ボレロ 永遠の旋律のレビュー・感想・評価
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音楽好きな方には良い映画
音楽好きな方には良い映画かも知れませんが、物語としては特に面白みもなく、パトロンとの関係等で淡々と進みます
タバコ嫌いの私には、ラベルのタバコを吸うシーンばかりが目につき、鬱陶しく感じました
そんなにタバコばかり吸ってたら、死んでしまうで!と思いながら見ていたら、62歳という若さで亡くなりました
ラベルを演じた役者は、ラベルに似た人だったんですね!
自分は音楽無知なので
ラベルの曲だと思っていたタイトルがほとんど他の作曲家のものでびっくりしました。それだけボレロが大きいのですね。主人公を取り巻く女性俳優は魅力的ではあるものの自分の好みではないので星が辛めですが、面白い映画だと思います
ボレロを聴きたいがために
バレエもたまに鑑賞しますが、ボレロが聴けるし、もしかしたらバレエも観られる?!と期待しての鑑賞。ちょっと違いました。
私としたことが前半はほとんど寝てしまって記憶が飛び飛び。
個人的には最後のシーンのダンスはあまり好みでなく。それでも音楽は聴けたので頑張ってこの評価です。
ボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開に
本作は、フランスの作曲家ラヴェルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画です。
●ストーリー
1928年のパリ。スランプに陥っている作曲家のモーリス・ラベル(ラファエル・ペルソナ)は、ダンサーのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)から、新作バレエの音楽を依頼されます。しかし一音も書けずにいたのです。
彼は失った閃きを追い求めるかのように、過ぎ去った人生のページをめくっていきます。戦争の痛み、叶わない美しい愛、最愛の母との別れ。引き裂かれた魂に深く潜り、試行錯誤の日々を経て、傑作「ボレロ」を作り上げます。しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていくのでした。
●解説
来年で生誕150周年を迎えるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル。彼の音楽には、たとえば同じフランスで1800年代後半から1900年代初頭の日々を先輩格として活躍したクロード・ドビュッシーと比較しても、どこか機械的な性格がきわだちます。曲が機械的なだけではありません。演奏者もまた、下手に個人的情感を込めるより、譜面通り機械的に演奏することで、立派なラヴェル・サウンドを奏でることができるのです。劇中のラベェルも、自身の作品を演奏するオーケストラに対して、ピッチの正確さを神経質に求めていたのが印象的でした。
このラヴェルの音楽の機械的性格に着目して作られたのが、「ココ・アヴアン・シャネル」など実話を基にした作品を手がけてきたアンヌ・フォンテーヌ監督による本作です。ジャンルとしては伝記映画。しかしラヴェルの生い立ちを順序だてて史実に忠実に語ることには、ほとんど関心を示していません。時系列をパズルのように組み替えながら、ラベルの人生と苦しみのもとともなった創作の秘密に迫っていくのです。
映画が始まるやすぐ、映し出されるのは機械音が反復して鳴り響く大きな工場。既に人気作曲家の地位を確立したラヴェルが、そこで工場が奏でる「音楽」の解釈について語るのです。そして本作がラヴェル作品のなかでも特に光を当てる「ボレロ」こそ、そのリズムやメロディーの反復性において、機械的な性格を最も露わにしたものといえます。
工場の規則的な機械音が、反復するリズムのインスピレーションの源になったエピソードばかりではなく、当時の反復リズムの流行歌を、家政婦に歌わせたり、ラベェルのアメリカ公演でニューヨークで演奏が終わった後、ファンの誘いでジャズライブを聴きに行ったとき、「ボレロ」を連想させるジャズの曲にラベェルが聞き惚れるという意外だが納得の誕生秘話を伏線として描いています。
監督はラベルを禁欲的な人としてではなく、性的に他者にひかれないアンセクシュアルと捉え、エロチックな振り付けで踊ったイダとの衝突と和解も描き出しました。イダの振付は完成した曲に合わせて艶めかしく人間的な振り付けでした。イダに機械工場を連想させる演出を厳命していた、ラヴェルは失望を隠せません。
その後世界中でボレロの人気が高まるほど、その成功がラベェルを苦しめ、やがては脳の病気である失語症を引き起こす要因となっていったのでした。
