ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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変わった座組のアルモドバル映画
アルモドバルは英語圏でもやっぱりアルモドバルな映画を撮るという印象は、短編だった『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』から変わらないのだが、主演の2人の演技の上品さもあって随分とさっぱりした映画になっというか、やはりスペインの役者と撮っているときの方が純正のアルモドバルだなとは思ってしまった。もちろんティルダ・スウィントンもジュリアン・ムーアも申し分なく魅力的で、ジョン・タトゥーロだっていい異物感だと思ったけれど、英語圏の演技とスペイン人の演技は本質的に何が違うのだろうかと興味深く考える機会になった。またすべてのカットがアルモドバル的であるにも関わらず、アルモドバル汁が『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』より希薄だと思ってしまったのは、単にテーマが違うからという理由かも知れないし、今回の作品のほうが年齢的な成熟が反映されやすくてソフィスティケイトされたのかも知れない。いずれにしても、本作みたいに変わった座組のアルモドバル映画はもう数本は観てみたい。
どう死ぬかは、どう生きたかということ
自分の命が残り少ないと察知した女性が、最期の日々をかつての親友に託して旅立とうとする。尊厳死、安楽死というワードで括られがちな映画だが、よく見るとそうではなく、どう死ぬかというテーマは、どう生きたかに繋がり、看取る側も自分の人生とどう向き合うかについて言及した、アルモドバルらしい斬新な視点がここにはあった。
そして今回も、アルモドバルは使う服や食器の色彩、部屋に飾られたアート、小説、映画を使って、観客の五感を常に刺激する。すべてに意味があるのだ。1度観ただけではなかなか全部理解できないのだが。
中でも最も斬新な提案は、死ぬ間際まで人は美しくあれ!ということだと感じた。それは死期が迫るほどに美しく、細く、カラフルになっていくティルダ・スウィントンに象徴されている。
素晴らしい色彩に包まれながら、死というものを見つめ直す映画
病に侵され安楽死を望むマーサ、そして再会したかつての親友イングリッド、前半はニューヨークの病院や自宅を舞台に二人が語り合い、後半は自らの意志で安楽死を臨むマーサとともに、森の中の美しい家へ。そこで二人が過ごした数日間を描いたドラマ。
余命宣告を受けたことで感じる死生観を見事に描いており、自分に置き換えたらと思うと、台詞それぞれが重く響く。
多少現実離れしたストーリーながら、自分自身が納得して、自ら美しく死を迎えるということに対しての憧れを抱かせる。
舞台となる家、衣装などにこだわりが感じられ、マッチした音楽とともに、洗練されたスクリーンに没入できる。
マーサを演じたティルダ・スウィントン、親友イングリッドを演じたジュリアン・ムーアが好演。万人向けの映画とはいえないが、自分自身の死生観に被る点も多く、実際人生の終盤に入っていることもあって、先日観た「敵」と同様、自分自身が歳を取ったが故に深く感じるものがあった。
深い…
観ている間は、看取りを頼まれた主人公の心の動きに共感してたけど、冷静に考えると誰にとっても安楽死がベストなわけじゃないし、安楽死が選べる環境についてもまだまだ議論の余地はあるわけで…
難しい…
主人公が友達の日記を無断で鞄に放り込んだのには啞然とした。
でもそれが人間だし責められないよね…
最後、亡くなった友達の娘さんに会ってもすごく冷静で、主人公の表情に何を見るのかは人によって全然違うかもなぁと思いました。
死生観、自死を選択した人の尊厳と付き添った人の尊厳 マーサの死の感...
