ぼくの家族と祖国の戦争のレビュー・感想・評価
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父親の背を見つめる眼差し
1945年、ナチス・ドイツ占領下のデンマーク。市民大学学長ヤコブ( ピルー・アスベック )は、ドイツを逃れてきた500名余りのドイツ難民の受け入れを、ドイツ軍司令官から命じられる。
ヤコブを献身的に支える妻リスをカトリーヌ・グラロイス = ローゼンタール 、12歳の息子セアンをラッセ・ピーター・ラーセンが演じる。ラッセ・ピーター・ラーセンの演技が秀逸で、本作がデビュー作とは驚き。
それぞれの心情を丁寧に描いた良作。
映画館での鑑賞
『ヒトラーの忘れもの』と『ジョジョ・ラビット』
第2次世界大戦中と戦後におけるデンマークとドイツとの複雑な関係は、『ヒトラーの忘れもの』で初めて知ったが、本作では、序盤、まだドイツ占領下にあり、表立ってドイツに反抗心をみせることはできなかったが、デンマーク国民の間には、抵抗が当たり前という気風が広がっていたことがわかった。
主人公の子どもの気持ちが、一途な「愛国心」から揺れ動く「愛敵心」へと移り変わっていく様子は、『ジョジョ・ラビット』にも似ている。ジョジョの母親も、ジョジョの当初の愛国心に反する愛敵心を発揮した挙げ句に犠牲になってしまい、遺された「敵」を主人公が守ることになっていた。年長者が自分を裏切った主人公の危機を救うことになるのも共通しているようである。結末の「解放」による運命の違いは仕方がないのかな。本作の母親は、先に父親の立場を無視して動いたけれど、父親が身を入れるようになってからは、失職を心配するようになっていた。母親の気持ちが揺れ動いていたところには、一貫性の欠如を感じた。人道的支援の加減の難しさはあるのだろう。『ヒトラーの忘れもの』に通じる葛藤でもあるのだろう。
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。 市民...
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。
市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は、ナチスの現地司令官から戦火を免れたドイツ人難民を受け容れよと命令される。
難民たちは当初告げられていたのは、難民の数は百数十名程度、管理監督はドイツ軍が行う、学校側は場所の提供だけ、だと。
しかし、列車で到着した難民の数は500を超え、かつ軍は管理を行わず、食料の配給さえなかった。
ヤコブは、「敵国人である。手助けは行わない」としていたが、ヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は窮状を見かねて食料を提供するようになった。
しかし、それは地元デンマーク人の反感を買い、裏切者として投石などの暴力行為を受け、その後は援助することはなかった。
しばらく後、衛生面も劣悪、食料も不足、結果、難民施設内で感染症が広がり、次々と死んでいく幼い命を目の前にしてヤコブは節を曲げる・・・
といった物語で、これをヤコブの幼い息子セアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)の視点から描いていきます。
難民問題、棄民問題、敵国人に対するヒューマニズム・・・
観るべきところの多くが、現代に通じています。
欧米のヒューマニズムは帝国主義の裏返しみたいなところがあり、同胞国や第三国、支配国に対してヒューマニズムをみせることはありますが、敵国はあくまでも敵。
ヒューマニズムをみせることはありません。
まぁ、日本は同胞国以外にはみせませんが(というか自国内でもみせないことも多いですが)。
息子セアンは徹底してドイツ人難民に心を許しません。
母親が食料を提供する段でも、父親が感染症治療・予防の薬を提供しようが。
しかし、難民のなかのひとりの少女には、(たぶん)幼い恋ごころを抱き、状に絆されます。
この展開が巧みです。
ヤコブが難民支援を行いだしたことから、子どもたち間の遊びにも変化が出、これまではレジスタン側とナチス側を順番に演じて遊んでいた戦争ごっこで、セアンは「これからずっと、おまえはナチス側」だと苛められるようになります。
あぁ、子どもって残酷。
木に縛りつけられて置き去りにされたセアンを、くだんのドイツ人少女が助けて・・・
さて、終戦。
ドイツ人難民に対する態度が世間的にも変わるのかと思いきや、家族や同胞を殺された恨みは続き、ドイツ人難民に対する仕打ちはより一層厳しさを増します。
