アイミタガイのレビュー・感想・評価
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自然と溢れる涙を拭くのに大変でした(T_T)
原作もストーリーも把握してませんでした。
タイトルだけ見た印象、冒頭で友人が海外に行く~とかの展開から、どこか海外の地名かと思ってました😅💦
「相身互い」~良い言葉です♪
互いの存在を尊重し、お互い様ですと思いやる心。
何となく殺伐とした雰囲気が溢れ返ってる現代において、絶対に忘れてはならない、無くしてはならない、日本人として大切にしたい感情です。
良い映画でした♪
見事なる幸福の連鎖! 夜明けのマイウェイがあなたの心を癒やす。
終始優しいテンションに包まれた思い~
今日はね「アイミタガイ」を観に行きました。
三重県近鉄沿線、桑名駅。ここが映画の一つの舞台。
相身互い(アイミタガイ)とは、助け合いの心~
前半伏線が色々あるが全く気にする事なく、普通な程の日々日常描写。
でも ある手紙がもたらすきっかけが連鎖の始まり。
そこからの展開の詰め方が素晴らしいですね。
そして後半に徐々に繋がっていき 見事な幸福が織りなす輪が
観ている側へも届いて来ます。
原作:中條てい氏 「アイミタガイ」
監督:草野翔吾氏
-------素敵なMC------
秋村梓(結婚プランナ- 主) 役:黒木華さん
小山澄人(彼氏) 役:中村蒼さん
郷田叶海(事故死 まぶだち) 役:藤間爽子さん
郷田朋子(叶海の母) 役:西田尚美さん
郷田優作(叶海の父) 役:田口トモロヲさん
綾子(梓の父方祖母) 役:風吹ジュンさん
稲垣範子 (ヘルパ-)役:安藤玉恵さん
小倉こみち(ピアニスト) 役:草笛光子さん
車屋典明(タクシ-運転手) 役:吉岡睦雄さん
羽星勝(施設長) 役:松本利夫さん(EXILE)
福永(宝石商) 役:升毅さん
ーーー良かった所
・とにかく俳優陣の輪が素晴らしい。この話に最適だったと思う。
バランスが上手くとれていて配役は良かったと思います。
・風吹ジュンさんが若い! 役処では祖母役なんですがね。
とっても良い感じ。寝ているときに 梓の背中に手を当てて
結婚を推してあげる所 とっても良い感じでした。
例え結婚しても縁は切れないよ、大丈夫だよって言ってあげれる思い・・・
素晴らしい配慮に拍手。
・夫婦が施設に向かう道中で車屋さんのタクシ-に乗るところ。
そのタクシ-は娘が何度か利用して乗っていたと思われる話。
そう言う事って実際に有ると思うのよね。
何故か涙が出たわ。
・小山⇒電車内で 叶海の父に親切。
この事で叶海の父が娘に会える。最後の再会。
娘が父へもっと母と会話してとお願い。母と父の間柄が強くなる。
亡き娘のLINE通話閲覧と 娘のまぶだち梓と駅で両親が再会。
全てが繋がっていき、亡き娘に 母の居ない梓が代わりに成っていく思いがする所。この思いはあるのではと思った。
・最後の小山が梓へプロポ-ズ。その承諾。
善は急げで宝石商へ。しかし 残念な本日は閉店。でも・・・
そこへ 金婚式に参加して帰ってきた店主が合流し店が開けられる奇跡。
全てが幸福の方向に連鎖して繋がってゆく。
素敵な展開が心を癒やしますね。
エンディングに流れる ~夜明けのマイウェイ~ で締めくくりです!
とっても良い一時を
是非 映画館でどうぞ!!
