火の華のレビュー・感想・評価
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危うさと美しさ、刺激と癒しを併せ持つ“劇薬映画”
火薬の両極性に着目して物語に落とし込んだ脚本がまず秀逸。急速な燃焼によって大きなエネルギーを生む火薬は、銃や爆弾など戦争や殺傷のための武器に使われる一方、平和の祈りを込め人々を楽しませる花火にも利用されてきた。主人公の島田は、自衛官時代にPKO(国連平和維持活動)で派遣された南スーダンで銃撃戦に巻き込まれ自らも発砲する。退官して数年後、新潟の花火工場で花火職人の見習いとして働きはじめる。
PKOの派遣先で起きた戦闘とその後の防衛省・自衛隊の対応を描くパートは、2016年に報じられた「自衛隊日報問題」に着想を得たフィクションだ。日本現代史の重大な出来事のうち政府や大企業が関わる問題や不祥事を題材に、批判的視点を込めて描く社会派の力作が邦画には少ないと長らく嘆いてきたが、今年は「宝島」そしてこの「火の華」と、重要な意欲作が2本も公開されたことは喜ばしい。
長編2作目にして、国と自衛隊のあり方や対応について問題提起する意図も込めた強烈な映画を撮り劇場公開までこぎつけた小島央大監督の手腕に感服する。企画・脚本にも参加した主演・山本一賢の長躯が醸す存在感と、迷い、苦悩、意志を的確に伝える目と表情の演技が素晴らしい。これからも社会派の力作を世に出してくれることを大いに期待する。
リアリティあります?ツッコミどころ満載でテーマも良く分かりませんでした。
南スーダン日報隠蔽問題をヒント?にした映画ということで、どんな風に描かれるんだろう?とちょっと期待して見てみましたが、映像はキレイで、ストーリーはそれなりに面白いところもあったと思うものの、話とキャラクターを詰め込み過ぎなのか、「この人誰?どういう立ち位置の人?」と1回見ただけでは各キャラクターの関係性が理解出来なかったところがある。(おそらく回数の問題ではないかもしれないが)
主人公の南ス派遣施設隊長の神崎1佐の奥さんと中国マフィア(傭兵?)?の関係、主人公の上官である伊藤隊長(そもそも隊長って何だ?小隊長のことを言いたいのか?細かいことを言えば派遣施設隊で「隊長」と呼ばれる役職の人はトップである派遣施設隊長ー映画の中では神崎1佐ーしかいない。中にはあだ名的感覚で自分とこの親分をそう呼ぶ人はいるかもしれないが)と同じく中国マフィアの関係(取引相手かと思いきや、最後敵対するのは所詮、金で動くから?)、主人公島田が所属している小銃を作っている裏組織等々・・・。
また、タイトルにも書きましたが、一見、リアリティあるようで、全然リアルじゃない。(この際、装備品、服装の誤りや階級呼称、防衛記念章の誤り等の細かいところは置くとしても)そもそも冒頭の戦闘に巻き込まれるシーンが「何これ?」でした。施設器材が単独で故障?している状況もありえないし、それを迎えに行くのが高機動車1両というのもあり得ない。その後のヌエル族を保護しようとしてディンカ族民兵?と戦闘になるのも、当時のジュバ周辺の状況からちょっと考えにくい(まあ、確かに政府軍のSPLAは国連を嫌ってはいたが)。とはいえ、それを言うと話が膨らまないのでそこは譲るとしても、その後、派遣施設隊長程度の力で交通事故死で隠蔽するというのが100%出来っこない。遺体がある古川隊員は目をつぶるとしても、行方不明となった伊藤隊長のことも交通事故死で公表、って遺族からすれば遺体は?ってなると思うが・・・。伊藤隊長は更にその後、自力でスーダンまで脱出して現地日本人の助けを借りて帰国するというスーパーマンぶり。監督は政府軍と反政府軍の支配地域が南スーダンでどうなっているのかちゃんと分かっているんだろうか?更にスーダンと南スーダン国境がどういう感じなのかも・・・。
他にも帰国後、神崎1佐が将補に昇任しているのはいいとして、何故か将補のポストがない新発田駐屯地に所属?しているかのようだし、おまけに駐屯地夏祭りの招待客?として事件に巻き込まれる米海兵隊?少将が何者なのかも分からない。統幕から直接、神崎将補に命令、指示がくるのも「?」だし、ストーリー的に必要なのは分かるが、(観客は詳しくないだろうと思っているのか)あり得ない、若しくは想像の設定、描写が多すぎて正直、失笑するしかなかった。
まあ、「現実的でない」部分は映画上の表現として目をつぶるとしても、監督はどの程度、南スーダンや自衛隊のことを考証したのか疑問なところはある。パンフレットには元派遣隊員(確か3佐だったと思うが)のコメントがあったようだったが、その方はこの映画を見て不思議に感じなかったのだろうか?個人的には「自衛隊をバカにしているのかな?」と思わないでもなかったが・・・。
それとも日本政府と自衛隊を悪者として描きたい、ということも含まれていたのかな?
