本心のレビュー・感想・評価
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中盤から思ってたのと何か違った
auマンデー『本心』
亡くなった母親を.AIを駆使しバーチャル・フィギュアで再現したり、依頼者の要望を指示通りに動くリアルアバターとか・・・
すぐそこまで来てるような感じがリアルな作品
出演陣も超豪華で序盤の展開は面白いですが、チョッと思ってたのと違った
三吉彩花が,三吉彩花って役名で・・・
あのシャワーシーンのチラリは、合成なのか?生身なのか??謎???
近未来のイタコ
平野啓一郎の近未来小説を石井裕也監督が映画化。
自由死、リアルアバター、バーチャルフィギュアなど、近い将来現実にありそうな題材にまず目を引かれるが、そうした近未来的な設定と、死んだ母の話を聞きたいという、昔ながらの切実でかついかがわしい、恐山のイタコのような目論見を組み合わせていることに、強く興味を引かれた。
しかし、母のVFを作っていく中で、母と親しかった若い女性が登場してから、肝心の母の話が後景になって、主人公の過去の出来事やその女性との関係が前面に出てくるが、これは原作どおりなのだろうか?秘密が明らかになっていくというより、だんだんと散漫になっていく感じ。
貧富の差とか、姿の見えない悪意とか、現実に見聞きするモチーフを持ち込むより、もっと母の話を突き詰めてほしかった、というのが正直なところ。
登場人物は、あえてそうしているのだろうが、みな現実感に乏しい。役と同名の三吉彩花は、肌がきれいすぎて本物のVFと見間違えそう。
どんな題材でも軽さや柔らかさを見せるのが石井監督の持ち味だと思うが、今回の題材とはうまくマッチしていなかったかな。もっと硬質で即物的な演出の方が合っていたような…
SFと人間らしさのバランスがとても良かった
AIで母親をつくる...という設定はもはや現実になってきているが、その世界でのお話。
一番の特徴といえば、SFの世界観にみえるのだが、そこは平野啓一郎の原作ということで、人間にふみこんだ内容になっており、とても興味深く観れる。
途中までは、なんだかゴチャゴチャしていて、絵に描いたような嫌なヤツとかがでてきて、そちらのほうが現実離れして不快感があったり、分断の描き方がステレオタイプ的でなじめないところもあった。
音楽もわかりやすいものが多い。
ただ、本質はそこではなく、もっと人間の内面の部分。
正直最後はフワッとするのだが、それがとてもよかった。
人間なんてわかるようでわからない。そんな作品が好きなのである。
空気が終始重い気が…。
予告でなんとなく気になって鑑賞しました。
思ってたより全体の話の空気が重くて少し拍子抜け💧、とりあえず悪くはなかったがなんかね〜😅。
母の元同僚とはいえいきなり一緒に住むか❓色々事情はあるにしてもよ(笑)、誘う方もやけど行く方も…、どちらの思考にも「❓」が。
でなんだかんだ生活してたら惹かれるよねきっと、いい感じになるかな❓って思えば邪魔が入ったりして二人の関係性に主になってるような感じで母の言いたかった事はなんかあまりスポットあたってないような💧、母が繋げた二人ではあるけどね。
なんか書いてたらマイナスばっかりになってしまったがそれなりには良かったですよ、母の複製にもう少し焦点あててるか思いっきり二人を主にするかに振り切っちゃえばもう少し評価はあげれたかも😅。
ただ池松さんは私は本郷猛なんだよな〜💧、素晴らしい俳優さんってのは今回で2作目なのでわかりました😄。
久しぶりに見た妻夫木さんは安定してて素敵でした☺️。
話が散らかってるけど魅力的な作品
次々枝分かれし空中分解