これまで、軍に協力していた者たちは吊し上げ、リンチまがいの目に遭うことに(ドイツ兵相手に身体を売っていた女が、丸坊主にされるのは他の映画でも頻繁にみましたが)。
統治者がいなくなり、実質の支配者がデンマーク人レジスタンスの生き残りになったことで、一種の無政府状態になるからです。
そんな中、難民施設の感染症は収まるどころか、拡大の一途をたどり・・・
と終戦後の描写も見どころ多し。
ただし、この後、終盤の展開はやや甘くなりますが、全体としては見ごたえたっぷり。
秀作佳作でした。
自分ならどうするだろう?、 などと考えながら見た。
敵と戦うレジスタンスも命がけだが、良心に従って敵の難民を支援するのはもっと命がけだと思った。
基本、レジスタンスは敵には隠れて、場合によっては味方にも自分がレジスタンスであることを秘密にして行動する。とにかくバレないようにする。
でも、自国に来た敵の難民を助けるのは隠れて出来ない。まあ食事だけなら夜にコッソリと届け続けられるかもしれない。だけど、ケガ人や病人は、たまたま自分が開業医でもしていなければ、助けてることを隠すのはムリだろう。
自分1人だけのことを考えればよい境遇なら、思い悩むことなく自分の信念に従えばよいと思う。しかし、ヤコブのように家族がいて学長という立場であったりすると、これはもう気持ちがあっちこっちにブレブレである。
家族が殺されたり、学校が燃やされて自分と職員が路頭に迷うなんて展開も有り得たはずだ。なくてホントに良かった。
最初にミルクをあげに行ったリスも、投げ込まれた石が息子セアンに当たっていたらと思うと大揺れだった。
最後は村からも学校からも追い出されてしまったのでハッピーではないが、ヤコブもセアンもリスも良心に従って行動したし、少女も救えてホッとしたからハッピーエンドとも言えるかもする。
空想で理想論を語れる人ほど、その時に真逆の行動をしてしまうのが人間というものだと思う
2024.8.21 字幕 アップリンク京都
2023年のデンマーク映画(101分、G)
終戦間近のデンマークを舞台に、ドイツ難民の受け入れを許容された大学長一家を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はアンダース・ウォルター
原題は『Når befrielsen kommer』で「解放が来るとき」、英題は『Before It Ends』で「終わりが来る前」という意味
物語の舞台は、1945年のデンマーク・リュスリンゲにある大学
その大学長であるヤコブ(ピルウ・アスベック)は、進駐しているドイツ軍の将校ヘルツォーク司令官(Ronald Kukulies)から、ドイツ難民200人を受け入れろと言われてしまう
理事のラウリッツ(ウルリッヒ・トムセン)はやむなく受け入れることになったが、その数は当初の予定を大きく上回る500人を超えるものだった
ドイツとの協定により、場所の提供だけのはずだったが、ドイツ軍は医療体制も提供せず、食料も届かなかった
ジフテリアが蔓延し、体力の弱い者から亡くなっていく惨状で、それを見兼ねたヤコブの妻リス(カトリーヌ・クライス=ローゼンタール)は、秘密裏にミルクの提供を行うが、それが問題視されてしまう
だが、これ以上の感染拡大は生徒にも影響があると考え、ヤコブはジフテリアに必要な薬を探すために奔走することになった
そして、その行為は「裏切り者」と断定され、ヤコブの息子セアン(ラッセ・ピーター・ラッセン)は、同級生のカール(アンドレアス・フォン・ホルト)らからいじめられることになったのである
映画は、史実をベースにしたフィクションで、当時の状況を鑑みて、人道的な正しさと国民の在り方を問うているような内容になっている
彼らは「正しいことをした」として、胸を張って祖国を去ることになるのだが、あの土地で暮らしていく意義というのを感じなかったのであろう
とは言え、地域住民たちも好きで排除しているわけではなく、戦時中の敵国の難民の援助を裏切り者だと思っても仕方ないと思う
両親をナチスに殺された音楽教師ビルク(モルテン・ヒー・アンデルセン)はその感情に対する筆頭のような存在で、戦争後の彼は人が変わったような感じになっていた
それでも、ヤコブの最後の行動を見逃したように人間的な一面は残していたが、彼らの通報によってヤコブは大学を追われていることを考えると、その時期の治安を守るためにはやむを得なかったのかもしれない
どちらが正しいか論は意味をなさず、生き残ることを考えた時に、他民族に対して配慮ができるかどうかというのは、これまでの人生に依ると思う
ヤコブも家族がナチスに殺されていたらどう行動していたかわからないのだが、戦争に関して子どもが無関係であるということは否めない