因みにこの映画が描くまでもなく、これまでの過酷或いは特殊な勤務経験でPTSDを発症している自衛隊員がいる、いたのは事実なようだ。古くは(その概念も無かった)日航機墜落事故での災害派遣現場、阪神淡路大震災、東日本大震災での災害派遣等々、これまでの海外派遣中でもイラク派遣においては緊張を強いられる場面があったとも聞く。そういった経緯を経て、自衛隊もPTSD対処の施策を取り入れていることは付記しておきたいと思う。
伊武雅刀
非戦闘地域でも戦場だからね。
花火玉をつくるシーンはドキュメンタリタッチでよかった。 他は全部ゴ...
花火玉をつくるシーンはドキュメンタリタッチでよかった。
他は全部ゴミ。ってかマジメに撮る気ねえだろ。ヒトフタマルマル言わせれば軍人になるわけじゃねえぞ。
鉄砲にも軍事にも政治にも新潟にもスーダンにも興味をもってないのが丸わかりで、画面が平板。フェチがねえ。
鉄砲のパーツにエロさを感じてますか?軍人のプロフェッショナリズムを信じてますか?新潟にどういう生活感を感じてますか?スーダンの文化と食い物を知ろうとしてますか?
なんもない。なんっもない。なんっっっもない。
でも花火玉に火薬を詰めるシーンはちゃんとよかった。フェチがあった。他のシーンもそういう感じで撮ってよ。景色が激退屈やもん。監督が作為的につくろうとしたシーンは全部わざとらしすぎて観れたもんじゃない。「言葉でいえば済むこと」以上の情報を画に持たそうとしてない。カキワリになってる。
「PTSD持ちの軍人が都合よくフラッシュバック」この導入でもうナメてる。便利な物語装置だからいいけどよ、それ使ったらギャグになることは分かっとけ。百番煎じの舞台装置つかって偉そうに深刻ぶってるから破綻する。できもしねえ軍事ドラマきどってクソみたいな社会派でお茶濁さずに、マジメにエンタメおやりなさい。
公開時期は
戦争と花火をつなげる映画を作られたことに敬意と感謝
ユーロスペース公開3週目、ほぼ満席のトークショー付き上映会に行きました。
まずは、戦争と花火をつなげる映画を作られたことに敬意と感謝を。
個人的な思い入れがあったからだ。
終戦間際の1945年8月1日。ありったけの残ってる焼夷弾を降らし、地方都市の被害では最大規模となった富山大空襲。
戦後、慰霊のための花火大会が同じ8月1日に始まった時は、花火の音が空襲の音と被って嫌いだという方も多かったようです。大きな花火が楽しみなこの日は、空襲で亡くなった祖父の命日でもありました。
2016年の「自衛隊日報問題」からヒントを得たフィクション。スーダンで戦闘に巻き込まれた自衛隊員が、帰国後PTSDになる。就職先の花火屋で人間らしさを取り戻す、再生の話でした。
自衛隊絡みのエピソードで意識的なミスリードがあり細かいツッコミどころはなくはないですが、いいんじゃないでしょうか。何を描いているかは、しっかり伝わりました。
エンディングソング否定派なんですが、大貫妙子さんの歌に癒やしがこめられ、とてもよかったですよ。
火は人を救う
主演の山本一賢さんと田中一平さんの舞台挨拶があり
本編を鑑賞しましたが素晴らしい作品でした。
予告からしてPTSDを発症した元自衛官が、花火職人になり再生して行くヒューマンドラマかな?と思っていました。
確かにその通りなのですが、それ以上に平和の在り方について考えさせられる内容だった事に驚きました。
この作品は自衛隊日報問題をベースとしています。
他国にてPKO活動に従事していた自衛隊。
本来は非武装地帯でのみインフラ整備などに尽力するはずだった。
だが反政府勢力と戦闘になり発砲をする。
しかし政府は、“戦闘”の事実を隠したい。