自分の命の終わりは自分で決めたい
深いようで深くもない
途中、退屈してしまった。
ファッションやインテリアは色彩豊かでセンスよく素敵ですが、ストーリーとしては淡々と進んでいき、死というテーマのわりには、重くはないけど、残るものもないです。
死ぬときに誰かそばにいてほしい、というのはだいたいの人が思うのかもしれないけど、相手の生活や時間を無駄に奪ってしまうのではないか、とか、そんな嫌なことに付き合わせたら悪い、とか例え家族であってもやっぱり普通は遠慮して言い出せないのだと思う。それを特に親しくしていたわけでもない人に頼むというのは、よくもわるくも我儘で自己愛の強い人、というかんじで共感したり同情したりっていう感情もなく見終わりました。
生と死をめぐる静謐な会話劇
これほどまでに「死」について濃密に描かれた映画があっただろうか。
しかもその死は暗くどんよりとしたものではなく、ポジティブで静謐に描かれる死だ。
2024年ベネチア国際映画祭のグランプリ受賞。名将ペドロ・アルモドバル監督初の英語劇でにして、円熟味を感じさせる研ぎ澄まされた作品だ。
ニューヨークが舞台、そしてアメリカの近代画家エドワード・ホッパーの「複製画」が大事な場面で使われていること、ジェイムズ・ジョイスの短編「死せる人々」が引用されることなどから英語を使ったのではないだろうか。
戦場記者だった末期がんを患うマーサ(ティルダ・スヴェンソン)は元同僚の小説家イングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会すると、苦痛を伴う治療をやめて安楽死を選ぶと告げる。
そして、最後の数日を思い出がある自分の部屋ではなく郊外の別荘を借りて、イングリッドと過ごすことになる。
ただし、死の瞬間は隣の部屋(ルーム・ネクストドア)にいてほしいと言い、自分の部屋の扉が閉まっていたら旅立った合図だという。
ほぼ2人の会話劇でありながら、後半はサスペンス仕立てで展開し、画面に釘付けにするあたりはアルモドバルのストーリーテラーとしての真骨頂と言える。
また、映画はマーサの今までに至る人生がインサートされる。とりわけ娘との関係性の話はアルモドバルが過去作品でもテーマにする複雑な母性ともつながる。
ストーリーは劇的な展開やどんでん返しなどは無くシンプル。75歳の監督の引き算の美学だ。
ストーリーはシンプルだが、色合いは賑やか。マーサの洋服の色や病院や部屋の装飾はビビッドな色合いや現代アートで彩られている。死を前にしてもポジティブである象徴のように。
モネが晩年研ぎ澄まされた感覚でシンプルに「睡蓮」を描き続けたことを想起した。
会話劇を抑揚をもって演じ切ったティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアなくしてこの映画は存在しない。
唯一気になったのは、がんの先端医療も不法な安楽死の薬も高額で富裕層でなければ手に入らないということ。
お金がなければ自らの命の選択もできないと捉えられなくも無い。
死を受け止める名優ふたり
とにかくすべてが美しい。
どの場面をとっても絵画を観ているような気持になりました。
病室、ベランダの植物、キッチンの花や果物、壁・ソファ…美しくないものを見つける方が難しい。
主演のふたりも既に60歳を超えていると思いますがしわの一つ一つですら美しく、抑え目のトーンの鮮やかな色彩の景色にパチッとはまり、艶やかで鮮やか。
貴族のような大ぶりの重いトーンの花の終わりを迎える間際を観ているようでした。
ティルダ・スウィントンの瞳は淡いブルーですが、大きく黒々と静かにすべてを飲み込むようでマーサの寂寥感が瞳に現れているようでした。
彼女のみつめる先は何が映っていたのでしょう。
死に近い場所で生きてきたマーサが選んだ尊厳死。
考えれば考えるほど深みにはまって正しいとされることに疑問を感じてしまう。
そしてマーサの様な尊厳を選ぶことにも疑問がわいてしまう。
多分私には私に訪れる「その時」まで分からないのだろうと思う。
尊厳の内容は十人十色であるだろうから。
そしてイングリッドをはじめ、死に寄り添おうとする人々の言葉の一つ一つがとても真摯で響いた。心から生まれる言葉は穏やかで耳ではなく心に響く。
死にゆくマーサとたびたび会話や回想に出てくる生の象徴のセックスと言う言葉。
生を貪るように交わったであろう過去が色々な人の会話から想像できる。
背徳感などは本物の死を目の当たりしたらとてもちっぽけなことなのだと言う。
マーサの枯れゆく命との対比をこんなところからも感じ取れる。
そして尊厳など関係なく訪れるのが死であることもマーサの職業からちらつかせる。
望むと望まざると奪われ続ける死がすぐそこにある現状を垣間見せながら「死」そのものを重石に置いた作品なのだろうと「尊厳死」に気を奪われていた私はしばらくしてから気づくお粗末さ加減でした。
命のあるものと命が枯れてゆくもの。
雪はどちらにも同じように降り積もるのだと、繰り返されたセリフに頷きながら染み入りました。
この名優ふたりでなかったら、鑑賞後はざわつきがおさまらなかったかもしれない。
舞台「おやすみ、お母さん」が頭をよぎった〜だいぶ違うけど〜 マーサ...