人道的な側面に関して言えばヤコブの行動は当然であると思うが、総合的な見方をするならば、約束を守らないドイツ軍を頼りにするのは愚の骨頂だったとも言える
当時の非人道的な行動がどれほど各地に伝わっていたのかはわからないが、受け入れ強要の時点で大学を閉鎖するしかなかったように思ったが、そう簡単に事が運べば誰も困らないのだろう
いずれにせよ、少年セアンが見る大人の景色という感じになっていて、彼自身も右往左往していく様子が描かれていく
自分を気にかけてくれた少女ギセラ(Liv Vilde Christensen)を助けたいと思うのは普通のことだし、両親の反発される行動にも理解を示していた
戦争は異常な状態で、負の連鎖の中で人間性を保つことが難しいと思うが、その状況下で適応できる人は、その後も変わり身ができて器用に生きていけるのだろう
そう言ったものが生命力であり、その先にある活動が戦争とも言えるので、これは生まれ持った人間の資質の一つなのかなと感じた
自分ならどうするかを考える映画であるものの、空想と現実は違うので、その時になってみないとわからないものなのだと思った
助けるか、見殺しにするか
第二次世界大戦末期におけるデンマークの話。
当時のナチ・ドイツは敗戦が濃厚でありながらも抵抗を続けたために多くのドイツ人難民を生み出すキッカケになったが、数が多いだけにどの国で受け入れるかが問題になり、占領下にあったデンマークは断れずドイツ人難民を受け入れる。
学長のヤコブは致し方なく、体育館を提供するのだが、ドイツ人難民の中には親を失った孤児も中には含まれている。幾ら憎きドイツ人といえど人として見殺しには出来ないと判断したヤコブの妻のリスは牛乳を与えるようになる。
だが、この行為もいずれはバレる。
戦乱の混乱の最中に、ドイツ人を受け入れる余裕がないのは当たり前なわけだし、ましてや宗主国でもあるから憎い気持ちがあって当然。
デンマーク人としてのプライドを貫き見殺しにするか、人として救える命を助けるべきか。
最終的に息子のセアンが助けてもらったドイツ人難民で感染症を発症してしまった少女を助けるために病院へ連れて行く。病院はドイツにと言いながらもヤコブは目の前の命だけは助けてくれと懇願する、その結果少女の命は助かるがヤコブは職を失い、出ていかざるを得ない状態になる。
あの当時のドイツには果たして難民に対する援助なんて出来ないから占領下の国に対し自国民を丸投げするしか頭になかったのだろう。援助をお願いしても物資が乏しいがために出来ないが答え。正義を貫いたヤコブ一家の判断は素晴らしい。
男の子がお父さんに話しかけるシーンが
同じ構図と同じセリフで繰り返されるのが気になったくらいしか記憶にない。
こういう映画があったという事だけ知っていれば良いかなと。
見ても得るとこないと思う。他の映画見たほうがいいですよ?
この状況を描く視点は今までなかった 「間違ったことはしていない」家族の信念
「関心領域」「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」「フィリップ」と、このところ、第二次大戦、ナチスに関する映画の公開が続いていますが、本作は、大戦末期、ドイツの難民を強制的に受け入れざるを得なくなったデンマークの市民大学を持つある街の話。
この市民大学の学長一家もまた、戦争に巻き込まれていく波乱の様子を、揺れ動く少年の心、少年の視点で描いています。
本作もまた、少年の演技、表情が素晴らしいです。
このような視点もまた、これまで知ることのなかった視点であり、こういう歴史上のあまり知られていない事実を、エンタメとして広く知らしめるという映画の存在はとても大事でであると思います。
非道なナチスの振る舞いに、正義として対抗するレジスタンスも、結局、拷問、監禁、復讐のための殺人とやっていることにどれほどの差があるのか。
個人としての善意が、国家としてまとまるとなぜ失われてしまうのか。
デンマーク解放に向けて(原題「解放の来たるとき」)、狂気をまとい先鋭化していくレジスタンスの行動。
しかし、少年が復讐のための殺人を目撃し、国家など関係ない、一人の少女の命が危ないことに、目を覚ますころには、また、徐々に個人の両親に還っていく。
少女を救うことに父親も協力し、検問でも黙って通され、最初は拒んだデンマークの医師も、少年の切なる訴えに目を覚ます。
人としての尊厳は失わまいとして、結局、町を出ていく家族でしたが、侮蔑のまなざしを向ける町の人々を尻目に、「間違えたことはしていない」と胸を張り、堂々としていて清々しくも見えるラストにs救われます。
ナチスドイツに占領されて、家族が殺されている背景がある時に、ドイツ...