ましてや戦闘による自衛隊員の死などあってはならない。
国とは何なのかと考えてながら鑑賞しました。
ここから伝えたい部分を紹介させて頂きます。
【島田の孤独】
山本一賢さんの演技が素晴らしい。
PTSDを患った島田の私生活がとにかく画になる。
ゴミが散らかる自室で呆然とする姿、
鉄工所で黙々と仕事をする姿、
花火を作る時の姿...
些細な仕草に孤独さを感じ取れる所作に感服。
【全編に漂う不穏な空気】
島田の心象風景をそのまま映し出したような空気を全編通して感じていました。
平和な国である日本。
私達は戦争を御伽話の類として生活を送ってます。
あの花火職人の人達のように戦争の影なんて感じずに生きている。
なのにこの映画は影が常に付き纏う感覚がある。
【私生活に噓偽りを感じない】
花火職人達との会話や触れ合いに露骨な演出を感じなかった。
唐突な友情や恋愛など一切なく、淡々と交流をしていた。
こういうささやかな生活が日々を形作っていると再認識しました。
【新潟県のロケーション】
新潟県民として知っている場所が映し出されるとテンションが上がりました。
同時に新発田市にもこんな場所があったのかと新たな発見もありました。
私は上越市出身ですが、上越市でも撮影されたと知りとても嬉しく思います。
【火の在り方】
火は人の命を奪う。
同時に火は人の心を救う。
私達が普段、美しいと感じる花火も島田にとっては悪夢。
しかし過去と決別する事が出来た。
最後は花火を南スーダンの子供たちの為に打ち上げる姿に涙しました。
最後に舞台挨拶で山本一賢さんが語った「この映画は右や左とかではない。ただ自分は日本が好きだ」と云うシンプルな一言に全てが集約されていると感じました(一語一句、合ってはいないかもですが)。
平和とは何か。
自衛隊の在り方。
火は使う人によって形が変わる。
この映画は今を生きる全ての人に観て貰いたい。
重く暗いが学びになった
「トラウマと再生」
渋谷ユーロスペースに小島監督、俳優の山本一賢、ダンカンさんの舞台挨拶とトークショーの上映回に見に行きました。
トークショーでは花火作りの大変さを話していました。
この映画は「自衛隊日報問題」を下敷きにして、イメージを膨らませた小島監督と山本一賢が企画、脚本した作品です。
テーマ性は重いですが、「人間が突然ショック」を受けたときに
「トラウマ」が発生するのかと恐怖に陥りました。
以下、私の映画評を読んでください。
【映画評】
人間がなんの準備もせず覚悟も持たず突然戦闘に巻き込まれ、人を殺し友人を殺されたらどのような心持になるのか。それをこの映画は元自衛隊員島田のトラウマとして見事に描出している。
映画は2016年、南スーダンPKO自衛隊日報問題を下敷きにしている。自衛隊員が海外で活動できるのは非戦闘地域に限定されているが、日報の中に「戦闘」という文言が使用されていて南スーダンが非戦闘地域ではなかったという問題提起がなされ文書が残っていたからだ。
島田はいつもトラウマから戦闘の悪夢を見る。仕事中でも戦闘のトラウマが彼を襲い問題をおこし花火会社へ職を変える。慣れない職人仕事をしながらも徐々に慣れていく。しかし花火打ち上げ当日、花火の音と閃光に戦闘のトラウマが重なり島田は野原をやみくもに逃げ走る姿は戦闘の恐怖を伝える秀逸なシーンであった。
南スーダンでおきた戦闘は上層部から「なかったことにする」と言われ戦士した友人は交通事故死にされ問題は隠蔽された。それに意を反する元隊員や元隊長がテロを計画し島田を誘うが彼は同調しなかった。島田には事件を上層部から「なかったこと」にされた悔しさや憤りではなく、自分の手で人を殺し友人が目の前で殺されたという事実こそが島田が人間として生きられないトラウマの発生源なのだ。