安楽死を認めたい気持ちと認めたくない気持ち
むずい。
とても知的な作品。
全てのシーンや会話に何かしらの意味があるような気がするが、自分の読解力だといまいちはっきりせず、もやもやすることが多かった。
あと、ずっとミステリーな雰囲気を漂わせているのに、「実はそういうことだったのか!!」みたいな展開がなくて、それが逆に新鮮に感じた。
最後まで観ると、この映画は「ミステリー(最後に真相がわかるドラマ)」ではなく「「サスペンス(最初から真相がわかっているドラマ)」だったことがわかる。
自殺することを知っていて、それを止めなかったことを隠蔽しようとする人間の話。
だんだんと犯人視点で描かれるサスペンスになっていく。
後半、主人公が警察に盲点を突かれるところがサスペンスっぽい。
映画を観てると「ネクストドアじゃないじゃん」と思っていたが、警察との会話で「ネクストドア」が重要なキーワードだったことがわかる(「ネクストドア」にはもっと深い意味があるんだろうけど… )。
「安楽死」について考えさせられる内容だった。
主人公は癌で苦しむ友人を手助けするわけだが、自分も昔、同じような病気だったので、この友人の死にたがる気持ち、わかる気がしてしまった。
入院中に「あそこから飛び降りたら死ねそう」みたいなことを考えていたのを思い出した。
あの頃は精神がおかしくなっていたので…
後半、警察は主人公に「自殺は犯罪。許さない」と発言。
これが今の社会の考え方だと思うが、本人が強く望むなら好きにさせてあげても良いのでは?とチラッと思わないこともない。
一方で「尊厳死を認めることが本人の意思の尊重でもあるし、社会の負担を減らす意味にもなる」みたいな意見も出てきたと思うが、こちらについては反対したい気持ちがある(矛盾しているように見えるかもしれないが)。
この意見が出てきた時に、2022年公開の日本映画『PLAN 75』を思い出した。
個人が積極的に望むならともかく、国にとって負担になるからという理由で、それを本人に促そうとする動きは許容し難い。
ちょっと人工的だけど、とても品のいい映画
ちょっと人工的だけど、とても品のいい、いい映画を見たな、と思った。
自分自身も自分の死を受け入れる時が近い(まだ先だけど、若い時と比べて、という意味で)ので、とても切実さは感じられた。その意味では、先日見た「敵」を思い出す。
会話劇的なところもあり、会話のカットバックが印象的。
小津映画もそうだけど、小津映画に限らず、会話のカットバック(それぞれを交互に映す)って、映画手法の中でも、白眉の発明だったよな、と改めて思う。
で、それがとても論理的で倫理的で、でも過激的でもあり、面白く魅力的。ふと大島渚の映画を思い出す。
そんな会話劇がジュリアン・ムーアとティルダ・スウィントン(この人は初めて。すごくいい)の揺るぎない演技のなかで展開される。
何か結論があるわけでなく、終了は死、それも尊厳死。
映像が美しく、出てくる建物、服装、街並み、など洗練されている。特に終のすみかになる別荘は、美しい。
音楽もゆったりして全体に流れているけど、殊更盛り上げるものでなく、寄り添う感じで好感。
いい映画体験でした。
女性らしいわがままがむしろ羨ましかった
