ブルータリストのレビュー・感想・評価
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賞レースが楽しみだ(違う意味で)
ブラディ・コーベット
過去作「シークレット・オブ・モンスター」(’16)ではラストに大仕掛けを打って、史実のある人物を想起させる、「指導者」の誕生という、ドッキリ映画(ホントにドッキリする)を放ち、一躍注目を浴びた。
続く「ポップスター」(’20)でも、学校内銃乱射事件という、センセーショナルなオープニングから、ナタリー・ポートマンの異常なまでの熱演、過剰スレスレの、でも最後のライブは(本人であるならば)キレッキレのダンスと、画的には、細かいワンショットと早送りを実験的に駆使して、割と娯楽作に近づけた一本。(楽曲提供等にsiaが参加していることも注目。)
まあ、いずれも見ごたえはあるが、共通するのは、「トラウマ」。そして、史実を絡めて、深みをもたらせようとした点。そして、エピソードをバッサリ省略するところも似ており、ちょっとバッサリすぎるんじゃないか、と思うほど、切り捨てる。観客に不親切なほど切り捨てる。これを技巧ととるか、描きたくないのか、描けないのかは、観る側の判断。
個人的には、前者は上手くいった(それでも唐突)が、後者は銃乱射事件と無差別テロを絡めなくてもいいんじゃないか、と思えるほど、話は普遍的なもので、いささか、いやらしさを感じたりもして、評価は割れる。
そして、本作。あっという間にアカデミー賞の本命の一つにまで上り詰めたが、果たして。
ブルータリスト
・
・
・
解説からわかるように、ユダヤ人、ブルータリズム建築、そしてこのタイミングの作品、ということで、観る前から、本命と言われる点で、「政治色」が濃いことは観る前から想定される。
音楽や撮影、クレジットや、建造物、風景のワンショット、走行する道路で、場面展開などにについては、過去作2作を観ている者にとっては、これまでと同じ手法で、章立ても、「トリアー組」なままでおなじみのものだが、初見の人は目を見張ることは間違いない。
そして、トラウマ、エピソードの省略のスタイルも健在で、案の定、政治色がより濃くでている。
オレは建築は詳しくなく、「ブルータリズム建築」と言っても、丹下健三氏の立てた「広島平和記念資料館」ぐらいしか肌に触れていない。そのイメージしかないため、装飾を廃止、機能性を重視、と言っても、見た目は平和の象徴だったり、その裏返しで「刑務所」だったり「収容所」だったりが想像されるだけである。(裏返しという意味では逆か)
本作で「ブルータリズム建築」とは何ぞやとは、理解することはできないが、ストーリーに至っては、極めてシンプルである。ユダヤ人の歴史もこの映画だけでは到底理解できないが、ハリウッドで成功したユダヤ人、シオニスト運動で、イスラエルに「帰った」ユダヤ人と、歴史的背景からすると、ハリウッド好み、ということは分かるが、後半の端折り方の問題のせいで、余計に偏った観え方になってしまっている。
前半は、歴史を追うという意味で、日本人のオレでもわかりやすく進行してくれているが、後半は、センセーショナルな出来事を無駄に挿入し、省略も深みを与えることなく、バランスは崩壊。過去作から通じる手法ゆえ、手癖、ということなのかもしれないが、悪い方に出てしまった。
brutalism。その呼び名をよしとしない建築家もいるので、The Brutalistとは、ここでは富豪や主人公といった特定の人物ではなく、「『悪の道へ流れる』世界」のことを指していると考えるほうが、過去作から考えるとしっくりくる。
だが、どうしてもここでは「アメリカ」を指すような見え方になっているので、改宗せず、「アメリカ」に嫌悪し、「アメリカ」から逃れ、イスラエルへ「帰った」ところだけ切り取って見えるので、本当にそこだけは残念。
「結果」を出し、成功した「ハリウッド」はそうしたユダヤ人を描く若手の技巧派を賛美するのは、理解はするが、オレには関係にないアカデミー賞。
そういう意味では、ブルータリズム建築を否定したトランプが再選された今、こうした映画にやや過剰に注目が浴びることも、「今見るべき映画」であることは間違いない。
追記
トリアー組からコーベット組、のステイシー・マーティンが今回もうって変わっての役どころだが、ちょっと出番が少なく、役も小さく寂しい。
一方、前作「ポップスター」から続いての新コーベット組のラフィー・キャシディが、その美しくも、深い悲しみを抱えている表情がとても素晴らしい。(少し特殊メイクをいれたのかな)
追記2
主人公夫婦について。後半でようやく姿を現す妻。主人公にとっては、再会を待ちわびた愛しき存在であっても「自分が経験した悲劇」が彼女からも見えるわけだ。彼女との夜は「戦争の悲劇」がもたらしたもの、ということになるのかもしれないが、男と女の関係は「戦争」でなくとも、自分のことを棚にあげ、汚されたと考えてしまうのは、それに限った話ではない。
