ホウセンカのレビュー・感想・評価
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ホウセンカの花言葉
あまり興味のないジャンルだったけど、評判がよさそうなので観ることにした。
とても良くて、観て良かった。
内容は昭和世代に受けそう。不器用に生きてきた男が主人公の任侠もの。昔はこういう男が主人公の映画がたくさんあったなー。鉄道員(ぽっぽや)とか。
たくさん伏線がはってあって、だんだん回収されていく展開や、「種明かし」をちゃんとクライマックスにもっていく物語の構成が見事だと思った。
主人公が獄中からの手紙を出すとき、検閲で黒く塗られる個所がなぜ正確に分かったのか、だけちょっとひっかかった。
なぜ「ホウセンカ」なのか気になったので、花言葉を調べてみた。ホウセンカは熟した実に触れると種がはじけとぶことから、「私に触れないで」「短気」という意味をもつそうだ。また、この植物の特性をポジティブにとらえた花言葉として、「心を開く」という意味もあるという。
主人公がはじめてホウセンカを見つけたとき、実に触れようとしたとき、那奈が「触れないで。自然にまかせたほうがいい」といったのは、触ると種がはじけとんでしまうからだ、ということに気づいた。
最後のクライマックスで主人公がホウセンカに触れ、花火の映像と共に種がはじけとんだのは、この映画のテーマが凝縮されていて良いシーンだったと思う。
「触れない」ことにも愛があり、「触れる」ことにも愛があった。
多くの人に見てほしいが、40歳代後半以降向けかも
派手さはないですがストーリー運びが良く、多くの人に見てほしい良い作品と思います。とはいえ、40歳代後半以降の世代でないと、好みに合わないかもしれません。
(阿久津や那奈の若い時代の描写を、懐かしいと思えるくらいの世代であれば問題ないかと思います。)
伏線については、もう少し改良の余地があったように思います。普段ミステリー系の映画や小説に触れない私でも、これが後でたねあかし用に使われるものだろうと気づけるくらいには、いかにもな感じで登場したように思いました。
隠し場所も、作中にせっかく出てきてもいる神社で良かったような気もします。作中のところだと、30年もの長期間、第三者に見つからずに無事に残っているのは難しい気がします。
これは幻か現実か
しっかりとした内容の良い映画。
かなり昭和的世界観何だけど、時代設定が昭和だからそれで良いのか。
人と人の距離感に関する作品。
狂言回しのホウセンカが、かなり作品に入りやすくしている。
ただ、内容はかなりご都合主義というか、キャラクターが作品の方向の為にだけ生きている感じ。
ラストも金を見つけて終わり…それで良いの?と思ってしまう。
まぁ、それも、主人公が死ぬ前に見た幻と思えばそれで良いのか。
また、実写で観たいな、とも思った。
丁寧で緻密な創りが秀逸
「オッドタクシー」の木下麦監督と此元和津也先生がタッグを組み、“一発逆転”をテーマに描いた哀愁漂う極道物語でした。物語はバブル経済に沸く1980年代後半と現代とを行き来しながら進みます。兄貴分・堤(安元洋貴)の罪を被り、30年以上も服役を続ける阿久津実(戸塚純貴〈過去〉/小林薫〈現在〉)の人生が静かに、しかし確かな熱をもって描かれていました。
バブル期、阿久津は飲み屋のホステス・永田那奈(満島ひかり〈過去〉/宮崎美子〈現在〉)と、その連れ子・健介(花江夏樹〈現在〉)と同居していました。“一発逆転”を狙って不動産取引に手を出し、成功を収める阿久津。しかし、健介が心臓病であることが分かり、移植手術に莫大な資金が必要となったことから運命が狂い始めます。跡目争いの渦中、堤と共に組内のライバル・若松(斉藤壮馬)を殺害し、3億円を強奪。無事に健介の移植手術は成功したものの、阿久津は強盗殺人の罪で有罪判決を受けます。
以降、面会に訪れるのは堤だけ。那奈に手紙を送っても返事はない。やがて、強奪した3億円のうち、移植手術に使った2億円などを除く7千万円余りが行方不明で、阿久津がその在り処を知っているらしいと分かる。その金を狙う堤。阿久津はどうやって那奈に金の場所を伝えたのか?極道物にしては静的な展開ながら、金の行方をめぐるミステリーとしても見応えある構成でした。
そして最大の見どころが、題名にもなっている“ホウセンカ”。阿久津と那奈が暮らしていたアパートの庭に咲くその花は「喋る花」であり、生まれたばかりの赤ん坊や死を目前にした人間にだけ声が聞こえるという設定でした。このホウセンカ(ピエール瀧)が狂言回しのように登場人物たちを論評し、彼らの心情を代弁するさまは、人間の愚かさとか愛おしさを同時に照らし出しています。那奈が獄中の阿久津にホウセンカを送ったことで、“檻の中のピエールさん”という皮肉めいた状況にもなって、思わずニヤリとさせられました。
さらに本作は、オセロ、花火、方眼紙、地図、空き地など、一つひとつの小道具に確かな意味を持たせており、その構成の緻密さにも唸らされました。そして先輩・堤と後輩・若松の関係など、組内の人間模様や、大卒ヤクザという存在など、極道物らしく組内の細部の描写も地味ながらも実に丁寧。派手さはないものの、人物たちの感情がじわりと滲む演出が、文学的な深みを生み出していました。
残念ながら絵柄が好みではなかったのですが、それを差し引いても本年トップクラスのアニメだったのではと感じました。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
すべては、主人公が死ぬ間際に見た幻なのではないだろうか?
