本心のレビュー・感想・評価
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見える本心と見えない本心
近未来のSF設定だからこそ、
VFをつかっての
亡き母の本心を知りたい主人公朔也(池松壮亮)の疑問に
向かいあえるストーリにできたと思いました。
朔也は嘘がつけない目をしているとのくだりがありますが
ここが非常に重要なんだなと後半にあらためて
気づかされました。
てっきり朔也は、
三吉彩花演じる三好彩花のことが好きなんだろな
と思いきや、違った!ここはマジで肩透かしでしたが
朔也はちゃんと本心で向かい合ってるんだなと
感銘を受けましたね。
まあ、やはりラストのお母さんの大切な話。
生まれてくれてよかった
愛してる
は、朔也も私もグッときました。
それにしても池松壮亮の演技の幅は広くて驚きます。
ベイビーわるきゅーれとは全然違った演技でした(笑)
ありそうな未来
ありそうな未来で描かれるありそうなそれぞれの人物の葛藤。近未来の設定を借りているけど、平野啓一郎らしいテーマですね。
冒頭から、何かが消えるシーンが連続しますが、ラストは何かを得るシーンで終わり、救われる感じ。
よい映画でした。
水上くんが演じた「岸谷」のキャラ設定が、いまひとつ類型的だったのが少し残念かなぁ。水上くんの演技は素晴らしかったのですが。。。
近未来 そこは成功 そして テンポも展開も良い👍 佳作 ただしパンチにかけるのが玉に瑕
平野啓一郎さんの小説を 事実上 池松壮亮さんの発案で映画化
原作2040から映画は2025近未来へ
1年後だから このヴァーチャル世界 労働は まだ無理だと思うけど
🔟10年後は 普及してるかもな❓ と思わせたから そこそこ面白かった
中国 韓国では一部実現と 有料🈶パンフにあった。
有料🈶パンフは文字との格闘がない 普通に気軽に読める まとまっている 合格点
コラム インタビュー 等のバランスが良い 薄いけど 厚すぎて 読む気の失せるパンフよりは良い。
役者は今が旬の強者ぞろい
ただ 俺的に エンドロールで突然出てきた 窪田正孝さんは どこ❓
『先生の白い嘘』に出てた 三吉彩花 さんは メジャー入りか❓ 一文字違いの役 当て書き❓
なんか水上恒司さん 綾野剛さんは イメージと違い 泥臭く好演
テクノロジー進歩の功罪
他の近未来映画より 堅実で ペース配分も良い好作品
あっ ホームページ 超短編漫画 たくさん載ってたから是非どうぞ
でもAI に振り回されるのではなく AI を振り回そうよと正直思った。
確かに 俺も 料金が適切なら 死んだお袋に会いたいよ❗️
ただ ・の告白 プロ・・・ は本人がやらないととは思った❗️気持ちは本人が・・不格好でも良いじゃないか❓
近未来で考えさせられて良かったです。
ただし 個人的にパンチを欠いた。皆さん是非‼️
三吉彩花ちゃん
が攻めてますね。先生のときもそうだけど、この人が脱ぐのは眼福です。子役から推しなので複雑なものはありますが、ファッションモデルで本人は裸は気にかけないと思われるので良しです。ヒロインとしてとても良かったと思います。
登場人物が揃って機械的で人間味に欠け、魅力を感じない。
本作では、機械の、いや文明の進化の軍門に降った、愚かな人間の群像劇が展開されていく。
持つ者と持たざる者の二極化した世界で後者は何とかして前者になろうとするが、結局、前者も後者も機械の軍門に降り、そのことに対して抗うことすらしない、人間味を捨て去り同化しようとしている。
ただただ全く無味乾燥な人間の葬列を観た気がする。要するにこの映画は人間味にかけるため、個人的には魅力を感じない。
石井裕也は常に魅力的な人間的弱者を画いてきて、そのことに共感してきたが、本作は人間の心の弱さより物質的弱さが目立つため、いつもの彼らしさを感じなかったのかもしれない。
次回作に期待したい。
こんな晴れた日に観たい映画じゃなかった
楽しみにしすぎた母と息子の優しい話になるのかと思いきや…リアル暗い未来闇バイト格差 怒鳴られる清掃員はLGBT 映画館を出る時高齢のご婦人2人が拍手していた
きっと貴女達は逃げ切れたんでしょうね
自由死制度賛成です。
自殺する前に母親が話そうとしていた「大切な話」が何かを知りたくて、AIアバターを作った男の話。
2025年8月、なぜか朝方弁当を作った母親のことが気になりつつも、大切な話しを聞くのを先送りにした男が、友人と飲みに出かけた帰り道、豪雨で増水した川に母親が流されたのを見たと同時に事故に遭い、川に落ちて意識を無くして約1年後、母親は「自由死」の認可を受けており自殺だったと知らされて巻き起こっていく…って、あらすじ紹介の内容が誤っているので敢えてしっかり書きましたw
歳は離れているけれど、母親の唯一の友人三吉彩花じゃなくって三好彩花の持つ母親の情報も織り込んで作られたVFに大切な話しを聞いても…それになぜ自由死を?となって行く。
VFが成長して持っている情報から母親の思考を形成して行くのはなかなか良いけれど、成長過程とは言えなかなかお口の軽いこと。
まあ、それによってドラマが為される訳だけれど。
前歴じゃなくて前科ですか?朔也は単に不快な言動が嫌いな人?等々モヤッとしたものはあったし、落とし方の割りに母子以外の話しに持って行き過ぎな感もあったけれど、なかなか面白かった。
このラストシーンは?!
