火の華のレビュー・感想・評価
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危うさと美しさ、刺激と癒しを併せ持つ“劇薬映画”
火薬の両極性に着目して物語に落とし込んだ脚本がまず秀逸。急速な燃焼によって大きなエネルギーを生む火薬は、銃や爆弾など戦争や殺傷のための武器に使われる一方、平和の祈りを込め人々を楽しませる花火にも利用されてきた。主人公の島田は、自衛官時代にPKO(国連平和維持活動)で派遣された南スーダンで銃撃戦に巻き込まれ自らも発砲する。退官して数年後、新潟の花火工場で花火職人の見習いとして働きはじめる。
PKOの派遣先で起きた戦闘とその後の防衛省・自衛隊の対応を描くパートは、2016年に報じられた「自衛隊日報問題」に着想を得たフィクションだ。日本現代史の重大な出来事のうち政府や大企業が関わる問題や不祥事を題材に、批判的視点を込めて描く社会派の力作が邦画には少ないと長らく嘆いてきたが、今年は「宝島」そしてこの「火の華」と、重要な意欲作が2本も公開されたことは喜ばしい。
長編2作目にして、国と自衛隊のあり方や対応について問題提起する意図も込めた強烈な映画を撮り劇場公開までこぎつけた小島央大監督の手腕に感服する。企画・脚本にも参加した主演・山本一賢の長躯が醸す存在感と、迷い、苦悩、意志を的確に伝える目と表情の演技が素晴らしい。これからも社会派の力作を世に出してくれることを大いに期待する。
自動小銃などが出てくるアクションシーンは迫力があり、日本映画らしくない出来。映像も美しく、切り取り方も良かった。
2016年の南スーダンの自衛隊日誌問題を題材に、そこから着想を得たオリジナルのストーリー。
映画では、現地のゲリラとの衝突があり、そこで自衛隊員が死亡した。そのことを政府が隠蔽したという話になっている。
2年後、自衛隊を辞めた主人公は、新潟で花火職人に。それと闇ビジネスで89式5.56mm自動小銃を密造している話が絡み…という話。
見る前は、多分新潟の花火工場で主人公は、ゲリラとの戦闘で負った心的外傷を癒してゆき、それに長岡花火のシーンが重なりクライマックスになる、と想像していた。
が、違っていた。全く変な方向に話が進む。事件当時の隊長が死亡したと思ったら、密かに帰国していて、政府を恐喝し、隠蔽した事件の公表を求めたり、そこに中国の影の暗殺集団(?)が絡んだり、アニメの「攻殻機動隊」みたいな話になってゆく。なんと元隊長の小隊と中国暗殺集団が、新潟の奥地(?)で戦闘シーンが展開されるという!
リアリティのある展開なら、納得はするが、アニメならともかく、実写では嘘くさく感じてしまう。
それに監督が脚本も書いていて、映像は、映像詩的なものを狙ったのかと思うが、無駄に思えるカットが後半けっこう続く。
ヒロイン役が唐突に主人公に惚れてしまうのも変だし。
良かったのは撮影。映像は美しい。映像の切り取り方も良かった。
あと、タイで撮影されたらしく、自動小銃などが出てくるアクションシーンは迫力があり、日本映画らしくない出来。
アクションのキレもいい。
(ただタイで撮影されたようで、遺跡があるようなところでの銃撃戦は、もう日本ではない風景だった)
歌が坂本龍一作曲、大貫妙子歌で良かったけど。
何が狙いだったのか、ちょっと独りよがりの映画になってしまった。
この作品の評がかなり難しい・・
友人の勧めで見るに至った作品なのだが、特徴は前編のかなりの部分を新潟で撮影していると言う。どう言う経緯で新潟での撮影に至ったのか分からないが自衛隊関連以外は殆ど不明の景色であった。ドキュメンタリー調の映像は終始緊張感があふれ、出演している役者さんたちではダンカンさんと伊武雅刀さんくらいしか分からず、自分の無知のせいかもだが他の役者さんに関してはほぼ初見。とは言えいずれの役者さんたちも凄くしっかりした演技で、完全なプロには違いが無く物語は凄く緊張感が付いて回った。ただ何と言うかPKO、自衛隊、花火師、そして新潟と言う舞台設定がどうもひとつの物語上に並んでこなくて・・・なんだろうこの違和感。実力のある見事な作品である事は揺るぎがないのだが・・・
