ブルータリストのレビュー・感想・評価
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賞レースが楽しみだ(違う意味で)
ブラディ・コーベット
過去作「シークレット・オブ・モンスター」(’16)ではラストに大仕掛けを打って、史実のある人物を想起させる、「指導者」の誕生という、ドッキリ映画(ホントにドッキリする)を放ち、一躍注目を浴びた。
続く「ポップスター」(’20)でも、学校内銃乱射事件という、センセーショナルなオープニングから、ナタリー・ポートマンの異常なまでの熱演、過剰スレスレの、でも最後のライブは(本人であるならば)キレッキレのダンスと、画的には、細かいワンショットと早送りを実験的に駆使して、割と娯楽作に近づけた一本。(楽曲提供等にsiaが参加していることも注目。)
まあ、いずれも見ごたえはあるが、共通するのは、「トラウマ」。そして、史実を絡めて、深みをもたらせようとした点。そして、エピソードをバッサリ省略するところも似ており、ちょっとバッサリすぎるんじゃないか、と思うほど、切り捨てる。観客に不親切なほど切り捨てる。これを技巧ととるか、描きたくないのか、描けないのかは、観る側の判断。
個人的には、前者は上手くいった(それでも唐突)が、後者は銃乱射事件と無差別テロを絡めなくてもいいんじゃないか、と思えるほど、話は普遍的なもので、いささか、いやらしさを感じたりもして、評価は割れる。
そして、本作。あっという間にアカデミー賞の本命の一つにまで上り詰めたが、果たして。
ブルータリスト
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解説からわかるように、ユダヤ人、ブルータリズム建築、そしてこのタイミングの作品、ということで、観る前から、本命と言われる点で、「政治色」が濃いことは観る前から想定される。
音楽や撮影、クレジットや、建造物、風景のワンショット、走行する道路で、場面展開などにについては、過去作2作を観ている者にとっては、これまでと同じ手法で、章立ても、「トリアー組」なままでおなじみのものだが、初見の人は目を見張ることは間違いない。
そして、トラウマ、エピソードの省略のスタイルも健在で、案の定、政治色がより濃くでている。
オレは建築は詳しくなく、「ブルータリズム建築」と言っても、丹下健三氏の立てた「広島平和記念資料館」ぐらいしか肌に触れていない。そのイメージしかないため、装飾を廃止、機能性を重視、と言っても、見た目は平和の象徴だったり、その裏返しで「刑務所」だったり「収容所」だったりが想像されるだけである。(裏返しという意味では逆か)
本作で「ブルータリズム建築」とは何ぞやとは、理解することはできないが、ストーリーに至っては、極めてシンプルである。ユダヤ人の歴史もこの映画だけでは到底理解できないが、ハリウッドで成功したユダヤ人、シオニスト運動で、イスラエルに「帰った」ユダヤ人と、歴史的背景からすると、ハリウッド好み、ということは分かるが、後半の端折り方の問題のせいで、余計に偏った観え方になってしまっている。
前半は、歴史を追うという意味で、日本人のオレでもわかりやすく進行してくれているが、後半は、センセーショナルな出来事を無駄に挿入し、省略も深みを与えることなく、バランスは崩壊。過去作から通じる手法ゆえ、手癖、ということなのかもしれないが、悪い方に出てしまった。
brutalism。その呼び名をよしとしない建築家もいるので、The Brutalistとは、ここでは富豪や主人公といった特定の人物ではなく、「『悪の道へ流れる』世界」のことを指していると考えるほうが、過去作から考えるとしっくりくる。
だが、どうしてもここでは「アメリカ」を指すような見え方になっているので、改宗せず、「アメリカ」に嫌悪し、「アメリカ」から逃れ、イスラエルへ「帰った」ところだけ切り取って見えるので、本当にそこだけは残念。
「結果」を出し、成功した「ハリウッド」はそうしたユダヤ人を描く若手の技巧派を賛美するのは、理解はするが、オレには関係にないアカデミー賞。
そういう意味では、ブルータリズム建築を否定したトランプが再選された今、こうした映画にやや過剰に注目が浴びることも、「今見るべき映画」であることは間違いない。
追記
トリアー組からコーベット組、のステイシー・マーティンが今回もうって変わっての役どころだが、ちょっと出番が少なく、役も小さく寂しい。
一方、前作「ポップスター」から続いての新コーベット組のラフィー・キャシディが、その美しくも、深い悲しみを抱えている表情がとても素晴らしい。(少し特殊メイクをいれたのかな)
追記2