仕事の収録が終わり、久しぶりにレイトショーを観てリフレッシュ
「本心」
原作:
テーマは、「最愛の人の他者性」です。
愛と分人主義の物語であり、その最先端です。
平野啓一郎
正直、小説を映画で再現するのは難しいという印象…
映画では、VF(virtual figure)を通して亡くなった最愛の母との再会を果たす異質感のあるシーン(流石の田中裕子)や、リアルアバターで奔走する主人公の汗臭さ、母の別の顔を知り、突然同居することになった女性の何とも切ない美しさが、映像で満喫できます。
意味深のラストシーンはまだ解釈出来ていません…
心の義肢 ヴァーチャルとリアルの操り人形たち
人が腕や足を失えば義手や義足でその欠損を補うように、心に欠損が生じた時その心の穴を埋めるために何で埋めるのだろうか。
仮想空間上に作られたVF(ヴァーチャルフィギュア)は家族や最愛の人を失った人間がその心の欠損を補うために作られた心の義肢といえるのかもしれない。
本来なら人は愛するものを失えばじっくりと時間をかけてでもそれを自分なりに納得するなりして受け入れていくしかない。
主人公の朔也は目の前で母を亡くし自身も事故に遭い、昏睡状態から目覚めたとき社会は革新的に技術が進んでいて、仮想空間上に母をVFとして甦らせる。最後の日に母が話したかった大切な話とは何だったのか、自由死を選んだ理由を話そうとしていたのではないか。朔也はどうしてももう一度母と会って確かめたかった。彼の中では母の死をいまだに受け入れられずにいた。
しかしVFはその人間に対する周囲の人間の記憶をもとに形成されるAIプログラムであり、いわばつぎはぎの虚像でしかない。あくまで他人を通して現れる自己存在であり、VFに期待通りのリアクションを求めることはできてもそれはうわべだけの反射的反応でしかなく、VFにオリジナルの心が宿ることはない。
また、その人間が生きてる間に他人に対して見せたこともない一面についてもVFに現れることもないから朔也が生前の母の本心をいくら探ろうとしてもそれには限界がある。
母は自由死について誰にも相談しなかったから。朔也もそれはわかっていたはずだが、母の死を受け入れるためにはVFを作るしかなかったんだろう。自分の心の穴を埋めるために。
優等性だった朔也は教師への暴行事件で人生を踏み外し、まともな職には就けなかった。腐れ縁の岸谷から紹介されたRA(リアルアバター)なる仕事の個人事業主として何とか生計を立てていたが、自分の意思は無視され理不尽な要求も求められる。ユーザーの思い通りの動作が要求される文字通り操り人形ような仕事だった。
思えばVFも同じである。相手が求める自分へのイメージ通りにリアクションが要求されるという点ではVFもRAも同じ操り人形だと言えるかもしれない。
母のVFの精度を上げるために母の同僚だった三吉彩花演ずる三好彩花と同居するうちに朔也は彼女に好意を抱くようになる。しかし彼が彩花に本心をさらけ出すことはない。
自分はふがいない人間だ、母の死も自分に原因があったのではないか。レイシストを懲らしめた動画が拡散して英雄のイメージがついてしまったが自分はけして英雄ではない。学生時代の初恋の相手を侮辱した教師の姿が被ったために暴行しただけのことだった。
そうだ、自分を認めていないのは自分自身だった。彼は今も過去の事件を引きずっている、まともな人生を生きれないのも自分で自分を貶めていたからにすぎない。
思いを寄せる彩花に自分の気持ちに反してアバターとして他人のために告白するなど、究極の自己否定でしかなかった。自己を肯定できない彼にはこのアバターの身が似合っていたのかもしれない。
彩花と別れVFの母とも別れを告げようとした朔也、そんな彼にVFは話したかった大切な話を打ち明ける。
息子のお前を生んでよかった。今の自分は幸せだと。この幸せの絶頂期に逝くなら本望だと。
それは朔也がVFに言わせた言葉だったのかもしれない。彼が求めた母の本心として。しかしその母の言葉を聞いた朔也は、それが母の本心だと思うことでやっと自分を認めることができたのだ。前にも冗談交じりに話していた母のその言葉こそが母の本心だと朔也には思えた。母が死んだのはけして自分のせいではない、もういい加減自分を認めてやるべきだ。彼はVFの言葉でやっと過去の呪縛から逃れることができたのだろう。
