ECMレコード サウンズ&サイレンスのレビュー・感想・評価
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陶芸家が焼く陶器の様な作品作り
一世を風靡したキース・ジャレットの「ケルンコンサート」を始め、ジャズ・クラシック・民族音楽・ワールドミュージック等、精緻な音作りを進めるECMレコードの創始者マンフレート・アイヒャーの活動を静かに記録したドキュメンタリーです。ナレーションも説明字幕もなく、リハーサルやレコーディング風景、ジャケット選定、ミュージシャンたちの思いが淡々と映し出されます。
先に観た「BLUE NOTE」では、(そんな単純ではないのでしょうが)スタジオに集まったミュージシャンが「いっせのせ」で録音して、小切手貰って帰り道に酒を飲むというイメージだったのに対し、ECMの録音は、陶芸家が慎重に陶器を焼き上げる様に神経を研ぎ澄まして時間と手間をかけて音作りを進めるのが分かります。何度もダメだしして演奏を練り上げて行くのですが、僕にはどこがダメでどこが良くなったのかすらも分かりませんでした。自分が納得行った作品だけを世に出したいと言う創作の苦しみと喜びがあり、それを味わう事が出来るのは選ばれた人だけなんだろうなぁ。
極上の音楽に感動し涙した
これはECMレコードの、そして創設者であるマンフレート・アイヒャーのドキュメンタリー。
オープニングテーマの如く流れるキース・ジャレットのピアノ。これはレーベルの輝かしい歴史をたどるアンソロジー、かと思いきや全く違っていた。
そう、これは現在進行形のECM、そしてマンフレート。
世界中を飛び回って音楽を記録するマンフレート。観る我々は決して知り得ることがなかった素晴らしい音楽と出会う。
その音楽に、その音に激しく感動した。
まさにジャンルレス、ボーダーレス。
極上の音楽があった。
極上の音楽に涙した。
そう、これはECMのスピリットを我々に知らしめる作品。
思えば1969年、若干26歳にしてECMを立ち上げたマンフレート。それ以降の仕事はまさに偉業だ。
70年代初頭から音楽を聴き始めた我々にとってECMは絶対的だった。中学のときチック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」で出会い、高校のときキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」と出会った。「ジャズの時代」とも言える大学時代にECMのアルバムのコレクターになった。
特に熱狂したのは、
・Art Ensemble Of Chicago including Lester Bowie’s Solo
・Jack DeJohnette‘s Special Edition
・Pat Metheny including Pat Metheny Group
このときマンフレートが若いイケメンだとは思ってもみなかった。歳とったおっさんだと思ってた😰🙇
天井の高い石造りで録ったことのないエンジニアは今すぐ欧州に行こう
日本のテレビ番組(だけじゃないけど)における生楽器の録られ方が結構ひどい。
バイオリンだろうがサックスだろうがピアノだろうが風呂屋でカラオケかってほどのリバーブかけちゃう。ローパスもモケモケ。ハイパスもグギグギ。完全に生音と別物レベルまで改造しちゃう。
だからトークやリハの映像と本番演奏では楽器の音が全然違う。
最大の問題点は演奏してる本人たちがオーディオ的感覚に疎くて(←最大限気を使った言い回し)、自分の演奏が整形+厚化粧になっちゃってるのに気が付かないことが多い、というところだったりもする。「どうせPTのコンプレッサーでしょ」とか演奏者が言ってるのってあんまし聞かない。
ドゥダメルのドキュメンタリー映画「ビバ!マエストロ」はリハも本番も同じ音だった。そりゃそうだ。「ですよね」と思っていたらサウンドがデューン(ヴィルヌーブ)やった人だった。
各オケの音の違いがエンハンスなしでわかる。
……みたいな常識的なサウンドで音楽を楽しみたい人々のための映画。
言語に男性女性の性別のあるラテン語派生言語の人々の美やら芸術やらにかける意識は元々神との関係性の上にあるんだろうが、人間の話し言葉にも響きを求めるような音と関わる生活はまず静寂を求める。
キース・ジャレットのピアノで始まるこのドキュメンタリーは昨今の「クラシック音楽のレコーディング」にも一石を投じてないだろうか。投じてくれよ。聴衆もおかしいんだよ。デジタル過ぎておかしくなっちゃった聴衆にも見てほしいドキュメンタリーである。
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