『アイミタガイ』胸に刺さる。
映画が始まって直ぐに、上から撮影した近鉄の電車が川を渡り桑名に入るシーンだけで胸に迫るものがあった。どこかは直ぐに解った。
私が育った所だ。まさか、こんなに感動するとは想わなかった。自分の見知った場所が写るだけで、こんなに胸に刺さるなんて…。画面の中の人たちが生々しく迫って来る。彼らの人生が見えて来る。
主人公は子供の頃、桑名の中学校に転校してイジメられる。自分も桑名に来てイジメられた経験を想い出した。
最後に主役を演じた『黒木 華』が唄う『夜明けのマイウェイ』が流れて来た時は胸が苦しくなった。私が子供の頃に好きだったドラマ『ちょっとマイウェイ』の主題歌だ。元々の曲と違いスロー·テンポのバラードだ。
『荒木 一郎』はマジシャンとして知っていた。でも大好きな『夜明けのマイウェイ』を作詞·作曲したのが彼だとを知ったのは何十年も後の事だ。
オーソドックスに見えて、人間を深く理解した優れた秀作でした!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を大変心動かされ面白く観ました。
私がこの映画『アイミタガイ』で初めに優れているな、と思われたのは、主人公・秋村梓(黒木華さん/中学時代:近藤華さん)が、叔母でホームヘルパーの稲垣範子(安藤玉恵さん)の顧客である小倉こみち(草笛光子さん)に、秋村梓の勤めるブライダル会社が行う金婚式のピアノ演奏を頼む場面です。
90歳を超える小倉こみちは、戦時中に自身のピアノで当時の同世代の若者を戦地に送ってしまった傷を抱えていることをこの時、秋村梓と稲垣範子に伝えます。
なので本来であれば、ピアノにまつわる戦争体験の話を聞いてしまえば、普通であれば引かざるを得ない場面だとは思われます。
ところが秋村梓は、中学生の時に、親友の郷田叶海(藤間爽子さん/中学時代:白鳥玉季さん)に連れられて、当時の小倉こみちのピアノ演奏を聴いていた話をします。
そして、小倉こみちの戦時中の想いに踏み込んで、彼女に金婚式でのピアノ演奏を依頼するのです。
しかし小倉こみちは、(一旦は)この秋村梓の依頼を断ります。
私がこの場面が優れていると思われたのは、誠実さありながらの相手の心の中に踏み込む姿勢と、一方で、踏み込まれた相手の自然な心としての拒否する姿勢の描き方でした。
この相手への誠実ながらの踏み込みと、一方での自然な相手からの拒否は、人間の関係性を深いところで理解している描写になっていると思われました。
なぜなら、例えどんなに相手が誠実に想いを伝えていても、誰もが踏み込まれたくない自身の想いを持っていて、相手をそれで拒否をするのは自然であると思われるからです。
加えて、とはいえ相手への踏み込みなしに人との関係性をきちんと構築するのも困難だと、一方では思われるのです。
この誠実な踏み込みと自然な(一旦の)拒否による関係性の構築は、この作品に一貫して流れていると思われました。
例えば、主人公・秋村梓の恋人である小山澄人(中村蒼さん)が、秋村梓に(結婚につなげるための)指輪を店に見に行こうという踏み込んだ提案をしますが、秋村梓は両親の離婚の経験から結婚へのわだかまりがあり小山澄人のこの提案を(一旦は)拒否する、という場面もありました。
(その後、この時の秋村梓による小山澄人の提案の一旦の拒否は、美しいラストにつながって行きます。)
そして、この相手に踏み込んで行く姿勢は、主人公・秋村梓の親友の(映画の冒頭で事故で無くなった)郷田叶海が、2人が中学生の時に秋村梓に踏み込んで彼女をいじめから救う場面から、時系列的には始まっていたと思われます。
郷田叶海の、誠実さを持ちながら被写体に踏み込んで行くカメラマンとしての姿勢も、映画の根底描写として一貫していたと思われます。
この映画『アイミタガイ』は、一見するとオーソドックスな設定とストーリー展開ではありますし、円環的な関係性の脚本でもあるのですが、個人的には単調にも作為的にも一切感じませんでした。
その理由は、誠実さある踏み込みと、自然な(一旦の)拒否と、さらに進んだ人間関係の構築という、深い人間に対する理解ある作品だったからだろうと、思われました。
郷田叶海の父・郷田優作を演じた田口トモロヲさん、母・郷田朋子を演じた西田尚美さん、主人公・秋村梓の(両親が離婚した)父方の祖母・綾子を演じた風吹ジュンさんなども含めて、どの演者の皆さんも素晴らしい関係性ある演技だったと思われました。
(劇的な展開というより積み重ねる作風で、一方で傑作評価は難しい面もありますが)
今作は元々、亡くなった佐々部清 監督が準備していた映画だと後で知りましたが、なるほど佐々部清 監督らしい優しさあふれる映画だと思われました。
そしてそこに、草野翔吾 監督による現代的な新しい風が吹き込んでいる、優しさだけでない人間理解の深さと的確さある、優れた秀作だったと、僭越ながら思わされました。
愛を見たかい
それぞれの何気のないエピソードがつながる快感、点と点を結ぶ見えない線。それは亡き親友が仕組んだ愛にあふれたいたずらなのだろうか。辛すぎず甘すぎず、熱すぎずぬるすぎず心にとても優しい映画。
良い人しか出ない映画はつまらない、そう感じていた私。でも本作を鑑賞してこういう映画もいいもんだと思えた。