ただ、この監督、「シークレット・」のステイシーの透けブラウスのねちっこい描写を含め、ちょっと歪んでいる。
一方、富豪のほうはキャラクターに深みがなさ過ぎ。
追記3
これだけ才気あふれるのだから、もう少しストーリーを丁寧に積み上げていって、お得意のバッサリ省略は一旦やめて、娯楽作にチャレンジしてほしいなあ、と切に願う。トリアー組とはオレの勝手なくくりだが、トリアーの「真面目でおちゃめな偏屈」とは違うほうにチャレンジしてほしいかな。
アメリカンドリーム体現者のbrutalな側面
当初3時間35分という長尺におののいていたのだが、インターミッションがあるという事前情報を得て一安心。疲労感少なく作品世界に浸ることができたのは、「私自身、3時間半じっと座っているのが苦手」というコーベット監督による、観客の体に優しい決断のおかげだ。ビスタビジョンのロゴとアスペクト比も、物語の時代に入っていくことを助けてくれた。
ホロコーストを経験した建築家(架空の人物)ラースローの話だが、彼の当時の苛烈な体験が直接的に語られることはない。
ユダヤ人難民としてアメリカに入国した船上の彼の目に最初に映った「アメリカ」は、逆さになって揺れる自由の女神だ。それはまさに彼が手に入れた自由の象徴であると同時に、やがて払うことになる代償の暗示でもあった。
前半のパートでは、ラースローがハリソンと出会い、彼からコミュニティセンターの建設を依頼されるまでが描かれる。
このハリソン・ヴァン・ビューレン、本作の中でもっとも多面的というか闇が深いキャラクターだという気がする。
息子のサプライズ失敗で初対面のラースローを怒鳴りつけたりしたものの、彼の建築の価値を理解すると真摯に無礼を詫びに来て相手の知性を賞賛するところなどは、一見いかにも成功したアメリカ人らしく屈託がないように見える。
だが後半のパートで、そんな表の顔とはあまりに裏腹な彼の腹の中が見えてくる。ラースローの才能に嫉妬し、彼の神経質な態度を高慢と受け止め、終いにはユダヤ人への差別意識を口にしながら彼をレイプした。陵辱に及んだ彼の心情はさっぱり理解できないが、あえて想像するなら、相手に屈辱を与え屈服させたという実感を得るための行動だったのだろうか。
後半では、渡米が叶った妻エルジェーベトとラースローの関係も物語の軸となる。彼女の健康は、ホロコースト以来の生活によってすっかり蝕まれていた。
それでも知性的なエルジェーベトはハリソンの家族と友好的に交流し、以前していた記者の仕事を世話してもらったりしつつ、ラースローに寄り添って生きる。
そんな彼女にラースローが鎮痛剤代わりにヘロインを注射し、顔を布で覆ってセックスするシーンは見ていてかなりきつかった。いくら薬を切らしているとはいえ病人にドラッグ、その上顔を隠して致すのは見ていて腹が立った、というのが正直な気持ちだ。2人が再会した夜に、セックスに関するすれ違い(加えてエルジェーベトは夫が商売女と寝たことも察し、それを許していた)が描かれた上での流れなので尚更だった。案の定エルジェーベトは死にかける。
幸い彼女は一命を取り留め、ハリソンを糾弾するため単身ビューレン家に乗り込む時には、歩行器を使って歩く姿さえ見せる。これは病状が改善したというより、ビューレン家の人間に車椅子を押して助けてもらいたくない、車椅子に座ることで彼らから見下ろされたくないという矜持が彼女の体を動かしていたのではないだろうか。
激動の体験を経る中で時に行き違いがありながらも、毅然として権力者に対峙し夫を守る彼女の姿に、夫婦愛の強さ、彼女の気高さを感じた。
ラースローの夫としてのあり方には個人的に受け入れ難い部分もあるが、エルジェーベトは自分が納得しなければ夫から離れることのできる自立した人間だ。彼女が受け入れているなら、余人による道徳的な論評など意味がない。そう思ってしまうほど、スクリーンの中でエルジェーベトは強く生きていた。
ブルータリズム建築の特徴は、コンクリートを多用する、簡素で重厚、角張ったフォルムの大型構造物、といったものだそうだ。
brutalという言葉は「残酷な、野蛮な、激しい」といった意味を持つ。また、文脈によっては「率直、歯に衣着せない」といった意味で褒め言葉として用いられることもあり、スラングでは「キツい、ヤバい」というニュアンスが込められる。
この物語における「ブルータリスト」は2人いるように思える。それはもちろんハリソンとラースローであり、ハリソンがbrutalである理由は見ての通りだ。
ラースローに関しては、物語後半で彼が見せた芸術家的な神経質さ……ではなく、エピローグの種明かしにその理由が集約されている。ハリソンの母を偲ぶためのコミュニティセンターを、収容所に模したデザインで建てたという彼の「ヤバい」行動だ。
出会い頭の誤解はあったものの、少なくともセンターのデザイン段階では、ハリソンはラースローの才能を見出してパトロンになり、住む場所を手当し知人に妻の渡米の手助けもさせる、傍目には恩人としか言いようのない相手だった。