繰り返されるドラムのリズムと二つの旋律がもたらす陶酔感は、モーリス・ベジャールら多くの振付家にインスピレーションを与えてきましたが、曲や踊りのイメージが強すぎた側面も。但し最愛の母やピアノ奏者、それに終生結ばれることなく愛した女性の存在など情感たっぷりなエピソードがこの物語をより豊かなものにしています。
それに加えて、フォンテーヌ監督はラベルの人物像とともに、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ピアノ協奏曲ト長調」など、ボレロ以外の作品の美しさにも光を当てています。
ちなみに演奏は「ボレロ」がブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団によるものに加え、ピアノ曲では、ヨーロッパを代表するピアニストの1人であるアレクサンドル・タローがラベルの名曲の数々を演奏しています。
ラヴェルを演じるのは、ラファエル・ペルソナ。終始抑制されたその演技は、監督のコンセプトの具現化であると共に、終生音楽にのめり込み、音楽と結婚していたといわれたラヴェル自身の思想の具現化であるようにも見えます。
また監督の熱意で、モンフォール・ラモーリーにあるラヴェルの実家、ル・ベルヴェデールでの撮影が許可されたことも特筆すべき点です。
●感想
イダのボレロの振付けは、まるで娼館にいる娼婦のようなエロチックなものでした。曲想とは似ても似つかない踊りに、ラベェルが卒倒し、やがては脳の病気にまでなってしまうというくらいの強い心労を負ってしまったのも頷けます。
なのに終盤唐突にラベェル自身にボレロには官能的表現が含まれていた、イダには曲の側面を教えられたと感謝してしまうのです。もう少し丁寧に説明してくれないと、本作の言うボレロの官能的側面がよく分かりませんでした。
そしてボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開となり、母の死や戦争体験などの過去の時系列をアットランダムに描いて行くだけの盛り上がりに欠けるラストになってしまいました。
●《参考までに》『ボレロ』Wikiより抜粋
この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。当初、ラヴェルはイサーク・アルベニスのピアノ曲集『イベリア』から6曲をオーケストラ編曲することでルビンシュタインと合意していたが、『イベリア』には既にアルベニスの友人であるエンリケ・フェルナンデス・アルボスの編曲が存在した。ラヴェルの意図を知ったアルボスは「望むなら権利を譲りましょう」と打診したが、ラヴェルはそれを断って一から書き起こすこととした。(映画では権利を拒否されたことになっていました。)
作曲は1928年の7月から10月頃にかけて行われた。同年の夏、アメリカへの演奏旅行から帰ってきたラヴェルは、海水浴に訪れていたサン=ジャン=ド=リュズの別荘で友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返す着想を披露した。当初は『ファンダンゴ』という題名が予定されていたが、まもなく『ボレロ』に変更した。
初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ヴァルテール・ストララム(フランス語版)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付: ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行われた。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた。1930年1月にラヴェルはコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮し、同曲の録音を行った。(映画ではラヴェル自身がボレロのレコードを聴くシーンがあります。きっと自身の収録を聞いていたのでしょう。)
ボレロのバレエが好き過ぎて鑑賞
数年前、フリーデマン・フォーゲルのボレロを生で観賞したときから、私はボレロ中毒。まさに、映画で言ってるように中毒。モーリス・ベジャール振り付けのバレエのね。
上野水香のバレエも見に行ったなぁ…。
ほかには演劇でもボレロと名のつく舞台は見に行ってるくらい好き。
そんなだから、ボレロの作家の映画を見ないではいられない。しかし…映画の前半私は「寝息をたてて」「寝ていた」!
後半はしっかと見た。そして…(寝てて理解できなかった部分を解明したいと)迷わずパンフを即購入。私は滅多にパンフを買わないので、連れは(寝てたのにパンフ買った!)とびっくりしたらしい。
これは私には音楽の授業の一コマ。パンフは教科書。教養が深まった気がします。
映画がつまらないわけでは決してない。最後の指揮シーンの美しさは圧巻!
