「見事な秀作でした!気になっている人は是非」矢野くんの普通の日々 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
見事な秀作でした!気になっている人は是非
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『矢野くんの普通の日々』は、構成が見事な秀作だったと思われます。
主人公の吉田清子(池端杏慈さん)は、幼い妹と弟がいるお姉さんなのですが、映画の冒頭の数カットで、姉と妹弟との関係性を表現し、大き目の救急ポーチの存在で心配症の性格を現わし、桜が咲く神社を映してこれからの新学期を表現する、それぞれの鮮やかで端的な描写は、初っ端から見事だとは思われました。
その後、担任教師(池田良さん)のとぼけた雰囲気が学校の空気感を象徴し、矢野くん(八木勇征さん)の怪我に対する担任教師の段積みの反応によって矢野くんの怪我の度合いへの緊迫感の増加を表現し、主人公・吉田清子やそして観客の緊張感をも上げて行く演出も秀逸だったと思われます。
心配性の主人公・吉田清子が、怪我の度合いが上がる矢野くんにすぐに引き込まれるのも説得力があり、それが好きの感情に変わる変化も自然だったと思われます。
物語が進んで吉田清子と矢野くんはつき合うことになるのですが、矢野くんと中学の時にクラスメイトだった岡本(筒井あやめさん)が後半に転校して来てから、吉田清子と矢野くんはぎくしゃくすることになります。
野球部で吉田清子と同じクラス委員長の羽柴雄大(中村海人さん)は、吉田清子の事が好きなのですが、矢野くんとぎくしゃくしてしまったとの相談をして来た吉田清子に対して、勢いで告白してしまい、案の定、吉田清子から距離を取られるという描写がありました。
その直後の林間学校でも、羽柴雄大は吉田清子から距離を取られてしまうのですが、羽柴雄大は幼馴染の泉(白宮みずほさん)に、吉田清子に告白してしまい良好な友人関係を壊してしまった、との後悔を伝えます。
この場面は、逆に幼馴染の泉は羽柴雄大のことが好きなのですが、泉が、良好な友人関係を壊さないために羽柴雄大に告白しないようにしている、彼女の心情に玉突き的につながり、その前の夏祭りの後の泉の涙も含めて、秀逸な連関した場面構成描写になっていると思われました。
前後しますが、夏祭りの場面では、少し姿を消した矢野くんに対して、母を亡くした経験から吉田清子がショックを受ける場面があります。
その時に吉田清子は少し矢野くんがいなくなっただけでショックを受ける自分は「普通じゃないよね」とその後に姿を現した矢野くんやみんなに吐露するのですが、矢野くんは普通じゃなくていいんだ、との言葉を吉田清子に返します。
そしてさりげないのですが、その、普通じゃなくていいんだ、との矢野くんの言葉が、そばで聞いたいたメイ(新沼凜空さん)の心に刺さるのです。
メイは、吉田清子と矢野くんとの恋愛を応援しているのですが、自分自身はそんな恋愛感情を持っていません。
恋愛感情を持っていないメイは、自分は普通じゃないのかな、と悩んでいたのですが、矢野くんの普通じゃなくていいとの言葉によって救われることになります。
ここでも玉突き的な連関描写が秀逸だと思われました。
(この一連の場面の私の記憶は正確でないかもしれないので、間違いがあれば修正下さい‥)
この映画『矢野くんの普通の日々』は、「普通の日々」と言いながら、実は普通でない人達を根底で肯定する作品になっているところにも、素晴らしさがあると思われました。
惜しむらくは、映画の終盤で、母の形見のペンダントを探してる時に崖の中腹に落ちた吉田清子を助け出すために、矢野くんもさらに崖の下に落ちる場面があるのですが、その時の吉田清子は母を亡くした時と同じ感情になる必要があったとは思われました。
ただ、私的に感じた惜しさはその場面ぐらいで、あとは場面の積み重ねもそれぞれの登場人物の自然な心の動きも関係性も、素晴らしく見事な秀作になっていると思われました。
映画『なのに、千輝くんが甘すぎる。』でも思われましたが、今作の新城毅彦 監督は、丁寧な描写の積み重ねとそれぞれの登場人物の理解と深い掘り下げとしっかりとした関係性の構成が出来る優れた監督なのだなと、僭越ながら改めて思わされました。
それぞれの登場人物の魅力も引き出された見事な構成された作品だと、面白く最後まで観ました。