劇場公開日 2025年3月7日

「オシャレな衣装、優れた美術、そして圧巻のミュージカルシーン」ウィキッド ふたりの魔女 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5オシャレな衣装、優れた美術、そして圧巻のミュージカルシーン

2025年3月21日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

興奮

【イントロダクション】
2003年に初演を迎え、今なお公演の続く大ヒットブロードウェイ・ミュージカル『ウィキッド』を原作とした2部作映画の第1部。
元はライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学小説『オズの魔法使い』及びその映像化作品『オズの魔法使』(1939)を基にした、グレゴリー・マグワイアによる1995年の小説『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』。これに基づくウィニー・ホルツマンとスティーヴン・シュワルツによる舞台である。

主人公となる“ふたりの魔女”の内、「悪い魔女」エルファバ役にアカデミー賞ノミネート女優シンシア・エリヴォ、「良い魔女」グリンダ役にシンガーソングライターとして世界的に評価を受けるアリアナ・グランデ。
監督は『グランド・イリュージョン/見破られたトリック』(2016)のジョン・M・チュウ。脚本には舞台と同じくホルツマンが参加し、他に『ベガスの恋に勝つルール』(2008)のデイナ・フォックス。
第97回アカデミー賞、美術賞、衣装デザイン賞受賞。

【ストーリー】
「西の悪い魔女が死んだ」
オズのマンチキンランドでは、その知らせを受けた住民達が歓喜し歌い踊っていた。空から現れた「良き魔女」グリンダは、人々から歓迎を受ける。住民の1人から質問を受けたグリンダは、「悪い魔女」ことエルファバの過去と、かつて彼女と知り合いだった事について語り始める。

生まれつき緑色の肌を理由に周囲から拒絶されて生きてきたエルファバ・スロップ。彼女は、スロップ提督の妻が旅のセールスマンと不倫し、緑の酒を煽って生まれた経緯を持っていた。そして、生まれつき“怒り”の感情が昂まった際に協力な魔法を行使する事が出来たのだ。

成長したエルファバは、足が不自由で車椅子に乗る妹ネッサローズの大学入学の連れ添いとして、魔法の名門シズ大学を訪れる。そこでは、新入生として生徒達の中で最も目立つかつてのグリンダ(ガリンダ)も居た。ガリンダはエルファバも自分と同じ新入生だと勘違いし、彼女の緑色の肌への同情から手を差し伸べる。しかし、エルファバはこれを拒否。「私は単なる付き添いだ」としてガリンダを突っぱねる。
単なる連れ添いだったエルファバだが、予期せぬ魔法の発動が魔法学部長マダム・モリブルの目に留まり、彼女からの個別指導の為、急遽大学への入学が決定する。モリブルに気に入られようと必死にアピールするガリンダは、咄嗟にエルファバとの相部屋の提案を飲んでしまう。

部屋を訪れたエルファバは、大量の荷物で部屋の大部分を占領し、自分には片隅の小さなスペースしか渡さないガリンダへ反抗する。2人の相性は最悪。互いを嫌悪し合いながらの、波乱のキャンパスライフが幕を開けた。

【感想】
私は原作の『オズの魔法使い』や映像化作品、本作のオリジナルである舞台版も未鑑賞。
あくまで『パート1』のみを判断材料として綴って行く。

本作は、様々な登場人物を通して描かれる「理想と現実」、その「折り合い」をどう付けるかの物語であるように感じた。
まだパート1なので、「折り合い」についての解答を示したのはラストのエルファバのみだが、少なくとも主要人物達は、皆それぞれ「理想と現実」を突き付けられていたように感じた。

エルファバは、自らの肌の色とそれに対する周囲からの差別を、オズの魔法使いに気に入られる事で覆せると思っていた。忌まわしい自身の肌の色も、彼の魔法でたちまち消え去るだろうと。しかし、実際のオズの魔法使いは、魔法はおろか(あれは単なるマジック)、オズに伝わる伝説の呪文書“グリモリー”を読むことすら出来ない詐欺師。しかも、動物達から言語を奪った張本人であると判明する。