想像を絶する苦しみの話だった
・突然の銃撃戦と仲間の死を国のために働いている身で国から事実を隠蔽しろといわれる事が自分の日常で抱える苦しみから想像を絶した。東介は日本に戻ってから銃を作っていてその車のナンバーが長岡だったのが近くでこんなことがあったら…という感覚になって怖くなった。その後、観たことがあるロケが映るたびにあっあそこで撮ったんだ、あそこの先ってああなってるよなぁって色々と集中力を欠いてしまい、映画は知らないところの方が自分にはいいかもしれないと思った。
・金槌を持った同僚を無意識に抑えたり、長岡花火をPTSDの症状の引き金になっているシーンがあった。一般的に美しいものだったり、何でもないと自分が思っているものも人によってはとても苦しいのだと思った。
・洋画のようなテーマと銃撃戦で邦画とは思えない緊迫感があって凄かった。
・朝鮮系の人たちが防衛相?の人間と内通しているようだった。話も政治的で所々、どういう事なんだろうと混乱してしまった。
「弾を込める」か、「想いを込める」か。火薬の二面性と再生の物語
この映画の白眉は、主人公・島田が行う「込める」という動作の対比にある。
島田は戦場で、銃のマガジンに弾を込めた。それは他者の命を奪うための行為であり、結果として親友を失い、少年兵を手に掛けるという消えない傷を残した。
一方で、帰国後の彼は花火工場で、花火の玉の中に火薬玉を込める。こちらは夜空を彩り、人を楽しませ、平和への祈りを捧げるための行為だ。
同じ「火薬」を扱い、同じ「込める」という動作でありながら、その目的は「死」と「生(祈り)」という対極にある。
島田が昼間は花火師として光を作る作業に従事し、夜は闇の武器ビジネスで銃器製造に関わっている描写は、彼の中でまだ整理しきれていない「過去(戦争)」と「現在(平和)」の分裂、あるいは人間が抱える二面性そのものを表しているように感じた。
2. 内向する島田と、外向する隊長
共に地獄を見た元自衛官でありながら、島田と隊長は対照的な道を歩む。
隊長は、国による事件の隠蔽と欺瞞に怒り狂い、そのエネルギーを外側=社会への攻撃へと向けた。彼の「オッドアイ(左右で色の違う瞳)」は、片方が正常で片方が白濁しており、彼の中にある正気と狂気、あるいは理想と現実の乖離を象徴しているようだ。
対して島田は、エネルギーが常に内側へ向いている。過去に何があったかを語らず、ただぐっと堪え、その内向的な情動を「花火」という芸術へと昇華させようともがく。
決起した隊長は最期、子供を人質に取るが、決して撃たなかった(あの銃撃は空砲だったと思う)。彼の中にも「国民を守る」という自衛官としての志は、完全には死んでいなかったのだと思いたい。しかし、攻撃的な火を選んだ彼は、結局破滅するしかなかった。
3. 「火」は誰のために灯されるか
人類に文明をもたらしたプロメテウスの火は、暖を取り調理をする「生の象徴」であると同時に、全てを焼き尽くす「兵器」にもなり得る。
自衛官たちの決起の果てに残ったのは、死体が転がる虚無の光景だけだった。「何も残らない」というセリフが頭の中に重く響く。
しかし、その凄惨な現場のすぐそばにある洞窟で、島田が見せた「火」の使い方は違った。
真っ暗な闇に包まれた洞窟の中、島田はマッチに火を灯す。
その小さな灯りは、何かを焼くためではなく、奥に隠れていた子供(未来・希望)を見つけ出すための道しるべとなった。
銃口から出る火は命を散らすが、島田の手の中にある火は命を救った。この洞窟のシーンは、彼が過去の呪縛から解き放たれ、未来へと踏み出すための通過儀礼だったのかもしれない。
4. 鎮魂の空へ
花火には本来、鎮魂や供養、悪疫退散といった意味が込められているという。
PTSDに苦しみ、花火大会の現場から逃げ出した島田を、工場の仲間たちは責めることなく「おかえり」と迎え入れた。技術の継承だけでなく、そこには「人を想う心」の継承があった。
物語は、島田が新潟で元気になって終わり、ではない。
彼は再び海を渡り、かつて心を壊したアフリカの地へ向かう。そこで現地の子供たちに、武器ではなく日本の「線香花火」の作り方を教えるのだ。