主人公夫婦について。後半でようやく姿を現す妻。主人公にとっては、再会を待ちわびた愛しき存在であっても「自分が経験した悲劇」が彼女からも見えるわけだ。彼女との夜は「戦争の悲劇」がもたらしたもの、ということになるのかもしれないが、男と女の関係は「戦争」でなくとも、自分のことを棚にあげ、汚されたと考えてしまうのは、それに限った話ではない。
ただ、この監督、「シークレット・」のステイシーの透けブラウスのねちっこい描写を含め、ちょっと歪んでいる。
一方、富豪のほうはキャラクターに深みがなさ過ぎ。
追記3
これだけ才気あふれるのだから、もう少しストーリーを丁寧に積み上げていって、お得意のバッサリ省略は一旦やめて、娯楽作にチャレンジしてほしいなあ、と切に願う。トリアー組とはオレの勝手なくくりだが、トリアーの「真面目でおちゃめな偏屈」とは違うほうにチャレンジしてほしいかな。
アメリカンドリーム体現者のbrutalな側面
当初3時間35分という長尺におののいていたのだが、インターミッションがあるという事前情報を得て一安心。疲労感少なく作品世界に浸ることができたのは、「私自身、3時間半じっと座っているのが苦手」というコーベット監督による、観客の体に優しい決断のおかげだ。ビスタビジョンのロゴとアスペクト比も、物語の時代に入っていくことを助けてくれた。
ホロコーストを経験した建築家(架空の人物)ラースローの話だが、彼の当時の苛烈な体験が直接的に語られることはない。
ユダヤ人難民としてアメリカに入国した船上の彼の目に最初に映った「アメリカ」は、逆さになって揺れる自由の女神だ。それはまさに彼が手に入れた自由の象徴であると同時に、やがて払うことになる代償の暗示でもあった。
前半のパートでは、ラースローがハリソンと出会い、彼からコミュニティセンターの建設を依頼されるまでが描かれる。
このハリソン・ヴァン・ビューレン、本作の中でもっとも多面的というか闇が深いキャラクターだという気がする。
息子のサプライズ失敗で初対面のラースローを怒鳴りつけたりしたものの、彼の建築の価値を理解すると真摯に無礼を詫びに来て相手の知性を賞賛するところなどは、一見いかにも成功したアメリカ人らしく屈託がないように見える。
だが後半のパートで、そんな表の顔とはあまりに裏腹な彼の腹の中が見えてくる。ラースローの才能に嫉妬し、彼の神経質な態度を高慢と受け止め、終いにはユダヤ人への差別意識を口にしながら彼をレイプした。陵辱に及んだ彼の心情はさっぱり理解できないが、あえて想像するなら、相手に屈辱を与え屈服させたという実感を得るための行動だったのだろうか。
後半では、渡米が叶った妻エルジェーベトとラースローの関係も物語の軸となる。彼女の健康は、ホロコースト以来の生活によってすっかり蝕まれていた。
それでも知性的なエルジェーベトはハリソンの家族と友好的に交流し、以前していた記者の仕事を世話してもらったりしつつ、ラースローに寄り添って生きる。
そんな彼女にラースローが鎮痛剤代わりにヘロインを注射し、顔を布で覆ってセックスするシーンは見ていてかなりきつかった。いくら薬を切らしているとはいえ病人にドラッグ、その上顔を隠して致すのは見ていて腹が立った、というのが正直な気持ちだ。2人が再会した夜に、セックスに関するすれ違い(加えてエルジェーベトは夫が商売女と寝たことも察し、それを許していた)が描かれた上での流れなので尚更だった。案の定エルジェーベトは死にかける。
幸い彼女は一命を取り留め、ハリソンを糾弾するため単身ビューレン家に乗り込む時には、歩行器を使って歩く姿さえ見せる。これは病状が改善したというより、ビューレン家の人間に車椅子を押して助けてもらいたくない、車椅子に座ることで彼らから見下ろされたくないという矜持が彼女の体を動かしていたのではないだろうか。
激動の体験を経る中で時に行き違いがありながらも、毅然として権力者に対峙し夫を守る彼女の姿に、夫婦愛の強さ、彼女の気高さを感じた。
ラースローの夫としてのあり方には個人的に受け入れ難い部分もあるが、エルジェーベトは自分が納得しなければ夫から離れることのできる自立した人間だ。彼女が受け入れているなら、余人による道徳的な論評など意味がない。そう思ってしまうほど、スクリーンの中でエルジェーベトは強く生きていた。
ブルータリズム建築の特徴は、コンクリートを多用する、簡素で重厚、角張ったフォルムの大型構造物、といったものだそうだ。
brutalという言葉は「残酷な、野蛮な、激しい」といった意味を持つ。また、文脈によっては「率直、歯に衣着せない」といった意味で褒め言葉として用いられることもあり、スラングでは「キツい、ヤバい」というニュアンスが込められる。