ガリンダは、魔法と優秀な魔法使いであるマダム・モリブルへの憧れから、希望を胸にシズ大学へ入学する。しかし、憧れのモリブルはエルファバの才能に夢中であり、「ハッキリ言って、あなたには才能がない」と告げる。これまで持ち前の可愛さから失恋など経験した事が無かったというのに、編入生のフィエロとの恋すら、彼の関心が本当はエルファバにある事から暗雲が立ち込める。

そんなフィエロは、軽薄な振る舞いから編入を繰り返す問題児ながら、ウィンキーの王子でもある。恐らく王子という肩書きや自身に寄せられる期待に反発する為、軽薄な男を演じている。しかし、根は動物思いの優しい青年であり、唯一エルファバだけが「(軽薄そうにしている)あなたは全然幸せそうじゃない」と彼の本質を見抜く。

ガリンダに密かに想いを寄せるボックは、低身長の冴えない青年で可愛く人気者のガリンダとは不釣り合い。憧れのガリンダからは、名前すら正しく発音してもらえない。自身へ向けられる好意を他所へ向けさせようとしたガリンダの悪知恵から、ネッサローズへアプローチを掛ける事になる。しかし、本心ではガリンダへの想いを捨て切れず、ダンスパーティではフィエロと熱い口付けを交わすガリンダの姿から目を背けるように、ネッサローズにダンスを申し込む。その何たる残酷な事だろうか。
しかし、ガリンダが悪いとはいえ、悲しみを誤魔化すかのように目の前のネッサローズにアプローチを掛けるというボックの行為もまた、ネッサローズには残酷であり失礼にあたる。

足が不自由で車椅子で生活するネッサローズは、提督から溺愛され物質的には何不自由なく生活してきた事が窺える。姉のエルファバに対しても少なくとも他の者より親身になって接しているし、世間知らずの優しいお嬢様といったところ。ボックからの好意の真意を知らず舞い上がってしまう姿が切ない。しかし、エルファバがエメラルド・シティへ旅立つ直前に、ディラモンド教授への敬意から自らの名前を「グリンダ」に改名したガリンダを讃えるボックの姿に、彼の本心を見てしまう。さり気なく流されていくシーンだが、彼女の淡い初恋が無情にも打ち砕かれるこの瞬間が切ない。

ガリンダがエルファバへの意地悪をキッカケに、彼女がダンスパーティに訪れて周囲から差別を受ける姿を目の当たりにし、“平気なフリをしているだけ”と気付いてからの行動が良い。無音の空間でエルファバのダンスを真似てみせ、やがて互いが、そして周囲がダンスを踊っていく。その後の寮室での「初めてのパーティだったの?」「葬式以外ではね」という2人のやり取りが面白い。

オズの魔法使いが言う「人々を纏めるには、共通の敵を見出してやればいい」という台詞は、一つの真理であると同時に、冷たい印象を与える。本作では、大干ばつによって食糧難に陥ったオズを纏める為、高い知能を持ち、喋る事の出来る動物達を弾圧する事で人々を一つにした。それは、かつてヒトラーがユダヤ人を敵に仕立て上げ、虐殺へと走った人類の暗い歴史を想起させる。他方を悪とする事で、自分達に正義がある、正しい側に居るのは自分達だと誤認させる醜さが、華やかな衣装や凝った美術のガワの下に確かに流れている。

【嫌悪感の正体は、前時代的な価値観ゆえか?】
本作を鑑賞していて常に付き纏うのが、「古いなぁ」という印象だった。
小説が95年、舞台の初演が03年という事が多分に影響しているものと思われるが、今日において「肌の色が違う」という理由だけで、エルファバがあそこまでの差別を受ける姿に違和感を感じずにはいられなかった。
それは、現代社会におけるポリティカル・コネクトネスの精神が功を奏した結果でもあり、人々が“少なくとも表面上は”差別の意識を表立って出す事は減りつつある(あくまで、ある)し、もしそのような発言を行えば容赦なく糺弾される。だからこそ、エルファバが肌の色だけであそこまで周囲から酷い扱いを受ける姿には、前時代的な印象を受けるのだ。
せっかく、彼女には強大で制御し切れない魔力を持つという個性があるのだから、現代で映像化するのならば、「肌の色」という理由は残しつつも、もう少しそちらに対する人々の恐怖心を差別の根幹に据えた方が良かったようにも思う。ましてや、本作には舞台版の脚本家の1人であるホルツマンも参加しているのだから。

