもないのに…
始めからずっと、サイコパス切り刻み殺人鬼を明かして、彼の行動を追っていく展開。可愛いライリーの、優しいパパクーパー。若い女の子達のスーパーアイドル、レイブンのLIVEに娘を連れて行ってあげる。情報を摑んだ警察と、“ブッチャー”なる彼のアリーナ脱出劇の攻防。だがそれで終わらない。Butcherはsmart and strong!! いつその殺人包丁が振り下ろされるのかと、ハラハラしっぱなし。
監督シャラマンの娘さんRaven、アバターみたいなお顔でしたが、彼女の楽曲良かったね。
ジョシュ·ハートネットのクーパーは当たり役!
ナイト·シャラマン、お見事です!
こえぇよ
思いもかけず時間があいたもののシビルウォーや八犬伝などのお目当ての映画の時間があわず、この映画なら見られそういうことで入った映画。
思った以上に面白かったです。最初にこれを見に行こうとしてもよかったくらい。
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サイコパスな犯罪者がやらかすという話なのですが、「スマートなシリアルキラー」とするには穴がありすぎ。
フレンドリーな笑顔で人をたらしていく姿と、小器用にワルいことをしていく姿と、サイコパスな一面をすべて描写したいのはわかるのですが、
フレンドリーさを前面に出すには行動に穴がありすぎて、あんな姿をいつでも出しているのであれば娘も家族も友人たちもさっさと離れていくでしょう。
ナチュラルにワルい事をしていく姿を描写するには、シンガーにあんなにあっさり出し抜かれてしまっていて有能感が見えません。
「結局、こいつは有能なの?無能なの?どっちなの?」が最後まで見えませんでした。
また舞台もあそこだけでは終わらないのね。予告からすると舞台はあの場所だけだと思っていましたが、そこから先がなんか無駄に蛇足になっていませんかね?
ただしサイコパスな姿だけは非常に素晴らしい演技です。
あの張り付いたような笑顔、怖い。
心が病んでしまって、自分では正当な怒りだと判断して他人に攻撃的になっている人のああいう笑顔を何度か見ました。怖いって。怖いって。
笑顔でビビったという意味では、名作「シャイニング」くらいの大成功だったと思います。
娘のプロモーションビデオ?
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