この物語における「ブルータリスト」は2人いるように思える。それはもちろんハリソンとラースローであり、ハリソンがbrutalである理由は見ての通りだ。
ラースローに関しては、物語後半で彼が見せた芸術家的な神経質さ……ではなく、エピローグの種明かしにその理由が集約されている。ハリソンの母を偲ぶためのコミュニティセンターを、収容所に模したデザインで建てたという彼の「ヤバい」行動だ。
出会い頭の誤解はあったものの、少なくともセンターのデザイン段階では、ハリソンはラースローの才能を見出してパトロンになり、住む場所を手当し知人に妻の渡米の手助けもさせる、傍目には恩人としか言いようのない相手だった。
そんな彼からオファーされた仕事の成果が、忌々しい収容所の記憶を刻みつけたものだということを最後に知って、ずっとラースローの視点で物語を追ってきたつもりが、実は彼のことを何も理解していなかったことに気付かされた。
このエピローグによって様々なものが見えてくる。ホロコーストのトラウマの根深さ、サバイバーで移民であるラースローの伺い知れない心。彼は最初からハリソンの本質を見通したから、いわば悪意を持って裏で彼の意向を裏切るような設計をしたのだろうか。それとも、もっと底知れない、彼の立場にならないとわからないような心の動きがあったのだろうか。
「他人が何を言おうとも大切なのは到達地だ。旅路ではない」というラースローの言葉には、綺麗事を拒否する響きがある。
エンドロールに流れる物語には不似合いな80年代風の明るい劇伴は、目指す作品を生み出し建築として世に残したラースローの、人生における勝利を祝福しているようにも聞こえた。
どのシーンも面白いんだけどちょっとズルい?
ひとつのシークエンスにじっくり時間を取ってみせる堂々とした演出っぷりに、監督としての底力や自作への確信めいたものを感じ、ほぼどのシーンも面白く観た。ただ、エピローグで明かされる「そうだったのか!」な主人公の真意の部分が、パズルのピースが合うようにそれまでに観てきたものとリンクするわけではなく、後出しに感じしてしまった。そもそもあえて観客を戸惑わせる作りなだけに監督思う壺なのかも知れないが、正直、ちょっとズルくないですか?とは思ってしまった。
インターミッションがちゃんと映像で表示されて、再開までの時間を親切に数字でカウントダウンしてくれるオールドスタイルを久しぶりに観た気がするが、やはりこの形式はいい。インターミッションを削除しがちなインド映画の日本公開もぜひ見習ってほしい。そして従兄弟役のアレッサンドロ・ニボラは、どんな映画に出てきてもなんだか嫌な気分にさせてくれる。名優だなあ。
逆さまにそびえる女神像に見守られし神話
それはありきりの形状に囚われず、どこまでも大胆で、かつ怪物的だ。そしてこの国(アメリカ)をめぐる怪物的な映画は、誰もがすっかり忘れた頃に時折姿を現す。以前同じ感覚を憶えたのは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』か。アメリカンドリームと人は言う。確かに主人公もまた欧州の地獄から逃れ、一縷の望みをこの国に託した人物だ。ある意味で彼はその微かなチャンスを掴み、またある意味では、自分こそ真の理解者だとのたまう横暴なパトロンに振り回され、その人物に愛されては嫉妬され、資本主義の歯車の中で徹底して蹂躙されていく。いわゆる渡米したユダヤ人の半生を重厚感たっぷりに描きつつ、と同時に、さながら現米政権を司る人たちともよく似た一部の米国人たちの王様気取りの姿をも鏡面的に描き出し、全ては建築という緻密で謎めいた構築物へと託されていく。かくも巨匠ですら不可能な城を築き上げた30代の鬼才コーベット、心底恐るべしである。
An Intricately Designed Picture
Every bit as a labyrinthine, audacious, colossal, and dedicated a piece of artwork as the facility Brody's fictional architect toils at great expense. The story of a practiced tradesman and Holocaust survivor who rises from rags to supporting the rich, this layered and oversized story might have one believe it is a true tale. It's grand cinema that arguably succeeds to be this era's Citizen Kane.