打ち上げのとき、島田の背後で、銃声を思わせる破裂音が響く。
振り返った島田が見たのは、亡くなったはずの仲間たちと少年兵が、静かに背中を向けて去っていく姿だった。その後で、彼が打ち上げた花火を、子供たちが笑顔で見上げる。
彼らは島田を責めなかった。あの瞬間、島田は本当の意味で過去と決別できた瞬間だったと思う。
そして、映画のラスト付近。スクリーンいっぱいに映し出されるラストの花火。
あれはフィクションの映像ではなく、実際の「長岡花火」の映像だと思う。空襲の慰霊と、震災からの復興を願って打ち上げられる本物の祈りの火。
映画のなかで島田は、自分が作った花火を打ち上げる描写がある。その花火の名前は「夏椿」。
それは島田が背負った亡き親友や少年兵への供養であり、彼自身がこれから生きていくための「希望の光」そのものだったように思う。
「火」は使い方一つで、人を殺すことも、救うこともできる。
花火師になれなかった昭子が自分の夢を島田に託すように、法被(はっぴ)に袖を通すことが「夢」や「想い」の継承であるように、この映画もまた、観る者に「平和への想い」を託してくれる。
傷ついた魂が、鎮魂の夜空でようやく報われる。静かだが、熱い傑作だった。
歴史の非-不可逆性に目の覚める思い
「ポレポレ東中野」で『火の華』を鑑賞。たいへん見事な映画らった。
冒頭の南スーダンにおける戦闘シーンは韓国映画『高地戦』を彷彿とさせるリアルな緊張感に充ちていた。戦争トラウマにいったん沈むが、伊武雅刀演じる花火師の新潟方言(地域によって違うのだが)に新潟生まれの私は癒やされた。故郷のことばは、映画の中ではなかなか聞くことがないからな。雁木と消雪パイプの織りなす街並みに胸を締めつけられ、暮れなずむ日本海の美しさには、私は沿岸部出身ではないのだが、ちょっと涙が出た。
ところでこの作品、「南スーダンPKO日報問題」を題材としているはずだが、そちらはどうなったのか?と思いきや、私も何度も訪れたことがあり、思い出深い新発田の地に舞台が移ったそのとき、激流に飲み込まれて郷愁など感じる余裕が一切与えられない展開に。日本という国家が抱える病理を、あのような形で突きつけられるとは。
火術が日本にもたらされたのはあの種子島における鉄砲伝来のときである。江戸時代となると、太平の中で火術の用途は銃器から花火に移った。有名な長岡花火に代表されるように、花火には平和への祈りも込められている。が、銃器→花火という歴史の流れは、決して不可逆なものではない。そのことに思い至り、目の覚める思いだ。
映画的なわかりやすさに支えられた部分もあるが、それを乗り越えた強度をもつ作品。たまげました。「ポレポレ東中野」での上映は19日(金)までとか。ぜひ一見をオススメしたい映画らね。
暗い
自衛隊が海外で戦闘を行って死者が出て、しかしそれを隠ぺいしているなどという踏み込んだドラマが展開し、しかも新潟で長岡の花火会社が舞台だ。すごく新潟がかっこいい。
ただしかし主人公がとにかく暗い。他の登場人物も全員暗い。仲間が戦死して深いトラウマを背負っていたら明るくすごせないのも当然かもしれない。だけど、暗くばかりも生きられないので努めて明るくしていてもある時パニックを起こすなどの表現でもいいのではないだろうか。暗い人ばかりでつらい。
社長の娘もただの美人でつまらない。誘拐事件からの武装蜂起もオフビートでウトウトする。雇われていると言っても中国人が攻めてくるのも腑に落ちない。
抑制の効いた演出がリアリティを醸し出す
以前、母親がベトナムから帰還した息子を起こそうと身体に触れた途端、訓練の条件反射で、その母親の首を絞めていたというPTSDに悩んだ元アメリカ兵の話を読んだ事があるが、それと似たシーンが出てきた時、主人公の苦しみを理解する事が出来た。
別の作品である「爆弾」と同様、過剰な演出は無く、全編、抑制の効いた演出がリアリティを感じさせてくれる。
又、洋画、邦画問わず、最近主流の説明台詞や伏線回収といった分かりやすい構成を取らず、見る側の想像に委ねる、削ぎ落とした手法の作品は久々で、楽しめた。
