ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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神経と神経でつながっている
なんとも絵になる3人の、人間模様というか感性のぶつかり合いを、じっとのぞいているような感覚で観ました
"神経と神経で繋がってますのよ"というセリフが印象的で、まさにそういうつながりが描かれて、神経と神経のつながりなんていかにもヒリヒリしてて、熱を持ち、一緒にいるのは痛め合うしかないだろうと思えます
中原中也というと、汚れちまった悲しみ、というフレーズが浮かぶけれど、イメージ以上に狂おしい人だったんだなと、そして木戸くんがイメージのままで良かった
なにしろ3人が美しくて、時代の色によく映えていました
時代を感じる言葉つきと色彩、みとれました
共感はできないけれど、生きるのが大変だろう2人と翻弄される1人?を理解しようと引き込まれましたよ
広瀬すずさん女優です
岡田将生さんレトロに美しい
木戸大聖くん、只今推しの人です
柄本佑さん、びっくり嬉しかった
時代感は出てたけど物語としては微妙
今、映画化したねらいは?
田中陽造の幻の脚本をもとに、根岸吉太郎16年ぶりの監督作品。
主人公の長谷川泰子は実在した女優とのこと。中原中也、小林秀雄との三角関係という題材に引きつけられるが、物語展開やセリフが芝居がかっていて、古めかしいように感じられた。今、この作品を映画化した意図やねらいを読み取ることができなかった、というのが正直なところ。
広瀬すずは頑張っているが、まだ大人の女優になりきれていない感じ。京都での木戸大聖と二人での芝居は子供っぽく見えて、東京に移って岡田将生が出てきて、一気に画面が締まった。
根岸吉太郎の演出は、派手さはないものの堅実で、度々ある雨のシーンをはじめ、画面づくりも的確。大学の仕事も忙しいのだろうが、もっとコンスタントに作品を世に出してほしい。次回作を期待している。
死因第一位
しっかりと作った映画
あ、駄目だ脈絡
本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。
ベテラン、根岸吉太郎監督の16年ぶりの新作となる本作は、大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。根岸監督が描いたのは「若いがゆえのキリキリした生き方」というのです。
●ストーリー
大正時代の京都。20歳のまだ芽の出ない新進女優・長谷川泰子(広瀬すず)は、17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出います。どこか虚勢を張る2人は互いにひかれあい、一緒に暮らしはじめます。価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していたのです。
やがて東京に引越した2人の家を、小林秀雄(岡田将生)がふいに訪れます。小林は詩人としての中也の才能を誰よりも認めており、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていました。
中也と小林の仲むつまじい様子を目の当たりにした泰子は、才気あふれる創作者たる彼らに置いてけぼりにされたような寂しさを感じます。やがて小林も泰子の魅力と女優としての才能に気づき、後戻りできない複雑で歪な三角関係が始まるのです。それはアーティストたちの青春でもあったのです。
●解説
監督、根岸吉太郎は、脚本家、田中陽造の台本に出逢ってしまった。大正時代、才能あふれる3人の若者たちの恋愛と青春、あるいはそのいずれでもない崇高ななにか。正三角形ではなく二等辺三角形。ありきたりのトライアングルではない、唯一無二の人間関係がそこには記されていました。
『ツィゴイネルワイゼン』『セーラー服と機関銃』など日本映画史に残る脚本家のその作は、多くの監督たちが熱望しながら長い間実現することができなかった秘宝というべきものです。
この幻の脚本が幻のままだったのは、永らく田中が描く中原中也に相応しい俳優が登場しなかったことが理由の一つと言われています。
その扉を、『遠雷』『ウホッホ探検隊』『雪に願うこと』の名匠がついに開けました。根岸と田中が組んだ『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』以来、実に16年ぶり。根岸にとっても16年ぶりの新作となったのです。
きっかけは、木戸大聖の登場にあります。彼は、Netflix「First Love 初恋」で佐藤健の若き日の姿を演じ鮮烈な印象を残すなど、今、旬の注目株。初々しく瑞々しい木戸の求心力は、映画·ドラマで描かれてきた畢生の天才詩人のイメージを大胆に塗り替えたのでした。木戸の起用が、本作を大きく動かしたのでした。
そこに、泰子と中也の関係性をある意味、唯一無二のものにしたとも言えるキーパーソンとなる小林秀雄に名優、岡田将生が扮します。ある時は冷静に、ある時は情熱のままに、中也に惹かれ、泰子にも惹かれる小林の姿は、21世紀を生きるわたしたちにも訴求する現代性が豊かに波打っており、片時も目が離せなくなります。