仕事と信念と才能と
映画のポスターからしてお洒落
主人公目線の「自由の女神」は観客さえ、トートになった気分で安心とワクワクがこみ上げてくる
そして斜めに流れるエンドロール! あの形式はありそうでなかった斬新なデザイン
完成した富豪の家の図書室(書斎?) 扉が開くシーンを見て歓声を上げる自分がいた
(芸術には、やはりお金がかかる)と、改めて感じた映画だった
金銭面ばかり気にしていたら、アーティストの実力は発揮できず
やりたいことも制限されるもどかしさから人間性も壊れていく
アートと狂気は、ほんの数ミリの違いなのでしょう
ところで、映画の趣旨とはそれるような様々な性◎描写には、驚いた
特にハリソンのアレには・・・
トートの詩的表現や生い立ち、そして自分にはない建築家としての才能に惹かれていったのは分かる
だけど、秘め事のはずなのに他人に見られそうな場所での、いきなりのあの行為は、単なる嫉妬なのか? 愛や恋ではなさそうなのだけど、支配欲?性欲?誰か教えて
妻のエルジェーベトが車椅子生活になってしまった足の怪我
突然、死ぬような痛みを伴うなんて、どんな病気だったのかな
そんなところも秘密のまま終わる
最後の最後に、礼拝堂(インスティテュート)にまつわるとんでもない事実をサラリと伝えられて鑑賞者は、えっ!!ちょっと待ってよぉ~ となる
才能がある人は、どこの国に行ってもそれを生かして、仕事が出来る
羨ましいかぎりだ
そしてその才能が自分の信念を磨き、研ぎ澄まされた信念がより一層才能を開花させる
凡人には無縁の方程式だ
感想メモ
ブルータリストとは、ブルータリズムという建築様式を実践する建築家のこと、ブルータリズムの特徴は素材を活かした建築、打ちっ放しのコンクリートやガラスなど素材の質感を活かして、幾何学的な形や彫刻的な形に仕上げる
偽物の自由の元で人は最も隷属する
最初の逆さまに映った自由の女神が印象的
体育館、礼拝堂、講堂を合わせたコミュニティセンター作ってね、という富豪からの無茶振りオーダー
建築家としてのプライドがあるので、やるなら徹底的に!素材やデザインにこだわるので予算オーバー
予算削減のために他の建築家を呼んで3m天井を低くすることにしたが、認めず
天井の高さを合わせるために地面を掘って、更に地下トンネルも増築、予算を削減したいなら削るのはこいつだ!と言われる始末
予算問題、パトロンからの嫉妬、薬物中毒、問題は尽きない
足場で遊んでいた従業員は怒られて当然だろ
姪、喋れるんかい、びっくり
妻は美しく、強い、そして何でもお見通しでちょっと怖い
エイドリアン・ブロディはやはり下がり眉が魅力的、憂いに満ちた表情が似合う
イタリアのカッラーラという街の景色が幻想的、真っ白な大理石が美しい
完成したヴァン・ビューレン・センター
高い天井に自然と目線が上に、そこには太陽の光を取り入れる逆さ十字架、狭い空間は強制収容所を反映している
洗練された、計算された設計、追い求めた美の核芯
素材の良さを活かし、人々にありのままの世界を知覚させる
大事なのは旅路ではない、到達点だ
この台詞建築家ぽくて好き、最初の方の、世界が変わって悪が奔流しても、僕が作った建物は川の氾濫に耐えられるように設計してある、みたいな台詞も好き
200分超えで長いねー
われわれは無だ 無にも満たない
大事なのは到達地ではない
旅路なのだ
最後のテロップで流れる言葉。
だが、この「旅路」という言葉があまりにも重い。
ホロコーストを生きながらえた、ハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トート。
彼にとっては、このアメリカ文化、アメリカ人気質、偏見・差別への抵抗の「旅路」。
陰謀論はびこるアメリカの裏切りと、味合わせられる屈辱。
淀んだ映像は、時に観るに堪えない感情で充たされる。
ホロコーストを逃れた自分とホロコーストで迫害を受けた妻の再会。
それは、ホロコーストに蹂躙された二人の運命の第二章だった。
トートは絶叫する。「われわれは無だ。無にも満たない」と
収容所を連想しながら、天井には光が。彼の旅路の果てにふさわしいモニュメント。
そこに、ホロコーストを超えるために、一生を捧げた建築家の強い執念を感じた。
2025/9/25 11:43
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トラウマ…
描写は無いがホロコーストでの耐え難い経験がトラウマとなり、それが収容所をテーマに建築するに至ったのか。とにかく長く、途中寝落ちし掛けた。ラースロー本人より、彼の妻エルベージェトの方が余程芯が強く、共感しやすかった。
消化不良
長い...!
