宝島のレビュー・感想・評価
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セット感がありすぎる
沖縄で実際に撮ったシーンと
スタジオのセットで撮ったシーンの
リアルさの落差が凄まじい。
暗転後の場面切りかえで
いきなり作り物感が大画面に出てしまい、
興ざめしてしまう事が多かった。
(ジャンルは違うが三谷幸喜の「マジックアワー」の街の作りに似ている。
あの時は「まるで映画の中のセットのような街」というわざとらしさを演出する為にそうしたんだろうけど)
ストーリーは簡単なのに
答え合わせまでに3時間ひっぱり、
ラストがやたら駆け足でモヤモヤする。
沖縄の実際あった悲惨な歴史に
戦果アギヤーのリーダー、
オンちゃんの失踪事件のミステリを
組み込んみ、捜索する刑事のグスクが
夢や幻覚でオンちゃんを見るため、
ファンタジーみたいな
フワフワした印象に感じた。残念。
英雄が守りたかったもの
強い「怒り」を受け取った。
それは沖縄が感じた怒り。それはアメリカに不当に統治された歴史の怒り。それは、なぜ沖縄だけなのかという怒り。本土は「平和になった」と言うがどこが平和なのか、という怒り。信じてくれと言われ信じたのに裏切られた怒り。
ありとあらゆる怒りがマグマのように煮えたぎり、我慢の限界を迎え暴発してしまうコザ暴動の圧倒的描写は、観るものの脳裏に「もっと怒れ」と訴える。
本作は、1952年のサンフランシスコ講和条約から、1972年の沖縄日本復帰までの20年間を、単なるクロニクルではなく、若者たちの青春群像劇として描くことで、今まで見えなかった見えないようにされていた沖縄の真実の一端を、自分ごととして捉えることのできる映画だ。
沖縄の歴史を知ること
戦後80年が経った日本には、戦争は起きていないとされている。
だが、沖縄では、まだ戦争が終わっていないとも言える。
車で轢かれて死んでも文句が言えない、小学校に飛行機が墜落して子供たちが死んでも何も言えない、そんな状況が20年続いたら、それはもう戦争状態と何が違うのか。
沖縄の歴史を俯瞰してみると、沖縄はずっと脅威に晒され続けてきたことがわかる。
そういう意味では、パレスチナ・ガザと沖縄は似ている、と言えなくもないのではないか。
どちらも軍事的な支配や、土地の強制収用という、外的な介入や住民の抑圧の経験がある。
琉球王国からアメリカへ
沖縄はかつて琉球王国だった。
琉球王国は、江戸時代に日本の薩摩藩(現在の鹿児島県)と中国(清)に両属する状態であったという。
薩摩藩に事実上支配されつつも、中国皇帝からは独立した王国として認められていたのだ。
しかし、明治政府が近代的な中央集権国家を築く中で、このあいまいな状態は問題視され、明治政府は琉球を日本領に組み込むため、琉球処分と呼ばれる一連の政策を進めた。
その後、琉球藩となり、沖縄となり、戦後はアメリカ統治下に置かれた。
本土はGHQが統治していたが、沖縄はアメリカの統治下にあった。
通貨はドル、車は右側通行、本土へ行くにはパスポートを必要とした。
つまり、アメリカなのだ。
沖縄はかつてアメリカだったのだ。
こうした事実を、歴史を、学ぶ機会がこれまで無かった。
私は原作を読んで初めて知ったことがたくさんあった。
なぜ学ぶ機会がなかったのか。
なぜ学ぶ機会を与えられなかったのか。
知られると都合が悪いことなのだろうか。
都合が悪い? 誰にとって?