黒木華さんのエンディング曲も優しい歌声で癒される。彼女の持つ柔らかなイメージの通り。
主人公の梓は澄人との結婚に一歩を踏み出せないでいた。学生時代からの親友叶海はカメラマンになれたきっかけをくれた梓に今度はあなたが困ったときには背中を押してあげると言いながら旅立ってしまった。
叶海の死を受け止められない梓は彼女のスマホにメールを送り続ける。けして既読とならないメールを。
梓の叔母が介護ヘルパーである家に訪れた時、まるで止まっていた時計の針が動き出したかのように物事が動き出してゆく。
その家こそ学生時代いじめから救ってくれた叶海が連れてきてくれた決まった時間にピアノが鳴り響く家だった。
その家の主人小倉は戦時中自分のピアノで若者たちを戦地に送ったことを悔やみ、それ以来人前ではピアノを引けなくなっていた。ブライダルの仕事で訪れたそんな小倉に梓は過去このピアノに心を癒されたことを告げる。この縁で小倉は再び人前でピアノを弾くことができるようになった。
叶海の両親のもとに娘への郵便が転送されてくる。それは福祉施設からのひな祭りを祝うカードだった。娘が仕事をきっかけに施設の子供たちと交流を続けていたことを知る。娘が生前何を思い何をしてきたか、それを知るために両親は福祉施設を訪れる。そこから施設との交流が生まれる。
親友の存在、娘の存在が無ければけして生まれなかったであろう思いがけない人々とのつながり。亡き親友が、亡き娘が紡いでくれた人との関わり。これが彼女がこの世に生きた証でもある。残された人々は悲しみに暮れるのではなく彼女の遺した軌跡を辿る。
澄人のプロポーズに躊躇する梓に叶海の母がメールを返す。行っちゃえと。叶海は約束通り梓の背中を押したのだった。
これらメインのエピソードから、澄人が乗客の居眠りに機転を利かせた話や宝石店の孫の宝物の話といったほんと何でもないような細かなエピソードがすべてつながる時、とてもやさしい気持ちにさせられた。
こんな何でもないようなお話を見て幸せな気持ちになれるなんてと。
“とある喪失感から立ち直るための青春映画…”な映画
泣くな!というほうが無理な映画でした…なので、泣きたい方は、どうぞ!笑
登場人物にまつわる各エピソードは、どこか既視感のあるお話ばかりなんですが、脚本が良いのかあるいは監督の手腕のせいなのか、人々の心情が上手く描けており、観ている側も感情移入がしやすく、後半へと行くにつれ、徐々に説得力のある物語へとなっていきます。
出演者たちはみな名演なんですが、特に主演の黒木華は見事でした。この作品がキネマ旬報のベストテンに入ることは多分ないでしょうけど(すいません!笑)、この作品で黒木華が主演女優賞を獲ってもおかしくはないでしょう(あくまでも個人的意見です)。派手な役どころではありませんし、どちらかといえば淡々とした物静かな役柄なんですが、彼女の所作や細かい表情の変化など、嫌味なくとても自然な感じがしました。
良い物語、良い作品だったと思います。
*ラスト、宝石屋の主人と孫のエピソードは、とってつけたかのような演出で、ちょっと“やり過ぎ”かなと思いました。もっとさらりとした偶然を装えばスマートだったかも知れません。あと、施設に保険金を寄付するエピソードも不要だったかなと思いました(トイレの写真だけで十分でした)。
*主人公と親友の高校生時代のエピソードだけで、1作品出来そうですね。この2人に纏わる“お話”がとても素敵な映画作品でした。
*脚本の市井昌秀は、私の大好きな映画『僕らのごはんは明日で待ってる』を監督した方だったんですね!どうりで…笑
*女優・藤間爽子さん、初めて知りました。
人の背中を押したいと思いました。
親友を亡くした主人公がさまざまな人との出会いや気付きで、一歩前に進もうとする映画。
少し出来すぎの気もしますが、「お互い様」という気持ちで、隣人に親切にしたり、できる範囲で気遣いをしたり、ほっこりする場面が多かったです。
娘を亡くした両親が児童施設のトイレに貼ってある娘の写真を見て涙する場面ではついもらい泣きをしてしまいました。
人は信じられる、信じて前に進むしかない。そんな気持ちにさせられました。
出演者、特に草笛光子さん、風吹ジュンさん、そして中村蒼さんが素敵でした。
アイミタガイ=相身互い≒I meet a guy
11月5日(火)「ゼンブ・オブ・トーキョー」に続いてハシゴ。TOHOシネマズ日比谷で「アイミタガイ」を。
梓(黒木華)は、ウェディングプランナーだが、結婚していない。
梓には両親が離婚したトラウマから結婚に対して積極的になれない思いがある。
「プランナーさんが結婚してないの」と顧客の親から嫌味を言われる事もある。
梓には澄人(中村蒼)という彼氏がいるが、今ひとつ頼りない。そして、間が悪い。この間も家まで転倒防止器具を取り付けに来てくれたが、自分が転倒して小指を骨折した。
澄人はいい人である。いつも同じ電車に乗る知らない人が寝過ごしそうになるとわざと本を落として起こしてあげる。
澄人は梓と結婚したいと思っているが、踏み出せない。福永(升毅)の宝飾店を訪ねる。
「今すぐに買う訳ではないんですが、この店で一番高い指輪を見せて下さい」
出された120万円の値札が付いた指輪を見て
「ご、五番目位に高いやつをお願いします」(判るよ。私も給料3ケ月分に満たなかったって、何十年前の話だ?)