母の姿をした虚像から本心を聞き出すのは空を掴むようなものだった。まさに空を掴もうとさまよう朔也の手にもう一つの手がそっとやさしく寄り添う。
母を失った心の穴を埋め、自分をやっと認めることができた朔也。彼の真の人生を歩みだした瞬間だった。
人間存在への哲学的な問いかけ、また現代の格差社会における若者たちの受難、高齢化社会における安楽死などの社会的な問題も浮き彫りにさせた、この監督らしい作品であった。
原作家のこの作品の本心は、
本心
あるインタビュー記事で、
原作家の本心が語られた。
その一部が最下部エンドにネタバレ!?
母の本心とは、
母親が豪雨となる日の朝に、出勤する子息に一言言いたかった大切なこと。
それが、子息が帰宅する頃には自宅近辺は洪水となり、河川に近づいて何かを探している母親を見つけて危ないと欄干に身を乗り出したところ濁流に落ちて意識不明の一年過ごし、あの朝、亡くなった母親が言いたかった大切な一言は、何と言いたかったのか?が本心の対象だ。
あの日の母親の一言を再現したくて、母親のバーチャルとAIで再現するためVFの仮想母と意思不明となってから一年後に進歩した社会を生活し直す。
そんな未来生活と過去生活は、未成年犯罪からSEXワーカー、婚外子、自然死適法、貧富格差などの社会問題などの多くの問題を抱え、
最新コンピュータ技術であるVFやAIと言う中間項を掛け合わせて物語を複雑に構成して、
母は自然死と結論したその本心を探らように見せかけ、
仮想ではなく虚構の世界に落とし込み視聴者を翻弄させてゆく。
自然死ではない事実と真実を、本当とは本音で計らせる見事なヒューマンサスペンスだそうだ。
ラストは自身の恋心さえ自信を喪失して仮想で住むのだろうか?
それにしても、リアル・アバターにVFやAIを駆使されると、人間はコンピュータ技術の奴隷と化してしまう危うさをますます強く感じてしまう。
そんな事実がスマホかも知れない。
歩きスマホは危ないよ。
自転車スマホ、自動車運転スマホは犯罪です。
そして一年後、
当店では、リアル・アバターUber お断り!
汗臭くってクールでないね。
(^ω^)
本心
「月」「舟を編む」の石井裕也監督が池松壮亮を主演に迎え、
平野啓一郎の同名小説を原作にデジタル化社会の功罪を鋭く描写したヒューマンミステリー。
工場で働く石川朔也は、同居する母・秋子から「大切な話をしたい」という電話を受けて帰宅を急ぐが、豪雨で氾濫する川べりに立つ母を助けようと川に飛び込んで昏睡状態に陥ってしまう。
1年後に目を覚ました彼は、母が“自由死”を選択して他界したことを知る。
勤務先の工場はロボット化の影響で閉鎖しており、朔也は激変した世界に戸惑いながらも、
カメラを搭載したゴーグルを装着して遠く離れた依頼主の指示通りに動く「リアル・アバター」の仕事に就く。
ある日、仮想空間上に任意の“人間”をつくる技術「VF(バーチャル・フィギュア)」の存在を知った朔也は、母の本心を知るため、開発者の野崎に母を作ってほしいと依頼。
その一方で、母の親友だったという三好が台風被害で避難所生活を送っていると知り、母のVFも交えて一緒に暮らすことになるが……。
田中裕子が朔也の母役で生身とVFの2役に挑み、三吉彩花、妻夫木聡、綾野剛、田中泯、水上恒司、仲野太賀と実力派キャストが共演。
本心
劇場公開日:2024年11月8日 122分
原作家の「本心」
原作の『本心』は、人間同士の心の掴みどころのなさというか、わかりたいんだけどわかりきれない、けれどわかろうとする、ということがそもそものテーマでもありました。
語るべき余白も映画には残されているので、
そこを誰かと語り合うことで、今までうまく話せなかったことを表現できたり、相手のことがよりよく理解できたりということもあると思います。
ぜひ誰かと一緒に観に行って、感想を共有してもらいたいなと思います。
╰(*´︶`*)╯♡
「大事な話があるの」何!何!