3人に共通するのは、詩や文学、映画といったカルチャーに対する情熱と各分野で発揮された才能。だから、彼らの結びつきは、肉体的でなく、精神的といえます。互いに羨望や嫉妬の感情を抱いても、それが渦を巻いてドラマがうねるというより、互いに距離を測りながら、つかず離れずするふうなのです。根岸監督の端正な演出によって、繊細な心のドラマが描出されました。
●感想
彼女の自伝には夥しい数の大正時代の文化人の名が記されています。早くに父を亡くし、生家からの支援がない根無し草の女性が20代、東京で大正モダンを体現する存在となりました。
何も持たない女性、長谷川泰子はなぜ、天才詩人、中原中也に生涯をもって愛情というだけでは語りつくせぬ執着を示されたのでしょうか。その中也から奪うように、まだ何者でもなかった小林秀雄はなぜ彼女との同棲生活に突入したのでしょうか。
本作を見る限り、泰子の抱える潔癖症から生じる渇愛が、中也の本能的な感性と秀雄の論理的な振る舞うという性格の対称的な二人からの愛によってようやく満たされるという関係になっているように見えます。それ故に、本作の主人公は、2人の男の間を行き来する泰子といっていいでしょう。広瀬はギリギリの露出で濡れ場に挑戦するなど健闘しています。余りにもその切れ方が激しぎる余り、泰子の抱える複雑な内面がにじみでてきませんでした。広瀬は取材の折に見せた岡田の表情に喚起された解釈で演じたとインタビューで答えていました。これは中也の告別式での泰子応振る舞いは伝記とは違うのではとの質問に答えてのもの。なので決して台本を棒読みしていたわけではなく、雰囲気を大事に演じていたはずなので、広瀬オシとしては責められません。やはり根岸監督の過剰演出だったというべきでしょう(^^ゞ
とにかく何で急に中原から小林に乗り換えてしまったのか、わかりませんでした。
それでも本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。中也と小林が泰子と暮らす、それぞれの家が主な舞台となりますが、そこに差す光の加減が素晴らしい効果をあげています。雨の中を歩く男女の姿など成瀬巳喜男監督の映画のような情緒を感じたのです。
なんだったの?
三位一体
昔から変わらない恋愛
広瀬すずファンなので鑑賞、じゃなければ観ない。
面白いか面白くないかと言えば面白くない。
しかし広瀬すずさん今までに無い役で新たな一面を見せてくれました。
木戸さんが昔の藤原竜也さんぽくて魅力的な俳優、今観てるバニラな毎日と同じ俳優とは思えない役作りですね。
しかし恋愛とは時が違えどうまくいかないですね。
まあ中原中也の事はよく知らないが、泰子とはやっていけんでしょね。
鬼才を鬼才が受け止めきれません。
自己主張を全くせずに、超凡人しか務まらない。
いつの時代も、わかっちゃいるけど変な人を好きになったり、不幸になるのわかっていて自ら脚を突っ込む。
自分が幸せになるのが恋愛とは言えない、苦しむのが恋愛と言った方が過言では無い気がしますね。
まああまり深い映画では無いし、私が楽しんだのは映像ですね、雪が降ってるシーンと、遊園地が良かった。
光一つ一つが優しく灯っていました。
根岸の吉ちゃん、いい映画をありがとう!
美しい世界を見られたが・・・
最初に書いておくが、広瀬すずは俺の最大の“推し”。なので、本作の公開を誰よりも楽しみにしていたのだが、・・・
【物語】
舞台は大正時代。20歳の長谷川泰子(広瀬すず)は京都の撮影所で端役をもらいながらなんとか暮らしていた。あるとき、17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出会う。2人は互いに惹かれ合い、一緒に暮らし始める。その後東京に引っ越し、詩人として名が売れ始めた中也の下に友人であり批評家の小林秀雄(岡田将生)が訪ねて来る。小林は中也の才能を誰よりも認め、中也も批評家としての小林に認められることを誇りに思っていた。
そんな二人の関係に嫉妬さえ覚える泰子だったが、小林もまた泰子に惹かれていくのだった。
【感想】
最初に良かったことから書くと、映像として“大正”感はとても良く出ていて、“画”として惹かれるシーンがいくつも有った。特に京都の路地のシーンはハッとするほど美しい。 良く出来た撮影セットや音響効果も含めて映像化、作品の世界は良く作り込まれていると思う。
が、しかし・・・
ストーリー展開、演出には疑問が湧いた。 「泰子、中也、小林3人の不思議な関係性」が作品の軸にあることは今作製作のプレスリリースされたときから分かっていた。“泰子と中也”、“泰子と小林”、“中也と小林”、それぞれの関係性が観客にどのように見えるかが一番重要だと思うのだ。それが、それぞれその“特別さ”をどうにも感じ取れなかった。もちろん惹かれ合っていることが表面的には描かれているが、互いの存在をどれだけ大きく感じていたかというところが肌で感じられなかった。
“泰子と小林”はまだ良いのだが、 “泰子と中也”の関係性が作品的にはより重要なはずだが、俺にはそれを感じ取れなかったのが致命的だった。まず、冒頭に描かれる、出会いから惹かれ合うまでが??? そもそも最初から一緒に暮らしているように見えたのは俺だけ?