そしてテーマを詰め込みすぎて主題が掴みきれず消化不良感が否めない。
制作側の自己満的な演出も多いので若干のしらけ感もあるけれど、
それでもアメリカにおけるユダヤ教徒の歩みを学べる作品として素晴らしいと思う。
アメリカと移民の関係性やユダヤ教の思想を学ぶ良い機会になった。
大事なのは旅路ではなく到達点。
他の作品だと逆のことを言うものもありそうだけど、本作はこの言葉がしっくりくる。
旅路がどんなに辛くても、惨めでも到達点が重要なんだと自分に言い聞かせてこれまでをどうにか生きてきた主人公の人生がとても切ない。
きっと何度も見返して、その度に少しずつ消化できる作品なのかなと思う。
到達点
『国宝』175分、『宝島』191分。
公開はこちらが先だが、横綱級の215分!
今年は長尺映画が話題だが、200分超えはなかなか。近年でもそうそう無い。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』以来かな。こちらもまた見たい…。
しかし、それに見合った壮大な叙事詩。
聞き慣れないタイトルの“ブルータリスト”。
1950年代以降多く見られた、素材や構造を露出させて質感を強調した建築様式“ブルータリズム”の建築家の意。
戦後ホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家のラースロー。ホロコーストで妻エルジェーベトと姪ジョーフィアと生き別れ。
新天地アメリカへ。従兄弟の計らいで再び建築の仕事を始める。
ある実業家の息子から父の書斎をサプライズ改装の依頼。が、それを知った実業家ハリソンは激怒。お払い箱の上に無報酬…。
しかしその後、ラースローが有名な建築家であり、彼が手掛けた建造物の素晴らしさに魅せられたハリソンから思わぬビッグプロジェクトの依頼。
あらゆる設備を備えた礼拝堂の設計と建築であった…!
エイドリアン・ブロディ主演なので、ユダヤ人ピアニストを演じたかの名作のように実話ベースかと思いきや、フィクション。
まるで実話や実在の人物のような真実味とリアリティー。
冒頭、逆さまに捉えた自由の女神像が印象的。
従兄弟と再会し熱い抱擁を交わすエイドリアン・ブロディの迫真の演技に早々と引き込まれた。
民族や時代背景などなかなかに分かり難い部分もあるが、分かり易く言えば、“巨大礼拝堂を作れ! プロジェクトX!”…みたいな話。
一見穏やかそうなラースローだが、建築家としてはこだわりとプライドを持っている。
ハリソンやスタッフたちと幾度もディスカッション。費用や資材、ラースローが創造するものが出来るか。
あちらにも譲れないものあるが、こちらにも譲れないものはある。
ラースローはただの設計者/建築家ではなく、稀代のアーティストのよう。
歴史上の偉大な建築家が創造した建築物はもはや芸術品。
全て緻密に構成し、メッセージも込めたガウディのサグラダ・ファミリアの素晴らしさと言ったら…!
果たして“芸術品”は完成するのか…?