石井裕也監督x池松君x妻夫木君!ときたら見逃せない。
御三方が出演された"僕らの時代"も
ちゃんと観ましたよ♪
(石井さんてこんな面倒くさい人なの?と、
ちょっと困惑しましたw)
平野先生の作品は数冊読んだが、本作は未読。
なぜ母は"自由死"を選んだのか?
"本物以上のお母様を作れますよ"
インパクトのあるセリフが切り取られた予告を見ていたから、軸として描かれるのは死んだ母親と息子の家族の物語なんだと思っていた。
「人魚の眠る家」や「PLAN75」のような
「命」をメインテーマに据えた作品だと思っていた。
だからちょっとミスリードされた感でムムム。。。
終盤は、えっ?!ラブストーリー?!そっちにスピード上げないで〜と思ったり。。
言いたい事はわかるのですが、格差社会や人種差別、連鎖する犯罪と貧困、犯罪者の再生、売春、ジェンダー問題までも絡めており、どれも大き過ぎるテーマなので、本作全体としての焦点がボヤけた印象も。。
とはいえ近未来。。恐るべし。。
さてさて、
聞き慣れない言葉がたくさんありました。
◎ヴァーチャルフィギュア(VF)
AIによって死んだ人間をよみがえさせられる技術らしい。
その人物の生前のデータを元に、仮想現実としてゴーグルの中でだけ"人間"として存在させる事が可能。
学習能力があり、経験を積む事でよりリアルなVFへと成長(ギョッw)
ファービーかな?( ・∇・)
◎リアルアバター
依頼者からの要望に従って、ゴーグルを付けて現実社会を実際に移動して、依頼者のゴーグルにリアルアバターの実体験を送る仕事。
(音や匂いなんかも体感出来る設定と解釈しました)
最下層の人々の仕事?
◎自由死
積極的安楽死が合法化したという表現と解釈しました。
自由死を選択し、申請が認められたら期間中に実行が条件(?)で、遺族は税金免除になったりお見舞金ももらえるようでした。
(この金額が安いと思うか高いと思うか。置かれている人物の背景によっても、この選択の意味が違う事が興味深いと思った)
「大事な話しがあるの」
そう言い残して朔也(池松君)の目の前で氾濫寸前の川に消えた母(田中裕子さん)
朔也は助けようとするが自分も転落していまし昏睡状態に。
目覚めたのはその一年後!
(身体弱々では?(°▽°)
変わり果てた社会に戸惑いながらも順応すべく、リアルアバターとなって懸命に働く朔也。
しかしどうしても自分の母親が"自由死"を選択して亡くなっている現実を受け入れられない。
母の本心とは。
朔也が下した決断とは。。
原則的には「死」も個人の自由意志であるべきと思います。
本作のように「自由死」が合法化されている時代だと仮定して、もし自分がソレを選択した場合は、家族にはその意思を尊重して欲しいけど、逆の立場だったらと考えると頷く事はできるのか。。
そして
隠し事はしないで!本心を話して!と言われても、難しいですよね。
自分でも分からなくなる事ありますし。。
例え家族であってもそうだと思います。
"隠している"訳ではないけれど、言わない本心もたくさんあるし、それこそ思うがままにを伝えていたら社会が回らなくなってしまいます。。
VF母さんが話した"本心"
これは本心なのか?
AIでは人間の心は再現出来ないと思います。
これは"希望"ではないと思います。
母の言葉は実は朔也が聞きたかった言葉だったのではないかな。。
疑問も残りましたが、朔也の中でしっかりと母親に向き合えた事は間違いなく意味のある事だと思えました。
ラストシーン。
空にかざす手のひらに、そっと寄り添い重なるあの手は三好さんだったと思います。
トラウマで人と触れ合う事が出来なかった三好さん。
彼女も、人に触れられるのを拒む=他人は触れる事が出来ない・一瞬、イフィー(太賀君)に触れられた時にフリーズしていました。
この設定が、生身の人間なのに彼女自身もまるでVFのようだと連想させられました。
そんな彼女が自ら朔也の手に触れたこと。
いくらテクノロジーが進化して、VFを作り上げる事は出来ても、血の通った、生身の人間の身体の触れ合いが最強なんだ!と言われた気がしました。
と、締めようと思ったのですが、意地悪な感情がムクムクと。。
そもそも母さんが何も相談せずに実行してしまった事が悲劇を生んでいやしないか。
朔也が納得しないにせよ、知っていた、知らなかったでは大違いだ。
この大事なポイントの扱いが個人的に受け入れ難くて実はあまり没入出来なかったです。
事故だったのか?!よくわかりませんでした。
写真の加工にもビックリよ!
