ホウセンカのレビュー・感想・評価
全107件中、41~60件目を表示
無骨な昭和世代の一途な男の愛の物語
アニメ映画です。小林薫や宮崎美子、ピエール瀧などのベテラン俳優が声優を務めていました。
生まれたてと死にかけの人の前だけでしゃべるほうせんか(花)
主人公の男性は反社(やくざ)であり、惚れた女の子供のために大金を用意する、そのせいで、独房に30年以上入り、年老いて死にかけの時、若い頃を思い出しながら、ほうせんかと会話します。
そもそも論として、悪いことをして得たお金、子供の心臓移植にも、私は反対、そこは神の領域かと思います。
義理と人情の世界なんだろうな、そこは多少理解出来ました。
無骨な昭和世代の一途な男の愛の物語です。
声優陣には「俳優」「声優」「芸人」が名を連ねるが、それぞれの発する「ことば」は趣が異なっていておもしろい
無期懲役囚の老人・阿久津が独房で孤独な死を迎えようとしていたとき、声を掛けたのは、人の言葉を操るホウセンカだった。“会話”の中で、阿久津は自身の過去を振り返り始める。
「お前たちが来た日のこと、よく覚えてるぜ」
1987年、夏。海沿いの街。しがないヤクザの阿久津は、兄貴分として慕う堤の世話で、6歳年下の那奈と、ホウセンカが庭に咲く素朴なアパートで暮らし始めた。生まれたばかりの那奈の息子・健介も一緒だ。縁側からは、大きな打ち上げ花火が見える。3人は、慎ましくも幸せな日々を送っていた。
「退路を断ったもんだけに大逆転のチャンスが残されてんだよ」
やがて土地転がしのシノギに成功し羽振りがよくなった阿久津は、享楽的に過ごし家を顧みなくなる。そんなある日、事態は一変する。阿久津は大金を工面しなければならなくなり、
堤と共に組の金庫にある3億円の強奪を企てるのだった―。ある1人の男の、人生と愛の物語(公式サイトより)。
劇場版が酷評された「オッドタクシー」のチームが再集結して制作した映画。バブル期終盤の日本を舞台に、現代日本に失われつつあるかつての「愛」「家族」「信」を独特の穏やかな世界観で描く。
本作の声優陣には「俳優」「声優」「芸人」が名を連ねるが、それぞれの発する「ことば」は趣が異なっていておもしろい。アニメーションと科白がこれ以上ないくらいぴったり合っているのが「声優」、アニメーションの裏にある人物像が透けて見えそうなのが「俳優」、アニメーションの科白より前のめりで届いてくるのが「芸人」、という具合だろうか。このそれぞれが心地よく共鳴し合って心地よい。
本作が実写化しなかった理由のひとつであろう喋るホウセンカは、「俳優」「声優」「芸人」、さらに「歌手」と言えそうで言えなそうなピエール瀧が演じる。なるほど確かに、何者ともつかない演技だが、本人曰く「宇宙人」を意識したというから頷ける。
調べてみると、ホウセンカには「わたしに触れないで」と「心を開く」という相反するふたつの花言葉があるらしい。ヤクザ稼業に最後まで触れさせずに、それもなおお互いが「心」を開いた日常と30年後の逆転ホームランがじんわり染みる。
大人のアニメ(セクシーではありません)
シナリオの緻密性、伏線回収と展開の巧さは、90分の芸術的な作品を生み出している
2025.10.15 アップリンク京都
2025年の日本のアニメーション映画(90分、G)
死にかけのヤクザが喋るホウセンカに過去を話す様子を描いたヒューマンドラマ
監督は木下麦
脚本は此元和津也
物語の舞台は、日本のどこか
しがない組のヤクザだった阿久津実(小林薫、若年期:戸塚純貴)は、ある罪で終身刑を言い渡されていた
30年前の彼は、安い一軒家に引っ越したばかりで、行き場のない那奈(宮崎美子、若年期:満島ひかり)とその息子・健介(花江夏樹、幼少期:ふじたまみ)を引き取っていた