そんな彼からオファーされた仕事の成果が、忌々しい収容所の記憶を刻みつけたものだということを最後に知って、ずっとラースローの視点で物語を追ってきたつもりが、実は彼のことを何も理解していなかったことに気付かされた。
このエピローグによって様々なものが見えてくる。ホロコーストのトラウマの根深さ、サバイバーで移民であるラースローの伺い知れない心。彼は最初からハリソンの本質を見通したから、いわば悪意を持って裏で彼の意向を裏切るような設計をしたのだろうか。それとも、もっと底知れない、彼の立場にならないとわからないような心の動きがあったのだろうか。
「他人が何を言おうとも大切なのは到達地だ。旅路ではない」というラースローの言葉には、綺麗事を拒否する響きがある。
エンドロールに流れる物語には不似合いな80年代風の明るい劇伴は、目指す作品を生み出し建築として世に残したラースローの、人生における勝利を祝福しているようにも聞こえた。
どのシーンも面白いんだけどちょっとズルい?
ひとつのシークエンスにじっくり時間を取ってみせる堂々とした演出っぷりに、監督としての底力や自作への確信めいたものを感じ、ほぼどのシーンも面白く観た。ただ、エピローグで明かされる「そうだったのか!」な主人公の真意の部分が、パズルのピースが合うようにそれまでに観てきたものとリンクするわけではなく、後出しに感じしてしまった。そもそもあえて観客を戸惑わせる作りなだけに監督思う壺なのかも知れないが、正直、ちょっとズルくないですか?とは思ってしまった。
インターミッションがちゃんと映像で表示されて、再開までの時間を親切に数字でカウントダウンしてくれるオールドスタイルを久しぶりに観た気がするが、やはりこの形式はいい。インターミッションを削除しがちなインド映画の日本公開もぜひ見習ってほしい。そして従兄弟役のアレッサンドロ・ニボラは、どんな映画に出てきてもなんだか嫌な気分にさせてくれる。名優だなあ。
逆さまにそびえる女神像に見守られし神話
それはありきりの形状に囚われず、どこまでも大胆で、かつ怪物的だ。そしてこの国(アメリカ)をめぐる怪物的な映画は、誰もがすっかり忘れた頃に時折姿を現す。以前同じ感覚を憶えたのは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』か。アメリカンドリームと人は言う。確かに主人公もまた欧州の地獄から逃れ、一縷の望みをこの国に託した人物だ。ある意味で彼はその微かなチャンスを掴み、またある意味では、自分こそ真の理解者だとのたまう横暴なパトロンに振り回され、その人物に愛されては嫉妬され、資本主義の歯車の中で徹底して蹂躙されていく。いわゆる渡米したユダヤ人の半生を重厚感たっぷりに描きつつ、と同時に、さながら現米政権を司る人たちともよく似た一部の米国人たちの王様気取りの姿をも鏡面的に描き出し、全ては建築という緻密で謎めいた構築物へと託されていく。かくも巨匠ですら不可能な城を築き上げた30代の鬼才コーベット、心底恐るべしである。
An Intricately Designed Picture
Every bit as a labyrinthine, audacious, colossal, and dedicated a piece of artwork as the facility Brody's fictional architect toils at great expense. The story of a practiced tradesman and Holocaust survivor who rises from rags to supporting the rich, this layered and oversized story might have one believe it is a true tale. It's grand cinema that arguably succeeds to be this era's Citizen Kane.
リベラルかつスタイリッシュなものが好きな人向け
第二次大戦後混乱期のユダヤ人建築家の話なので、政治色、リベラル性が強く、今の保守に寄ったアメリカに警鐘を鳴らしているような作品でした。
そして、映像がかなりスタイリッシュ。
要は「通の好む」作品で、こういうのが賞を摂るんですよね。かなり長い(途中で休憩あり)のと娯楽性の少ないものでした。
僕はこういう「雰囲気」も嫌いではないので、楽しめましたが娯楽作品が好きな人は避けた方が良いでしょうね。
3時間半の長さを感じない隙のない大作ですが、唯一の隙と言えば、主人公の光と影、トラウマを描きたかったのか、女性の扱いがぞんざいというか、性的なオマージュにしか使ってない印象で、そこが残念でした。
時代がそうだったのかも知れませんが、わざわざこのシーンいるかなぁ?というのがいくつかありました。
皆さまのレビューで本作の価値観が大きく変わりました。ありがとうございました!!