こうした内容について、色々、言ってくる者が多くなった最近の風潮に抗して、こういう作品が作られ、公開される時代が永遠に続く事を願うばかりだ。
リアリティあります?ツッコミどころ満載でテーマも良く分かりませんでした。
南スーダン日報隠蔽問題をヒント?にした映画ということで、どんな風に描かれるんだろう?とちょっと期待して見てみましたが、映像はキレイで、ストーリーはそれなりに面白いところもあったと思うものの、話とキャラクターを詰め込み過ぎなのか、「この人誰?どういう立ち位置の人?」と1回見ただけでは各キャラクターの関係性が理解出来なかったところがある。(おそらく回数の問題ではないかもしれないが)
主人公の南ス派遣施設隊長の神崎1佐の奥さんと中国マフィア(傭兵?)?の関係、主人公の上官である伊藤隊長(そもそも隊長って何だ?小隊長のことを言いたいのか?細かいことを言えば派遣施設隊で「隊長」と呼ばれる役職の人はトップである派遣施設隊長ー映画の中では神崎1佐ーしかいない。中にはあだ名的感覚で自分とこの親分をそう呼ぶ人はいるかもしれないが)と同じく中国マフィアの関係(取引相手かと思いきや、最後敵対するのは所詮、金で動くから?)、主人公島田が所属している小銃を作っている裏組織等々・・・。
また、タイトルにも書きましたが、一見、リアリティあるようで、全然リアルじゃない。(この際、装備品、服装の誤りや階級呼称、防衛記念章の誤り等の細かいところは置くとしても)そもそも冒頭の戦闘に巻き込まれるシーンが「何これ?」でした。施設器材が単独で故障?している状況もありえないし、それを迎えに行くのが高機動車1両というのもあり得ない。その後のヌエル族を保護しようとしてディンカ族民兵?と戦闘になるのも、当時のジュバ周辺の状況からちょっと考えにくい(まあ、確かに政府軍のSPLAは国連を嫌ってはいたが)。とはいえ、それを言うと話が膨らまないのでそこは譲るとしても、その後、派遣施設隊長程度の力で交通事故死で隠蔽するというのが100%出来っこない。遺体がある古川隊員は目をつぶるとしても、行方不明となった伊藤隊長のことも交通事故死で公表、って遺族からすれば遺体は?ってなると思うが・・・。伊藤隊長は更にその後、自力でスーダンまで脱出して現地日本人の助けを借りて帰国するというスーパーマンぶり。監督は政府軍と反政府軍の支配地域が南スーダンでどうなっているのかちゃんと分かっているんだろうか?更にスーダンと南スーダン国境がどういう感じなのかも・・・。
他にも帰国後、神崎1佐が将補に昇任しているのはいいとして、何故か将補のポストがない新発田駐屯地に所属?しているかのようだし、おまけに駐屯地夏祭りの招待客?として事件に巻き込まれる米海兵隊?少将が何者なのかも分からない。統幕から直接、神崎将補に命令、指示がくるのも「?」だし、ストーリー的に必要なのは分かるが、(観客は詳しくないだろうと思っているのか)あり得ない、若しくは想像の設定、描写が多すぎて正直、失笑するしかなかった。
まあ、「現実的でない」部分は映画上の表現として目をつぶるとしても、監督はどの程度、南スーダンや自衛隊のことを考証したのか疑問なところはある。パンフレットには元派遣隊員(確か3佐だったと思うが)のコメントがあったようだったが、その方はこの映画を見て不思議に感じなかったのだろうか?個人的には「自衛隊をバカにしているのかな?」と思わないでもなかったが・・・。
それとも日本政府と自衛隊を悪者として描きたい、ということも含まれていたのかな?
因みにこの映画が描くまでもなく、これまでの過酷或いは特殊な勤務経験でPTSDを発症している自衛隊員がいる、いたのは事実なようだ。古くは(その概念も無かった)日航機墜落事故での災害派遣現場、阪神淡路大震災、東日本大震災での災害派遣等々、これまでの海外派遣中でもイラク派遣においては緊張を強いられる場面があったとも聞く。そういった経緯を経て、自衛隊もPTSD対処の施策を取り入れていることは付記しておきたいと思う。
伊武雅刀
非戦闘地域でも戦場だからね。
花火玉をつくるシーンはドキュメンタリタッチでよかった。 他は全部ゴ...