無期懲役囚の主人公と、言葉を話すホウセンカとの、獄中でのやり取りが面白い。
ホウセンカは、死期の迫った主人公の幻覚なのかもしれないが、観客の気持ちを代弁するかのようなツッコミがいちいち的確で、おかげで、無骨で不器用な主人公の本音がよく理解できるようになっている。特に、同居している女性に想いを寄せているのに、籍も入れず、「愛している」とも告げられない主人公の姿からは、昭和の時代の男の美学のようなものが感じられて、その自己満足ぶりが、じれったくも微笑ましかった。
やがて、主人公と兄貴分が、組の事務所で殺人・窃盗事件を起こすに至って、冒頭から物語を引っ張っていた「大逆転」の正体が明らかになってくるのだが、それまで兄貴分に従順だった主人公が、いきなり兄貴分を出し抜く「頭脳派」に転じるところには、やや唐突感を抱かざるを得なかった。こういう展開にするならば、それまでに、兄貴分の「腹黒い」一面を、もっと強調しておくべきだったと思えてならない。
兄貴分の方も、ヒロインの息子が米国での手術を終えて、無事に帰国したことを伝える写真なり、ビデオレターなりを主人公に見せれば良かったのではないかと思えるし、それで兄貴分に7000万円を渡してしまえば、ヒロインと息子が、兄貴分に付け狙われることも無かったのではないだろうか?
そもそも、ヒロインが、主人公のことを「息子の命の恩人」と認識していながら、どうして30年もの間、一度も手紙を出さなかったのか理解に苦しむし、彼女が、30年も経った後に、突然、7000万円の在り処を見つけ出そうとしたことにも違和感を覚えざるを得なかった。
主人公がヒロインに送った7通の手紙の「黒塗り」にしても、ヒロインが、オセロに当てはめて塗りつぶしたのか、あるいは、主人公が、刑務所の検閲によって塗りつぶされるようにしたのかがよく分からす、「なるほど!そういうことか!」というカタルシスが得られなかったのは残念としか言いようがない。
そして、何よりも疑問に感じるのは、ホウセンカ経由で、「ヒントを教えて」というヒロインからの伝言を聞いただけで、彼女が7000万円を手に入れたことを知らないはずの主人公が、本当に「大逆転」を確信して、満足して死を迎えることができたのかということである。
このように考えてくると、言葉を話すホウセンカだけでなく、ヒロインとその息子の現在の姿も、死ぬ間際に主人公が見た幻なのではないかと思えてくるのだが、そうした解釈が、あながち見当外れでなかったとしても、心地良い後味の残るハッピーエンドであったことは間違いなく、それはそれで、良かったのだと思う。
それから、エンディングで流れる「スタンド・バイ・ミー」は、アレンジしたバージョンではなく、あの独特のイントロが確認できるオリジナル版を流してもらいたかったと思ってしまった。
あと、今まであまり意識したことがなかったが、満島ひかりの「声の良さ」を知ることができたのは、この映画の最大の収穫だったと言っても過言ではないだろう。
無器用で几帳面。そう生きるしか術の無い男の想いは、はたして相手に届くのか。ホウセンカが時を超え行く末を見届ける、少し不思議なヒューマンドラマ。ややビターですが秀作です。
ノーチェック作品でした。たまたま目についたポスター
画像と作品紹介が印象に残ったので、鑑賞してきました。
アニメ作品で90分というのもGoodです♪
鑑賞開始
主な登場人物は4人。(と、ホウセンカ…? ・△・)
・主人公の30男 阿久津。ヤクザ?
・と同居する女 那奈。水商売あがり?
・主人公の兄貴分 ヤクザの幹部?
・女の産んだ子 男の子。名は健介。父親は?
◇
主役の男は、堅気モノではない。
現在は刑務所で無期懲役の刑に服している。
このところ体調不良。刑務所の自室で寝たきり。
枕元にはホウセンカの鉢植え。
このホウセンカが、阿久津に話しかけてくる。
産まれたてと、死にかけている者にはホウセンカの
語りかけるコトバが分かるらしい。
獄中の阿久津とホウセンカの会話を中心に
現在と、30年前の話とが語られていく。
兄貴分に世話を頼まれた女性と
彼女が産んだばかりの赤ん坊との生活。
二人に無関心を装って暮らす阿久津だったが
共に暮らす内に情も涌いてくる。
そしてその事は、那奈のほうも同様らしい。
赤ん坊が育ち、コトバを覚え始める。
阿久津の事をパパと呼ぼうとする健介。
パパじゃない。阿久津だ。否定する阿久津。…うーん
"パパ でもいいじゃない… " と悲しそうな那奈。
◇
健介の具合が良くない。
心臓の具合が悪いのだ。
助かる為に必要なのは心臓移植。
心臓の空きなど、待てない。
日本国内ではダメだ。アメリカだ。
心臓移植に必要なのはお金。…2億円
そんな大金が…あると兄貴分がいう。
組の金庫にある金を狙う と、兄貴分がいう。
計画に乗る阿久津。 …あぁぁ@△@
組の金庫襲撃は成功するのか?