あくまでも個人の見解ですが、映画は大衆娯楽ですから、あまり難しく考えるのは苦手です。
それでも、この作品に限っては最低限の予備知識を持ち、漠然とでよいので、主人公の出自、生き様、感情に思いを馳せるとより楽しめると思います。
よって、知識吸収のため、これまで以上にレビュアーの方の感想を丹念に拝読いたしました。
本作鑑賞の際にたいへん参考になりました。深謝いたします!!
【私の最低限の予備知識】
・本作はユダヤ人ラースロー・トートが主人公
・演じたエイドリアン・ブロディもユダヤ系(ハンガリーの血も流れている)
・ホロコースト(ユダヤ人迫害および大量虐殺)とシオニズム(イスラエル建国)
・ユダヤ教と基督教(プロテスタントとカトリック)。シナゴークと基督教教会
・戦後のハンガリーから逃避した米国(ペンシルベニア州、フィラデルフィア)が舞台
・R15+の制限。暴力、性描写、麻薬摂取などのシーンがあるので中学生以下NG
・日本語コピーは「荒ぶる、たぎる」。主人公の感情の起伏を表現したものでしょう
・建築家の「半生」を描いたヒューマンドラマ。215分長尺映画。覚悟が必要(笑)
・皆さまの素晴らしいレビューの数々
で、鑑賞後は、エイドリアン・ブロディの演技力に驚嘆しました。
ゴールデングローブ、オスカーの受賞、当然の結果ではないでしょうか。
以下、ラースロー・トートの出自、生き様、感情について。
真珠湾以外に攻撃を受けなかった米国は建設需要は少ないはずで、ラースローは、建築家としての勲章は捨てたのだなと。それでも米国を目指したのは、ホロコーストから生き残ったことで、何よりも自分自身や家族の命と精神的な自由を求めることを優先したのかなと。
生きているだけで儲けものと思っていたところ、わらしべ長者的なラッキーが重なり、当然、人間としての欲が出てきます。芸術家(建築家が芸術家なのかはよくわかりませんが・・・)としてのプライドやそれによる葛藤が生まれ、それまでは穏やかな性格で他人との衝突は無縁であったものの、時として無碍にエキサイトするシーンがインサートされます。何でラースローをわかってあげないんだと感じるかもしれませんし、逆にラースローは嫌な奴と感じるかもしれません。
米国上陸直後の娼館を出たときにタバコを燻らす娼婦から掛けられた言葉で彼の性癖は〇〇かも?(一瞬のシーンなのでお見逃しお聞き逃しのないよう)と。その後、性的なシーンがいくつかありますが、ラースローの苦悩を表現するような表情のカットが印象に残っています。この時までは、♂としてダメなのでしょうね。妻エルジェーベトとの関係性にも大きく影響しているように思います。ここは、人生経験を積まないと訳が分からないかもしれませんが、オッサンの私は夫婦間のアンバランスを強く感じました。R30+かな?
芸術家気質ゆえの繊細さでしょうか? アル中(?)、ヤク中(?)も加わります。
このバックグラウンドとブロディの誰にもわかってもらえない孤独を演じる姿は、私の素人眼に強烈なパンチを喰らわせましたね。それを含めて、愛する夫のためにエルジェーベトがタイマンを張るのは、これも賛否がわかれるところでしょう。オッサン的には「アッパレ!」です。
半生ですから、老後もあるのですが、自由発想で。私は、家族仲良く穏やかな時の流れをイメージしました。
以下、作品と撮影、音楽について。
やはり、同じ時代設定のゴッドファーザーを思い出さずにはいられませんでした。
コッポラもラースローのセリフと同じようなことを言ってましたよね。
コルレオーネ・ファミリーがニューヨークで暗躍した同じ時代に、やや西側に位置するフィラデルフィアとペンシルベニア州の田舎町(ロケ地はハンガリーか?)を舞台にストーリーは展開します。
ただし、超有名なフィラデルフィアのロケ地(ロッキーステップ)は、残念ながら登場しません💦
シークエンスの切り替え時に車載カメラが捉える道、空、道沿いの緑が印象的です。
おそらく、ラストメッセージの伏線でしょう。
驚いたことに15分間のIntermissionがあります。歌舞伎じゃあるまいし・・・。
たぶん、配慮に見せつつ演出ですね。
なぜなら、休憩時間にスクリーンに投影されるポートレートが意味を持っているからです。多くの方がトイレに席を立つでしょうが、よく観ておくことお勧めします。
撮影班、ロケ地の素晴らしい景観も奏功してとてもよいです。AI画像も自然に思えました。
カット割りと音楽のシンクロ、カッコイイと思います。時代に合わせた選曲もグッドです。
ただし、スタッフロールだけは面食らいました。何があったの???