ナチスドイツに占領されて、家族が殺されている背景がある時に、ドイツが降伏する1か月前にドイツ難民を図らずも受け容れさせられる。その様な時に病で倒れるドイツ難民を助けるのかどうか‥複雑な心理でどうするのかを描いていて佳い作品でした。
(オンライン試写会は内容に関係せずネタバレ扱い)デンマークが歩んだ歴史など
今年282本目(合計1,374本目/今月(2024年8月度)7本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「幸せのイタリアーノ」→この作品「ぼくの家族と祖国の戦争」→次の作品「時々、私は考える」)
第二次世界大戦を扱った映画で、8月や12月には多く放映される傾向がありますね。その中でも、デンマークを占領したドイツによる、占領されたデンマークの立場としてのドイツの難民受け入れといった問題を扱っています。
この部分は実は結構難しいところがあって、デンマークの歴史や当時置かれていた事情を知らないとちょっと難しいところがあります(後述)。映画内では明確にその部分が抜けているので知識を補う必要がありますが、一般的に「誰であっても難民であり緊急の状況にあるものを助ける行為」がたとえもたらした国が敵国であっても理解はしうるわけであり、この点はどちらが良い悪いを明確に描くことなく(実際、公式サイトでもよい悪いについては何も触れないということを明確にしている)平等に扱っていた点については良かったです。
採点にあたっては特に気になる点はありませんが、デンマークの歩んだ歴史やこの当時の第二次世界大戦(デンマーク、ドイツほか)に関する知識が裏で動いていますのでそれらがあると便利です。
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(減点なし/参考/デンマークの歩んだ歴史)
デンマークは中世こそ「カルマル同盟」で一時は大国となりましたが、その後解消されてしまい、三十年戦争が勃発するとデンマークは出兵しますがここで大敗してしまいます。その後も北方戦争などでロシアからの侵略を経たこともあり、国としては一応当時の世界水準で考えれば上のほうでしたが、第一次世界大戦の当時にはとてもどうにもできるものではなく、第一次のときには完全中立を保っていました。しかし第二次世界大戦がはじまる直前のデンマークはさらに弱体化していたのです。
(減点なし/参考/ドイツとデンマーク、フランスなどとの関係)
、一方で第二次世界大戦においては、ナチスドイツの真の狙いはデンマークではなくノルウェーであったため(ノルウェーを占領してこそイギリスに圧力がかけられる)、単に「通過国」に過ぎない(ドイツとデンマークは接しています)デンマークはわずか6時間で侵略に対して降伏してしまいます。このため、形式的には占領された形になりますが、デンマーク国内での自治がかなり認められる等、ドイツが他の国にとった政策とは明らかに異なるもので、そのためにデンマーク側にもドイツの事情について考えをある程度理解するもの(真に悪いのはヒトラーやその側近であり一般市民は何ら罪はないということ)もいました。一方で、ドイツに対して最後まで戦ったフランスは完全に占領されいわゆる傀儡政権ができてしまったように、ドイツが占領した国においてその扱いに差が見られ、デンマークとフランスはその最たる極端な例です。
このように、形式的には占領されてもデンマーク側もまた農業ほかでドイツに頼らざるを得なかった事情があったこともあり、仲良しとは言わないものの比較的「ドイツの罪のない人々は救う」という、「ドイツは絶対に許さない」みたいな国とは異なる考え方も一般市民には一定数存在しており、それがこの映画にも表れています。こうした部分を知っていると有利かな…というところです。
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