ぼくの家族と祖国の戦争のレビュー・感想・評価
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【”人道支援とは。”今作は、敵国から逃げてきた弱き子供、女性達ばかりのどこにも行き場のない難民に対し、どのように接するのかと言う、重く難解な問いかけをしてくる作品である。】
■1945年4月。ドイツ占領下にあったデンマークのリュスリング市民大学に、敗色濃厚なドイツから子供と高齢者の難民500人を受け入れるよう指示された学長のヤコブ(ピル―・アスベック)は仕方なく、体育館を提供する。
だが、ドイツ軍に置き去りにされた彼らの間ではジフテリアが蔓延して、子供の死者が増えていく。
学生への感染を恐れたヤコブは本校自体も明け渡し、大学を休学にし、薬も唯一の医者ハインリヒに渡すが、その事で街の人達やレジスタンスから白眼視されていく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・この作品は、父親が正しい事をしている事を認識しつつ、自分も友人達から苛められるセアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)の視点で描かれるが、終始彼の悩む姿が、中盤まで描かれる。
だが、母リス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は夫の身を案じながらも難民たちに牛乳を配るのである。
・セアンが遊びの中で、ナチス役をやらされ木に縛り付けられていた時に助けてくれたドイツ人少女ギセラ。
だが、彼女もジフテリアに感染してしまう。
■中盤までは、セアンは悩みながらもヤコブの同僚でレジスタンスであるビルク側に着く。だが、銃を運ぼうとしたことをヤコブに知られ、彼はビルくに”息子に近づくな❕”と激しく怒りをぶつけるのである。
その父の姿を見たセアンは、悩みながらも、自分の考えを変えるのである。
<再後半、セアンはヤコブと共にギセラを病院へ連れて行く。
途中の道でレジスタンス達に止められるシーンの緊迫感。だが、ビルクは“行け。”と言い見逃し、更に病院についても診察を拒否されるも、セアンの必死の願いの言葉で、ギセラは診察され危険な状態を脱するのである。
そして、彼女がベッドで眠る中、セアンは彼女の手の上に自分の手を重ねるのである。
ラスト、大学を首になったヤコブは家族と共に街を出て行くように言われる。街中を家族4人で横一列になって歩くヤコブ一家は、顔を俯ける事無く、前を向いて歩いて行くのである。
今作は、敵国の難民支援、人道支援をする事に成ったら、貴方はどのように行動するかと言う重いテーマを見る側に投げかける作品なのである。>
「ぼくの家族」と「祖国」の戦争
戦争がもたらす人間社会の分断
主人公一家の高潔さに心を揺さぶられました。
ドイツ人の難民を受け入れるだけにとどまらず、難民の死(ジフテリア感染による)を防ぐ
ことに腐心するという、国や人種を超え、人命を救うことに一貫して軸がぶれない家族ですが
そこにはやはり周囲からの心無い声・誹謗中傷・暴力などがあり、揺れ動くんですよね。
それは当然だと思いますし、大多数に流された方が楽に決まっていますが、
そうしなかったヤコブファミリーに大いに感銘を受けました。
新たな切り口でのナチスを扱った映画ですが、
戦争がもたらすものは、直接的な戦闘行為による“死”のみならず、
国同士はもとより、人種、人同士の分断をも招き、これらが解決するのには相当の時間を要するでしょうし
解決せずに負の連鎖に陥ることがほとんどだと思います。
今なお続く戦争。いつ人間は戦争をしなくなるのでしょうか。
地球とともに人類がいなくならない限り続くというのなら、あまりにも成長がないと思うんです。
過去から学び未来の人たちに残す平和を、ぜひともつくりあげたいものです。
第二次大戦中、ナチス占領下のデンマークに、ドイツからの難民が大挙し...
僕はどこに立っている?