女流小説家(ジュリアン・ムーア)は新刊本のサイン会で10年以上疎遠だった知人の女性戦場ジャーナリスト(ティルダ·スウィントン)が癌で入院中と聞き、病室を訪ねる。ステージⅢの子宮頸癌で治験プログラムの対象だったが。肝臓と骨に転移が見つかり、治験薬の効果はないと悟った彼女から安楽死の立会を頼まれる。
ジャーナリストには10代で産んだひとり娘がいたが。娘の父親は高校の同級生で、ベトナム戦争でのPTSDが原因で亡くなっていた。父親の存在をわざと伏せ、仕事に逃げたせいもあり、母娘関係は長い間疎遠なままだった。
スペインの巨匠アルモドバルの初の英語版映画。アルモドバル監督らしい、こころの機微を二人のベテラン女優がごく自然な演技で魅せてくれる。二人の共通の元恋人のデミアンが完全に黒子に徹するのが粋。初恋の男がベトナム戦争で壊れて帰って来たのに、戦場ジャーナリストになるっていうのはちょっと理解しがたかったが、どんな覚悟だったのだろうか。
マーサの娘、そっくりでした😎
真っ赤な口紅に黄色のスーツ。ベランダのソファ以外に高いんですよね。きっと。
僕は、「死んだら全部終わり」と思っていたが
末期ガンで余命僅かとなった友達から「心が決まったら薬物を飲んで安楽死したいので、その日まで隣の部屋で一緒に過ごして欲しい」と依頼された女性の物語。ジュリアン・ムーア、ティルダ・スウィントンという二大女優の実質的には二人だけの会話劇です。
二人が語る過去の思い出・後悔、死への怯えの言葉は何気ない物までもが切実で、観る者の足許からゆっくりせり上がって来ます。僕は、死んだら全てはそこで終わりで、その後になど何もないと思っています。なのに、人間は死んだらどうなるのかなぁ等と、この映画と並走しながら
ぼんやり考えていました。死んだらどうなるかと言う事は、どの様に生きたかと言う事の裏返しなのでしょうか。この歳になると染みるなぁ。
地味だけれど深く素晴らしい作品でした。
あっぱれ! 貴女は生まれ代わる
アルモドバルが今回取組んだテーマが尊厳死で、末期(確かレベル3)という友人の死に付き添おうとする作家が主人公になる
ジュリアン・ムーアはさすがに存在自体で役にはまっているが、前回鑑賞したメイ・ディセンバーとは真逆のキャラクターで、死にゆく友人に自分を抑えて寄り添う
対してその末期の友人のティルダ・スウィントンは一人では死にたくない、人の息遣いがする空間で最後を迎えたいという考え ウーンと唸ったのはそれはわがままなのか?自分らしい死を迎えたい意思自体は分かるが、他者を巻きこんだこのドタバタぶりにアルモドバルの皮肉が込められていそうだと思った
自作で生い立ちや母への郷愁をあれほど繰り返した監督が、そのことを悲嘆場だけで済ます訳が無い その答えはラストのスウィントン二役の娘の登場で完結した
死にゆく女性は友人を利用し、娘とは疎遠とのたまったとしても、見事にその精神は引き継がれ、まさに生まれ変わって登場する 男にはまさに出来ない芸当 あっぱれとしか言えない まさに女性万歳がテーマだと気づいた時、アルモドバルらしいアメリカ映画なのだと納得した。大好きな所以なのだ
死のイメージと対照的な鮮やかな色使い
静謐な気迫に見とれる
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