いまひとつピンとこない
ラヴェルが名曲「ボレロ」を生み出すまでだが、生みの苦労がいまひとつピンとこない。3人の女性との関係も、ダンサーのイダ以外ははっきりせず、ドラマとしての盛り上がりがない。
劇伴とボレロの演奏は、さすがに素晴らしい。
美しい情景、壮厳な音楽
ラヴェルの絹糸のような感性が痛い…😢
フランス文化華やぐ20世紀初頭、印象派美術、ジャポニスム、アール・ヌーヴォー、映像の隅々に漂う時代の風情。ラヴェルを取り巻く女性達は、自由でエレガントなココ・シャネルのドレスを纏う。セーヌ川がまだ美しかりき頃のパリのたおやかな空気感。時間を忘れて浸りました。
ラストシーンのボレロと指揮演奏、力強いダンスは、まさにカタルシス。
ただ、ミシアをもっと美しく、ラヴェルに相応しい繊細なイメージの女優さんに、ロシアンバレリーナ、イダを、もう少し若く靭やかな身体を持つ女優さんに演じて欲しかった。
キャスティングに些か難有りかと… 残念。
伝記読む感じでなんとなく行っただけなのに なんか予想外にすっごく良...
伝記読む感じでなんとなく行っただけなのに
なんか予想外にすっごく良かった
失礼この上ないけど
そんなに期待はしてなかった
前半は
ここまで主人公と共鳴したことあったかと思うほど入り込み
最後の方では
モーリスがなんだか愛おしくて仕方がなかった
いまになって思えば
初っ端の、パッチワーク的なボレロを聞いた時から
きっともう心を持って行かれてた
予想外過ぎたので、甘めに5
あと、これ、書くか迷ったんですけど
ミシアがたまにラウールに見えたのは私だけですか?
顔がとかじゃなくて、なんか全体像っていうか
情熱的であり、官能的であり、機械的である
作曲家の苦悩と重圧、そしてラヴェルの音楽に身を捧げる姿を観ながらも、その本心は決して見せなかった。
曲を知っているからこそ、作曲途中に時折「ボレロ」の片鱗が垣間見える。
やはり天才にはわがままな女性がよく似合う。
曲と同調する音と気配
ボレロは大好きだけどラヴェルのことはほとんど知らない素人です。
赤裸々な性的表現がなくてもつたわるエロチシズム、時計や目覚まし、貧乏ゆすりで暗示させられるボレロの旋律。
流行歌などに示唆を得ながらもなかなか形にならないメロディー。
私も書面を書く仕事なので,産みの苦しみを思い出して苦しくなりました。
映像だけでは拾えなくても音と想像力で物語を紡げます。
終わり方はボレロの曲そのもの。
名作だと思います。
折角の題材なのに中途半端の極み
あの名曲「ボレロ」の出来るまで、って思ったら、そうでもなくほぼモーリス・ラベルの半生を描いて中止半端なのが致命的。確かに本作は冒頭の工場の響き、そして徹底した「音」にフォーカスし、ボレロに収斂するスタンスだったのに。
著名なバレーダンサーからの依頼、しかも官能と言うテーマをストレートに与えられての作曲依頼。しかし、当然に閃きは訪れず難航する辺りが映画の柱のはず。そこで描かれるのが、スペインに近いバスク地方の出身と言う事、恋人との奇妙な付き合い方、ローマ大賞なる顕彰に落選続きだった意味、全米ツアーでの大成功、そこで接した黒人のジャズの衝撃、スイスの時計職人と呼ばれる意味、怪しげな娼婦の館でのプラトニック、扇子の音、旋律よりリズムだと声高に叫ぶ、そして母との追憶、戦地での体験、友人との交流などなど、エピソードは多数用意されてます。しかし、それがどうした、同一のリズムが保たれ、2種類の旋律のみが繰り返されるという特徴的なボレロの構成に辿り着くまで、映像的に何にも伝わらないのです。
それを言うなら、冒頭の大型機械の繰り返し繰り返す多様な騒音で十分でしょ。何故開巻早々に彼女を工場に呼び寄せたのか、それこそを描くべきではなかったか。なにより熟練のダンサーであるイダ・ルビンシュタインの過激なセクシュアリティにほぼ答えは出ていたのではないか。メンタルよりもフィジカル、その肉体の反応と言えば避けようがない程に性的な悦楽にとどめ刺すはず。だから、娼婦にサテンの手袋を着けさす微音をもっと発展させ、連れ添った彼女とのベッドシーンをも描いて欲しかった。