沖縄が日本である以上、国民は皆、知る必要があるのではないだろうか。
では、ドキュメンタリーでいいのではないか、という声もあるだろう。
しかし、ただ史実をドキュメンタリーで撮ることでは伝わらない何かがある、と思う。
それが、物語の力である。
沖縄が孕む「矛盾」と「葛藤」
どのシーンも印象的ではあるが、強いて言えば、まずひとつはラスト近くにグスクとレイが対峙するシーンは、役者の演技力に圧倒された。
暴力による革命を押し通そうとするレイ。
暴力では何も解決しない、後からツケが回ってくると説くグスク。
どちらも正しく、どちらも何も解決しそうにない。
単純な正義のぶつかり合い、と見ることもできなくはない。
だが、正論同士をぶつけ合っている二人は、どちらもそれを望んでいるわけではなく、「怒り」が溢れてしまうことを必死に押さえ込もうとしているようにも見えたのである。
次に印象に残るのは、史実をベースにした「コザ暴動」のシーン。
1970年12月20日、地元住民を米兵が車で轢き殺してしまったことで、火がつく。
その年の9月に、糸満市で同様に米兵による車の事故があり、住民女性が死亡。
しかも、事故を起こした米兵は無罪となった。
コザの住民は、この二の舞にならないよう、行動を起こしたのだった。
それは「暴動」でもあり「騒動」でもあると言われている。
それはひとえに沖縄人の気質によるものだと思う。
歴史の中でずっと隣国に主権を奪われ続けてきた沖縄人は、それでも誰にでも優しい。
様々な国の人を受け入れ、共に生きようとする。
その姿勢をつけ込まれて、都合のいい島になってしまっていたという見方もできてしまうだろう。
そのように耐え抜いた沖縄の人たちの「怒り」のマグマが暴発したシーンは、映画館にも関わらず声を上げてしまいそうだった。
それほどまでに、圧倒的なスケールと没入感があった。
3時間超えの没入感
上映時間3時間11分は、数字で見ると長いと感じるだろう。
そうした声もSNSでは多数上がっているようだ。
しかし、あの原作をよくぞ3時間に納めたと私はそこにも感動したくらいだ。
当然、原作から端折られたエピソードはいくつかあった。
だがそれも、破綻することなく、シームレスにつながっていたと思う。
ストーリーは原作同様、決して分かりやすいとは言えないが、原作よりは分かりやすくなっている。
それでいい。映画とはそういうものだ。
説明的過ぎる台詞はない方がいい。
この混沌とした猥雑さも含めて、沖縄の搾取された歴史なのだ。
方言が強くて、何と言っているかわからない、という声もあるようだ。
わからなくていい。考えるな、感じろ。
そのために役者が演じているのだ。
アメリカ統治下の20年の歴史的背景は、知っていた方がより面白くなるだろう。
なぜこんなにも理不尽を強いられるのか、と憤るには多少の知識も必要だ。
とにかく、まとめていうと、映画館で見るべきである、ということは言える。
そして、パンフレットもしっかりと作っており、情報量も十分である。
巨額の製作費と豪華俳優陣で紡ぎ出された、大赤字(予定)作品
【イントロダクション】
真藤順丈(しんどうじゅんじょう)による直木賞受賞の同名原作の映画化。戦後沖縄を舞台に幼馴染達の運命が交錯していく。
出演に妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太ら。
監督・脚本は、『るろうに剣心』シリーズ(2012、14、21)の大友啓史。その他脚本に、高田亮、大浦光太。
【ストーリー】
1952年、アメリカ統治下時代の沖縄。孤児のグスク(妻夫木聡)は、幼馴染でありグループのリーダー格・オンちゃん(永山瑛太)を中心に、オンちゃんの弟レイ(窪田正孝)らと共に米軍基地に忍び込んで物資を盗む“戦果アギヤー”として活動していた。
オンちゃんはグループの紅一点ヤマコ(広瀬すず)と付き合っており、いずれ戦果を元手に学校を建てる事を夢見ていた。
ある日、極東最大の米軍基地「キャンプ・カデナ」に侵入した際、米軍兵に見つかってしまい逃亡を余儀なくされる。グループはバラバラとなって逃げまどい、レイは逮捕されてしまう。グスクは辛うじて帰還を果たすが、その日以降、オンちゃんは消息不明となってしまう。
時は経ち、1959年。グスクは警官となってオンちゃんの行方を探していた。ヤマコは猛勉強の末に夢であった教師として働く事になる。一方、レイは収容所時代に舐められまいと看守を暴行して凶暴性を発揮し、出所後は地元のヤクザの下で働いていた。