“出会い”だけでなく、中也が学生の分際でなぜあんな暮らしが出来ていたのかも一切説明が無く、冒頭から2人が惹かれ合うまでの部分は原作(元の脚本)から何か端折ったのではないかと疑うほど、納得感が無い。一緒に暮らし始めたという、結果だけが示された感じ。 さらに一緒に暮らし始めた後も、一瞬で別れてしまいそうな関係性に見えてしまった。 泰子は年上であるし、その後の行動を見てもやや冷めた感じに見えても良いと思うのだが、中也には並々ならぬ強い執着が有ったはず。だが、それを感じることができなかったから、その後の展開がイマイチしっくりこない。
“中也と小林”も描写不足では? 2人の関係性にある場面で説明的に「2人の仲は泰子が嫉妬するほど特別のもの」と描かれるのだが、どこで、どう仲良くなったのかは全然描かれていない。だから5歳も年上の小林を中也が呼び捨てにするのは非常に違和感が有った。現代よりも目上の人に対する態度をうるさく言われた時代だと思うので、20歳前後の若造が5歳も上の社会人を呼び捨てにするのはよっぽど親しい関係性だったはず。それを納得させる描写(エピソードみたいな)が欲しかった。
役者に関して言うと。
岡田将生演じる常に冷静な小林のキャラは納得感が有って良かったと思うが、木戸大聖は上述の泰子への思いの表現に不満を感じる。表現力というより役の解釈が浅いのでは?と思う。
目当ての広瀬すずに関して言うと、感情の爆発的演技は十分だったし、大正ファッションでも可憐な姿を度々見せてくれたのは嬉しかった。特にラストの佇まいはステキだった。ただ、(ファンでありながら)あえて難を言うと、感情のままに生きながらも2人の男を強烈に惹きつけたのは単純な外見だけではなかったはずで、「これ見せられたら中也も小林もやられちゃうよな」と思わせる“瞬間”が有ると、物語全体の納得感が増したと思う。例えば、2人だけのときに一瞬見せる表情や態度みたいなもの。
まとめると、宣伝用の長いダイジェスト版を見せられたかのような印象。美しい世界は見られたし流れは分かった。しかし、物語がどこか表面的で、そこに至った過程や3人の内面描写が不足しており、食い足りなく感じる。脚本の問題か、脚本解釈の問題か、演出の問題か、編集の問題か、はたまたこちらの観賞眼の問題なのか分からないけど。
実は初回鑑賞でちょっとガッカリしながらも翌日にもう1回観た。すると1回目に比べると監督が描こうとした世界が少し分かったような気もした。もう1回観ると、また違って来るのかな?
この不思議な関係性が意外と、いい
モノクロ映画版も 観てみたい
大正ロマンを感じる映画なので、観ました。
実在詩人中原中也氏は、この時代の文豪達によくある"田舎からでてきた 資産家ボンボン"であり、
甘やかされていた親元から離れ、いきなり箍(たが)が外れされた生活の中で、自分の存在さえも疑う生き方は、太宰治氏にも強い影響を与えてしまいます。
撮影技術は非常にすばらしく、影をも上手く使いこなし、構図も彩度もピントの加減もうまかった。<撮影賞>
広瀬すずさんの迫真迫る演技のひとつひとつが素晴らしかった。<主演賞>
岡田将生さんも良い演技でした。<助演賞>
セリフが文学調で、映画の世界観をよく表現できており、流石 田中陽造さんのシナリオだと感心しました <脚本賞>
この映画が好きならば、中原中也氏から刺激を受け、4に対する思い入れが 受け継がれた「津軽」のような太宰治氏の作品を読むといい。
シナリオとしては1人の女性が不器用ながら強く生きるという話なので、...
中原中也とファム・ファタール
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