「本来の表情は。。。こちらです」
穏やかな笑みを浮かべている。。と思わせて実は!!
ゾワワ〜!怖いんですけど!
なぜに母さんは実際には能面のような表情だったのでしょうか?
未だに息子に出生の秘密を打ち明けられずにいる後悔で?
母子家庭で息子は前科持ちの犯罪者という事実が長年の重しになっていた?
彼の将来を案じて心配が絶えなかった?
貧困から抜け出せず、生活が苦し過ぎて、現実では笑う余裕なんてなかった、という意味?
彼女が「自由死」を選択した理由がいまいち分からず、モヤモヤが今だに消化しきれません。
三好さんと親友ってのも無理がある設定すぎて飲み込めない。
近未来、ゴーグル装着率高しっ!
ここまで進歩してもゴーグルかいっ!
違和感アリアリでちょい苦笑。。
涙も溜まってまうわ〜せめて眼鏡にして。とか、朔也は怒りの感情がコントロールできない人物の様に感じてしまい、理由はどうであれ、暴力に向いてしまう行動が残念だった。
三好(三吉さん・だからややこしいって)の突然のおぱい。
出すなら白い嘘でこそ!ではなかったか?!あ〜ゆうシーンではイヤか。。とか、雑念が渦巻いてしまいました( ̄∇ ̄)
極め付けは
アイラブ池松君と水上君の芝居が個人的にハマらなかったの( ; ; )
何故だーーー!!!悪くないのにナンデカナ?悲し丸( ; ; )
妻夫木君、太賀君には違和感なかったんですけどね。
ちょっと出の綾野剛さんはプロVFかな?
窪田君はどこにいた??('◉⌓◉’)
W田中さんは流石でございました。
("自由死"の"制度"を"利用"するのならば、本来(?)若松さんの様に医師の付き添いの元、実行すべき。ダイブダメ。
"自由死"の"見本"として描いたのかな?)
最後に。。
私のVFは作らないでと家族にお願いしたい。これ本心ですw
(少し揚げ足取りな観方になってしまったのは承知しておりますので、あくまでそ〜ゆう風に感じたって人もいるって事でおねしゃすm(__)m
母の本心か、それとも…
映画の設定は2025年。さすがにここまでは進まないだろうと思うVFの世界。
原作は2040年代、日本の社会的保障は破綻し「自由死」を認める世の中。だが誰でもいつでもどこでもいいのではなく医師の許可がいる。少し書かれる人の最期も側に医師がいるだろうと思わせる。しかし医師の側から「自由死」はすすめない、との言葉がある。
予告を観た時、朔也(池松壮亮)の母・秋子(田中裕子)は「自由死」の許可を得ているので水を選んだと思っていた。映画に現実を入れるのは野暮だがそれは駄目だろうと突っ込みたくなった。時も場所も選ばなければ巻き込まれる人、幾つかの機関が出動となる。一方で若松(田中泯)がはっきりと「自由死」の方法を見せた。秋子もこうなるはずだったのでは?となる。
映画の人物で原作で本心を口にするのはイフィー(仲野太賀)だけだと思う。岸谷(水上恒司)も何を考えている?の方だ。本心を表す方法。それは本音を出すことだ。では人は常に本音で語るかと考えると疑問だ。
だがあの原作をよくここまでまとめたと思う。削除されたり変更されたりもして唐突に思える箇所もあるが、映画ならではの面白さがある。水に入ったと思っていた秋子がほんの数秒でそれは違ったと分からせる。朔也の迷いや疑問で重く飛行していた展開にメリハリを付けた。
VFである秋子の最後の言葉。知ることが永遠にできなくなった秋子の本心。朔也があの言葉で前に進めるのなら、それが例え朔也の願望が作った言葉でも母が息子に打ち明けた本心であると考えていいと思う。
「本物以上」だとしても「本物」でないなら贋作でしかない
※バッタがドアップになるシーンがあります。
※殴る描写があります
※ゆるーいネタバレを含む可能性があります。
人工知能と自他の認識差の話かと思ってたのですが、少し違う…?ようで違わなかった…??かも…??
近未来ホラー?になる?のかな??