健介の手術は無事に終わるのか?
阿久津は?(…刑務所か)
那奈と健介は?
どうなっちゃうの?
というお話。
ホウセンカと、獄中の阿久津(老人)の会話で
話が進展するのですが、展開が上手いです。見事です。
さりげない伏線があちらこちらに。沢山。
埋められていることに途中で気付きます。見事です。
観て良かった。・_・v
気になる方、ぜひ劇場でご鑑賞ください。
予備知識なしが良い…かもデス。
◇あれこれ
■鳳仙花(ホウセンカ)
花言葉
・短気、せっかち … そうなんだ。そんな二人には見えなかったです。
・私に触れないで … うーん。触ると弾けてしまうから…なのか?
・心を開く … ” 実が弾けて種を飛ばす様子が、
内面を開放するようにも見える " からだそうです。
夜空に広がる花火と、弾けて飛散する種子。
イメージが重なって見えました。
どちらも刹那の出来事なのですが
花火と違うのは、飛んだ先で再び芽を出すことでしょうか。
■フラワーロック
ホウセンカの動き。
音に反応してサングラスをかけた花が踊るおもちゃ。
昔そんなのがあったなぁ と遠い目。1980年代?
この作品の時代なのかも。
◇最後に
ラストが秀逸でした。
二人で仕上げた手づくりの宝の地図。
獄中から送られた7通の手紙。
方眼紙に書いたような几帳面な文面。
20年所有すれば、自分の物になるという土地の話。
見つけ出した宝。金庫の中には現金8000万近く。
けれど、真のお宝は現金ではなかった。
いずれ本人の手元に届くことを祈って
阿久津が一緒に入れていたのは、一枚の絵。
30年前那奈にせがまれて描いた、那奈の似顔絵。
満面の笑顔の那奈。そして右上には消した文字。
鉛筆で上書きし読めなくしようとした文字。
光に透かしてみると、下の字が読み取れる。
消しきれなかったのは、四つの文字。
” 愛してる ”
30年の年月を経て、ようやく那奈に届いた阿久津の本心。
その瞬間の描き方の、なんと秀逸なこと。
やられました。
このラストシーン、大好きです。
◇追記
杞憂なら良いのですが…
ホウセンカの言葉が分かるのは、
産まれたての命、もしくは死期の近づいた命との事。
そして三十年ぶりに、二人が住んでいたアパートを尋ねた
那奈に、ホウセンカの言葉が聞こえた。
ということは
那奈の命も、もう永くはないということなのか? ・△・?
それとも、庭先のホウセンカを見つけた那奈が
刑務所内の阿久津にホウセンカを送ることで自分の無事を
知らせる事ができると気付いた ということなのか?
考えすぎか、勘違いであることを祈ります。@▲@;
◇余談
ホウセンカ と サルビア。
昔(昭和の頃)の小学校に、よく植えてあった気がします。
校庭の脇とか、中庭の花壇とか。
この作品を鑑賞するうえで、そんなノスタルジックなフィルターが
かかっていたかもしれません。(遠い目)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
阿久津実という男のセクシュアリティについて
先にお伝えしておくのは、これは私の妄想であり、与太話です!!
そうじゃないだろ、と思われる方もおられると思います。
そう思った感性はとても大事ですので、是非自分のレビューで書いてみてください。
さて、表題についてです。
この阿久津実という男のセクシュアリティですが、
この男、実はヘテロ・セクシャルではないのではないか、という疑惑があります。
もっと具体的に言いましょう。ゲイ・セクシャルかもしれない、と思っているのです。
まず映画上の事実を羅列します。
阿久津実という男はヤクザです。
堤の兄貴を慕っていて、彼のやり口や行動が手に取るように分かります。
永田那奈という年頃の女性と同棲していながら、セックスをするようなモンタージュや描写が一切ありません。
ジュリアナ東京のようなクラブで、阿久津は派手な女性に目もくれず、カウンターに座りマスターの印象的な表情に注目しています。
羽振りがいい頃であっても、那奈に何か買うかと相談するくらいで、創作におけるヤクザの女遊びや豪遊をしません。
ここからは、制作陣のキャラクター造形における癖の比較のようなものです。
オッドタクシーの主人公、小戸川宏は不器用ながらも白川美保への愛を隠しきれません。そして愛を語るシーンだってあります。
ホウセンカの主人公、阿久津実は不器用で、那奈に対しての愛はそこそこで、愛を語るシーンは最後のシーンを除きありません。その最後のシーンも書き置きな上、「愛」ではなく、実は「変」の字です。
キャラクター造形の根幹は似てるのですが、内実が大きく違うことが分かるでしょうか?
ここまで揃っていて、私は阿久津実という男の違和感に気づくのです。
彼はなんで不器用な振りをしているのだろうか、と。
どういうことかと言いますと、堤の行動を見てヤクザの組織構造を理解したり、舎弟の信頼を得たり、金を手に入れたあとの交渉をしたり、しています。
これらの行動は、不器用と片付けるには、違和感が残るのです。
そして、阿久津自身もぶっちゃけ性格的にヤクザに向いてないです。
彼は優しいのではありません、自分にも他人にも無頓着なところがあり、生き方が雑なのです。
生き方が雑だと、ヤクザの世界では死を招きます。
うっかり、が許されない世界です。
これだけの、不整合を飲み込むひとつの道があるのです。
「阿久津実はゲイセクシャルだと成立する」んです。
阿久津の上記の事柄や行動原理は、(作中でも語っている通り)堤の兄貴に作用されているものです。
阿久津は堤の兄貴に談笑の最中に笑顔を見せましたが、那奈に見せたことはあったでしょうか?