このテロ計画と実行をフィクションとして映画に取り入れた作り手の意図の賛否は言いたくない。非戦闘地域にいた元隊員や隊長にしてみれば、戦闘が起き、人を殺し、同僚が殺されたことを「なかったこと」にはできない、強い気持ちが働くことも考えられるからだ。
しかし作り手の主題はテロの良し悪しではなく、島田が花火職人として復帰したこと、つまり人間として「再生」できたことを主題にしている。なぜ「再生」できたのか。それは過去の目の前でおきた事実を知る者が誰一人いなくなったからだ。
人間がトラウマにとらわれるのは、事実を知っている他者がいるからだ。トラウマを惹起した人間が捕らえられたり、死刑になっても、世間が知っているからトラウマは一生消えない。しかし島田の場合は目の前でおきた事実を自分だけで抱えるのであればずっと軽くなる。もはや誰も目の前でおきた事実を知らいないからだ。
島田は数年後南スーダンで死んだ友の弔いとして花火を打ち上げる。打ち上げた花火が夜空に輝く華のようであった。この「火の華」とともに島田は人間として「再生」したのだ。
もっと盛り上がってもいい日本映画界の突然変異
前作『JOINT』も不思議な映画だったけど今回も不思議な小島監督。不思議というのはどこの何にも属さない突然変異の映画な感じの映画。そう見えるのは製作体制が自主映画のように思えるからか。まじりっけのない作りたいものを作れてるというか。
前作に比べると「芸能人」が映ってはいるが狙ってはいない。配分が不思議。そんなでいいの?みたいな。変な常識に縛られてないからこそできる面白さなのかもしれない。ある意味行政なしの真っ当さ。
しかしこんなネタを思いついても普通の人ならこんな規模でやらないのでは。というくらいの、偶然「パトレイバー2」を観たあとなので余計そうだけど、自衛隊の海外派遣の現場で直面する矛盾から始まって日本においてクーデター未遂を普通この規模ではやらないだろうし、日本海の花火師という設定がまた作品テーマとえらく結びついていて素晴らしいのだけど、この独創性を映画に落とし込んで興行に向かうというのはかなり大変なのにスルっとやっている。
思えば日本のこの辺の銃器類の描写はなんかはメジャーより「ベイビーわるきゅーれ」とか本作の方がうまい気がする。監督の演出と俳優のマッチングが。あと音も良かった。
そして昨日見た「旅と日々」とは全く違う決して美しくはない日本の辺鄙な田舎(自衛隊基地のある)の殺風景というか闇っぽさというかその辺が意識的か無意識かわからないけど物悲しく見え、更にそれを上回る花火という非現実な「華」のカタルシスが画面を覆う終盤は凄いな、と。
そして小島監督は音楽までやってるのか。
本当に得体の知れない人だ。
というか、初期の石井聰亙監督とかを思い出したのか。山本一賢の山田辰夫感。そのコンビ感。
ただこれだけのものを作れるならもっと宣伝というか、ムーブメントをしっかり起こせたらいいのに、と思った
元自衛隊PTSD患者が花火職人と言う
アラはあるが志は買い
非戦闘員地域に部隊派遣して戦闘は無かった。事故死だったとする国家の欺瞞。
それに従いぜざる得なかった隊員の憤り。
低予算ながらも海外シーンや終盤のアクションシーンは気概をもって撮っている(壁や石垣の着弾は破片などやって欲しかった)。
圧巻の花火のシーンや、素朴な新潟というか長岡の街並みを撮ったシーンは美しい。
なによりも最高なのは主人公が最後に、無事に普段の生活に戻れ、因縁の地で花火を打ち上げ救いを見出す示唆があるラストシーン。
だがいろいろ説明不足。
中国人マフィア(?)の目的はなに?