AIの述べる「本心」なんて、「そのAIに学ばせた人間の趣味趣向」だと思ってるのですが、その辺を念頭に置いているか否かで感想が「近未来ホラー」か「親子愛映画」になるか分かれそう。しらんけど。
そういう意味で最後に"母親"が言った言葉、あれはもう最初からそうなるってわかってたよなあという感じ…だって「そう思われてる」と思い込まないと生きるのすら辛そうだったし…それが母親の本心であるかどうかはもう関係ないしどうでもいいんだよね。死人に口無しだからね。主人公が「そう思われてる」と思えればいいので、多分ハッピーエンドなんでしょうが、ある種俗にいうメリバとも言える。
実際、"母親“も母親も自分の過去の事実について述べられてないわけで。述べない方が良いと思われてるわけで。でも三好には述べてるわけで…。母親は子供が欲しかったって言ってたけど、本当にそうなんかな。てかそれならその時の相手は…?今交流はないんか?もう亡くなられたんかな?そもそも作中で述べられた"母親“の話、ソースは三好の証言だと考えると、それも虚偽の可能性だってあるか。
個人的に一番怖かったのはやっぱり、一年寝て体力極貧になってるであろう主人公を連れ回す幼馴染と、一年寝て情報超弱者になってるであろう主人公から300万取るCEOのシーン…暇なん?と思ったし、極貧に追い討ち…でもだからこそCEOまでのぼりつめられたんだろうなあ。
あとはまああんなにバーチャルがリアルになるとこまで技術が発展してるのにめちゃくちゃアナログなゴーグルなのは笑いました…
あと場末の工場が全自動化出来るとは思えん…人間より機械の方が維持費掛かるし、導入費用考えたら難しいんじゃないか…?
個人的には面白かったです。どこまで現実でどこまで仮想空間かわからなくなってそうなとこまで含めて。
新技術は人間を残酷にする
昨年公開されて世間の口の端に登った「月」以来、約1年ぶりに観た石井裕也監督作品でした。内容的には「月」と趣を異にする映画でしたが、「月」は辺見庸、本作は平野啓一郎と、いずれも芥川賞作家の小説が原作になっており、ストーリーが観客に与えるインパクトは双方とも中々のものでした。
肝心の本作ですが、舞台は近未来。実在の人間のデータをAIに読み込み、この人間を仮想空間上に再現するというヴァーチャル・フィギュア(VF)技術が開発され、ゴーグルを付けると亡くなった人ともコミュニケーションが取れることになっています。今ですら、Apple Vision Proのような製品が開発され、ゴーグルを付ければ眼前に仮想空間が広がり、その仮想空間を見るだけでなく、操作することすら出来る訳だし、AIとのコミュニケーションも日々進化しているので、技術的にVFが現実のものとなるのもそんなに遠い日ではないように感じました。
主人公の石川朔也(池松壮亮)は、このVFを使って亡くなった母親の秋子(田中裕子)を再現させ、生前聞くことが出来なかったことを聞く流れになっていましたが、必ずしも真実を知ることが良いことではないということを再確認したところでした。
また、石川朔也の仕事であるリアルアバターというサービスも斬新でした。UberEATSなどによる配達サービスの延長にあるもので、依頼主の分身=アバターとなり、カメラを持って依頼を実行する様子を実況するというものでした。これはやろうと思えば今すぐにでも出来そうなサービスでしたが、依頼主=金持ち=勝ち組が、アバター=貧者=負け組を弄んで喜んだり、些細なことで低評価を付けたりと、今の世の中の腐った部分を端的に表す内容になっており、未来どころが現在が既にディストピアになっているのではないかと思わせられたところでもありました。
いずれにしても、新技術の開発は人類にとって必要ではあるものの、必ずしも人類を幸福にさせるものではないというか、人間の嫌な部分を増幅させることもままあるということなんだろうと思うに至りました。
俳優陣では、主役の石川朔也を演じた池松壮亮の弱々しさの表現が実に素晴らしく、非常に良かったです。また、彼の理解者である女性・三好彩花を演じた三吉彩花も、本名と一字違いで好演してました。そして何よりも彼の母親役の田中裕子がシブかった。息子ですら何を考えているのか分からない母親の微妙な内面を、微妙な表情と所作で表現しており、本作の世界観を実現するのに大きく貢献していたように思います。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