専門的な話になって恐縮ですが、プリプロ(脚本、コンテなど)もポスプロ(編集など)も観客心理を考え抜いた結果の大作でしょうから、一欠けらのミスもないのでしょう。恐れ入りました。
おまけ。
ガイ・ピアース、いいなあ。L.A.コンフィデンシャルの頃から好きだなあ。
オスカー取らせたかったなあ。
最後に。
自国至上主義を隠そうともしない老獪がトップに鎮座する今の米国。
ホロコーストのようなことはないものの、陰険で排他的なところは眉を顰めざるを得ません。自省の念を込めて、いついかなる時も色眼鏡は外しておこうと思いましたね。
ストーリー➕壮大な景色が見応えあり
ホロコーストを生き延びたというコメントからそういう要素の映画を想像していたが,これは全然違った。
1人の芸術家の半生が描かれていた。もちろん人種差別的要素も多分にあるけれど、1番の見応えは自分の求める芸術を実現しようとする彼と,それをお金と権力の力で押さえつけてくる者たちとの戦いであり、薬に頼って壊れていく彼の苦悩だ。妻の言う,彼にとっては台所を作り直すくらいのこと、とても刺さった。聡明な妻だ。
そして,特筆したいのは,壮大な景色。映画館で観る価値のある映像だった。
アメリカでのユダヤ人 リアルすぎるフィクション
映像が素晴らしくどのカットも見応えがある、誰かが言ってたどのカットをTシャツにしてもいい映画とはこのこと。
音楽も素晴らしく、作品の憂鬱感と壮大さを反映していた。
休憩時間に入ってもらったパンフレットを読むまで実話に基づく伝記映画の類だと思っていたので、完全なるフィクションだとわかった時はすごいびっくりした。第2篇からフィクションだということを意識すると、映画のリアリティのあまり、気持ち悪ささえ感じた。何年かけて構想したんだ!?
アメリカの白人富豪達はどんな人種でも実力は十分に認めてくれ、仕事させてくれるが、やはり人として下に見てくるんだなと感じた。
にしても、この映画は決して差別される側に甘い訳じゃなく。アメリカにいるユダヤ人達の被差別意識をやんわり批判し、シオニズム運動という名の幻の居場所探しもネガティブに表現されていたと思う。
この映画はとてもデザイン性、アート性に優れていて、好きな人はとことんすきになる映画だと思う。私はまあまあ好き、でももう1回最初からは観たくない。
有識者に教えて欲しいのだが、人々がぞろぞろ丘に登るシーンはなにかのオマージュなのでしょうか、バビロンでも観たことがある構図だったので気になった。
もしかして一番最初らへんのゴジラ?
映画館で観る長尺映画が大好きです。 家とかスマホでは味わえない良さ...
斬新で独創性が凄い。ドラマ的にも濃くて人間の郷の深さを炙り出す。
野心家が考え抜いた奇抜さが光る。
その点は大いに認めます。
この映画は比較的に低予算で作られたと言う。
それにしては凝ったカメラワークだ。
《優れてる点》
①タイトルロールのカッコ良さ。
まるで書籍のレイアウトみたいな凝った文字が横に流れる所、
グラフィックデザインとして面白い。
②音楽・・・場面、場面を盛り上げ、先導して驚きを誘う。
正にラストのヴェネツィアで行われる現代建築のビエンナーレ展・・・
そのオーケストレーションの華やかさ、
そしてエンディング曲ははガラリと現代的なテクノポップで
ガンガン鳴らして盛り上げる。
実に見事なものだ。
《否定的な気持ちになる点》
①虐げられてきた民族の持つ被害者意識は当然だと思う。
②著名な建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)の、
その建築家としての凄さが見えてこない。
★トートが架空の人物であり、映画はフィクションであることから、
『TAR』と比較されがちだが、ター(ケイト・ブランシェット)は、
トートの数倍、天才肌で、実際天才に見えた。
エイドリアン・ブロディのどこに天才のカリスマ性があっただろう?