幾多の困難と難題。着工が始まる…。
…と言うのが、前半パート=第1章。
序曲から始まり、第1章約100分。
後半パート=第2章も約100分で、エピローグで締め。
総じて215分。その構成すら計算された様式美のよう。
第1章は“プロジェクトX”のようだったが、第2章はより複雑交錯な濃密人間ドラマに。
妻エルジェーベトと姪ジョーフィアもアメリカへ。念願の再会を果たす。
エルジェーベトは苦境から車椅子になっていた。
それでも気品や芯の強さを失わないエルジェーベト。終盤のあるシーンではハリソンに食って掛かる。
ジョーフィアはラースローたち以外とは話そうとしない。内向的…という感じではない。民族や移民として引っ掛かるものが…。
その偏見の色も濃くなっていく。
妻と姪と再会してラースローの仕事に精が…いや、周囲との確執や苦悩が表面化していく。
思うように進まず、周りに当たり散らす。こだわればこだわるほど、溝が深くなっていく。
信頼を得ていたハリソンとも対立。
そこには、認めたくないが、受け入れたくないが、移民=アメリカ人との民族性の違いが…?
あのホロコーストという迫害を生き延びた…筈だった。
自由と新たな人生を求めた新天地で受ける別の迫害…。
我々に自由は無いのか…? 生きる場所は無いのか…? 辿り着く地は無いのか…?
ヤクや性欲にも溺れる。高尚ではない人間の生々しさ。
エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアース、フェリシティ・ジョーンズらの名演。
映像から美術から音楽からスケールや作風に至るまで、後世にまで残る芸術品のような格調高さ。
OPやEDクレジットの斬新さ、劇中曲はオーケストラ風だが、ED曲は現代的テクノポップ。そのセンス。
それを創造した“建築家”ブラディ・コーベットこそ、アカデミー監督賞に相応しかった。
どんなに困難に直面しても、どんなに偏見に晒されても。
築き上げていかなければならない。辿り着いたこの地で。
エピローグ。名建築物を称える式典。
成長したジョーフィアに連れられ出席した老いたラースロー。エルジェーベトはすでに亡く…。
ラースローを語るジョーフィア。
“大切なのは到達点。旅路ではない”
別の作品だったらその逆もあるだろう。が、本作に関してはしっくり来る。
建築家として到達点は、完成した時。
移民として到達点は、そこに根付いた時。
辿り着いたのだ。
演技が素晴らしい映画です
満足感
才能にあふれるハンガリー系ユダヤ⼈建築家のラースロー・トートがホロコーストから⽣き延び、アメリカに到達するところから始まる。
あっという間の3時間半でした。エイドリアンの演技に魅了されると同時に、彼の建築した図書室は見事で美しい。
ホロコーストがら逃げ出し正気でいられる方が、難しい。ヤクに走るのも無理はない。天才建築家の心は徐々に蝕まれて行く姿はノンフィクションを見ている様。妻と共に母国へ帰国を決心する苦悩はエイドリアンルーツも考えてしまう。
エイドリアン、ガイピアースいい味出してだなぁ、歳とっても映画にでて欲しい俳優、フェリシテはいつも確実な演技で三人が揃えば豪華な映画となり、充分堪能しました。
ハリソンの最後はきっと自決なんだろね。
質高い映画とは感じながら、描かれていない内容の是非について‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが溜まっていたので短く)
今作の映画『ブルータリスト』は、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家・ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディさん)が主人公の話です。
映画自体はスタイリッシュな映像美や、主人公・ラースロー・トートが設定建築を依頼された礼拝堂の建築への過程の見せ方など、3時間35分という映画の長さの割に、長さを感じさせず興味深く深く面白く観れる内容だったと思われます。
しかしながら、今作に描かれていない内容の方にかなり引っ掛かり、映画内容自体には、個人的には評価出来ないなと思われてしまいました。
その描かれていない内容とは、現在イスラエルが占領し、テロ行為の反撃とはいえ、原住民であるパレスチナ人々に対するガザ地区(あるいはヨルダン川西岸地区)への無差別虐殺への眼差しでした。
主人公・ラースロー・トートの礼拝堂のモチーフがホロコースト収容所であったことが映画の最後に明かされます。
しかしながら、主人公・ラースロー・トートは、あらゆる宗派を超えて統合する礼拝堂なのだと、建設前の住民説明会で説明しています。
つまり、主人公・ラースロー・トートは、周りの人間を騙してホロコースト収容所をモチーフにした礼拝堂を建てたことになるのです。
私は、この主人公・ラースロー・トートの周囲を騙してのホロコースト収容所をモチーフにした礼拝堂の建設のやり方には同意しかねる想いがあります。
それは、ナチスによるユダヤ人への大虐殺があったことで、あらゆるユダヤ人(イスラエル)の行為の正当化につながると思われるからです。
イスラエルのユダヤ人は、パレスチナの原住民を追い出し占領し殺害し戦争を仕掛け、パレスチナの人々をガザ地区やヨルダン川西岸地区に追いやり、ヨルダン川西岸地区では国際条約を無視してユダヤ人が入植しさらにパレスチナ人々を追いやり続けています。
それに反発したハマスのテロは許されないとは思われますが、イスラエルはテロを遥かに超える、パレスチナの人々を根絶やしにするかの如きガザ地区での無差別民族殺戮を今も行っています。
このイスラエルの民族虐殺の思想と、ナチスが行ったホロコーストの思想と、根本で何が違うのでしょうか?