米軍兵による娼婦の暴行事件が社会問題となる中、グスクは捜査の過程で米民政府官僚のアーヴィン(デリック・ドーバー)と通訳の小松(中村蒼)と知り合う。
ヤマコは地元の小学校で教師として勤務し始めるが、米軍機の小学校への墜落事故(宮森小学校米軍機墜落事故)により多数の死傷者が出てしまう。アメリカ側がパイロットを無罪とした事で、住民達の反米感情はより一層強まっていった。事件をキッカケに、ヤマコも地元民と共に抗議デモに参加するようになる。
一方のレイは、ヤクザを辞めて米軍兵をターゲットにした襲撃事件を起こすテロリストのグループに加入していた。
【感想】
原作未読。
元々、本作の鑑賞は公開時期の情報がアナウンスされた時点から決めていたが、他の話題作と同時期に上映され、また本作の上映時間が191分という破格の長尺な事もあり、劇場に足を運ぶのが他作品より後になってしまった。
その間に、製作費25億円という邦画では珍しい規模の莫大な予算が投じられた事、それに対して他の話題作の影に埋もれて厳しいスタートを切った事、賛否両論である事から監督の大友啓史氏自らXにて批判ポストにリプライを飛ばしているという事を目にしてしまい、少々身構えての鑑賞となった。
特に、監督自ら批判ポストに片っ端からリプライを飛ばしに行くというのは、マーケティングとしても完全なる悪手であると思われ、今後、とても製作費の25億円を回収出来るとは思えず、東映にとっては大きな赤字となってしまう事だろう。
公開時期も運が悪く、他の話題作に観客を持って行かれてしまい、興行成績1億5600万円で週末興収7位スタートという厳しい出足となってしまった。
話題性も観客反応も抜群で、日本映画界トップクラスのロケットスタートを切った『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』は勿論、歴史的特大ヒット爆進中の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』といったアニメ作品。実写作品としても、話題性十分で粘り強い集客を見せる『8番出口』、東野圭吾原作&福山雅治主演として前週から引き続き安定した集客を見せる『ブラック・ショーマン』、未だ脅威の集客力を見せ、邦画史上歴代2位の興行収入を積み上げている『国宝』等の作品が強く、そんな中で上映時間191分の大作である本作はあまりにも条件が悪かったと言えるだろう。
本来、興行収入1億5000万円超えでスタートというのは、邦画実写において決して悪くない数字であるにも拘らず、7位スタートというのは、やはり強豪作ひしめく中での公開となってしまった事も無関係ではないだろう。
そんな本作に、まず声を大にして言いたいのは、《たとえ悲痛な史実を基にしていようと、作品として伝えたいメッセージがどんなに政治的・倫理的に正しいものだとしても、それが作品の「面白さ」を担保するものではない》という事だ。
米軍兵による婦女暴行、宮森小学校米軍機墜落事故、ラストのコザ暴動と、沖縄が辿ってきた悲しい歴史は、本作を鑑賞するまで何も知らなかった自分にとって強烈なインパクトを残した。
クライマックスでグスクとレイが「キャンプ・カデナ」で繰り広げる、「暴力に暴力で返しても何も変わらない」「こうでもしないと何も変えらない」「こんな野蛮な事が長続きするようなら、人間は終わりだ」という問答の痛烈なメッセージ性、グスクの言葉を信頼するアーヴィンの姿に「同じ人間なんだから、歩み寄る事だって出来るはずだ」という希望を託して見せているのは理解出来る。しかし、そうした正しい主張や願いも、作品自体に興味を惹かれなければ、単なる綺麗事の羅列に終わってしまうのだ。
また、ラストでレイはオンちゃんの遺骨を葬儀で供養した様子を遠くから眺めて姿を消したが、度々米軍兵を襲撃し、ヤクザとはいえ人を数人殺め、米軍基地に侵入してテロを画策した首謀者が、何のお咎めもなしに野放しというのは不味くはないだろうか?彼の行いを列挙すると、理不尽な対応ばかりしていたアメリカ側と同じ、いやそれ以上に悪質な行いばかりしており、クライマックスでの彼の訴えも「どの面下げて言っているんだ?」となってしまうではないか。
そもそも、本作の物語は皆が皆何年経ってもオンちゃんを中心に行動し続けているのだが、オンちゃんの人間的な魅力がこちらに十分に提示されていないので、皆が彼を諦め切れずにいる姿に共感しづらかった。だからこそ、レイがオンちゃんの行方を追って人生を狂わせていく様子も滑稽に映る。これが、オンちゃんは腕っぷしが強いだとか、仲間思いで自分を犠牲にしてでも仲間を守るだとかのシーンの一つでもあれば、彼のカリスマ性が伝わったかもしれないが。