期待度◎観賞後の満足度○ テクノロジーの進化のようには人間の「心」は進化出来ない。進化しない「心」でテクノロジーを扱う危うさ。そして、その「心」をテクノロジーで作ろうというパラドックス。
※原作未読。
①大変見応えのある映画ではある。池松壮亮の演技も見事。ただ話がややあざとい(人間の「(本)心」を描く為のお膳立てが少し作り物っぽい)のと色々と詰め込みすぎて焦点がややボヤけた感じ(原作もそう?)。
②ラストの母子のシーンは人間とテクノロジーとの折り合いの付け方を表現しているように思う。
それでも、人間は仮想空間のアバターに触れられないが(一方、現実世界でも人間に触れられない人間として彩花を対比として置いている)、天に伸ばした朔也の腕にその彩花と思われる腕が触れるラストに、人間は人間と触れ合えてこそ人間だという監督の想いが込められているように思えた。
ゴーグルの中の世界は…
…本心(本当の気持ち)
というタイトルで常に頭の内で
どういう事なのか考えていた
"自由死"を選んで亡くなった母
亡くなる前に大切な話がある
と言われていたのに
…何故あのとき母の話を断ったのか
後悔が。
VFとして母を仮想空間で会った
母の本心を知ろうと必死だった
…あのときの母の本心
確かに大切な人を失くしたら
会ってみたいと思う
…でも空想の世界で"怖さ"も
感じたし
はたして本心なのかもわからない
…何処か(VF)に救いを求めたい
気持ちがあったと思う
…"自由死"についても
問題提議されていたの…か
差別の問題なども
難しい問題もあって
ラストまで面白味はあったけど
…嫌な展開もあって
気持ちは晴れなかった。
【”本心とは、自らの言葉で相手に伝えるべき事。”今作は、人工知能の技術が飛躍的に発達し、現実と仮想現実の境界が曖昧になる中で、人の心や死の在り方や社会的格差や差別など多様な問題を描いた作品である。】
ー 今作の原作である平野啓一郎氏の同名作品では、舞台は2040年代の東京だったと思うが、今作の舞台は2025年の夏から始まる。
それだけ、人工知能の技術が飛躍的に発達しているということであろう。-
■工場で溶接工として働く青年、朔也(池松壮亮)は、同居する母(田中裕子)から電話で”大事な話がしたい”と言われるが、都合が会わず別の日に話をする事にし、同僚の岸谷(水上恒司)と飲みに行く。
が、帰り道に増水した川辺に立つ母を見て、川に飛び込むが自分も流され、一年昏睡状態に入ってしまう。
目を覚ますと、母は既に亡く、役人たちから生前”自由死”を選択したと言われる・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、純粋だが時代の流れについていけない朔也が、病院のベッドで目を覚ます所から、彼の”何故、母は自由死を選んだのか。”という問いを抱えつつ生きる姿が描かれる。
ー この辺りは、「PLAN 75」をやや想起するが、この作品は更に様々な命題をテーマとして挙げていく。
そのメインは人工知能(AI)の技術が飛躍的に発達した近未来に起きるだろう事である。又、平野啓一郎氏の原作を読み、衝撃及び感銘を受け石井裕也監督に映画化を望んだという池松壮亮の慧眼にも驚いたモノである。-
・岸谷に紹介された”リアル・アバター”の仕事。それは、依頼人の代わりに自らがその希望する行為をゴーグルを掛け乍ら行う事で成り立つのだが、そこで朔也は普通は伺い知れない人の心の内面の願いを知ったり、悪意ある嫌がらせを受けたりする。
ー 夏の暑い日に、朔也に対し、”メロンを買ってこい。やっぱり包み方が悪いから止めたと言え!”という笑い声で指示する輩たちには、立腹しながら観賞する。
こんな使い方をするなら、”リアル・アバター”なんて止めてしまえ!と思う。ー
・又、仮想空間上に望む人間を作る”ヴァーチャル・フィギュア”の開発者(妻夫木聡)の我儘娘の姿にも、腹が立つ。人工知能の発達は”人間性の喪失”に繋がるのではないかとさえ思う。
だが、朔也は300万を払い、母は何故に自然死を選択したのかを知りたくて、母の”ヴァーチャル・フィギュア”を作って貰う。
そして、母の親友だったというミヨシアヤカ(三吉彩花)と出会い、彼女が避難所生活をしている事を知り、彼女を邪心なく自宅に住まわせるのである。
ミヨシアヤカは且つて、彼が高校生だった時に、好意を持っていた身体を売っていたムラタユキに似ていた事もあったのだろうか・・。
だが、ミヨシアヤカは、過去セックスワーカーをしていた時のトラウマから、”人と接触できない身体”になっていたのである。