全てが阿久津実をゲイ・セクシャルの証拠として仕上がっていくのです!!
なーんちゃって、、、。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
私は、木下麦さんのキャラクター造形が、此元和津也さんの話の運び方が大好きです。
こんなレビューしてすみません、最初に書いた通り与太話として読んでください。
オッサン泣かせの憎いアニメ映画😎
ホウセンカ
題名から中島みゆきのほうせんかを連想。
🎵悲しいですね人は誰でも明日流す涙が見えません 別れる人とわかっていれば····
🎵ほうせんか 空まで届け あの人にしがみつけ
はじけ飛ぶタネ。
素晴らしい花火の映像。
ダンシングフラワーみたいな喋るホウセンカはなんと「差入れ」だった。
南海vs阪急
あれは南海ホークスの門田だ
アキレス腱を切ってからみごと復活し、
40歳でホームラン王になった中年の星
ミスター大阪球場
ミスター逆転人生
しかし引退後、コーチや監督の声はかからず、晩年は人の目を避けるように人里離れたところで暮し、一人暮らしのまま亡くなった。
不器用で愚直な人生を歩んだ男の執念のストーリー。
オッドタクシーの若いアニメ監督 木下麦に脚本家 此元和津也 のタッグ。その豊かな才能に嫉妬してしまった。お見事。昭和世代のオッサンの泪壺をわかってらっしゃる。
ニクい。
布ガムテープと電子レンジのチンのスタンド・バイ・ミーが素晴らしい🤩
あの空き地が草ボウボウのまま30年放置されたことはちょっとしたキセキなんだけどね😎
時間があれば是非ご覧ください。
オッドタクシーから、
大変な名作だったので
今回も溢れんばかりの期待で
拝見し、期待通りでした。
オッドタクシーはあの話数があって、
重厚な伏線と素晴らしい回収で
最高のミステリー体験ができましたが。
よかった、見てよかった。
確信をつくネタバレはしませんが、
良質な人情ミステリーは所々に
観客が考察できるように情報が点在する為
ある程度の所まで想像できる。
しかし、1番最後、本当に最後の
あの日にあたって見えたあの
瞬間が本当の大逆転だと気づいた時
大作を見た時以上の感動でした。
不器用な男が残した、思いがけないミステリー
は愛するものが解く。
ホウセンカが語りかける設定が
突拍子がなく見えて、実は第三者視点の
落語家が語るような口調で
逆に冷静な視点も与えてくれる。
無駄のないストーリーや
人間の味はオッドタクシー
の時からかわらず魅力的で
細部に至る人間全てに
目線がいく。
鬼滅の刃や、チェンソーマンのような
派手な演出やがっつり全体が重厚
な作品も勿論大好きですが、
物語、や脚本、物語に合う
脳に入りやすい美しい演出や絵柄。
音楽等、全ての要素が芸術点が高い。
個人的にはラストも勿論、
劇中で若松を始末する計画前夜
アクツさんがケイスケくんを
抱きしめるシーンに涙が出そうになり
ました。
レビューの中に【息子に愛が伝わってない】
と記載がありますがアクツさんは
家族にヤクザと関係ない場所で生きてほしい
と願っていたので母親が
『貴方が生きてるのはアクツさんのおかげ』を
伝えるだけでよかった十分な印象でした。
どうにもならない不器用で無骨な
男の表現しきれない愛情とかに
言葉に表現できない哀愁、切なさを感じる人って今の時代少ないのかな。
あなたは今、幸せですか?