ナチスの敗色が濃くなって来た第二次世界大戦末期、当時ナチスに占領されていたデンマークが舞台です。ドイツ国内への空襲を逃れる為でもあったのでしょう、デンマークへのドイツ避難民は当時20万人にも達したのだそうです。そんな大量の疎開者を一気に収容する施設などないので、かなり劣悪な環境の場所に成らざるを得ませんでした。そんな場所にギュウギュウ詰めにされるので、ドイツ人避難者の間でやがて感染症が広がり始めます。そんな時、あなたならどうするというお話です。
「たとえどこの国の人間であろうと、目の前で子供達が死んでいくのを黙って観ている訳にはいかない」と医薬品を調達しようとする人が居ます。「そりゃそう思うよな」と共感します。一方で、目の前でドイツ兵に家族や愛する人を殺された人々は「ドイツ人がどうなろうと知った事か」「ざまあみろ」と思うでしょう。それも理解出来ますし、そんな思いを否定する事は難しいでしょう。
しかし、ドイツ人避難民を助けようとする人を、反ナチスの人々は村八分状態にして強く排斥し始めるのです。「愛国心はないのか?」と吐き捨てます。う~ん、これはどうなのでしょう。気持ちは分かるとはいえ、それでいいのかなぁ。
「あなたならどうする?」を本作は厳しく問い掛けて来ます。「自分ならば、この映画の中でどの位置に立っていたんだろう?」観終えても感が続けてしまうのは、本作が強い映画であった証拠です。
戦争は心まで蝕む
戦争は人の判断力をも鈍らせてしまうんですね。
判断力と言っていいのか…
全編通して暗いトーンで進んでいきます。
おそらく戦争などなければ皆ほぼ善人であったであろう人たちが戦争によって心を醜くさせられていく様が描かれてます。ドイツ人でもデンマーク人でもいい人もいれば悪い人もいます。殆どいい人は出てこなかったですね。
ヤコブ学長家族の中でも正当な判断をすることもあれば葛藤もありました。でも正しいと思えばどんなに厳しい環境でも行うことの勇気を教えてもらえます。
売国奴として罵られていくヤコブ学長家族ですが、検問でビルクがヤコブたちの車を見逃して通してあげるところやドイツ人は受け入れられないと当初拒んでいた病院の先生が最後は折れて受け入れてあげるところなど少ないながらも救いはありました。
最後にヤコブの家族が街を出なくては行けないこととなり4人並んで街を去る姿は寂しく感じるところもあればこれからの逆境に立ち向かっていく強い志も感じられました。
観ている途中でふと頭をよぎりました、ガザやウクライナのことが。結局のところ大戦から100年も経っていないんですが戦争は終わらないですし愚かなことはずっと続けてるんですね。
我々を助ける
終戦間際、ナチス管理下のデンマークにてドイツ難民を受け入れざるをえなくなった大学学長とその家族の物語。
難民受け入れることを強制される学長のヤコブ。学長として学生達の学びの場を守ろうとするものの、難民を拒めばナチス兵に何をされるかわかったもんじゃない…しかしそうすれば今度は同胞たちから…。
辛すぎる立場ですね。
更には、難民達をどうするかで家族内に亀裂も。
セアンも辛いよなぁ、純粋さと背中合わせにある子どもたちの残酷さもまざまざと見せつけられる。
しかし、そんな彼を助けてくれたのは…。
敵も味方も人種も関係ない、困っている人がいるなら助けるのが正義だ!
…なんて口で言うのは簡単なことで、学長であり父親でもあるヤコブの立場からすれば、悲しいですがどこにも最適解なんてないんですよね。
同胞たちも、そんな彼の立場をどうかわかってあげてほしい…と思っても、彼らは彼らで家族や家をナチスに奪われていたりするわけで。
とにかく、戦争は本当に何も産み出しませんね。戦火自体が収まっても、そこに残された問題は世代を超えて残ることも。
そんな中でも残る、セアンの気持ちには涙が溢れそうになった。
最後何であんな所にビルクがいたのか、そして何故通してあげる気になったのかの変化がよくわからなかったことと、セアンとギアラにもう一つ物語が欲しかったなぁ〜と思いつつも、決して答えの出ることがない難題に深く考えさせられる作品だった。
第2次世界大戦末期 デンマークにて
子役の演技に惹かれた
何より、主人公=子役の「最初は大人たちに同調していたが、困ってる友人を見て心境が変化していく」ことをあらわした演技がすごかった。
グイグイ引き込まれましたよ。
物語は、今のウクライナやパレスチナ・ガザ地区に通じます。
「敵味方に分断した中で、敵に属する友を救えるか?」
「目の前に困っている非戦闘員な子どもを【敵】とみなすか?」
「敵とみなせば虐殺・迫害していいのか?」
本作、デンマーク語原題/英題は、Befrielsen/Before it ends(解放/それが終わる前に)があらわしていたように。