★☆予算の関係で勿論実際に建築することは叶わず、殆どがVFX。
一番肝心の後半の殆どを費やす、恩人の大富豪のハリソン・ヴァン・ビューレン
(ガイ・ピアース)が母親を記念して建築する
コミュニティセンター。
ネタバレになるがその完成した姿は、ナチスの強制収容所を模した建築物・・・
と言うのだが、31メートルの高さの吹き抜けにで天窓もあり光も差し込む。
そこが強制収容所だと聞かされても、とてもそうは見えないのだ。
ブルータリズム様式建築の素晴らしさが、浮かんでこないのだ。
❷何より驚いた点。
妻のエルジェーベト(フェリシィ・ジョーンズ)が、10数年ぶりの再会で、
いきなり車椅子に乗って現れたのにも驚いたが、
もっと驚いたのは、恩人のヴァン・ビューレンの家に乗り込んできて、
「お父さんは“レイプ魔“」と喚き散らす所。
1911年生まれなら、トートは30歳を大きく超えていて、自由恋愛であり、
どちらが誘ったかも、ゲイだとか?恋愛感情があったか?とか、
レイプシーンなんてまるでないし、これは夫からの情報なのか?
それにしても伏線となるシーンがほしい。
あまりにも唐突で恩人に失礼で、“恩を仇で返す“そのものではないのか?
これが顕著な欠点です。
❸アカデミー賞主演男優賞を受賞したブロディの
スピーチの長さと内容のなさ。
好きな点や嫌いな点を挙げできましたが、
映画館で観て良かった事は確かです。
3時間半の上映時間と、間にあるインターミッション。
後半は甘いコーヒーとポップコーンを食べながら、
リラックスして観れました。
思ったより難解な映画ではなかったです。
ただ勿体ぶった、ハリソン・ヴァン・ビューレンとか、
(貴族と書いてあるのもあって、アメリカに貴族吐いないですし、
東欧から亡命でもしたのだろうか?
トートの妻のエルジェーベト。エリザベスでダメなの?
全てにおいて、気取り過ぎてるよ。
でもガイ・ピアースはとても素敵だったし、
フェリシィ・ジョーンズの頑張りにも目を見張った。
作曲賞と撮影賞は、おめでとうと言いたいです。
余韻ブレイカー
真実の重みを感じたかった
ハンガリー出身のユダヤ人建築家、ラースロー・トートは大戦中のホロコーストを生き抜き、戦後アメリカに渡った。彼は生き別れた妻を苦労の末に呼び寄せ、困難と闘いながら米国で再び建築家として成功する―。
本作は、そう描いているがトートなる建築家は実在せず、まったくのフィクション、作り話である。しかし、その「事実=物語は事実あった話を基にしたものではない」を知らないまま映画を見ると、よくできた話に引き込まれ、なかなかによくできた映画だ、と思った。
鑑賞後、調べてみるとそんな建築家はいないということを知り、なんだか白けた感じ、だまされたような気分になった。
映画は「お話」でしかない、それを味わえばいいとうのであれば、これはこれでいいとも思えるのだが、事実を基にしたフィクション、登場人物は本当に存在した人であれば物語にもっと重みと手触りを感じたと思う。
つまり、監督、脚本家―作り手―の都合に合わせたホロコーストをサバイブしたユダヤ人というある意味で類型的なドラマになっただけ、という点にどうにも軽さを感じた。
オスカーを獲得した主演のブロディの芝居は過不足なく登場人物になりきった名演なのだろうが、それがきれいにはまりすぎている点に飽き足りなさを感じた。
オスカー3部門を獲得した作品だけに、それをチェックしたい人は見ればいい。だが、そういうこだわりを持たないのであればわざわざ休憩時間まで設定された長尺作品を見るほどではない。
東京都心のシネコン、平日昼間の入りは3割ほどか。あまり観客からも熱を感じなかったのは、ぼくと同様な印象を持ったからではないか、と勝手に思っている。
にしても、戦後80年の今年、日本映画でそれをテーマにしたようなものはないのだろうか。
昭和のはじめから戦中戦後をはさんだ30年くらいには、現代人には想像できない数多のドラマがあったはずだ。もちろん、昭和50年代以前にはそうした作品もあっただろうが、21世紀の今、再びそういうものを撮ろうとする映画人はいないのだろうか。
逆自由の女神は逆十字架
劇中にも出てくる建築ビエンナーレの展示作品のような映画だ。
映像や音、構成において、芸術的かつ実験的な手法を駆使しており、
IMAXで、
教会の建築シークエンスから、
【もっと光を】のシーンは観る者に一種の美的衝撃を与える。
ストーリーテリングは、
もちろん典型的なエンターテインメント映画とは一線を画している。
物語の中心には、主人公ラースロー(ラザロの復活とは無関係ではないだろう)のブルータルなパッションがひたすら描かれ、