現代人に「あなたの趣味は?」と尋ねると、「無い」と答える人が多い。「休日は何をして過ごす?」と尋ねると、「わからない」「スマホを見ていたら終わっていた」と答える人が多い。では、趣味がスマホをスクロールすることなのかというと、そうではない。趣味と言い切れるほど熱量を持って、自分の意思で取り組んでいることが無いようである。なぜそのような人が増えているのか。要因はいくつかあるが、最も大きな要因は、楽なことが幸せだと思っているからである。何となくスマホを眺め、その時が、楽でなんとなく楽しければそれで満足だと思っている。満たされれば他に何もする必要はない。他人と同じ色に染まれば安心する。実に空虚である。それが現代に生きる大多数の人の趣味であり、娯楽である。この映画は、そんな過剰な幸せに囲まれ、幸せが当たり前な現代に生きる我々に対して、苦しみの中にある泥臭い幸せについてのメッセージを投げかけている。
主人公の男には、好きな女がいた。その女が連れていた小さな子供と三人で同棲をすることになる。同棲を始めて間もない頃にデートへ出かける。それは、男の趣味である近所を歩きながら地図を書くというもの。男はどこで何をするかということではなく、ただ二人でいることに幸せを感じていた。それは女も一緒だった。新しく進む道の先で見つけた場所や、店、味を二人で共有する。ただそれだけのデート。この二人のあまりに美しく儚い愛。
同棲してしばらく経っても男は女と籍は入れない。女は籍を入れたがったが、男は自分がヤクザだったため、女にヤクザの女房という大変な思いはさせたくなかった。男は女のことが好きだった。籍も入れたかっただろう。しかし男は、それを口にすることができない。心優しく、思いや気持ちを言葉にして伝えられない。とても不器用な男。
子供が幼稚園に入る頃になると、心臓に病気が見つかり、手術のために多額の費用が必要になる。資金調達のため、男は本格的な犯罪に手を染めることを決意する。全ては子供の命のため。自分の幸せよりも女と子供の幸せを常に願った。男は資金調達に成功し、手術の手筈を整え、警察に出頭する。判決は無期懲役。女とは籍を入れていなかったため、死ぬまで面会をすることはできない。子供はすくすくと育っていく。
その後、男は死んでゆく。女と籍を入れなかったために逮捕されてから一度も顔を見ることも声を聞くこともできずに。自分のことを犠牲にして命を救った子供にも、感謝されずに、刑務所に入っているという理由で悪者扱い。それが男の一生を捧げて得たもの。死んでいく男は何を得て、この世に何を残したのか。この男を見ているとそう感じてしまうかもしれない。愛や自己犠牲で自分が得られたものや、この世に残せたものは無いように見えてしまうかもしれない。人の人生とは何と地味で、ちっぽけで、意味がないか。そう思ってしまうかもしれない。
否、人の人生とは、他人から見ると実にちっぽけでくだらない。しかし、その人生を生きた本人にとっては、それはまるで違う。男は、自分が願い、望んだことの全てを叶えた。しかし、その願ったことの全てが自分のことではなく、他人のことだった。だから男のもとには何も残らず、男は何も得られなかったように見えてしまうかもしれない。しかし男は全てを得て、全てを残し、死んでいった。多くの失敗と、多くの後悔の中、不器用ながら、もがき、苦しみ、自分だけの泥臭い幸せを手にした。そんな他人の幸せについてとやかくいうことができるのか。人の人生は、他人が測ることはできない。
シナリオの緻密性、伏線回収と展開の巧さは、90分の芸術的な作品を生み出している
2025.10.15 アップリンク京都
2025年の日本のアニメーション映画(90分、G)
死にかけのヤクザが喋るホウセンカに過去を話す様子を描いたヒューマンドラマ
監督は木下麦
脚本は此元和津也
物語の舞台は、日本のどこか
しがない組のヤクザだった阿久津実(小林薫、若年期:戸塚純貴)は、ある罪で終身刑を言い渡されていた
30年前の彼は、安い一軒家に引っ越したばかりで、行き場のない那奈(宮崎美子、若年期:満島ひかり)とその息子・健介(花江夏樹、幼少期:ふじたまみ)を引き取っていた
彼には兄貴分の堤(安元洋貴)がいて、彼の世話を一心に受けていて、那奈との出会いも彼が起因となっていた
阿久津は絵がうまく、住み始めた自宅周辺の地図も自作していた
そんな彼に心を寄せながらも、那奈は自分と籍を入れてくれないことに不満を募らせていた
その後、若手の若松(斉藤壮馬)の台頭によって、阿久津も彼を真似るように土地ビジネスに傾倒していく
そして、自宅の近くにあった空き地を見つけては、所有権を得るために無断で小さな倉庫を置いたりもしていた
やがて、羽振りの良くなった阿久津は方々で金を浪費し始め、自分の子どもでもない健介との距離を置くために家を留守にすることが増えていった
そんな折、健介にある病気が見つかってしまうのである
映画は、健介の治療のためにヤバい橋を渡る阿久津を描き、さらにその後の堤との駆け引きを描いていく
そして、無期懲役となった身で那奈と健介を想いながら、孤独な30年間を生き抜くこととなった
死が差し迫った阿久津には傍にいるホウセンカ(ピエール瀧)の声が聞こえていて、会話も成り立っていた
ホウセンカは彼らの引っ越してきた戸建ての庭に咲いていた花であり、種子を通じて記憶を継承し、30年前から今まで彼らを見守ってきていた
ホウセンカは阿久津の大逆転を笑うものの、彼にはそれを成し得るという確信があったのである