さらに言えば、そんなオンちゃんが命を賭けて守り抜いたウタは、“新時代への希望”だったと思うのだが、レイを庇って撃たれて死亡してしまって良かったのだろうか。オチに至るまで、とにかくこの作品に乗れないままだった。
ところで、本作の製作費は邦画においては破格である25億円の予算が投じられたそうだが、一体何処にそれほどの費用が掛かったのだろうか。いや、恐らくクライマックスのコザ暴動に予算が掛かったであろう事は想像に難くはない。実際、あのシーンの迫力は本作の盛り上がりとして見応えがあった。ただ、仮にもしあの大通りを背景の奥行き等をCG処理などにせず、実際にセットを組んで撮影したのだとすると、それを前半から活かせたのではないかと思ってしまう。
というのも、前半での街並み描写は街のごく一部しか映されない為に空間的な広がりに乏しく、“凝った美術なのが分かるのに安っぽく見える”という状況を引き起こしてしまっていると感じたからだ。これがもし、グスクが事件の調査の過程で大通りを行き来していたり、遠景から街並みを捉えたシーンを挟んだりして、空間的な広がりを観客に植え付けていたのならば、より豪華で気合いの入った印象を持てたと思うのだが。
予算が感じられないもう一つの要因は、グスクがオンちゃんとの思い出を回想する際、皆で路地を走るシーンもそうだ。路地を走り抜けるオンちゃん達の背後に映る電柱のデザインや、遠方に見える白い建物の様子が現代のそれにしか見えなかったのだが、あれは当時を再現したセット内で撮影したものだったのだろうか?私には、当時の様子に見えそうなそれっぽい風景を探してきて、やっつけで撮影した風にしか見えなかった。そうした細部の描写からも、とても巨額の製作費が投じられたようには感じられなかったのだ。
そんな本作において、それでも尚私を最後までスクリーンに釘付けにさせた要因は、ひとえに俳優陣の熱演に他ならない。本作は、俳優陣の熱演によって持っていると言っても過言ではないだろう。
特に、主演の妻夫木聡が素晴らしく、粗暴ながら優しさに溢れるグスクの実直さを見事に演じ切っている。ヤマコ役の広瀬すずも好演しており、「こんな表情が出来るのか」と感心させられた。窪田正孝はいつも通りな気もするが、狂気を滲ませた役柄とは相性が良く、存在感を放っていた。
そして、キャラクター描写が乏しいにも拘らず、皆の中心人物として描かれていたオンちゃんを演じた永山瑛太の「それらしく見える」ハマりっぷりも賞賛したい。あんなに描写不足にも拘らず、彼がスクリーンに映し出されると、その瞬間だけは「らしく」成立するのだから、キャスティングの優秀さは間違いないだろう。
ただし、穿った見方をすれば、本作はそうした俳優陣の演技力やキャラクターとの親和性に依存して、足りない描写を補ってもらった、足りない部分への説得力を丸投げしたようにも見える。実際、俳優陣の熱演でパッと見は「らしく」成立している。しかし、やはりキャラクターを魅力的に映す描写力や構成力が不足していると、そう見えるのは最初だけであり、徐々にメッキが剥がれてこちらの疑問が増えていく事になるのだ。
【総評】
直木賞受賞原作、大ヒットシリーズの監督、豪華俳優陣、巨額の制作費と、「勝てる要素」は十分揃っていたが、公開時期と監督による悪手、何より作品としての料理の仕方を間違えた結果、邦画史に残る赤字を残しかねない作品となってしまった。
グスクの言う「こんな野蛮な事が長続きするようなら、人間は終わりだ」という台詞が、人間の蛮行がまかり通り続けている現代社会を痛烈に皮肉っているだけに、そのメッセージ性を十分に発揮出来る作品に仕上がってほしかったのは残念でならない。
暴力シーンが多く、長いのに観客を納得させる描写が無い。
近年、暴力シーンの多い映画やドラマを見ていなかったので今回の映画は耐性がなくきつかったです。
オンちゃんは英雄扱いだけど、最初の戦果だけで英雄として見るのは見てる側は納得出来ない。
オンちゃんが行方不明になって何年経っても探し続ける理由は?
オンちゃん自身も何故姿を消したのかが最後までわからない。
叫ぶシーンや大事なシーンでセリフが聞き取りにくいところが多く色々予想して疲れてしまった。
25億かけてるなら、アメリカの高官はちょっと中堅のハリウッド俳優さんとか呼べなかったのかな。
広瀬すずさんは使いたかっただけ?
主軸3人と年齢が離れすぎてて違和感がありました。
いい作品ではあるが、言葉より暴力多め
妻夫木さんがすごくいい!