彼には兄貴分の堤(安元洋貴)がいて、彼の世話を一心に受けていて、那奈との出会いも彼が起因となっていた
阿久津は絵がうまく、住み始めた自宅周辺の地図も自作していた
そんな彼に心を寄せながらも、那奈は自分と籍を入れてくれないことに不満を募らせていた
その後、若手の若松(斉藤壮馬)の台頭によって、阿久津も彼を真似るように土地ビジネスに傾倒していく
そして、自宅の近くにあった空き地を見つけては、所有権を得るために無断で小さな倉庫を置いたりもしていた
やがて、羽振りの良くなった阿久津は方々で金を浪費し始め、自分の子どもでもない健介との距離を置くために家を留守にすることが増えていった
そんな折、健介にある病気が見つかってしまうのである
映画は、健介の治療のためにヤバい橋を渡る阿久津を描き、さらにその後の堤との駆け引きを描いていく
そして、無期懲役となった身で那奈と健介を想いながら、孤独な30年間を生き抜くこととなった
死が差し迫った阿久津には傍にいるホウセンカ(ピエール瀧)の声が聞こえていて、会話も成り立っていた
ホウセンカは彼らの引っ越してきた戸建ての庭に咲いていた花であり、種子を通じて記憶を継承し、30年前から今まで彼らを見守ってきていた
ホウセンカは阿久津の大逆転を笑うものの、彼にはそれを成し得るという確信があったのである
映画は、かなり細かな伏線が散りばめられていて、無駄なシーンがほとんどない作品となっていた
方眼紙が頭の中に見える緻密性、それによって描かれた地図と、黒塗りを予期した手紙
オセロでは「白が那奈で、黒が阿久津」となっていて、勝負では真っ黒になったけど、手紙には「唯一の白い碁石」が残っている
さらに、所有権を得るために置いた物置が意味を成す30年後に魔法が解けるような演出があり、花火とホウセンカの散りざままでリンクしていた
そして、「Stand By Me」の引用によって、「人生最大の発見」を予感させ、電子レンジとガムテープで遊び心を加えたと思えば、後半の対比のシーンでは花火が音ハメのように楽曲を盛り上げていく
黒塗りの中に書かれた言葉は読めないかもしれないが、阿久津が塗りつぶしたメッセージは陽の光で読めるようになる演出があって、言葉足らずな阿久津の想いというものを知っていたかのように信頼している那奈がいた
ちなみにホウセンカの花言葉は「私にさわらないで」「短気」「心を開く」というものだが、前半の阿久津は那奈と距離を置きたがっていて、後半では弾けて心を開いていく様子が描かれていく
30年という時間がいくつかある花言葉の意味を辿っていくことになり、ホウセンカが弾けたと同時に阿久津の魂が那奈のところに届くというのも粋な演出だったように思えた
いずれにせよ、方眼紙が頭の中にあるかのようなシナリオになっていて、90分という凝縮された中でここまでリンクさせるのはすごいと思う
冒頭の花火では2Dっぽく見せるところから、3Dっぽくなるように演出されていて、モノの見方の角度を変えることを示唆していく
そう言った緻密なものの上に普遍的な物語があるのだが、堤と阿久津の心理合戦もとても興味深いものとなっていた
阿久津は堤の裏切りを予感していて、健介の命の担保のために金を奪って逃げるのだが、彼はその時すでに指名手配がかけられていた
これはすでにある筋に情報を流していたことを示唆していて、阿久津の裏切りをも想定していたように思う
だが、それすらも見透かしていた阿久津は、唯一堤に知られていない場所に金を隠すことに成功していた
堤がそれを見つけられないのは、30年経っただけではあの土地は阿久津のものにならないからであり、それゆえに調べても出てこないものだったのだろう
ヤクザの美談的な要素もあるものの、ホウセンカが喋るというファンタジー要素がそれを薄めている部分もあるし、アニメーションという表現方法も合っていたと思う