【印象的だった楽曲】
実際に組まれた大掛かりなセット、個性豊かで色鮮やかな衣装の数々は、オスカー受賞も納得の出来栄えだった。そして、それらと共に繰り広げられる数々のミュージカルシーンも、豪華絢爛で一級のエンターテインメントを観ているという満足感があった。
その中でも特に印象的だったのは、次の4曲。

『What Is This Feeling?』
相部屋となったエルファバとガリンダが、両親への便りの執筆を皮切りに、互いを嫌悪し合いながらキャンパスライフを送る様子はコメディチックでオシャレ。歌詞の内容は、まだまだ大学中がガリンダ側に付いているので、エルファバが気の毒になる内容ではあるが。

『Dancing Through Life』
編入してきたフィエロが主導となって、生徒達を『スターダスト』というダンスホールへ連れ出そうと繰り広げる図書館でのダンスシーンは、皆キレが抜群で迫力がある。また、回転する本棚等ビジュアルのインパクトも抜群。

『Popular』
ダンスパーティを通じて仲良くなったエルファバとガリンダ。ガリンダがお節介でエルフィーを人気者にしようと、メイクや服装をあれこれ試す。ピンクを基調とした美術や衣装、その可愛さに思わず「可愛い」「オシャレ」という感想を抱かずにはいられなかった。

『Defying Gravity』
間違いなく、本作最大にして最高の一曲!
この曲を通じて描かれるラスト10分の展開が、私の本作に対する評価を上げる要因となった。
これまでエルファバは、緑色の肌や不安定な魔法という不幸な生い立ちや、周囲からの差別や妹への罪悪感・責任感という様々な“重圧(重力)”によって、「自分らしさ」に気付かず、また誤った存在へ「憧れ」を抱いてきた。
しかし、憧れていた“オズの魔法使い”は、グリモリーを読めない詐欺師に過ぎず、動物達から言語を奪った張本人であると知り落胆する。
「理想と現実」の差に打ちのめされ、ようやく「現実」を見つめる事が出来たエルファバは、自分が何をすべきかを理解する。

〜It’s time to try defying gravity(今こそ、私は重力に抗って自由になる)〜

グリンダと互いに「あなたの幸せを願っているわ」と友情を確かめながら、彼女は黒衣に身を包んで魔法の箒に跨り、1人孤独に空へと飛び立つ。
“魔女が箒に乗って空を飛ぶ”
現代を生きる誰もが、生まれた時から「魔女といえば」のド定番、まさに王道だったこの姿。その姿にこれほどまで心打たれるとは思わなかった。

オズの魔法使いの思惑により、世界中が彼女を“悪”と見做す中、エルファバは自分らしさと自らの正義を胸に西へと飛び去る。その姿はまるで、正義を成す為に自らが悪を買って出た『ダークナイト』(2008)のバットマンのようなヒーロー性の体現だった。

【総評】
鮮やかでオシャレな衣装の数々、膨大なレッスン量を感じる圧巻のミュージカルシーン(エンドクレジットでのダンサーの人数の多さも圧倒的)は、劇場の大スクリーンで堪能する醍醐味が詰まっている。
作品を流れる価値観や登場人物達の行動に、若干眉を顰める部分もあるが、ラスト10分でのエルファバの覚醒が強烈に胸を打つ。

物語としては、まだまだ始まりに過ぎないので、『パート2』でどのような幕引きを見せるのか期待して待ちたい(出来れば、本国アメリカと同じく年内の公開が望ましいが、丁度1年後となる来年春辺りになりそうな気もする)。

緋里阿 純
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