もっと冗談ぽく言ってよ
保証しますよ、本物以上のお母さまをつくります。
一年近く眠り続けた人間が、髪型も、爪も、髭も、そのままなのか?って時点で物語を受け入れるには抵抗があったが、それはさておき。
『本心』と言うより、副題の『The real you』のほうがより内面の葛藤が伝わってくる気がする。『PLAN75』のように、自分で死を選ぶ制度ができる近未来。母が自由死を決めた理由を知りたかっただけなのに、知らなかった、知りたくもない事実や感情を目の当たりにする戸惑い。わが身が石川朔也と同じ立場になり得た時、そして同じような事実を知った時、同じように戸惑い、後悔する気がする。でも人は、見たくもないのに見られる状況(例えば覗きやストーカーや盗撮もその延長だろう)にあると欲求に勝てない。うまい匙加減で、こっちの心理を揺さぶって来るなあと思った。
だけど、どこかムズムズしていた。これは"あっち側の人間"が描く、"こっち側の人間"の話。あっち側=富める者と、こっち側=貧しき者。なんでだろう、何か高みから眺められている不快感かある。不快感の向く先は、役者ではなく、原作者に対してなんだが。それを"こっち側の人間"の僻みととらえても仕方がないかもしれないけど。
リアルアバター、ウーバー進化版の代行サービス、近い将来こういうもんが出てきたら、人はどれだけ心がすさんでいくのだろう。最後に添えられた手は、そんな壊れていこうとする未来への”希望”なのだろうか。
全体のストーリーは面白いんだけど。
死んだ人間のアバターをつくって会話するってのはもう始まっているけど、かなり気持ち悪いよね、ってぼんやりした感情を映画化してくれたのはチャレンジングだし評価したいんだけど。
映画全体に細かいノイズがあって、いまいちその世界に入り込めなかった。
ロボットが溶接している隣で溶接している人間が「そのうち俺たちはいらなくなちゃうよ」なんて会話するんだけど、いつの時代の話?80年代?90年代?_って思ったら2025年ということらしい。
そんなことあんたが生まれる前から言われてたことだよ、岸谷君。って心で突っ込みをいれたらなんか止まらなくなっちゃって。
病室の窓からの景色が、真っ赤な紅葉→雪景色→満開の桜と変化することで1年たちました!ってことを表現するんだけど、桜は紅葉しませんけどって思ってしまう。
ここ数年は、横浜流星と池松壮亮を交互に見てるんじゃないかって言う感じなので、この人は仮面ライダーじゃないし、野良の殺し屋でもないって言い聞かせながら見てるのに、三好彩花の役を三吉彩花が演じてるから、プチ混乱してしまう。
これから死ぬって人が最後に挨拶するのがリアルアバターってことはないんじゃないの?プラン75の倍賞さんの状態ならわかるけど、家族に囲まれてるのにバイトに向かって『ありがとう』っていう人生の最後はどうなのよ?
全体としては面白い話なんで、もうちょっとノッて観たかったという感じがするな。
もったいなかった。
A271 汗臭い!?言われたらショックやで
2024年公開
池松壮亮イライラする~!
でもそれだけ役に入り込んでいるわけで素晴らしいです。
オカンの本心なんか聞きたいか?
ウチのオカンも結構今までの人生にて愚痴聞くけど
まあその時によってよう変わりますわ。
人間なんかそんなもん。
¥3百万もよう出せんわ。
宣伝は妻夫木が怪しげでしたが
それよりもリアルアバターが怖い。
今のウーバー配達員の仕組みを見ていると納得感高い。
使う奴はどう考えてもまともとは思えず
いずれ闇バイト風に利用されるかな。
実際そういう描写もあるが。
まあこいつらアカウント停止は間違いないけど。
三吉彩花ってこんなに良かったっけ?