梓には転校して来た中学生の時に虐めから助けてくれた叶海(藤間爽子)という親友がいる。その頃近所の空家の裏手で二人で隣家の夕方6時のピアノを聴いたのだ。
梓を撮った写真で写真展に入賞した叶海はカメラマンになる。
梓と一緒に食事をした叶海は撮影で長期の海外出張に行くと言う。梓と別れて駅で父親(田口トモロヲ)と会った叶海は出張に行くから郵便を転送すると告げる。
叶海は、海外の車両事故で亡くなる。
梓と叶海の両親は叶海を失った悲しみから抜けられない。梓は叶海の葬儀にも行かない。
叶海の母親(西田尚美)は叶海のスマホを解約出来ず、梓は叶海にLINEを送り続ける。
梓には離婚した父方の祖母がいる。
梓が澄人と一緒に祖母を訪ねた時、隣人の老女がボヤを出し梓と澄人は火を消す。
老女の息子が謝りに来た。「アイミタガイだから」
アイミタガイ、この言葉を発するのは梓の祖母(風吹ジュン)である。
70ジジイの私は聞いた事かある言葉だが、確かに最近は聞かなくなった言葉かも知れない(相身互いと書くのは今回知った)。
澄人「初めて聞きましたよ。英語かと思った。I meet a guy」
叶海あての児童養護施設からのカードが転送で父親の手元に届く。施設に問い合わせて施設長と会い、叶海が行っていた行動を両親は知る。両親はある決断をする。
叶海のスマホを解約出来ない母は、パスコードを入れてスマホを開く。パスコードは梓を撮って入賞した写真展の作品番号だった。「そうだと思った」
梓からの数多くのトークが来ていた。
梓の叔母(安藤玉恵)は訪問介護ヘルパーをしていて、前任者に代わりこみち(草笛光子)を担当する。家にはピアノがあり、昔から弾いていた事を知る。
金婚式セレモニーのために高齢のピアニストを探していた梓は、叔母から小道の事を聞いてこみちの家に依頼に行くが、家を見た梓はある事を思い出す。
虐めから助けてくれた叶海に手を引かれて前に進んだ。
「叶海がいないと前に進めないよ」
LINEのトーク画面は「ゼンブ・オブ・トーキョー」でも上手く使われていたが、「既読」が付く瞬間をこんなに上手く使った事はないのではないか。既読が付くのを観た梓の驚き。
そして送られて来た「行っちゃえ!」
梓は、初めて叶海の両親と会う。
梓は、祖母に、叶海に、叶海の母に背中を押され前に進む。駅で渡された婚姻届の返事をしに澄人の元へ。背中を見せて倒れかかる梓、そしてそれを支える澄人。
二人は福永の宝飾店に向かう。(ここにも意外な出会いが・・。)
宝飾店に入って行く梓の笑顔は最高に輝いていた。
いろいろな出会いがラストに向かって収束して行く脚本が見事である。
澄人と叶海の父が出会った時、どんな顔をするのかな。
人生は色々な出会いとアイミタガイで生きて行くものなのだろう。私も誰かの背中を押し、預けられた背中を支えて行けたらなぁ、と遅ればせながら思う70ジジイなのであった。
クレジットタイトルで歌っている高い声の歌手は誰?と思ったら黒木華歌唱でビックリ!
曲が1979年の荒木一郎で2度ビックリ!!
奇跡の夜明け?