映画は、かなり細かな伏線が散りばめられていて、無駄なシーンがほとんどない作品となっていた
方眼紙が頭の中に見える緻密性、それによって描かれた地図と、黒塗りを予期した手紙
オセロでは「白が那奈で、黒が阿久津」となっていて、勝負では真っ黒になったけど、手紙には「唯一の白い碁石」が残っている
さらに、所有権を得るために置いた物置が意味を成す30年後に魔法が解けるような演出があり、花火とホウセンカの散りざままでリンクしていた
そして、「Stand By Me」の引用によって、「人生最大の発見」を予感させ、電子レンジとガムテープで遊び心を加えたと思えば、後半の対比のシーンでは花火が音ハメのように楽曲を盛り上げていく
黒塗りの中に書かれた言葉は読めないかもしれないが、阿久津が塗りつぶしたメッセージは陽の光で読めるようになる演出があって、言葉足らずな阿久津の想いというものを知っていたかのように信頼している那奈がいた
ちなみにホウセンカの花言葉は「私にさわらないで」「短気」「心を開く」というものだが、前半の阿久津は那奈と距離を置きたがっていて、後半では弾けて心を開いていく様子が描かれていく
30年という時間がいくつかある花言葉の意味を辿っていくことになり、ホウセンカが弾けたと同時に阿久津の魂が那奈のところに届くというのも粋な演出だったように思えた
いずれにせよ、方眼紙が頭の中にあるかのようなシナリオになっていて、90分という凝縮された中でここまでリンクさせるのはすごいと思う
冒頭の花火では2Dっぽく見せるところから、3Dっぽくなるように演出されていて、モノの見方の角度を変えることを示唆していく
そう言った緻密なものの上に普遍的な物語があるのだが、堤と阿久津の心理合戦もとても興味深いものとなっていた
阿久津は堤の裏切りを予感していて、健介の命の担保のために金を奪って逃げるのだが、彼はその時すでに指名手配がかけられていた
これはすでにある筋に情報を流していたことを示唆していて、阿久津の裏切りをも想定していたように思う
だが、それすらも見透かしていた阿久津は、唯一堤に知られていない場所に金を隠すことに成功していた
堤がそれを見つけられないのは、30年経っただけではあの土地は阿久津のものにならないからであり、それゆえに調べても出てこないものだったのだろう
ヤクザの美談的な要素もあるものの、ホウセンカが喋るというファンタジー要素がそれを薄めている部分もあるし、アニメーションという表現方法も合っていたと思う
そう言った意味において、全ての要素を隈なく活かした作品になっていたのではないだろうか
これぐらいの傑作はいつでも作れますよ、と余裕すら感じる才能に嫉妬する。
傑作「オッドタクシー」の此元和津也×木下麦タッグの新作。
「オッドタクシー」ほどの作品を作れる才能からしたら、これぐらいの小品は簡単に作れますよ的な余裕すら感じ、その余裕すら心地良く思えてしまう。
伏線はこれ伏線ですよと分かりやすく配置されていて、お話しとして物足りなさを感じるかも知れないが、ちゃんと肉付けして綺麗に回収しているので心地良い。
主人公であるヤクザには分かりやすく顔に傷があり、キーワードである一発逆転は野球の逆転サヨナラホームランやオセロゲームなどこれも分かりやすく明示される。
ヤクザ稼業、心臓病、ちょっと無理矢理なスタンド・バイ・ミーなど分かりやすく小話に徹している。
主人公の阿久津が那奈に獄中から送る手紙には検閲が入り、明らかに問題ある部分は黒塗りで消されて送られる。
阿久津はそれを承知で計算してオセロのように黒く裏返していく。
わざと分かりやすくし消されることで伝えたい事を浮き上らせる、これは作品自体も同じで、徹底的に分かりやすく明示されたものを消していくと浮かび上がってくるのはひとつ、阿久津が口に出すことが無かった言葉、自ら黒塗りしていた言葉、ただ色々な事や日々を重ね合わせると浮かぶ言葉、光に照らすと浮かんでくる言葉。
それが届いたときに流れるスタンド・バイ・ミーは反則で泣くしかない。
愛と所有権
『ODD TAXI』のコンビにCLAP制作ということで。
序盤の『Stand By Me』のシーンは、確かに幸せそうな雰囲気がした。
(赤ん坊いるのにチンチン鳴らすなとは思うけど)
しかしそれ以上の描写がなく、逆に家に寄りつかなくなる流れはどうなんだろう。
その後にすべてを投げうって健介を救おうとすることで多少巻き返しはするが…
阿久津の語る「幸せ」の手触りが薄かった。
3億円強奪の流れ自体は単純だが、阿久津のみが既にメディアで報道されていたのは謎。
堤はずっと一緒だったし、事前に手を回してたなら明確な裏切りなので阿久津の態度が温すぎる。
堤がアパートを捜索しに来るのが30年も経ってからというのもあまりに不自然。
“宝の地図”のネタばらしも、写し紙でもない限りあんなに何枚も透けないでしょ。
健介が助かった後もひたすら金の話に終始する。
いや、金自体じゃなくそれを遺す行動や意志が愛の証明ということは分かるんです。
しかし30年経ってるし、阿久津自身が言ってたように「汚い金」だし、まだ堤には狙われるだろうし…
子分2人はまったく活かされないし、だったら疑似家族の絆とか、阿久津の生い立ちとかが見たかった。
土地所有権の話は「阿久津も那奈と健介を20年以上占有して所有権を得ました、大逆転!」ってこと?
那奈が他の男にいかないと信じてたんですねぇ。
作画も声の演技も全体の雰囲気も決して悪くない。
それだけに、脚本に腑に落ちない点が多いのとキャラ描写が浅いのが非常に残念だった。
阿久津の純愛と花火は美しかったです!