映画自体は3時間以上と長いが、全く飽きずに見ることができた。個人的には国宝よりも感動的で胸が熱くなった。自分は沖縄出身なので、過去の沖縄に何があったのか、現状はどうなのかをある程度は知っているので、内容を理解するのは苦労しなかった。確かになまりがきつくて本土の人には分かりづらいとは思うが、分からなくても、ニュアンス、文脈的に理解はできると思う。事前知識がなくとも、冒頭で戦後、沖縄がアメリカ統治下になったなどは説明しているため、ある程度の一般的な教養があれば理解することは可能であると思う。
結末の感想としては、端的に言えば人探しなので、結末としてはあまりしっくりは来なかった気はするが、今の沖縄の現状と重なる部分があるのかなと感じた。考えさせられる部分があると思った。原作の方では、より詳しく、政治的な背景、歴史、人物描写がされているらしいので、ぜひ読んでみたい。
この原作を映画化する意味は、見て感じてもらうことにあるのかなと感じた。なので、3時間でおさめるのであれば、細かい説明は極力省き、みせることに重きを置いたのではないかと考えた。
あと、妻夫木さんの演技がとにかくこころがこもっていて、よかった。舞台挨拶や、テレビでの出演で語っているのを観ているのもあるが、ほんとに役に忠実に向き合っていて、とても好印象で好きになった。
沖縄人として、この映画を是非本土の人達に見てもらって、過去にこういうことがあって、さらに現状はどうなのかを知って、調べてほしいと思う。
左派だという人がいるが、実際に起きている事実であり、思想どうこうのことではないと思う。この事実に向き合う必要がある。(米軍基地をなくす、なくさないとかではなく。)
戦中そして米軍統治下における沖縄の痛ましさに憐憫する
米軍基地に忍び込み、日夜、彼らの倉庫から武器や生活必需品を盗み出す「戦果アギヤー」の面々が、ついに米軍から反撃を食らって敗走。首謀者・オンが行方不明になってしまい、彼の行方を探すため、主人公・グスクが奔走していく物語。
オンはなぜ失踪したままなのか? 生きているのか? 死んでいるのか? それとも何かの企みが…?
米軍統治下の中、住人との軋轢を抑えたい米国の思惑、本土復帰に向けて米国と事を構えたくない日本の思惑、しかし度重なる米軍側の不祥事の数々に、ついに暴動は勃発してしまい……。
戦後まもない沖縄を舞台に、実際に起きた米軍による事故・事件を点として置き、フィクションとなる物語をその上から線で描き出した本作。
いかに米軍統治下における沖縄は、日本国から切り離され、米国から主権を蔑ろにされた、屈辱にまみれた生活を強要されていたかが浮かび上がってくる。1972年の本土復帰後も、米軍基地負担は変わっていないので、彼らの憤りも改めて理解できるだろう。
しかし時代は進み、周辺国の力関係も大きく変動した昨今、痛ましい過去を受け止めたうえで、どういった未来を築いていくのが最良か。民主主義の脆さも鑑みて、現代政治の難しさを改めて痛感した。
今から鑑賞される方は、公式webの方言集の予習は必須。最低でもこれだけは知っておいて。
「戦果アギャー」米軍基地の倉庫から備品を盗む、ねずみ小僧的な一味
「オン」リーダー
「グスク」主人公
「ヤマコ」オンの恋人
「レイ」オンの弟
そして上映時間191分! めっちゃくちゃ長い…! 上映中にトイレに行く人、結構いました。
この映画こそが戦果アギヤーだ。
沖縄がアメリカの植民地だった時代。
アメリカの支配に立ち向かった伝説の「戦果アギヤー」の「オン」と、
その3人の後継者「グスク.ヤマコ.レイ」の物語。
3人には三様のスタイルが割り振られる。
主人公のグスクは、統治に従いながら立ち向かう「非暴力」。
ヤマコは、デモや政治で立ち向かう「非暴力」。
レイは、「武闘派」。
非暴力と暴力の間の葛藤は、
イギリスからインドを解放した、
ガンジー(非暴力)とバガト・シンやボース(武闘派)あたりでも、
そして、アメリカの黒人解放運動の、
キング牧師(非暴力)とマルコムX(武闘派)あたりでも起きた。
弱者が強者に立ち向かう時、
非暴力と暴力のさまざまなコンビネーションが現れる。
この映画は、見終わった後に謎の高揚感とハッピーエンド感があるが、
実際のところ、この映画にハッピーエンドの要素はない。
つまり、「失敗の物語」だ。だからモヤモヤする。
史実に準拠している以上、ハッピーエンドにはできない。
沖縄と日本の現実がハッピーエンドを許さない。
しかし、ハッピーエンドは我々に託されている。
この不完全な映画は、
我々が「回収」するための「伏線」として作られている。
「伏線」を「回収」し、この映画を完成させるのは「我々」だ。
謎の高揚感は、この映画が完成するはずの未来から「我々」に届けられたものだ。
だから、この映画の「伏線」を読み解いて「回収」の方法を考える。
つまり、この「失敗の物語」の失敗の原因と対策を考える。
(plan-A)
まず、失敗の根本的な原因と対策
※日本は、政治の中枢がアメリカに支配されていた。
この映画では、アメリカのダニのようなエージェントに、