公式サイトであらすじを予習?して鑑賞
(ただエンドロールであの曲が流れるのは知らなかったのです)
突然親友を亡くした「悲しみ」を「乗りこえていく」そんな分かりやすい物語
ですが人と人の繋がりは最後まで奇跡の連続です
答えをバラしながら進むミステリー?みたいな感じもします
いい人しか登場しない優しいストーリーに癒されました
嘘くさい話は苦手な方もいると思いますが
フィクションの中なんですからいいじゃないですか(笑)
そしてほんわかした余韻が残る中でいきなりの黒木華さんが歌う「ちょっとマイウェイ」じゃなくて「夜明けのマイウェイ」
やられました
全て説明しちゃうタイプの映画
何もかもを言葉に出して説明してしまっていて、わざとらしさを感じる映画だったので、個人的には感動しませんでした。
邦画(というより日本語)の良いところは、全てを言葉や映像で語らぬ「察し」の表現だと思っています。行き過ぎると芸術家気取りの独りよがりなものになってしまいますが、多くは語らず、あとで深く考えた時にやっと気づくような奥行きのある表現がこの映画には足りないように思います。それくらい全てを明確に描いてしまっています。良くいえば分かりやすいですが、悪く言えば単純で趣がないです。
そのくせ、説明した方がいい箇所は説明がないので、最初、主人公とヘルパーの関係性が全く分かりませんでした。
まず、日常を醸し出すために仕組まれた雑談が本当に日常すぎてつまらないし、縁を感じさせようとして語られる話は全て説明口調です。
冒頭で主人公はオチもクソもないハチ公の話を場に放り投げていますが、この会話はラストに別の親子の間でも話題に上がったという以外のギミックはなく、話の中身に意味はありません。忠犬ハチ公に重なるシーンもキャラクターもありません。
現実でも一往復で終わる程度の盛り上がらないどうでもいい話なのに、中途半端に楽しそうに話しているところが、リアルを追求し過ぎて、逆に作られた感が出てしまう典型的な例だと思いました。
主人公のおばがヘルパーとして派遣された初回の印象もかなり悪いです。指示されていない場所へ勝手に入った挙句、「そこは何もしなくて良い」と注意をうけたあと「うわ、怒らせたぁ?」と口に出すのはあまりにも品が無いように思いました。
途中で主人公の祖母が話す「相身互(い)や」を聞いた澄人が「I meet a guyって英語かと思いました」と言いますが、心の底からそんなわけあるかと思いました。一瞬英語みたいな発音だと感じたとしても、話の流れからして、「まぁ、お互い様的な意味かな」って大体わかるだろと思います。小ボケなのは分かりますが、別に面白くないですし、キャラクターの性質上、本気で言ってるようにしか見えないです。
たしかに聞き馴染みはない言葉ではありますが、耳に入ってきて「はて?」となるほど意味が分からない単語ではないと感じました。
叶海の両親が孤児院に向かうタクシー運転手との会話も若干噛み合ってない気がしましたし、わざわざ「あの子も一緒に来たのね(うろ覚え)」なんて口に出すのは何とも情緒がないです。黙って強く手を繋ぐ、等の見る側の想像に任せた演出ができない理由が知れません。
ラスト近くで主人公が叶海の両親に話しかけた時も、ずっと一方的に話し続けた上で「若者に助けられました」と呟きますが、田口トモロヲさんくらいの年齢で話し言葉で「若者」なんて使うか甚だ疑問です。「お兄さん」くらいが普通でしょうが、せめて「若い人」くらいで留めてほしかったです。
感動的な話を語らせようとすると口調が文語体になる作品は度々ありますが、どうにかならないんでしょうか。小説の中では良いですが、映像化した際に声に出すとおかしくなることに気付いてほしいものです。
また、ラストの孫を連れたおじ様が「子供が(バナナのキーホルダーを)飾りたいと言って聞かなくて」と言ったあと「子供ながらにピアノに感動したんですかね」と言いますが、どういうことですか?いつピアノの話題が出たんでしょうか。何ら関連性がなくて、ただ「主人公が担当していた銀婚式(金婚式?)に来てた人ですよ」と伝えるためだけの言葉選びとしか思えません。
主人公に気づかせたいのなら、式の途中に子供にバナナのキーホルダーを自慢されたとか、直接主人公が子供に手渡しただとか、あるいはその式でしか配ってないはずの特殊な見た目をしたキーホルダーであったとか、やりようは色々あったはずです。
最悪、ピアノのワードも出したいということであれば、子供に「ピアノ弾きたい!」とでも言わせれば、先程の「子供ながらに〜」に繋げられるはずなのに、全てが杜撰です。
そもそもの話になってしまいますが、叶海が明らかに無許可に他人のスナップ写真を撮っているのが、気になってしまいました。女子学生二人組を無許可で真正面から撮るって、あるあるなんでしょうか。「撮っていい?」の一言くらい挟んでも良かったのではないかと思います。