そう言った意味において、全ての要素を隈なく活かした作品になっていたのではないだろうか
これぐらいの傑作はいつでも作れますよ、と余裕すら感じる才能に嫉妬する。
傑作「オッドタクシー」の此元和津也×木下麦タッグの新作。
「オッドタクシー」ほどの作品を作れる才能からしたら、これぐらいの小品は簡単に作れますよ的な余裕すら感じ、その余裕すら心地良く思えてしまう。
伏線はこれ伏線ですよと分かりやすく配置されていて、お話しとして物足りなさを感じるかも知れないが、ちゃんと肉付けして綺麗に回収しているので心地良い。
主人公であるヤクザには分かりやすく顔に傷があり、キーワードである一発逆転は野球の逆転サヨナラホームランやオセロゲームなどこれも分かりやすく明示される。
ヤクザ稼業、心臓病、ちょっと無理矢理なスタンド・バイ・ミーなど分かりやすく小話に徹している。
主人公の阿久津が那奈に獄中から送る手紙には検閲が入り、明らかに問題ある部分は黒塗りで消されて送られる。
阿久津はそれを承知で計算してオセロのように黒く裏返していく。
わざと分かりやすくし消されることで伝えたい事を浮き上らせる、これは作品自体も同じで、徹底的に分かりやすく明示されたものを消していくと浮かび上がってくるのはひとつ、阿久津が口に出すことが無かった言葉、自ら黒塗りしていた言葉、ただ色々な事や日々を重ね合わせると浮かぶ言葉、光に照らすと浮かんでくる言葉。
それが届いたときに流れるスタンド・バイ・ミーは反則で泣くしかない。
「オッドタクシー」が好きなんで
花からみた人間の不器用な、でも美しい愛
死に瀕した不器用で真っ直ぐな男の人生に対して
植物の立場からツッコミを入れ、バカにするホウセンカ。
一見ノイズのような存在だが、
それによって感傷に陥りそうな純愛物語に適度なスパイスを与えつつ、
人間の営みの可笑しみという別の視点も追加されて、
物語の奥行きが深くなっている。
ディテールを描きすぎないキャラクターや
俳優さんたちの抑制気味の台詞回しが、
何気ない会話からも余情を生み出していてすばらしい。
ceroさんの独特なサウンドの音楽も意外で面白い。
永く会えない遠くにいる人に生涯をかけて想いを届ける、
次世代に想いを繋いでいくことに対する、
花というモチーフを使ったほんとうに美しい表現に感嘆。
見終わった直後は意外とそうでもなかったが、
今、各シーンを思い出すと不思議と涙が出てくる。
折に触れて思い出す映画になるのだろうと思った。
愛と所有権
『ODD TAXI』のコンビにCLAP制作ということで。
序盤の『Stand By Me』のシーンは、確かに幸せそうな雰囲気がした。
(赤ん坊いるのにチンチン鳴らすなとは思うけど)
しかしそれ以上の描写がなく、逆に家に寄りつかなくなる流れはどうなんだろう。
その後にすべてを投げうって健介を救おうとすることで多少巻き返しはするが…
阿久津の語る「幸せ」の手触りが薄かった。
3億円強奪の流れ自体は単純だが、阿久津のみが既にメディアで報道されていたのは謎。
堤はずっと一緒だったし、事前に手を回してたなら明確な裏切りなので阿久津の態度が温すぎる。
堤がアパートを捜索しに来るのが30年も経ってからというのもあまりに不自然。
“宝の地図”のネタばらしも、写し紙でもない限りあんなに何枚も透けないでしょ。
健介が助かった後もひたすら金の話に終始する。
いや、金自体じゃなくそれを遺す行動や意志が愛の証明ということは分かるんです。
しかし30年経ってるし、阿久津自身が言ってたように「汚い金」だし、まだ堤には狙われるだろうし…
子分2人はまったく活かされないし、だったら疑似家族の絆とか、阿久津の生い立ちとかが見たかった。
土地所有権の話は「阿久津も那奈と健介を20年以上占有して所有権を得ました、大逆転!」ってこと?
