「重力ばかりでなく、才能にも抗えるファンタジーか?」ウィキッド ふたりの魔女 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
重力ばかりでなく、才能にも抗えるファンタジーか?
gleeでカヴァーされた "Defying gravity" は10年来聴き馴染んた曲。調べてWickedの曲と認識はしたが、本編のミュージカルを観る機会は地方民にはなかった。本作の終盤、ヒロインが「重力」から解き放たれるクライマックスで歌唱される"Defying gravity (直訳: 重力に逆らう)"に心を奪われた。 呪文書を手にして、潜在能力を解き放つ演出は映像的にも圧巻。このクライマックスだけでも、映画館に足を運ぶ価値がある。
それまでの2時間超は、クライマックスへの前置きにも感じるが、諸々共感したり/できない部分もあり、5点に分けて詳述する。
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1. 不倫の子→ネグレクト→脳の萎縮
ヒロイン(Elphaba)が緑色なのは、1939年の映画「オズの魔法使い」の設定に準拠しただけで、特別な意味はないのかもしれない。 ただWickedでは身籠る前に母が不倫した設定になっている。なので、Elphabaが緑色に産まれたのは不倫の子であり、Thropp総督にとっては血を受け継がない「義理の」娘である象徴にとれる。白人カップルに有色の子が産まれて不倫がバレた例はある。皮膚の色に限らず、顔の造形や特徴的な身体的特徴で不倫がばれる例もある。父子家庭で育てていた息子にそこはかない違和感を感じたO氏がDNA鑑定した結果、O氏と息子には血の繋がりがなく、前妻のK氏の不倫が発覚した騒動もあった。実際には、不倫で緑の子が生まれる訳はないが、Wickedでは父が妻の不倫に気付くキッカケとしての設定に思える。
ヒトを対象にした研究で、親は義理の子ども対して実子よりも、虐待したり喧嘩しやすく、教育資金も低額しか支援しない事が知られている。Thropp総督のElphabaに対する明らかなネグレクトは、好ましいものではないが、現実社会でも十分生じ得る状況。男児の場合はネグレクト、女児の場合は性的虐待が脳の一部の発達を阻害し、成長後も脳波異常、てんかん発作、統合失調症へのリスクが高まる。性的には虐待まではされていないElphabaに精神疾患の心配はなくとも、自己肯定感を高くは保てない生育環境だったの間違いない。
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2. 図書館で暴れるな
退学を繰り返してきたFiyeroが、皆をナイトクラブに誘う為に図書館で乱舞するシーンがあったが、フィクションと分かっていても無性に腹立たしかった。登校に時間を要した自分にとって、大学の図書館は集中できる貴重な場所だった。Fiyero個人が、勉強なんて必要ないと思うのは自由だが、宿題やレポートに集中したい学生も居る図書館で暴れるな。本を乱雑に投げ飛ばすのも、開いた本を足で踏みつけるのも耐え難かった。
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3. Glindaは本当に味方か?
「オズの魔法使い」迄には、南の「善き」魔女に成長してる筈のGlinda。しかし、Wickedの前編(本作)では、基本自己中で、自身の役に立たない相手には残酷でさえある。潜在魔力の高いElphabaへの嫉妬も隠さない。学園モノなら、自分が一番と疑わない一軍女子で「悪役」の立ち位置にみえる。
中盤で確かに「友」になる。Elphabaが「プレゼント」の御返し、Glindaも魔法ゼミに加えるようにMorrible魔法学部長を説得した事を知ったGlindaが、その「プレゼント」で陥ったElphabaの窮地を見過ごせず、唯一味方になって窮地を脱する。その後、白粉花のトラウマもElphabaに責任はないと励まし、「善人」にキャラ変したようにも見えるが、自分は未だ信じきれてない。Glindaは、Elphabaに嫉妬するよりも、味方につけた方が、Morribleから魔法を学びやすいと思っただけなのでは? Elphabaが役に立たない存在になれば、再度冷酷に切られそうな気もしなくない。
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4. 黒幕が迂闊過ぎ
ゼミの成果で魔力を制御する能力が高まったElphabaは、オズの魔法使いに招かれる。師匠のMorribleに呪文書グリモリーを使う手助けをせよと命じられるが、Elphabaが助けたかった動物たちをMorribleが私益の為に苦しめている事を知り、Elphabaは反逆する。
MorribleがElphabaを利用しようとした目的上、呪文書に近寄らせない訳にいかなかったのは分かる。ただし、長い時間を伴にしたゼミで、Elphabaの潜在魔力ばかりでなく、彼女の物の考え方も理解できた筈。動物教師を拘束する事にも派手に反抗していたのだから、動物を悪用するにもElphabaを納得させるような理論武装を用意するべき。最悪、妹や親族を人質にしてElphabaを従わせるべきだった。まだ後編が残っているが、この時点で黒幕がうっかり過ぎる。
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5. Lookism + Talentism
緑の体色で差別される描写は、Shrek (2001)でも明示されていたlookism批判。魔法が解けたFiona姫の姿にメッセージが集約されていた。白人社会での有色人種への偏見は少しずつだが改善されている気もする。一方、黒人社会でアルビノの殺害も深刻な問題として聞こえてくる。黄色人種だらけの日本で本当に緑色の子供が産まれてきたら、かなりのlookismに晒されるのは想像にかたくない。
魔法に対する描写には、才能主義(Talentism)も感じる。Morribleは特別な才能がある者が現れた時しか、魔法ゼミを開かないと断言する。実在しない魔法の設定は作者次第だが、仮に魔力が先天的に決定されるものなら、潜在魔力が0の学生を鍛錬する意味はないのかもしれない。量的遺伝学では、身長の遺伝率が80%とかいめいされている。身長がものをいうスポーツ競技の場合、両親がかなり低身長だったら、子供の内に諦めさせた方がいいのかもしれない。柔道やレスリング等、階級制の競技の方が望みがある。とは言え、172 cmと決して高身長でない河村勇輝選手がNBAで人気を博しているように、先天的な能力では測りきれない場合もある。
呪文も知らない内に魔力が迸っていたElphabaに才能があるのは事実だが、その気配がないGlindaも後編で「南の善き魔女」に成長するよう描かれるのなら、Talentismを懐疑する物語なのかもしれない。