彼の内面の葛藤や欲望がそのまま視覚的に表現されていく。
登場人物やストーリーの論理的な繋がりを可能な限り削ぎ落とし、
感情の爆発を直接的に伝えるスタイルが、
アート映画の枠組みを超えて、A24らしい独自の力強さを持つ。
映画の中盤で挿入されるインターミッションは、
この作品の特異な構成(ブルータルな建築のような)を象徴している。
100分が経過し、
急転直下でアメリカスティールの歴史が怒涛のように展開され、
観客は一瞬の休息を得ることになる。
劇場の照明がアップし15分の休憩、
効果音で観客の感覚をリセットさせた後、
再び映画は加速する。
この緊張と緩和のリズムは、
視覚的な印象を強烈に残し、
観客の感情を揺さぶり続ける。
色調においてもカメラは常に変化し続け、
シーンごとに色調やフレームが変化するのはA24作品ではおなじみだ。
特に60年代ハリウッド映画風の色調が際立っており、
4原色でいうとCMYKの「Y(イエロー)」を強調した映像が印象的だ、
しかし、A24らしい転調の連続でY好きな観客は消化不良化かも。
色のトーンが一瞬で変わることで、
観客はその予測不可能性に引き込まれるのも、
狙いなのかもしれない。
ガイ・ピアースが演じるキャラクターは、
作劇の観点ではあり得ない展開を見せるものの、
文学的な解釈の下では非常に魅力的である。
そのキャラクターの存在自体が、
映画全体のテーマにうまく溶け込んでおり、
観客にとってはその不条理さこそが魅力となり、
映画製作そのものをイメージする人もいるだろう。
逆自由の女神は、
ワイダの逆十字架、
山の端シルエットは、
ベルイマン、
巨大建築物を引いて、
小さな存在にみせるのは、
ダヴィアーニ兄弟のカメラと、
美術、
カメラは名機ARRI435を使用はスピルバーグか、
昨今流行りの、
プリントに白パラ(白いゴミ)。
本来は白は技術的なミス、
黒は何度も映写されている証し、
ビエンナーレの狙いであればよし・・か・・
そういうのは風化していくのだろう・・・
他もいろいろ。
無にも満たない
こないだ鑑賞してきました🎬
建築家ラースローの数奇な運命を描く、200分超えの壮大なストーリー。
ラースローを演じるのはエイドリアン・ブロディ🙂
建築家としての腕は確かで、彼なりの美学も持っています。
一方、煙草の本数はかなり多く、ドラッグもやっており、破滅的な面も。
時限爆弾にも似た刹那的とも言える演技、アカデミー主演男優賞に輝いただけあります。
ラースローの妻エルジェーベトにはフェリシティ・ジョーンズ🙂
彼女は初めて観ましたが、知的な印象を受けますね。
夫との手紙のやり取りもスマートな感じで😀
時折みせる鋭い表情と、数回ある痛みを訴えるシーンではまさに迫真の演技でした。
ハリソンにはガイ・ピアース🙂
初登場時は怒鳴り散らし、かんしゃく親父にもみえますね。
しかしラースローの経歴を知ってからは、彼を雇い入れますが…。
ただの富豪では終わらない、抜け目なさが見え隠れする演技でした🤔
途中15分の休憩をはさみ、約3時間半の上映時間の本作。
覚悟して臨みましたが、それでも長かったです😅
しかしホロコーストを生き延びた男の壮大なヒューマンドラマは見応え充分👍
アカデミー主演男優賞も受賞しているので、ぜひ映画ファンには観ていただきたい🎬
そして、一日をこの映画に費やすつもりでいくのがベストです🖐️
天才建築家と傲慢なパトロンの確執…という「フォックスキャッチャー...
天才建築家と傲慢なパトロンの確執…という「フォックスキャッチャー」的なストーリーよりも、建築そのもの(とその建造過程)こそがこの本作の主役。それぞれに悩みや欠点を抱えてドロドロとした人間模様を遥かに見下ろし、大地に屹立する建築の、なんと荘重な姿!作中で建築家の理想、として掲げられる以上の偉容で、抜群に決まった劇伴も相まって、この3時間超のドラマを一瞬も弛緩させない迫力に満ちている。冒頭の移民船の狭苦しさから、外へ出て目にする逆さまの「自由の女神像」のシーンが示すように、緊張と解放、明暗のコントラストが凄まじい。冒頭は左から右へ、終幕ではななめに流れるスタッフロールも実に洒落ている。おそらく前述の理由で人間ドラマとしては敢えて描き切っていない部分もあるが、ガイ・ピアースの暴君ぶりは劇中随一の怪演として褒め称えられるべき。
な、ながすぎ…
私にはピンとこない映画やったなあ。前評判でアカデミーを狙いすぎとか言われていたが題材からして確かに意識しすぎなのかなとは思う。
上映時間脅威の215分。絶対にお手洗いいきたくなるやん!何考えてんねん!なんて思っていたが100分くらいで15分休憩が入るのでトイレ心配な人はご安心を!