無期懲役刑の囚人、ヤクザの阿久津が死の間際に人間の言葉を操るホウセンカに話しかけられることから始まるストーリーです。
阿久津にとってパートナーの那奈は、唯一無二の大切な人間であったと思います。それを素直に分かりやすい愛情の形で表現出来ないところが不器用な昭和の男の物語って感じで最初は印象良く受け入れられました。
ですがストーリーの進行と共に「微妙な倫理観のズレ」みたいなものが常につきまとい、正直あまり共感できず、むろん感動もしませんでした。
昭和バブル期のヤクザ社会の倫理観についてケチつけるのがそもそもナンセンスと言われればそれまでなんですけど、脚本、設定的に人として筋の通らないところ、価値観のブレみたいなのがさらっとごまかされ個人的には違和感バリバリでした。以下、それらを簡潔に?羅列します。
・那奈の秘密の提示について。
あれは子供のピンチの時に那奈の口から直接、真実を阿久津に伝え・・・つまり筋を通してから懇願すべきでした。あれじゃまるで一芝居うって阿久津を利用しているようで、大変不誠実に見えます。彼女、見た目は綺麗ですけどヒロインとして人間的魅力が絶対的に足りなくないですか?
・「土地」の説明の曖昧さ。
ヤクザのしのぎ(金の稼ぎ方)で「土地」とは、おそらくバブル期ならば地上げ屋と思われます。地上げ行為でカタギ(善良な地主とか)を脅迫し結果として暴利を得るわけです。カタギに手を出す行為はヤクザの中でも下衆な部類なのですが、その倫理的評価は作中で曖昧にし、阿久津が家庭を顧みず泡銭で歓楽街で豪遊することをむしろ悪とするようなチープな脚本でした。まさにステレオタイプな善悪の基準の提示ですが、非常に薄っぺらく感じました。
・一発逆転のお宝の使い道。
人を騙して脅して集められた薄汚い金の残りカスを最後、当然のごとくポッケに入れようとする二人。阿久津の再審請求のための弁護士費用に使う・・・とかならまだしもなあ。まあ、逃げ回ってる限り無理か。でも、この件に関しては「足るを知れ」って伝えたいですよ(笑)。
阿久津の純愛と花火は確かに美しかったけど、それ以外が総じて薄汚れてぼんやりした感じに思え結果として心に残りませんでした。
では。
稀に名言を吐く辛辣な花
オセロや花火など、日常の何気ない風景を演出に活かしている。その大部分はうまく機能していると思うが、風船の描写など少し強引だと感じるものもあった。
人語を話す花に視聴者が感じるであろうことを言わせる手法は面白いとは思う。しかし、主人公のセリフに対して花が間髪入れずにツッコミを入れてしまうため、視聴者がどう感じるかを製作者に誘導されているような印象を受ける。
ある意味では製作者に思考を委ねて観ることがができるため、ライトな楽しみ方ができる作品ではあるが、自分の視点で作品を掘り下げたい人にとっては花の存在はやや煩わしく感じるかもしれない。
大人のビター・スイート・ロマンス
ホウセンカが話しかけてくる、と聞いて正直「私向きのジャンルじゃないな」と思った。花が喋るとかファンタジーじゃん。
花が喋るとか、魚が踊るとか、動物が歌うとかいうのは最も興味のない世界だ。
観たがる旦那を尻目に何とかパス出来ないものかと思っていたのだが、無碍にも出来ず、まぁたまにはファンタジーも良いか、と観に行ったくらいなので喋るホウセンカの飄々と洒脱なキャラクターは意外過ぎた。
オープニングの花火のシークエンスも素晴らしかった。現実では絶対に見えない角度で、自分も花火の一部になったような、浮遊感漂う感覚は素晴らしいの一言に尽きる。
このまま90分花火を観続けても飽きないかもしれない、くらいの映像的満足感。
あと、全然思ってたようなファンシーなファンタジーじゃなかった。まるで時代劇みたいな忍ぶ愛の物語で、ちょっぴりミステリーでクライムで生存戦略を巡る大人の映画だった。
生きることと死ぬことだけが、全ての生命の共通点である。けれどホウセンカ曰く、人間とホウセンカの生命としての記憶は違う。
受け継いできた「記憶」を鍵に、全く異なる死生観のホウセンカと阿久津の記憶のすり合わせが物語を推し進める核となっている。
そして阿久津という不器用な男の取った命の戦略とは、彼の「愛」をこの世に残すことだったのだと気づかされる。
阿久津自身は彼の愛が実を結ぶ瞬間を見届ける事なく世界から消えてしまったとしても、彼に愛されたという事実が那奈には残る。
そして誰もこの「愛」を知る必要はない。最も知ってほしかった人に「愛してる」と伝えられたなら、それこそが退路のない中で放つ一発逆転の大花火だから。
最後に「触れてはならない」ホウセンカに触れて種を撒き散らしたのは、ヤクザの家族では幸せになれない那奈と健介に「それでも触れたい」思いと、ホウセンカを介して万が一にも堤の兄貴に事実を知られないための非情の選択だったのか、と思う。
ホロ苦くて切なくて、それでいてホッコリする何とも不思議な味わいの感動に思わず落涙してしまうほど良い映画だった。
やっぱり、大事な相手に寄り添うのって良いね。
「私向きじゃない」なんて拒否せず、一緒に観に行って本当に良かったと思う。
容疑者Akutsuの献身
「Odd Taxi」制作陣による新作だけあり、先が読めない序盤は期待通り。花が喋るLow Fantasyで油断させ、ドロドロしたサスペンスにハマっていく話運びも流石。息子の病気発覚後に加速するサスペンスは見処が多く、「Odd Taxi」ファン見逃し禁止な佳作。
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1. 容疑者Akutsuの献身
従順な阿久津が兄貴の口車で強盗殺人にをおっ被せられたように思わせて、実際は兄貴の生態を知り尽くしている阿久津が、兄貴が裏切れないように立ち回る終盤はスリリング。まさにOthello上級者のやり口。敢えて相手の色ばかり増えるように誘導して、相手の指す場所をなくした上での大逆転。
ただし、阿久津が刑務所から仮出所すら出来ない事実は変わらない。仮に身元引受人も用意できていても、兄貴に追い込まれ、迷惑をかけてしまいそう。とは言え、仮出所無しの真の無期懲役は辛すぎる。組が刑務所に鉄砲玉を送り込む可能性もゼロではなく、務所も完全な安全地帯でなかったはず。一番守りたい人を守れても、彼等に数千万を渡せても、那奈にも健介にも会えずに死んだ後半生を、逆転勝利には感じられなかった。「容疑者X...」の如、あまりに献身し過ぎでは?