中盤からでるあの女性キャラは何がしたかった?
なぜ最後にマフィアとテロリストの戦い?
最後に30年前の映画「ザ・ロック」で「非正規の戦いで戦死した部下の名誉と補償のため」というテロリストの動機と、指揮官が相討ちで果てるさまはデジャヴが。
志の高さとエンタメとして客を楽しめつつ考えて欲しいという心意気はしっかりと感じた。
待った甲斐があった
公開1ヶ月前に突然の上映中止。すごく楽しみにしていただけにショックもデカかったけど、やっと観ることができてよかった。
自衛隊日報問題から着想を得た事をすっかり忘れていたので、想像していたよりも、ずっと物々しい映画だった。
ショッキングなシーンで幕を開け、自衛隊や防衛省のルールに理不尽さを感じつつ、かなり引き込まれた。
なんといってもクライマックスは、島田が花火でPTSDを発症してパニックになるシーンだろう。
夜空に上がる大輪の花火を綺麗だと感じるものが、島田にとってはトラウマ。
劇中では数分だけど、南スーダンで相当なものを見たのだろう。
バラバラという音と共に、降り注ぐ焼夷弾のようにも見える火の粉。
島田の動揺と連動するように激しく揺れる画面。
もしかしたら口があんぐり空いてたかもしれないほど、素晴らしいシーンだった。
島田役の山本一賢さんは、南スーダンにいた時と藤井煙火に来た時、自分の花火を上げた後で、同じ人が演じていたのか疑わしいほど、全く顔が違う。
演技で、あんなに死んだような廃人顔って出来るもんなんだなぁと感心。
うーん、惜しい・・・【11/11加筆修正】
南スーダンの「戦闘地域」での「交戦」による死傷、および防衛省によるその日報の改竄・隠蔽という、実際にあった事件をモチーフにしたアイデアは非常に良かった。
あれで当時の稲田防衛大臣は辞任に追い込まれたのだ。
実戦の恐怖と仲間の死に直面しながら帰国した生存者には箝口令が敷かれ、亡くなった隊員は「現地での交通事故死」と扱われた。
その遺族や生存者にも充分な補償やケアを与えられなかったというのは事実かどうか確認していないが、劇中ではそのように描かれた。
その仕打ちに対する復讐としての元・自衛隊員たちのテロ、という設定も、今までの邦画では見られない刺激的な設定だ。
割と面白そうな設定なのに大手配給ルートで流れない理由がここにある。
テーマがセンシティブ過ぎるのだ。
もしこの映画が話題を呼んで上映館が拡大したとしても、ミニシアター系ネットワークの域を出られないだろう。
映像として、現代戦で自衛隊が戦闘に直面し、人間に向かって実弾を発砲することを生々しく見せられることは、けっこう突きつけられる。
まさに「今、そこにある危機」の映像化だからだ。
「自衛」であろうが何だろうが、ひとたび戦闘の口火が切られれば、綺麗事ではなく要するに殺し合いに過ぎない。
PKO、平和維持という言い換えでオブラートに包まれてしまうが、その現実を直視しなければならない。それが
「もし相手が少年兵だったら、先に引き金を引けるか?」
という象徴的な台詞に表れている。
だから、そこは『バッド・ランド』や来年1月に公開予定の『ウォーフェア』のように、もっともっとリアルでも良い。いや、リアルで「あるべき」だろう。
テロ首謀者の元隊長が終盤、山中の廃墟アジトから映像配信で「平和ボケした国民よ、目を覚ませ」などと紋切り型の檄を発している場合ではない。
むしろ南スーダンでも、日本の山中でも、徹底的に「自衛隊」が発砲しまくっている映像を作るべきだった。サバゲーの実況ではないのだ。
そのおぞましい現実(のように見える映像)に鑑賞者が直面することから、「平和とその維持」についての悩ましくも真摯な議論がスタートする。
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主演の山本一賢ほか、役者さんたちは好演。
ただ、南スーダンから帰国後の展開や設定については、他のレビュアーさんが指摘している通りフィクション構築の甘さが散見される。
特に私は中国人マフィア?と女性政治家の関係がよくわからなかったし、島田(演:山本)に銃を組み立てさせる裏社会半グレ?の位置づけもよくわからない。
これを荒唐無稽と捉えるか、エンタメの範囲の飛躍と捉えるかは、観る人それぞれの感じ方によるだろう。それも限度があるけれど。
だから「うーん、惜しい・・・」のです。
いつ暴発してもおかしくない
監督のマスターべションとはこの映画の事だ
シナリオが支離滅裂で感情移入って言葉知っているのか?