ただ、台詞回しのわざとらしさはしょうがないものの、草笛光子さんの演技が素晴らしかったです。
草笛光子さんが93歳設定は流石に歳が合ってないと思いましたが、ご本人が91歳と聞いてあまりの若さに驚きました。
傷を負った人たちの、善意と思いやりの連鎖
死んだ親友のなんちゃら、だし、黒木華だし、「感動」「涙」の押し付けかもと警戒しつつ、観に行きました。
じわじわと涙腺が刺激されっぱなし、いい気持ちです。良い人しか出てこないです。
こういう映画があっても良い。
黒木華さん苦手。
演技派の女優と思うし脇役ならいいけど主演ともなるとずっと画面にいるのでツライなと思いつつ見ていて、梓が周囲の思いやりを貰うだけに見えて最後まであまり彼女に思い入れが持てず。でも、一途ないいヤツ、澄人を受け入れたところは、いやあ、よかったねえ、と心から思いました。
梓は今まで、叶海にも澄人にも思いやってもらってきたので、これからはせめて澄人に、思いやりを注いていくんでしょう。
「良い人しか出てこない物語は嘘くさいと思っていたが(違った)」というセリフの通りの話でした。
登場人物は皆、何かしら心に傷を負った人たちだが、その善意と人を思いやる気持ちが次々と連鎖してゆき、奇跡のような縁で思いもかけない方向から癒やしや救いとなって戻って来る。情は人の為ならず。
嘘くさいかもだが、受け手が同じように投げればあり得るのではないかと思えて、シラケも退屈でもなかった。
草笛光子さんが綺麗でびっくり。
中村蒼の頼りないけど優しくてのんびりしている澄人がとても良かった。
澄人みたいな彼氏からプロポーズされたら、速攻お受けします。私なら。
なんならこっちから求婚しちゃうかも。
この主題歌、聞いたことがあると思ったら、「ちょっとマイ・ウェイ」桃井かおりと研ナオコですよね、大昔見ていたような気がする、でもこの曲はしっかり覚えていて、歌詞も結構覚えていました。映画の内容にぴったりですよね。
期待が大きすぎたのかな 大きな感動は無く そこそこの感動でした 悪...
期待が大きすぎたのかな
大きな感動は無く
そこそこの感動でした
悪くはないが
泣くまでは行かず
あまり感情移入できず
期待しないで観れば
良かったと思うかなぁ
懐かしのドラマ「ちょっとマイウェイ」の主題歌
に惹かれてみました…。
桃井かおり&研ナオコのコンビの雰囲気は微塵もありませんでしたが、ありがちなストーリーで淡々とした展開でした。しかしエンディングが近づくに連れてエンディングテーマに「夜明けのマイウェイ」が使われると考えただけで涙が^ ^
エンドロールで黒木華の歌うスローのこの曲を聴いたときはやはり涙が止まらず…。
まるで名曲「夜明けのマイウェイ」の歌詞に合わせて物語を展開させたような気がする作品でした。
ボーイスカウトの子供達が営火で歌うソングの歌詞が戦後に作られたものとは以外でした^ ^
いい映画でした
伏線回収し過ぎ?と思うほどではありましたが、映画としては、良かったと思います。
いい人しか出てこない稀な、素敵な脚本でした。
過去と現在をうまく並べてくれて、わかりやすい展開でした。
この映画は、また観たいし、人に勧めたくなる素敵な映画でした。
草笛光子さん、最高です!!笑
観る人を選ぶと思う
言いたいことはなんとなく、分かるような気はします。
だって、フィクションならではの、現実ではあり得ないような人と人との縁の巡り合わせなんだもの。
6時の放送に隠れるように弾くピアノの演奏なんて普通は気付けないし、大人になってからそのピアノの演奏者と巡り会うなんて奇跡みたいな確率のお話です。
澄人さんが電車で乗り合わせている男性が叶海さんの父親だという偶然も、叶海さんの父親が児童養護施設へ行くときに乗ったタクシー運転手も、最後に宝飾店の主人が食品サンプルのバナナを持った孫を抱えてくるところまで、いろいろなところで人が繋がっていました。
それで、中学時代に叶海さんが梓さんに、支えて背中を押すといった約束があって、叶海さんは亡くなってしまったけれど、その縁が巡り巡って、最後に叶海さんに代わって、前に進めない梓さんの背中を押して、つまり世の中は繋がっていて、誰かのためにしたことが巡り巡って自分に返ってくる、お互い様で、タイトルの通り相身互いだというのでしょう。
分かるような気はするのですよ。
ただ、観る人を選ぶ内容だと思います。
僕は、もっと盛り上がる山場とか、最後に主人公が目的を達成してめでたしめでたしみたいな、わかりやすい話が好きなので、好みとはかけ離れていて大して面白いと思いませんでした。
僕のように物語として単純なものを好む人間ではなく、深い話を好む人なら高い評価をつけそうだなと思いました。
I meet a guy.