「ダニー岸」という名前が与えられている。わかりやすい 。
安倍晋三の祖父の岸信介は、CIAのエージェントだったから、
「ダニー岸」の「岸」は、岸信介の「岸」を借用したものだ。
岸信介は、CIAに忠誠を誓うことで、
CIAに支えられ吉田茂らと自民党を作り首相になった男だ。
日本は、CIAのエージェントが首相になる国だった。
自民党は、いまだに日本を韓国系のカルトに委ねた分割統治にも、
中国との対立を煽ったアジアの分割統治にも加担し続けている。
最も根本的な失敗の原因がこれだ。
自民党には基地問題を解決する気はない。
我々は、まず自民党を日本から排除しなければならない。
※マスメディアはもちろん、ネットも支配されている。
アマゾンのインチキ外国商品を絶賛するレビュアーが、
インチキ外国メーカーに雇われたサクラであることは周知の事実だが、
「基地問題」の周辺にも雇われたサクラが放し飼いにされている。
日本人が米兵にレイプされて平気な「ニセ愛国者」がいたら、
それは雇われたサクラだ。
中国との対立を過剰に煽り、
アジアの分割統治に加担する「ニセ愛国者」がいたら、
それは雇われたサクラだ。
我々は、雇われたサクラを排除しなければならない。
次に、失敗の直接的な原因と対策
弱者が強者に立ち向かう時、非暴力と暴力のさまざまなコンビネーションが現れる。
宝島の、非暴力と暴力のコンビネーションは失敗した。
しかし、インドの、非暴力と暴力のコンビネーションは成功している。
アメリカの黒人解放運動の、非暴力と暴力のコンビネーションも成功している。
違いは明白だ。レイ(暴力)の有無しかない。
宝島の、米軍基地を震撼させるレベルの暴力はコザ暴動だけだった。
同じ植民地解放の物語の、インド映画「RRR」のレイは大活躍しているが、
「宝島」のレイは何もしていない。
レイが活躍する必要がある。
弱者が強者に立ち向かう時、
グスクが言うように、
「暴力」だけでは「暴力」で押しつぶされる。
その一方で、レイが言うように、
「非暴力」だけでは相手にされない。
だから、「暴力」と「非暴力」の「共存と分業」が必要になる。
これは、ホウキとチリトリの関係に似ている。
ホウキだけ持ってゴミを掃いてもゴミは片付かない。
チリトリだけ持って待っていてもゴミは片付かない。
ホウキでゴミを動かして、チリトリで回収して、初めてゴミは片付く。
つまり、まず「暴力」と「非暴力」を分離する。
そのうえで、「暴力」で脅して、「非暴力」で回収する。
これが、弱者が強者に勝つ方法だ。
ヤマコだけが、何十年「座り込み」を続けても、
県民投票で民意を明確にしても無力だった。
チリトリだけ持って待っていてもゴミは片付かない。
(plan-B)
plan-Aの「我々」は、ひとまず「我々」を「ウチナーンチュ又は日本人」に限定している。
plan-Bの「我々」は、「我々」を「アメリカ人を含む人類」に拡張する。
ちなみに、フランス語の「オン(on)」は、「我々」の意味を持つ。
映画は、まず「我々」を沖縄から日本に拡張するために作られた。
失敗の原因は、「我々」が沖縄に限定されていて無力だったからだ。
しかし、そこに留まっていては暴力を肯定することになる。
「我々」を全ての日本人に拡張し、
さらに「アメリカ人を含む人類」に拡張することが出来ればグスクの勝利だ。
映画だって人を感動させ動かすことが出来る。暴力が全てではない。
つまり、グスクもヤマコもレイもまだ失敗していない。
ハッピーエンドが託されているのは「ウチナーンチュ又は日本人」だけではない。
「アメリカ人を含む人類」にも託していい。
この映画の関係者は、この映画をアメリカで公開するつもりだと思う。
この映画は、アメリカ公開を想定して作られているように感じた。
アメリカ人にも配慮した物語になっている。
最初、アメリカへの配慮を、アメリカへの卑屈な忖度かと思っていたが、
「我々」を世界に拡張するためには必要な配慮だった。
アメリカを動かせれば基地問題は解決に動き出す。
グスクは、今度は全米キャラバンに出発するだろうと思う。
映画の力を侮ってはいけない。
これから少しずつ、三人が望んだ本当の物語が始まるに違いない。
エンディングのオンの言葉のとおりだ。
グスクもヤマコもレイもまだ失敗していない。
これからだ。
この映画こそが戦果アギヤーだ。
(知らんけど)
出演者の演技がどれも素晴らしい
自己満映画にすぎない
るろ剣、ミュージアムで信用度の高い大友監督が歴史的大作を作ったと言うことで鑑賞しに行ってきた。
戦後直近の実際にあった沖縄の話を小説で三部作のうちの一つが今回宝島として上映。
「戦果アギヤー」という窃盗行為を行っていた仲間の話。
戦後ということもありセンシティブな内容なので、あまり適切な言葉を使えないかもしれないので、以下読むのは自己判断でお願いします。
まず、時代物が好きであり、大友監督が手掛けた「るろうに剣心」シリーズは文句なしの出来で、何度も観たしBlu-rayも集めたほど好きな作品。