まずPTSDを患っている主人公が花火職人になるわけが無いだろう。花火で銃撃戦を思い出すだろうし、新潟は花火大会級の花火をロケット花火みたいに簡単に打ち上げられるのか?いつ病気治ったのか?
犯罪に手を染めて銃を組み立てているが、子どもを殺したPTSDは発症しないのか?
もはや行き当たりばったりの話でつまらない。
いくら国が隠蔽したとしても、死んだ家族や元隊員たちに多額の補償金が出るが、その事を知らずに脚本を書いているのか?
謎の中国人がラストに戦闘に参加する意味は?隊長と知り合いだったはず。
隊長が主人公に仲間になれにと話をしたがどうなったのか?主人公は丸無視だと葛藤もなく面白みもない。しかし、ラストは子どもを助けに行くとか、早く映画が終わらないかと願っていた。
そしてラストの意味のわからない花火。
全くもってマスターベーション映画。
これを面白いと囃し立てる人々が信じられない。
このテーマをお遊びの銃撃戦好きが撮っていいはずがない。覚悟が無いのなら監督すべきではない。
日本軍事の有様、個人、国家をあらためて考えさせる渾身の火花
国連平和維持活動に参加した自衛隊の隊員は現地の正常化とそこに
住む人々の幸せを願って誇りをもって活動をしていたが突然戦闘となり、
国家の事情に巻き込まれ解任、身も心も奈落の底に突き落とされ
社会の隅で苦悩を抱え静かに生きます。その事前事後の豹変ぶりを演出、
演技が見事に表現してくれました。
主人公の俳優はおそらく私は初めて見るのですが、暗い過去を背負わせたら
右に出ることのない高倉健をほうふつとさせる横顔と演技でした。味があります。
ノンフィクション的な演出でリアリティも抜群でした。本当にあったことなのか、
フィクションなのか懐疑的にスクリーンを見ていました。
戦闘でPTSDを負うとどうなるのかアメリカ映画にはよく出てきますが
戦闘体験が人間をどうするのかまざまざと見せつけられます。
日本が戦争になったらこういう人が何人も出るんです。
その人を大切に想う周りの人もいるんです。
戦争はしてほしくないなと思いました。
戦後80年のタイミングで上映してとてもよかったと思います。
国家は都合の悪いことは隠蔽します。それはガバナンスに必要なことではあります。
その時に個人の人権などはどうでもよくなります。その時のために、
その予防のために、今何ができるのか考える必要があるのかと考えさせられます。
戦闘の時、跳弾して火花が散ります。線香花火や打ち上げ花火も火花です。
一方はあと一歩で人を死に追いやる火花、一方は生きていて感動を与える火花、
その火花の対比が思いをさらに深くさせました。きっと夏に線香花火した時に
人生そのものを表すもののように思ってしまうでしょう。
ラストにウガンダで上げる火花は希望を思わせてくれて救いがありました。
いい映画です。
全33件中、1~20件目を表示