ちょっと背が高すぎるけど。(関係ないか)
70点
鑑賞 2024年11月18日 ムービックス京都
配給 ハピネット
自分の本心も気づいていない時があるのに
原作は未読。
リアル・アバターという職業ができていたり、仮想空間に作られたバーチャル・フィギュアなるものが実現できていたり、自由死という制度ができていたりと思ったよりも近未来の話だった。リアル・アバターはウーバーの配達待ちをしている人たちを思わせるし、たしかに悪ふざけをするやつらも出てきそうだし、それによって低評価にさせられる人たちも生まれそうではある。近未来感の加減はなかなかうまい。
話の方は、亡くなった母が自分に話そうとしていた「大切な話」を知るために、母のバーチャル・フィギュアを契約するというもの。同居することになった母の友人・ミヨシアヤカとともに探るうちに2人の距離も近くなっていく。自由死という制度に対して、ぼんやりとした説明しかなかったし、バーチャル・フィギュアにしても説明不足な印象は拭えない。たぶん原作ではそれなりに説明がされているのだろうと想像する。その説明不足なところが原因だろうか、一応感動の結末のはずだが、今ひとつ伝わってこなかった。
結末まで観て思うのは、自分の本心もちゃんと気づけていないときがあるのに、他人の本心なんて理解できるわけがないということ。でも、わかり合おうとする必要があるし、例え幻想であってもわかり合えたと思える瞬間は貴重なんだろう。それがテーマなのかは定かではないけど。
それにしても、ミヨシアヤカという女性の役を三吉彩花が演じていることに戸惑ってしまった。これは原作者が彼女をイメージして役名を決めたのか?映画化するときには原作者の意向でキャスティングが決まってたり、シャワーのシーンなんかもちゃんと撮ってほしい旨伝えられたりしたのだろうか。なんて妄想をしてみた。もちろんそんなことはないはず。
現代版"たった1年の浦島太郎"
原作は未読、予告編の不思議さに魅せられて、鑑賞しました。
予告編から、謎解きサスペンス映画を想像しましたが、ただの近未来映画でした。
未来あるあるのハリボテ的な多々問題を、紹介だけして、何も解決できないならば、
せめてひとつのテーマに絞って、掘り下げた方が良い作品に仕上がったと思う。
浦島太郎現象は、1年後ではなく、せめて5年以上後位にした方が、作品としての説得感があったと思う。
それでも、近未来ギアはすべて、チープでダサかった。
ウーバーイーツ的な活動と。友人の存在全てが、作品を惑わすだけで
本来 語らなければいけない 事から、かけ離れているだけで、不要だった。<糞脚本賞>
すなわち、映画の中で、"言いたい事・表現したい事"が、支離滅裂で、作品の筋が通っていなかった。
主人公の最初の ぶっきらぼうなせりふが。。。下手なのが 映画の冒頭で気になって、映画に集中できませんでした。
得るものも、考えさせることもない
この映画を観たら、家に帰って「浦島太郎の絵本」をもう1度読破した方が、楽しいかもしれない。
SFからもはや現実に落とし込まれたAI、仮想空間の設定が秀逸
予告編を観て、ゾッとするような怖さを感じた。演技派の池松壮亮、田中裕子というキャスティングにも惹かれて観賞。
【物語】
朔也(池松壮亮)は母(田中裕子)と2人暮らし。工場で働き、裕福では無いが平穏に暮らしていたが、最近母の様子が少しおかしいことが気に掛っていた。ある日工場にいるときに「今晩大事な話がある」という電話を受け取る。約束が有り、すぐに帰ることは出来なかったが、嫌な予感がして家路を急ぐ朔也は、豪雨で今にも氾濫しそうな川べりに立つ母を目にし、駆け寄ろうとするが次に見たときには母の姿は無かった。咄嗟に川に飛び込んだ朔也は、命は助かったものの昏睡状態に陥り、目覚めたのは1年後だった。
母は生前に「自由死」を選択していたことから自殺と断定されたと警察に聞かされる。 眠っていた1年の間に工場は機械化により朔也の仕事は消失していた。 幼馴染みに紹介された新たな仕事を通じて、仮想空間上に任意の人間を作るVF(バーチャルフィギュア)という技術を知った朔也は、ほぼ全財産を注ぎ込んで母のVF制作を依頼する。目的は母が”自由死”を選んだ理由を知ることだった。VFのINPUTデータとして母の生前の情報を集める中で、母には若い友人(三吉彩花)がおり、彼女は朔也の人生に大きな影響を与えた昔の同級生にそっくりであることを初めて知る。
【感想】
設定がタイムリーであり、秀逸。
昨今CHAT-GPTなどの出現によってAIが急激に身近になった。使ったことのある人は皆、「もうここまで来たんだ」と思ったのではないか。
俺もPCからある質問を投げたときの回答があまりに理路整然としていたことに驚きを隠せなかった。 映画の世界ではだいぶ前からAIによって人が支配されるSFが描かれていたが、それがいよいよ現実になりつつあると実感する。 そうなると、便利さを越えて誰しも恐怖を感じるようになる。