3時間を超えるような長い映画はこの映画のように休みを入れてくれるとほんとにありがたい🙏
物語冒頭は収容所から無事脱出した後のシーンからスタート。アメリカンドリームに期待する主人公。収容所での困難はおそらく時間の問題で入れられなかったのかな?アメリカに渡った主人公に困難が…とか思いきや割と幸運が続き責任ある仕事を任せられることとなる。仕事の重圧とハリソンとの不和によりラースローと妻の間には歪みが生じていく。序章、第1章まで物語に入り込むことが全くできず関係ない仕事のことを考えていた。2章の妻エルジェベートの出演開始くらいからようやく集中。フェリシティジョーンズの夫思いで苦しみを抱えた妻役、熱演やったなあ。
ほぼ4時間という大作ではあるんやけど物語の緩急がほとんどないため眠気に負けそうに(1章あたりは負けました)
今回主演男優賞でノミネートされていたのは実在の人物を演じた人たちが多かった!
ボブディランに扮したティモシーシャラメ、トランプ大統領を演じたセバスチャンスタン…ラースロートートは実在の人物かと思っていたがフィクションだと知り驚き。皆さん熱演には違いない。
ただ、このラインナップみるとどうしても主観バリバリでセバスチャンスタン(トランプ政権化ではとれないよね)やティモシーシャラメよかったやん…ブロディ、戦場のピアニストで取ってるからええやんなんて思ってしもた🙄
ユダヤ人建築家ラースロー・トートの半生を通してアメリカの闇が見え隠れする秀作
初のIMAX鑑賞です。なぜ今まで見てこなかったかというと料金が高いからです。そしてなぜこの作品をIMAXで見たかというと都合の良い時間はIMAXしか上映がなかったからです(笑)
エイドリアン・ブロディのアカデミー主演男優賞受賞に納得の作品でした。215分の長尺に尻込みしてましたが、途中休憩が15分あり、内容的にも映画に没入でき上映時間は全然気にならなかったです。リアル・ペインもそうでしたがこの作品もホロコーストを内包した映画でした。なんだか最近多いように感じます。
1951年ホロコーストを生き延びたユダヤ人建築家ラースロー・トートはブダペストからアメリカに渡るが、そこは決して安住の地という訳ではなく苦難の連続で…というお話で、昔から建築に興味のあった私には興味深いお話でした。
入場時に「建築家ラ―スロー・トートの創造」というリーフレットをもらったので、てっきり実在する建築家かと思ってましたが上映後調べてみると創作だったことに驚かされました。ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展とか実際にある祭典まで登場するので、リアリティを追求する徹底ぶりがすごい。それに加え、エイドリアン・ブロディの迫真の演技。
映像美も随所に感じられました。画面構成など美術センスも良い映画だなあと感じました。
大理石の白い採石場のシーンも印象に残りました。
ラースローは結局実業家ハリソンに振り回され続ける訳ですが、この富と権力を振りかざす嫌な人物がまるでアメリカを象徴するかのような人物として描かれているのですが、昨今のアメリカとシンクロするようでそれはそれで恐ろしいと思いました。
ホロコーストの影響で骨粗しょう症になり歩けず痛みの発作に苦しめられる妻エルジェーベト。
話すことができなくなってしまった姪のジョーフィア。
そしてラースローはドラッグ中毒から抜け出せない。
しかし、ハリソンにとっては所詮他人事なんです。
彼にとっては富と権力と名声が大切なのであって、それ以外には関心がない。
逆に鉄道事故などでそれらが脅かされたときには平気で雇い人をクビにし、とにかく自己保身が最も重要といわんばかりの行動をみせる。
もっとも許せないのはラースローの才能に嫉妬し支配欲に駆られ〇〇〇するところです。
妻エルジェーベトがハリソンの屋敷に単身乗り込み告発する場面は見応えありました。
そして行方不明になったハリソンを捜索中にラースローの設計したコミュニティセンターの教会の天窓から月の光が差し込み十字架が映し出されるという見事なオチ。
大作だけあって中身の濃い映画でした。これはこれで一大叙事詩ですね。
しかし、実業家ハリソンという人物を通して現在のアメリカの闇が見え隠れしてしまうとは、結局のところそれが主題なのかもしれませんね。
今のアメリカは決して自由の女神に象徴されるような自由な国ではないのだと。
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