■ある日、朔也はコインランドリーで、清掃の女性に対し言いがかりを付けている男を、衝動的に倒し、首を絞める。且つて、ムラタユキの事を酷く言った教師に行った、彼の人生を変えてしまった行為のように・・。
だが、皮肉な事にその動画が流出し、彼は一躍ヒーローになり、著名なアバターデザイナーである下半身不随のイフィー(仲野太賀)と出会い、彼から褒め称えられる。
だが、朔也はミヨシアヤカだけには、流出した動画からは削除されていた首を絞めた事を話すのだが、ミヨシアヤカは、”本当の事を言ってくれて嬉しい。”と微笑むのである。
ある日、イフィーは、朔也にミヨシアヤカに”リアル・アバター”としてプロポーズしてくれと頼む。朔也は敢えてそれを受ける。その朔也の姿を見てミヨシアヤカは彼の元を去るのである・・。
そして、想いが通じなかったイフィーの嘆く姿。
”本心とは、自分の言葉で自分自身で伝えなければ、駄目なんだよ。”と思う。
■”ヴァーチャル・フィギュア”の母と何度も且つて行った滝の前で、母は優し気に朔也に話しかけるのである。”大事な話がしたい”と言っていたと思われることを・・。
このシーンは沁みたなあ。
母は、自然死を選んだ事を自分の言葉で朔也に告げたかったのだろうと、私は思う。
<”ヴァーチャル・フィギュア”の母の想いを知った後、朔也はゴーグルを外し、自宅のあるアパートの屋上で、陽光を浴びている。
そして、朔也が空に向けて手を伸ばした時に、彼の手を求めていく女性と思われる白き腕。
私は、あの白き腕は”人と接触できない身体”のミヨシアヤカだと思いたい、と切に願ったのである。
そして、人工知能の技術が飛躍的に発達し、現実と仮想現実の境界が曖昧になる世界の中での見事なる仄かなる”現実の希望”を示すラストショットであるとも思ったのである。>
■今作は、出来れば原作と併せて鑑賞されると良いかと、私は思います。
本物以上の母
突然この世を去ってしまった母親をVFで蘇らせたという近未来を描いた話です。
初めてVFの母親と対面した時のシーンはグッときましたね、池松壮亮とても良かったです。
精巧なAIだとしても心がない…それでも前に進める人がいたり、救われる人がいるなら良いのかもしれません。(AIとしては本心を話してることになるのかな…?)
最愛の人を亡くしたときに、是非、このVF(ヴァーチャル・フィギュア)がほしい。
風変わりで面白いSF・・・アイデア豊富で飽きない。
近未来なのかな?
《自由死》が認められている日本。
AIが蔓延していて、人がAIに指図されて使用人にされている未来。
死者のAI(VF =ヴァーチャル・フィギュア)が普及はじめている。
ある日、「大事な話がある」そう朝言ってた母親(田中裕子)が、夜には
自由死を選んでいた。
助けようとして溺れて昏睡状態になった息子の朔也(池松壮亮)は、
目を覚ましても、
母の自由死を受け止められずに、VF(ヴァーチャル・フィギュア)を
開発している野崎(妻夫木聡)に母のVFを依頼する。
そうして母のヴァーチャル・フュギアは完成する。
VFゴーグルを眼に装着すると母と朔也はいつでも会えて、
会話出来るようになる。
そして知る母の秘密。
母を良く知る若い親友の三好彩花(三吉彩花)と朔也は、
へ不思議な距離感の同居を始める。
まあまあ不思議な映画です。
AIと人間の覇権争い・・・みたいのもあるし、
AIの方が仕事早いし正確とか、
仕事を失って朔也と友だちの岸谷(水上恒司)だけは、
AIの命令で街中を走り回って「望みを叶える」
ウーパー(便利屋みたいな)を始める。
朔也はともかく猛暑の東京を《AIの無茶振りを叶えるため》に
汗だくで走り回る。
「見舞いのゼリー」が「見舞いのメロン」に変わり、
走ること走ること、
汗は滝のように流れ、背広はよれよれに型崩れ、
走り回ること、汗をかくことで、
「人間としてのプライドを持ちAIとの差別化すること」
それが朔也の唯一のプライドだ。
母の年若い親友でヒロインの三好彩花(一字違いの三吉彩花)は、
不思議ちゃん。
後で出てくる仲野太賀も三吉彩花も、まるでAIに見えて来る。
そしてようやく母の「本心」を聞く朔也。
朔也は笑い、
あまりにも普通のことで、
いうまでもない当たり前のこと。
愛する人を失っても、VFとしてそばに居てくれたら、
かなり癒されるし、寂しくないなぁ。
原作の平野啓一郎の奥深い優しさ、
それを感じる素敵な映画でした。
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