那奈が他の男にいかないと信じてたんですねぇ。
作画も声の演技も全体の雰囲気も決して悪くない。
それだけに、脚本に腑に落ちない点が多いのとキャラ描写が浅いのが非常に残念だった。
阿久津の純愛と花火は美しかったです!
無期懲役刑の囚人、ヤクザの阿久津が死の間際に人間の言葉を操るホウセンカに話しかけられることから始まるストーリーです。
阿久津にとってパートナーの那奈は、唯一無二の大切な人間であったと思います。それを素直に分かりやすい愛情の形で表現出来ないところが不器用な昭和の男の物語って感じで最初は印象良く受け入れられました。
ですがストーリーの進行と共に「微妙な倫理観のズレ」みたいなものが常につきまとい、正直あまり共感できず、むろん感動もしませんでした。
昭和バブル期のヤクザ社会の倫理観についてケチつけるのがそもそもナンセンスと言われればそれまでなんですけど、脚本、設定的に人として筋の通らないところ、価値観のブレみたいなのがさらっとごまかされ個人的には違和感バリバリでした。以下、それらを簡潔に?羅列します。
・那奈の秘密の提示について。
あれは子供のピンチの時に那奈の口から直接、真実を阿久津に伝え・・・つまり筋を通してから懇願すべきでした。あれじゃまるで一芝居うって阿久津を利用しているようで、大変不誠実に見えます。彼女、見た目は綺麗ですけどヒロインとして人間的魅力が絶対的に足りなくないですか?
・「土地」の説明の曖昧さ。
ヤクザのしのぎ(金の稼ぎ方)で「土地」とは、おそらくバブル期ならば地上げ屋と思われます。地上げ行為でカタギ(善良な地主とか)を脅迫し結果として暴利を得るわけです。カタギに手を出す行為はヤクザの中でも下衆な部類なのですが、その倫理的評価は作中で曖昧にし、阿久津が家庭を顧みず泡銭で歓楽街で豪遊することをむしろ悪とするようなチープな脚本でした。まさにステレオタイプな善悪の基準の提示ですが、非常に薄っぺらく感じました。
・一発逆転のお宝の使い道。
人を騙して脅して集められた薄汚い金の残りカスを最後、当然のごとくポッケに入れようとする二人。阿久津の再審請求のための弁護士費用に使う・・・とかならまだしもなあ。まあ、逃げ回ってる限り無理か。でも、この件に関しては「足るを知れ」って伝えたいですよ(笑)。
阿久津の純愛と花火は確かに美しかったけど、それ以外が総じて薄汚れてぼんやりした感じに思え結果として心に残りませんでした。
では。
長い余韻……そして、ジンワリと心に沁みる
技ありな脚本、抑制された絵作りと演出、出来過ぎではないストーリー。
心に沁みました。
こういう作品に出会うために映画館に通ってるんだよな、と思わせる一作。
ありがとうございました。
No, I won’t be afraid.
Oh, I won’t be afraid.