カメラワーク、音楽のタイミング、人間描写を上手く描いてくれていると言うところが好きで、監督の作品は何点か観ている。
実際にあった話、戦後ということで新しい学びができると言う期待も込めて鑑賞。
ただ、今回、激的につまらん。
いや、今回に限らず前作バタフライレジェンドも思い出したがつまらなかった。
監督が上手く描けるのはアクションなのかもしれないという気付きにもなった。
取り残された沖縄の住民たち、まだアメリカの支配下だった当時。同じ日本なのに本土に見捨てられ、多くの人が苦しんだ、戦ったと言うのは知らなかったし、映画を通して学んだ。そんなたくさん関わった人たちがいる中で「つまらない」というのは自分でもどうかと思う。最低だとも言える。
自分が戦争を経験していなくて教科書だけの浅い学びなのも十分理解している。
ただ私が言いたいのは映画としてつまらないということ。
今年上映で同じ3時間映画の「国宝」は製作費12億に対し、本作は25億。
いや、、、どこに金かけたん…って思えるほど。
やりたいことを詰め込みすぎて、まとめられず「え、結局なにがやりたかったの」と何度かツッコミするシーン多々。CGも雑で醒める。
事実という題材があるのに中途半端すぎて、一番伝えたいことが何なのかわからない。
むしろ、必要で掘ってほしいパートが少なく、不要なパートが長すぎて眠気との戦いにもなる。
各キャラの心情も掘らず察してねというところが多すぎて、何にも浸れなかったのが、つまらなくさせた原因だと思う。
そして、回想シーン。どう頑張ってもネタバレになるので伏せておくが、最悪すぎる。
あとは、どうしても方言が伝わらなさすぎて、声を張らないセリフでは何を言ってるのかわからず。結局何だったのというシーンや、暗闇から明るい場面に出てきた主役以外のキャラクターに「誰」となってしまった。
そのため大まかに、こんなことが起きていたんだという事実を知り、観終わってから気になってる場所を自分で調べて深追いするという状況になってしまった。興味を持って調べるというより、理解するために調べるという感じ。
良かった点は、時代の変化で身だしなみが変わっていくところや、キャストの表情。方言に関しては分からないので評価はできず。
あとは、心情を魅せるカット割と絶妙なタイミングで流れる楽曲がよかった。
何となく、るろ剣ぽいなと思って調べてみたらビンゴ。結構、大友啓史×佐藤直紀でタッグを組んでるみたい。
また、窪田正孝の演技が狂気滲み出ていて、とても良かった。
今回は歴史の話であるが、現代社会にも言えることであり、私たちが日本で生きていくためには声上げる、立ち上がるというのは大切だという気付きにもなった。
総じて沖縄の歴史を描き、世に知らせるということは、とてもよかったが、映画としてはワーストすぎる作品であり、製作者サイドの自己満映画とも言える作品であった。
ずっと心に残ってる
重い物語を引っ張れない主人公の刑事
原作未読ですが、前提条件として沖縄島民が終戦から1972までアメリカのGHQ統治下にあり、沖縄が日本に返還された後も米軍基地問題など複雑な状況下で苦難の道を歩んできたのは史実としてざっくり理解しておりました。
今作は、その沖縄において戦後の混迷収まらない時期に米軍基地に忍び込み、物資を盗み出して沖縄の一部地域の住民に安価で売ったり分け与えたりする「義賊みたいな窃盗団」のお話が軸になり、ストーリーが展開していきます。
「窃盗団の名前」は何度か聞いたのですが、沖縄の方言が混ざってるようではっきりと名称として認知できませんでした。それも含めて物語の序盤は方言混じりの荒々しい会話がさらに雑音に紛れていることもあり聞き取りづらく、日本語字幕が必要かなとも思いましたね。
窃盗団のリーダーのオンはその所業の善悪はひとまず置いておいて(笑)、明朗快活な性格でリーダーシップをとりその後の活躍が期待されます。しかし米軍基地からの窃盗に失敗した日を境に消息不明になります。それを窃盗団の仲間でありオンを慕っていたグスクが、刑事になってまで彼を探す・・・というのがメインストーリーとなります。
前置きが長くなりましたが、結論から言いますとこのメインストリーにおける主人公グスクの行動やら態度やらが終始不快で、それをダラダラ3時間以上見せられて彼に対してヘイトが溜まってしまいました、というのが正直な感想です。
あの状況下でアメリカ憎しは仕方ないにせよ、自身の協力者に対しても感情的に敵とみなしたら最後、終始不貞腐れたような不遜な態度をとり、上から目線で捲し立てるのを見せられるのが本当に不快でした。しかも、身内に対しては手のひら返した様に甘々で、ニッコニコ!おそらく〇〇事件?でさえお目溢しする始末・・・素晴らしい正義の刑事さんだこと(笑)。
人によって態度をコロコロ変える人間は信用出来ない・・・というのは人生訓としても確かなところですが、これが主人公ではこんな重い背景の物語は引っ張れないな、と思ったら想像通りでした。
なおグスクを演じた妻夫木聡さんは役作りとしてはよく頑張ったと思います。つまりそれ以前の問題かと。
では。
戦後の沖縄の若い人 苦悩が伝わる映画 観なければ!