にも関わらず、パリ・オペラ座での初演の大成功以降のボレロフィーバーに皮肉にも苛まれ、さらに認知症に至るまでをも描いて、これがモーリスですって、面白くも何ともありませんね。残念なことにラベルに扮したイケメン役者さん、まるで色気がありゃしない、生の発露がゼロの酷さ、官能の「か」の字も感じさせない。さらに彼のミューズとなったミシアに扮した女優さん、実際があんなだったのかも知れませんが、とんとミューズに相応しくなく気持ちがどんどんスクリーンから遠ざかってしまう有様。
ひょっとすると生家も含めて、実際の建物を撮影し、ベルエポック的な極楽を背景から衣装に染み込ませた、流石のフランス映画の芳香だけはスクリーンが溢れ出しているのに。米国のレストランを出た2人がタクシーから降りたらセーヌ河を散策するってシーンがあります。似たような女の服装だから、いきなりフランスに帰ってきたの? 多分これは本国バージョンではなく何かしらカットを施し無謀な繋ぎを施した結果かと。他にも、暗いシーンからいきなり明るいシーンに、普通はあり得ないモンタージュの個所もそんなコトだと推測出来ます。
なんだかんだ言っても、あのリズムが響き渡れば観客は否応なく引き込まれてしまいます。ことにもタイトルバックあたりで、多様な楽器を使っての旋律の演奏が次々と登場し実に素晴らしい。だから、ラストには改めて演奏されると予測したら、その通りにスタジオでのオーケストラを指揮するシーンが登場しましたが。なんとツマラナイ映像に成り下がったのか、本作の安っぽさを象徴するかのようでした。
まさかの流行歌!?
モーリス・ラヴェルのポレロ作曲秘話。
オペラやクラッシクに明るくない自分でも名前ぐらい知っているラベルが、1927年にロシア人バレエダンサーに次のバレエの曲作りを依頼され巻き起こっていくストーリー。
ホント全然知らんかったけれど、作曲家でありピアノ奏者だったんですね。
イベリアを編曲すると述べてアメリカツアーに出かけ、戻ってきても手をつけず、そしてなんと今度は権利がうんたら。
と思ったらバレンシア?全然気にしたことなかったけれど確かにこれって…。
ボレロの作曲秘話と言いつつも、常に寂しさや報われない想いに生きたラベルの半生が主という感じで、観賞後に調べて補完したけれど、劇中では描かれないタクシーでの事故がどうとかいうエピソードもあったんですね。
半分時間潰し的に観賞したけれど、哀しく儚い物語でなかなか面白かった。
YMOと
ラヴェルが出会ったら
どんな会話を繰り広げたのだろうか?
そんな妄想を膨らませながら視聴した。
時代はまだオーガニック。
オーガニックであることが普通だった時代に
メカニズム、ループの概念を取り込み
見事な音楽へと昇華したラヴェルのドキュメント
最後、病院の手術室へと向かう結末は
宇宙の真理を受け取ってしまった才人の最後の姿
それをまざまざと見せつけられたような気分になった。
宇宙の真理にハイソも大衆もないのだ。
ただあるのはテンポとリズムの波動のみ🎵
名作をまた観れたことに感謝する◎
ストーリーは中途半端。ボレロの楽曲の取り扱いにも疑義あり。
ラヴェルの伝記的映画なのか、ボレロの作曲〜初演の裏話を取り上げたバックステージもの?なのか、それともラヴェルのミューズ的存在だったミシアとの恋が中心の人間ドラマなのか、最後まで判然とせず。というか万事、中途半端でどの角度からもこの大作曲家の姿には迫れていない。主演のラファエル・ペルソナ(凄い名前だね)もはっきり言ってメリハリがない大根演技。というかこの人、ローワン・アトキンソンに似てませんか?