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2. ツッコミ処1: 「托卵」の誤用
ホウセンカが健介の実父を明かした際、阿久津は「托卵」されたと罵るが、これは完全な誤用。
動物行動学に於いて、「托卵」はメスが他人の巣に卵を産み付け、実子の子育てを他人に押し付ける労働寄生を指す。ホウセンカは阿久津が兄貴に「托卵」された宣うが、動物行動学はこのケースを何十年も前からEPP(つがい外父性, extra-pair paternity)と呼び、決して「托卵」と呼ばない。遺伝マーカーを用いた調査で、鳥類のメスが盛んに不倫する事が判明し、実際に巣には間男のヒナがかなりな確率で混ざっている。義理の父が遺伝的父である間男に労働寄生されていると言えなくもないが、「托卵」はあくまで「他人の巣に産卵する」プロセス込みで呼称される行動なので、産卵できないオスが「托卵」する事は物理的も論理的にも不可能である。
お喋りなホウセンカも、やはり植物如きの知能じゃ動物行動学の基本なんて理解できなかった模様。
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3. ツッコミ処2: 薄い便箋を選べるか?
終盤の鍵になる手紙。地図に重ねる事で場所の特定に繋がるが、5~6枚は流石に重ね過ぎで、相当薄い便箋でないと光を通過しないのでは? 加えて、刑務所で書かれた手紙だと考えると、便箋の選択肢がとは考え難い。街中の光量が弱い街灯で、数枚重ねても光が貫通するような便箋を用意できたの? 疑問に感じた。
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4. ツッコミ処3: 空き地のキャビネットが放置され過ぎ
終盤、堤に見つかるの恐れて、一箇所に長時間留まるのを恐れている那奈が、比較的短時間で空き地から大金を回収する。空き地に埋まっていたなら、短時間での発見は無理。おそらく、阿久津が設置して記名した「キャビネット」のような設置物に入っていたと思われる。ただ、そんな短時間で見つかる場所にあって、本当に30年近く、金が放置され得るものだろうか? 暇を持て余している子供は、空き地に放置してある家具なんて一種の遊び道具で、悪戯に開けてしまう子がいても不思議はない。バブル期は今以上に子供が街中に溢れていたので、彼等の魔の手を逃れるのは難しそう。
南京錠が掛かっていたとして、那奈は鍵をどうやって入手した? 彼女か息子の誕生日が鍵のダイヤル南京錠ならチビッコは諦めるかも。ただ高校生なら、ちと大きめなハンマーで南京錠自体など破壊するのは、さして難しくはない。
大逆転=金、って作り手の金銭欲が出ちゃってないか?
ヤクザ者のアニメ?何それと思って観に行ったら、「ワン・バトル・アフター・アナザー」と設定が似ててびっくりした。
こちらはアクションはほぼなしだったり、人物描写が、利他的だったり、印象は全く違うのですが。
主人公のヤクザが空間描写にのみ才能がある発達障害的な仕掛けは、あとあと何かあると思ってたから、そこの回収はよかった。
ただ、ヤクザの仕事だとしても、家族のために真面目に働く姿をみせてくれないと共感しづらいよ。
好みの問題だけど、「スタンド・バイ・ミー」のたて方が、気持ち悪くて合わなかった。そこだけ浮いてリアリティないんだもん。
あと、ラストで金映すのダメでしょ。金じゃなくてライオンの絵見せたいのわかるけど、大逆転=金、って違わないか?
子どもに愛情が伝わってないやん。
頭の中の方眼紙で描き送るSecret Letter.
独房で死が間近のヤクザ阿久津実へ話しかける、枕元に置かれ空き缶に植えられるホウセンカの話。
30年前の1987年8月頃の自身を振り返り、一緒に生活をし愛する那奈、那奈のお腹いる血縁のない子供…後に名付けられる健介へ、独房から送る方眼紙メッセージ…。
口の悪いホウセンカにディスられながら過去の思い出と、あの時言えなかった事、出来なかった事の後悔を振り返り、ストーリーベースとなる兄貴分の堤との息子健介の為の金絡みを絡めながら。
阿久津の得意技、頭の中にある方眼紙を上手く使い見せる大逆転、あの時の地図と独房から送られた手紙が重なった時…あの時描かれていた“那奈の顔”…えんぴつで消されていても見えている“愛してる”に涙。
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