花火玉をつくるシーンはドキュメンタリタッチでよかった。
他は全部ゴミ。ってかマジメに撮る気ねえだろ。ヒトフタマルマル言わせれば軍人になるわけじゃねえぞ。
鉄砲にも軍事にも政治にも新潟にもスーダンにも興味をもってないのが丸わかりで、画面が平板。フェチがねえ。
鉄砲のパーツにエロさを感じてますか?軍人のプロフェッショナリズムを信じてますか?新潟にどういう生活感を感じてますか?スーダンの文化と食い物を知ろうとしてますか?
なんもない。なんっもない。なんっっっもない。
でも花火玉に火薬を詰めるシーンはちゃんとよかった。フェチがあった。他のシーンもそういう感じで撮ってよ。景色が激退屈やもん。監督が作為的につくろうとしたシーンは全部わざとらしすぎて観れたもんじゃない。「言葉でいえば済むこと」以上の情報を画に持たそうとしてない。カキワリになってる。
「PTSD持ちの軍人が都合よくフラッシュバック」この導入でもうナメてる。便利な物語装置だからいいけどよ、それ使ったらギャグになることは分かっとけ。百番煎じの舞台装置つかって偉そうに深刻ぶってるから破綻する。できもしねえ軍事ドラマきどってクソみたいな社会派でお茶濁さずに、マジメにエンタメおやりなさい。
公開時期は
戦争と花火をつなげる映画を作られたことに敬意と感謝
ユーロスペース公開3週目、ほぼ満席のトークショー付き上映会に行きました。
まずは、戦争と花火をつなげる映画を作られたことに敬意と感謝を。
個人的な思い入れがあったからだ。
終戦間際の1945年8月1日。ありったけの残ってる焼夷弾を降らし、地方都市の被害では最大規模となった富山大空襲。
戦後、慰霊のための花火大会が同じ8月1日に始まった時は、花火の音が空襲の音と被って嫌いだという方も多かったようです。大きな花火が楽しみなこの日は、空襲で亡くなった祖父の命日でもありました。
2016年の「自衛隊日報問題」からヒントを得たフィクション。スーダンで戦闘に巻き込まれた自衛隊員が、帰国後PTSDになる。就職先の花火屋で人間らしさを取り戻す、再生の話でした。
自衛隊絡みのエピソードで意識的なミスリードがあり細かいツッコミどころはなくはないですが、いいんじゃないでしょうか。何を描いているかは、しっかり伝わりました。
エンディングソング否定派なんですが、大貫妙子さんの歌に癒やしがこめられ、とてもよかったですよ。
火は人を救う
主演の山本一賢さんと田中一平さんの舞台挨拶があり
本編を鑑賞しましたが素晴らしい作品でした。
予告からしてPTSDを発症した元自衛官が、花火職人になり再生して行くヒューマンドラマかな?と思っていました。
確かにその通りなのですが、それ以上に平和の在り方について考えさせられる内容だった事に驚きました。
この作品は自衛隊日報問題をベースとしています。
他国にてPKO活動に従事していた自衛隊。
本来は非武装地帯でのみインフラ整備などに尽力するはずだった。
だが反政府勢力と戦闘になり発砲をする。
しかし政府は、“戦闘”の事実を隠したい。
ましてや戦闘による自衛隊員の死などあってはならない。
国とは何なのかと考えてながら鑑賞しました。
ここから伝えたい部分を紹介させて頂きます。
【島田の孤独】
山本一賢さんの演技が素晴らしい。
PTSDを患った島田の私生活がとにかく画になる。
ゴミが散らかる自室で呆然とする姿、
鉄工所で黙々と仕事をする姿、
花火を作る時の姿...