出演者は多くないけど時系が前後することもあって誰が誰やらよく分からず。ラヴェルと一緒に住んでいるらしいアルグリット(あき竹城に似てる)って誰?姉?ラヴェルは生涯結婚しなかったのだけど。
百歩譲ってこれはボレロという音楽そのものの話だとしてみても。オペラ座の初演は、確かにバレエの部分はラヴェルの言う通りひどい出来だけど、演奏自体はそう悪くないんじゃない?テンポも強弱も。ラヴェルが我慢できない、って言うとおりであるならばそれらしい演奏レベルで映画化しないと。あと、病床のラヴェルが夢の中で自分で指揮している「ボレロ」ですが、モーリス・べジャール風の黒人ダンサーのダンスが入ってきます。べジャールがボレロを振り付けたのはラヴェルの死の25年後だよ。
ラヴェルはボレロをオーケストラで演奏してもらうことを希望していて、一方でオケ側から拒否されないか常に恐れていた。だからラヴェルが望んでいたボレロの演奏を考察して再現しないと映画にならないんじゃない?名曲にあぐらかいてサボんなよ。
時系列がわからなかった
場面切り替えで時間が飛ぶのが何回かあるんですが、時系列がわかりませんでした。(工場のシーンと入隊のシーン)
あと、女性3人くらい見分けがつかず…ラヴェルとの関係性がよくわかりませんでした。イダ以外。
ラストの演奏シーンもカタルシスに欠けていて、ダンサーが必要なのか疑問だし臨場感も今ひとつ…。
この映画で描きたい肝はなんだったのか?
モーリス・ラヴェルを知らない人には、良いかもしれない。
ラヴェルは私が好きな作曲家の1人。もしかすると一番好きかもしれない。
エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団のラヴェル管弦楽曲集を聞いて、虜になった。
ラヴェルの生涯については、ひと通り知っているので、復習みたいな感じだった。
さて、肝心の映画だが私には退屈だった。ボレロ初演の成功で映画は終わりだと思ったら、ラヴェルの死まで描かれていた。ラヴェル晩年の悲劇は、交通事故をきっかけに精神的変調をきたし、頭の中では音楽が奏でているのに、譜面に落とすことが出来なくなってしまった。この映画で描かれているように、若年性痴呆症かもしれない。無謀な脳手術をして、呆気なく死んでしまった。
伝記映画なので、表題に書いた通り初心者には良いだろう。だが、私には退屈極まりなかった。しかし、流れるラヴェル作品の素晴らしさには感嘆する。出来れば「ダフネスとクロエ」も流して欲しかった。ラヴェルの音楽に0,5点加点した。
全般には
あまりにも有名なラヴェルの『ボレロ』誕生の内幕…といいながら、かなーり変わった愛情と性癖のラヴェルの人生を描く。
ストーリーとしては、冒頭からほぼ20年空けて、時々過去に戻りながら描くんだけど、その戻り方の意図が分からなかった…そこ?どう関わってんの…?ってなった。
撮影・音響・音楽、演技は素晴らしかった。特に音響は、鳥の声や人々のざわめきなど、我々に聞こえているのとはまた違った響きを表現していて新鮮だった。
残念だったのは最後の『ボレロ』演奏シーン。演奏も指揮も良かったんだろうと思うけど、踊り(バレエ?)のコンテンポラリーっぽいの(それともモーリス・ベジャールのってこんなんだっけ?)を唐突に入れてくるし、それをスローにしたりテンポ変えてきてたこと。あんなに本人が「テンポが大事」って言ってたのに…
とはいえ全般には素晴らしい映画だったと思いますよ。『愛と哀しみのボレロ』にはさすがに及ばないけど…
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