最近はやりの、中身の薄い長尺映画に飽き飽きしてるあなたへ
稀に名言を吐く辛辣な花
オセロや花火など、日常の何気ない風景を演出に活かしている。その大部分はうまく機能していると思うが、風船の描写など少し強引だと感じるものもあった。
人語を話す花に視聴者が感じるであろうことを言わせる手法は面白いとは思う。しかし、主人公のセリフに対して花が間髪入れずにツッコミを入れてしまうため、視聴者がどう感じるかを製作者に誘導されているような印象を受ける。
ある意味では製作者に思考を委ねて観ることがができるため、ライトな楽しみ方ができる作品ではあるが、自分の視点で作品を掘り下げたい人にとっては花の存在はやや煩わしく感じるかもしれない。
愛のファンタジー
独房で死を迎えようとしていた無期懲役囚の老人で元ヤクザの阿久津に、生まれたばかりの赤ちゃんと死ぬ間際の人だけが聞こえる、人の言葉を話すホウセンカが声をかけた。ホウセンカと会話しながら、阿久津は自分の過去を思い出していた。
1987年の夏、阿久津は兄貴分である堤の世話で、那奈と連れ子の健介とともに、庭にホウセンカが咲くアパートで暮らしはじめた。幸せな日々を過ごす阿久津だったが、ある日突然、健介が心臓の病気で、移植手術が必要な事がわかった。アメリカでの手術で待ち時間無しの割増料金だと2億円の大金を用意しなければならなくなった。そこで、堤に相談したところ、組の後輩で将来の組長候補を消し、組の金庫から3億円の強奪を計画し、実行した。2億円で健介の手術を終え、残りを隠し持った阿久津は堤を裏切り、残金を隠し、秘密裏に那奈に渡そうとしていた。さてどうなる、という話。
特にドキドキも無く、手紙でどうやって隠し金の場所を教えるか、というところが見どころなのだろう。
どうして黒塗り部分を予測出来たのかはわからないが、(もしかして自分で黒塗りにした手紙をつくったのかも)そこだけはなるほど、と思った。
大逆転、って言ってたけど、もしあの空き地に持ち主が居たらどうしてたんだろう、特に深く調べたわけじゃなさそうだし。
そして、本当に30年放置してたらあんな草の状態の訳ない。もっとジャングルになってるはずだし、もしかしたら大木が生えてるかもしれない。
ま、ファンタジーだから良いのだろうけど。
阿久津の声を小林薫と戸塚純貴が演じ、阿久津のパートナー・那奈役の声を満島ひかりと宮崎美子、そして言葉を話すホウセンカ役のピエール瀧とも役に合っていて違和感なかった。
オッドタクシーコンビの素晴らしさ
大好きな「オッドタクシー」コンビの「ホウセンカ」。
映画館内の年齢層はアニメの割には高め(オマエもなー)。どういう情報から観にきてるのか気になった。
久しぶりにストーリーに重きを置いたアニメを観た気がする。淡々と描写される過去の出来事に散りばめられたエピソードを最後にしっかり回収していく手際は、オッドタクシーと変わらず今回も見事。“らしくて”渋くて膝を打つ、好きな世界でした。
声優・満島ひかりさん、とてもいい声。良かった。満島ひかり→宮崎美子の声優バトンは抜群にハマってたと思う。楽曲の使い方も好きです。
ホウセンカの扱い次第だけど、実写映画にもなりそう。アニメを観た作品の実写版はほとんど観ないんだけど、このお話ならキャスト、監督次第では観てみたい。尺が足りないかな。余計なことを足してほしくはないな
以下余談。
「ほうせんか」で一番最初に思い出すのは中島みゆきさんの名曲なんだけど、関係なかったみたい。でも、改めて詞を読むと、物語とそんなに遠くないような気もした。
シンプルだけど、美しくてとても温かい。
何も考えずにアニメ映画のチケットを取っただけなのに、思いがけず素晴らしい作品に出会ってしまった。
シンプルだけど、美しくてとても温かい。
スタジオCLAPによるこのアニメ作品は、刑務所で過ごす元ヤクザの晩年を描いている。
ある日、彼の前に“話すことができるホウセンカ(鳳仙花)”が現れ、二人は過去の出来事について語り合う。
物語は現在と過去を行き来しながら、静かに語られていく。派手さはないけれど、不思議な魅力があって目が離せない。
成長、崩壊、そして再生
どんな命にも価値があり、愛し、守るべき目的がある。
そして何より大切なのは「希望」だ。
人生の大きな転機がいつ訪れるかなんて誰にもわからない。でも、後悔しないように生きることこそが、本当の意味での「生きる価値」なのだと思う。
予想以上に美しく、心に残るアニメ映画だった。
全107件中、41~60件目を表示