昨年のアメリカ・アカデミー賞での映画『関心領域』のユダヤ系イギリス人のジョナサン・グレイザー監督は、イスラエルのガザの占領に対して異議を唱え抗議の意を示しています。
すなわち、映画『関心領域』の背後で描かれたホロコーストは、形を変えてガザで起こっていると示したのです。
一方で、今作の映画『ブルータリスト』には、現在パレスチナで起こっているイスラエルのユダヤ人による民族虐殺についての視点が全く削ぎ落ちていますし、今年のアメリカ・アカデミー賞でも、今作関係者からの、イスラエルによるパレスチナ人々に対する虐殺に関しての言及もありませんでした。
私にはこの映画の根底にパレスチナ人々への虐殺を正当化するユダヤ人の頑なな被害者的な思い込みを残念ながら感じてしまい、その意味では根本で評価出来ない映画だと、今回の点数となりました。
最近のアカデミー賞作品はとてもつまらない
カタチから入った空疎な映画
ビスタビジョンによるフィルム撮影、
インターミッションを挟んだ100分×2の伝記風、
というカタチを先に決めたんじゃないか。
いずれも「ふるきよき時代」の映画を意識したんだろう。
エピソードは、
どこかで見たような話の
よく言えばコラージュ、
気を遣わずに言えばツギハギ。
ユダヤ人に対するホロコーストは特に描かれないが、
薬物中毒、
手の裏を返す親類、
アメリカでの偏見、
成金のコンプレックス、
事故による頓挫、
イスラエルへの移住、
等々が散りばめられていて。
それなりに飽きずに観られるんだが、
ブツ切れで心に残らない。
必然性が感じられない。
ただ、妙に執拗に描いていたのは、性への衝動。
主人公ラースローがアメリカに上陸して最初にしたのは
娼婦を買うこと。
妻のエルジェーベトがアメリカに上陸して最初にしたのは
夫と致すこと。
最後の方で、成金を非難する言葉が、
「**魔」
この辺、監督・脚本家の性質(あるいは主張?)が表れている気がする。
総じて、
一見、重厚さを漂わせた大作のように見えるが、
内容の空疎さを感じざるを得ず。
長編小説を読み終えたような重厚な満足感
才能ある建築家の生きる様
…エイドリアン.プロディ
の巧みな演技に引き込まれていく
先日、戦場のピアニストを観ても感じた
悲哀を帯びた演技が最高に惹かれる
筋としてはどちらも戦争下と戦後の話
ピアニスト今作は設計建築家の違いが
あるがユダヤ人の役柄は同じです
この二つの作品どこか被ってみえた
ブダペスト生まれのラースロー
自由を求め
戦後1947年のアメリカ
ペンシルベニア高度発展に沸く街
に移り住む
配給を貰いながら暮らす生活
ほどなく従兄弟の元で働くことになったが…
時間にして三時間以上の大作
時代背景のおもしろさと音楽も
おしゃれで映像を引き立てている
そして主人公ラースローを演じた
エイドリアンが総べての作品だと思った
ハリソンに振り回されながら
屈辱を浴びながらも完成を目指す
内面の苦しさ辛さ哀しさの表情
を見事に演じている
建築家として決して曲げない意思と
(こだわり)…ユダヤ人としての苦悩
気持ちの弱さも露に描いて
人間味を感じる
最後は妻によって救われる
一人の才能ある建築家の半生
完成された建物はシンプルで美しい
配信で観ましたが映画館でみたかった作品
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