「なぜ彼女は、亡くなった親友にメッセージを送り続けたのか」
「すべての秘密が繋がる時、あたたかな涙が溢れ出す」
この二つのキャッチコピーは完全に余計で、作品の色を誤認させるものでした…
衝撃の真実とか、大袈裟な伏線回収とかでは、ない。
ひとつひとつは“有り得なくはない”程度の偶然、いや縁が重なって繫がってゆくお話。
地味ながら丁寧で温かな筋運びには好感を覚える。
各キャストも役の雰囲気と合っていて(園長除く)、芝居自体もとてもよかった(園長除く)。
何より、悪戯っぽくカラカラ笑う黒木華がとても可愛い。
“結婚”という形式にとらわれなければ、気持ちはもう既に“その段階”だろ、と微笑ましい気持ちになる。
ただ構成は、特に序盤は上手くなかった印象。
タイトルバックの後、唐突に初登場の範子とこみちのパートが入り、直後に少しだけ過去の叶海が映された。
ここの並べ方•繋げ方で少々時系列が混乱した。
また、梓と叶海が親密になるキッカケがいぢめから救ったことというのも安易すぎたかな。
あれで収まるワケないのに、以降何も触れられないし。
叶海の写真が飾られた施設のトイレが、他の箇所に比べて綺麗すぎたのも違和感があった。
あと、澄人がジャケットの一番下の釦を留めてたり外してたりするのはなんなんだ。
最初に挙げたコピーで意外性のある展開を期待してしまったせいか、やや物足りなく感じてしまった。
澄人が起こした相手も、鞄ですぐ気付いたし。
客は呼べるけど鑑賞後の評価を下げるコピー…収益を考えると難しいところですね。
最後にカメラに向けた華ちゃんの表情は最高でした。
相身互いを観ている人が実感できるようにしたかった
原作は未読。元々は短編の小説と聞く。この映画を観て思い出したのは有川浩の「阪急電車」。この作品の方が阪急電車を通じてそう繋がるかと心に残った。
梓と叶海が二人で聴いたピアノ。そのピアノを弾いていた老女は長年ピアノを弾いていなかったのに、梓の話で金婚式のピアノを弾くのか。澄人の本で叶海の父を起こし、叶海と父が最後の時を過ごす。梓と澄人は結婚しなくても、よい関係だったのではないか。話のつながりも、都合良すぎるように思う。叶海はなぜ施設にプレゼントを送ったのか。説明はあったが、叶海の心の動きは見えない。なぜ、両親に内緒にしていたのか、梓は知っていたのかは分からない。
梓と色々な人が繋がり、それが伏線回収のように明らかになる。そこまで作らなくても良かったのではないか。登場人物は誰も気づかず、映画を観ている人だけが、梓と叶海が聴いていたピアノは老女が弾いていたと分かるとか、澄人の本で起こした人が叶海の父だったとか、最後に繋がっていたことが分かるようにするなど。登場人物が相身互いを感じるのではなく、見ている人が相身互いを実感できるようにした方が良かった。
ただ、黒木華さんは、純と愛の頃から好きで、小さいおうち、澪つくし料理帖、凪のお暇も良かったです。
悪い人がいない世界
黒木華にハズレ無しという自分の思い込みだけで視聴。原作未読。
オムニバス形式の小説だそうで、色々なエピソードが少しずつ交わり、最後にすべてが繋がっていたという話、それを上手く映画化されていました。
この映画は悪い人が出てこないのが良かったです。心が大きく動くことは無かったですが、全編心が洗われるような話であり、心が汚れた中年以降の人は是非観てほしいと思いました。
ただし、若い人の死、煮え切らない若いカップル、という個人的マイナス要素が2つあったため★3です。いきなり相手の祖母の家に押しかけちゃうとかも苦手なので、ちょっとマイナスかな。
レベルが高い
演技のできる役者だけでやるって誰かが決めたんだろうね。
シーンに安定感があってレベル高いなと思うの。
観ててボロボロ泣くね。
喪失から立ち上がってくる話だから心の動きが分かりやすくて感情移入しちゃう。
そして事情の絡ませ方がうまい。
エピソードをじわじわと準備していって、ラストにこれでもかとやってくる。
アイミタガイがタイトルになってるの納得だよ。
西田尚美よかったな。
近藤華が目当てで観に行ってやっぱり良かった。白鳥玉季も良かった。