些細な仕草に孤独さを感じ取れる所作に感服。
【全編に漂う不穏な空気】
島田の心象風景をそのまま映し出したような空気を全編通して感じていました。
平和な国である日本。
私達は戦争を御伽話の類として生活を送ってます。
あの花火職人の人達のように戦争の影なんて感じずに生きている。
なのにこの映画は影が常に付き纏う感覚がある。
【私生活に噓偽りを感じない】
花火職人達との会話や触れ合いに露骨な演出を感じなかった。
唐突な友情や恋愛など一切なく、淡々と交流をしていた。
こういうささやかな生活が日々を形作っていると再認識しました。
【新潟県のロケーション】
新潟県民として知っている場所が映し出されるとテンションが上がりました。
同時に新発田市にもこんな場所があったのかと新たな発見もありました。
私は上越市出身ですが、上越市でも撮影されたと知りとても嬉しく思います。
【火の在り方】
火は人の命を奪う。
同時に火は人の心を救う。
私達が普段、美しいと感じる花火も島田にとっては悪夢。
しかし過去と決別する事が出来た。
最後は花火を南スーダンの子供たちの為に打ち上げる姿に涙しました。
最後に舞台挨拶で山本一賢さんが語った「この映画は右や左とかではない。ただ自分は日本が好きだ」と云うシンプルな一言に全てが集約されていると感じました(一語一句、合ってはいないかもですが)。
平和とは何か。
自衛隊の在り方。
火は使う人によって形が変わる。
この映画は今を生きる全ての人に観て貰いたい。
重く暗いが学びになった
「トラウマと再生」
渋谷ユーロスペースに小島監督、俳優の山本一賢、ダンカンさんの舞台挨拶とトークショーの上映回に見に行きました。
トークショーでは花火作りの大変さを話していました。
この映画は「自衛隊日報問題」を下敷きにして、イメージを膨らませた小島監督と山本一賢が企画、脚本した作品です。
テーマ性は重いですが、「人間が突然ショック」を受けたときに
「トラウマ」が発生するのかと恐怖に陥りました。
以下、私の映画評を読んでください。
【映画評】
人間がなんの準備もせず覚悟も持たず突然戦闘に巻き込まれ、人を殺し友人を殺されたらどのような心持になるのか。それをこの映画は元自衛隊員島田のトラウマとして見事に描出している。
映画は2016年、南スーダンPKO自衛隊日報問題を下敷きにしている。自衛隊員が海外で活動できるのは非戦闘地域に限定されているが、日報の中に「戦闘」という文言が使用されていて南スーダンが非戦闘地域ではなかったという問題提起がなされ文書が残っていたからだ。
島田はいつもトラウマから戦闘の悪夢を見る。仕事中でも戦闘のトラウマが彼を襲い問題をおこし花火会社へ職を変える。慣れない職人仕事をしながらも徐々に慣れていく。しかし花火打ち上げ当日、花火の音と閃光に戦闘のトラウマが重なり島田は野原をやみくもに逃げ走る姿は戦闘の恐怖を伝える秀逸なシーンであった。
南スーダンでおきた戦闘は上層部から「なかったことにする」と言われ戦士した友人は交通事故死にされ問題は隠蔽された。それに意を反する元隊員や元隊長がテロを計画し島田を誘うが彼は同調しなかった。島田には事件を上層部から「なかったこと」にされた悔しさや憤りではなく、自分の手で人を殺し友人が目の前で殺されたという事実こそが島田が人間として生きられないトラウマの発生源なのだ。
このテロ計画と実行をフィクションとして映画に取り入れた作り手の意図の賛否は言いたくない。非戦闘地域にいた元隊員や隊長にしてみれば、戦闘が起き、人を殺し、同僚が殺されたことを「なかったこと」にはできない、強い気持ちが働くことも考えられるからだ。
しかし作り手の主題はテロの良し悪しではなく、島田が花火職人として復帰したこと、つまり人間として「再生」できたことを主題にしている。なぜ「再生」できたのか。それは過去の目の前でおきた事実を知る者が誰一人いなくなったからだ。
人間がトラウマにとらわれるのは、事実を知っている他者がいるからだ。トラウマを惹起した人間が捕らえられたり、死刑になっても、世間が知っているからトラウマは一生消えない。しかし島田の場合は目の前でおきた事実を自分だけで抱えるのであればずっと軽くなる。もはや誰も目の前でおきた事実を知らいないからだ。
島田は数年後南スーダンで死んだ友の弔いとして花火を打ち上げる。打ち上げた花火が夜空に輝く華のようであった。この「火の華」とともに島田は人間として「再生」したのだ。
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