SFではそれが戦争・殺人などに繋がって行くが、既に商品化されているバーチャル空間用ゴーグルを使ったバーチャルフィギュアという、ずっと身近な形を設定し、SFとは言えないより身近さを演出している。架空の人物を作り出すという部分は、少なくとも庶民が手に入れられる価格でまだあそこまで制作することは出来ないと思うが、3~5年後はあそこまで行くかも知れないと思わせるリアリティー。 実際手に入れたら朔也同様、嬉しい現実である一方怖くなるだろう。
この設定の巧みさに加えて、予告編からは母と息子の関係に焦点を当てたドラマを想像したが、もっと様々な人間関係や過去と現在が絡んで見応えのあるドラマになっていた。
人間それぞれの裏に隠された真実、本心を覗き見る、ホラーと言うと言い過ぎかも知れないが、怖いもの見たさをくすぐる作品。
バーチャルと生身の人間との乖離を埋めるはずの想像力の欠如
バーチャルの始まりは、アルタミラ洞窟の壁画にまで遡るという話を聞いて、とても納得したことがある。言語や文字もある意味バーチャルだが、電信や電話、はたまた、ラジオやテレビ、PCやVR、本作のようなAIを活用したVF(バーチャルフィギュア)と、現代に近づくに連れて加速度的に進化を遂げて来たバーチャル化に対して、生身の人間の進化の速度はそれほど速くはないと思う。体格は少しよくなったし、寿命も延びた。でも、中身は案外1000年や2000年前と違わないんじゃないだろうか。
それ故に、急速に乖離するバーチャルと生身の人間、そしてその乖離は、いつしか、バーチャル空間を通してやり取りする、生身の人間同士の関係にも当てはまるようになってしまった。
映画で描かれているように、資本を持つ者にとって、朔也たちは人格を持った人間ではなく、リアルなアバター。あくまでもアバターなのだから、クライアント側は何の良心の呵責もなく雑に扱える。
また、アバターを雇うゆとりがないコインランドリーの客のような者も、相手の弱みを見つけると、暴言や暴力でマウントを取ってストレス解消を図ろうとする。自分とは直接関係しない人間だから。
どうしてそうなるのか。というより、なぜそういうことができるようになってしまうのか。
理由のひとつは、圧倒的に増加していく情報量の中で、それを人より素早く処理して優位性を保つことには経済的な意味があるが、他者とのコミュニケーションは、いわゆるコスパの面では優先度は低くなっていることにあると思う。そして、その先に起きているのが、映画が描く「自由死」が制度化された世界の姿ではないだろうか。
象徴的な所で言うと、妻夫木演じる野崎の娘。生まれつきの環境のおかげで、デジタルには詳しいが、決定的に道徳が欠如している。本来、人との関わりの中で育まれるはずの想像力がないのだ。こんな悪魔のような人間がうじゃうじゃと湧いて、これからのイニシアチブをとっていく世界は、残念ながら明るい展望を持つことができない。
大賀演じるイフィーも「交通事故にあった俺だから、“そちら側”の気持ちが想像できる」とか言って二分している時点で、間違えている。不遇な環境に置かれたものを、本人の努力不足や自己責任と無自覚に断じていることに気づいていないのだから。
逆の意味では、過去のトラウマから、人とふれ合うことが出来なくなってしまった三好の存在がリアルに迫ってくる。そして、他者とのコミュニケーションで大切だったのは、実は「体温や触覚」だったのではないかとまで思わされた。(朔也と三好2人の場面では、鍋の暖かさ、シャワーの冷たさなど、温度がさりげなく強調されているし…)
それにしても、「本心」ってなんだろう。
「真実はいつもひとつ!」なんて、単純なものじゃないよなぁと思う。
こちらが、原作の平野啓一郎イコール「分人主義」と思って観ているせいもあるけれど、その人との関係を離れた「本心」なんて、単なるフィクションに過ぎないし、陰謀論のように、ない物をあるはずと思って探し続けるのはナンセンスだよというのが答えかも…。
ラストシーンの解釈について、いろんな人と語りあいたい映画。
石井裕也監督の作品、自分は結構好きなんだなぁということを改めて思った。
役者たちはみんな素晴らしいが、特に三吉彩花の光り方にやられた。
テクノロジーで補えないもの
すぐそこに来る未来のような、もう始まっているような世界。ただ、あらためて感じたのは、技術が進歩しようが、AIが日常を運営しようとも、人の心に関する事は人にしか理解出来ない、また人が関わり続けなければならないことだという事。使う側使われる側、のような格差も描かれていて胸が痛む。
原作を読んで自ら映画化を望んだという池松壮亮の本人であるかのような演技、他全てのキャストが自然で、説得力のようなものを感じ入ってしまった。どんなに自動化やらAi運用やらが進んでも、人の心が大切であることは変わらないと実感出来る作品。
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