冷静に振り返ると練りに練ってエピソードを絡ませただけの話にもみえるの。
でも人の死が中心にあって、そこで嫌でも心が動くので、ストーリー重視でも面白いね。
それでも「信じたい」と言わなければならない大人は「現実」を直視しているのだと思う
2024.11.5 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(105分、 G)
原作は中條ていの同名小説
親友の死と向き合う女性の再生を描くヒューマンドラマ
監督は草野翔吾
脚本は市井昌秀&佐々部清&草野翔吾
物語の舞台は、三重県桑野市
ウェディングプランナーとして働く秋村梓(黒木華、中学時代:近藤華)は、恋人・澄人(中村蒼)と、「結婚を前提としない」お付き合いをしていた
その為か、仕事ではどことなく行き詰まるところがあり、そういった愚痴は親友の郷田叶海(藤間爽子、中学時代:白鳥玉季)と共有し、彼女が唯一の精神的な支えになっていた
いつものカフェでいつもの会話をして、それぞれの近況を話し合う
それは永遠に続くものと思われていた
だが、叶海は、ボランティア先で呆気なく事故死してしまう
叶海の父・優作(田口トモロヲ)と母・朋子(西田尚美)は49日を過ぎても受け止めきれずにいた
そんな折、叶海の死を知らないかのように梓からメールが届き続けるのだが、朋子は「彼女も私と同じように受け入れられていない」と感じ、そのメッセージを受け止め続けることになった
映画は、梓を支えようと考える澄人が「一歩踏み出そうか悩む」というシークエンスがあり、梓の行く先々に同行する様子が描かれる
そして、梓の祖母・綾子(風吹ジュン)
との出会いの中で、「相身互い」という言葉にふれていく
「相身互い」は「意図せぬ行動が巡って自分に返ってくる」というもので、映画では「優しさが巡って返ってくる様子」が描かれていた
この物語と並行して、優作と朋子は娘に届いたメッセージカードから、生前に娘が何をしていたのかを知るエピソードが綴られる
見知らぬ孤児院からそのカードが届き、当初は何かの悪戯だろうかと考えていた
だが、そのカードの送り元の孤児院の羽星(松本利夫)から思わぬことを知らされる
それは、毎年のように彼女が来訪し、撮った写真をトイレの壁に飾っていくという
そこで、二人は娘の痕跡を追って、施設を訪れることになったのである
物語は、「相身互い」を体現するような作品になっていて、方々で起こるエピソードがうまく絡んでいく流れになっていた
この言葉が登場するのがほぼ中盤になっていて、後半のエピソードの収束によって、梓自身がその意味を理解する、という展開を迎える
とは言え、「相身互い」は「同じ境遇や身分の人々が互いに同情し合い、助け合うこと」という意味もあるので、少しばかり映画の引用は意訳されている部分もある
それぞれの行動に意図があるかどうかというところも重要だが、映画の意味合いだと「世の中は持ちつ持たれつ」という前提の上で、「些細な行動の連鎖が自分に戻ってくる」という感じに描かれていた
そう言った世の中であることを理解できれば、自分の身の回りで起こっていること、自分自身の行動の余波というものが見えてくるので、その精神を理解すれば、世の中がよく見えるという意味にも通じるのではないだろうか
いずれにせよ、心洗われる系の作品で、基本的には悪者は出てこない
だが、優作の「善人ばかり出てくる物語を読んできて、それは嘘くさいと思っていた」という言葉があるように、映画で描かれていない部分にはマイナスの行動もあるのだと思う
優作から見れば、娘は親不孝ものに見えるし、残したものが命と引き換えのお金だけだったりする
彼がそれを手放しつつも、「善人がいる世界を信じたい」と言ったのは、相身互いの精神を持ってしても、世の中はそこまで美しくはないと言いたかったのかな、と感じた
それは、ある意味において、この物語で心が洗われた気になっている人への戒めなのかもしれません
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