戦時中のドイツ敗戦色が強まったころから、そして降伏で戦争が終わっても、ドイツ人難民や、難民を助けた医師・教師らを石を投げて追い出すデンマークの人々の姿を描いていて、心情は分からなくはないが、コレはないよなと思わせてくれました。
国際法違反以前に、戦闘に参加していない一般市民への私刑は人道的に許されないし、助けることは本来素晴らしいことのはずだと、問いかけているように感じました。
こうやって理性的にいられるのは、私が日本の平和な場所に暮らしているからで、命のやり取りで獣のようにななざるを得ない戦争下にもしも自分が置かれたのであれば、加害者の思考をトレスしてしまうはず。
ではあるが、だからといって今のロシアやイスラエル、古今のイスラム原理主義組織(アルカイダ、タリバン、ISIS、ハマスなど)のような行為を、素直に肯定もできないんですよね。
英題はbefore it ends(戦争が終わる前に)だった
終戦を一か月後に控えていた大戦末期、ドイツ占領下の北欧の国、デンマークに、苦境に陥っていたドイツから突然、25万人もの難民が送り込まれる。当時のデンマークの人口は400万人位、今の日本だったら720万人に相当する難民の数。ドイツは、ユダヤ人で経験しているので、大量の輸送はお手の物。しかし、収容施設はなく、デンマーク側が準備しなければいけない。
問題になるのは、電気、水、ガスなどのライフライン。それから食料と医療。前者はともかく、後者は、ドイツ側の義務。ただ、清掃やごみの処理だって行う必要がある。しかし、過酷な環境下に、重度の感染症の流行を見る。結局、多くの難民が亡くなったようだ。実話に基づく物語。
一番の鍵は、おそらく医師を中心にした医療だろう。医師には、困っている人を救う義務がある(赤十字の精神を想い出せば、明らか)。しかし、ドイツ人の医師は少なく、医薬品の供給も十分ではない。市民が難民に好意的な態度を見せようものなら、終戦まじかで、ナチによる暴虐を受けた人から構成されるレジスタンスの人びとの強い眼差しを受けることは明らか。ドイツ軍の軍政下では、デンマークの行政も頼りにならない。さて、引受先とさせられた市民大学の学長一家は、どうしたろうか。学長ヤコブは、そこで、強い意思を見せる。
間に挟まれた学長の息子セアン(演ずるラッセ・ピーター・ラーセンは、難民の少女に寄せる思い、父親を慕う気持ち、父親に反して、皆の前で格好をつける、の三つを演じ分けた)を一番元気づけたのは、父親手作りの第二次世界大戦の名機、スピットファイアの木製モデルだった。国を挙げて敢然とナチと戦った英国が救いであったことが判る。その向こうには(映画では出てこないが)自由の国、米国が見える。全体の方向としては、そうであったとしても、個々のレベルでは、弱者に寄せる強い思いもあったのだろう。
🇩🇪✕🇩🇰
ドイツとデンマーク2国間のお話しは
「ヒトラーの忘れ物」以来かな
デンマークもドイツに対抗してかなりの悪辣振りと結局皺寄せは若者達だったのを思い出した
1945年もまだナチスとかレジスタンスとか存在してたのか そして巡り巡って今度はドイツ人が難民 戦況の移り変わり易さや因果、皮肉を感じた
戦争では正義や我が身を守るために無関係な敵国の人達をも攻撃するという図式がよく分かる そして嘆かわしいことに犠牲者はいつも弱い者である
正直父も息子も情況によって信条がコロコロ変わっているような気がしたけど、あんな世の中では自分の命や職を賭してまで正義を貫くのは難しかったろうし、心情も察することが出来た(と思う)
今の世界の情勢と重ねて観てってことかな
24-088
興味ある面白い映画
興味ある面白い映画でしたが、当時のデンマークの政治的背景まで映画にするには、時間的余裕がなかったのでしょうが、国民感情が判らず、もう一つ深い理解に苦しむ内容でした
ドイツの敗戦直前に空襲で住むところを失った自国難民を、ナチス占領下のデンマークに、多数送り込んだナチス
デンマーク国民にとっては、難民とはいえ憎きドイツ国民なので、病気や飢えで困っている子供ですら助けるな!という憎悪の中で、博愛主義者のとる行動が葛藤となる対立がテーマです
(デンマークで、ナチス・ドイツの占領下にあった5年間に、国王クリスチャン10世は、デンマーク在住のユダヤ人に「ダビデの星」を付けるようにとのヒトラーの要求に断固反対し、「デンマーク国民であるユダヤ人」にはナチスに指一本触れさせなかったと言われ、ドイツ占領下にあった諸国の中で、デンマークのユダヤ人たちは98%がホロコーストを逃れることができた)という程に強くドイツに対抗したデンマークの国民性が判っていれば、より理解ができる映画だったと思いました
難しい問題
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