作り手目線過ぎて、観客は取り残されている
本来伝えたかったであろう、沖縄に関係するメッセージについては尊重も共感もしますが、残念ながらこの映画作品からはほとんど伝わってこなかったです。主役?のオンを探し求めるお話しに変わってしまってはいないでしょうか。
また、オンは英雄的存在という設定のようですが、映画中ではなるほどと思えるほどの描写はなかったように思います。そのため、英雄的どころか単なる悪人のようにも見えてしまいました。
あまり魅力を感じられないオンをなぜそれほどまで皆が慕うのか、観客の立場では良くわからないまま終わってしまいました。さらには、作品のかなりの時間を占める、戦闘・暴動シーンも説明不足で、誰に対して何のために争っているのかよくわからなく、作品に惹かれる要素が乏しくなってしまったように思います。
上映中、途中退場しようかと何度か思ってしまったので、申し訳ありませんが低めの評価にさせていただきます。自分には合わない作品でした。
原作小説を読了し満足でき、さらに映画でも見てみたいと思われた方向けの作品なのかもしれません。
敗戦から80年、未だ状況は変わらず
金曜日の19:35の回で鑑賞
この映画館の最も大きなスクリーンで期待の度合いが伺えるが、観客は20人程
原作は主人公が尋問を受ける辺りまで読んでいる。
俳優陣は名実ともに実力派揃い、映像は戦後の混沌とした沖縄を存分に表現、音楽は龍馬伝やるろうに剣心を担当した佐藤直樹節が全開。
世界観やスケール感がどこまで表現できるのかと思っていたが、大成功だと感じた。大友監督会心の作品で文句なしの5つ星。
ただ物語のテーマは重い。大和人が見たくないうちなんちゅの苦しみがしっかりと描かれていて、国宝のように口コミでどんどん観客が増える作品ではないだろう。
未来に期待を繋ぐ形で締めくくられているが、未だ沖縄の基地は減るどころか増えており、国としてもアメリカに首根っこを掴まれて主権回復には程遠い信託統治状態である。
日本人として思考停止に陥らずきちんと向き合い、解決出来るよう行動に繋げたい。その一歩として一人でも多くの人に鑑賞を薦めたい作品である。
映画館でなくてもいい作品
豪華俳優陣、妻夫木くんの全国キャラバンと何かと気になったので観てきました。
沖縄に8年住んでいたので、妻夫木くんの沖縄訛り、イントネーションには感服しました。
何言ってるかわからないほどの日本語はないので
字幕なくても聞き取れます。方言というよりなまりなのでわかると思います。
三時間、ほんとにずっと暗いし重い。
それが沖縄の歴史ではあるんですが。
ひめゆりはよく聞きますがコザや嘉手納のことはあまり知られていないかもしれない。
身内を殺し合う集団自決も知られてないかもしれない。沖縄の米国に支配されている当時の行き場のない理不尽な思いは相当なものだったと理解できます。うちなんちゅが本土の人、ないちゃーと区別することはこの頃のソレがあるのかもしれないと考えさせられました。
俳優陣はほんとに素晴らしい演技。
広瀬すずってあんなにシリアスな演技もできるんですね。見入ってしまいました。
永山瑛太の守りたいという強さと優しさの表現も引き込まれました。
窪田正孝もすごい、狂気に満ちた顔つきや人を殺るときの冷たさ、命の尊さに気がついた時、まだオンちゃんがいた頃の子どもらしさ、しっかり演じ分けていた。
妻夫木聡は…イントネーション含めて最高でしたね。間の開け方、表情、涙、どれも自然なんだよな。
国宝と比べられがちだけど、比べるところが違うんですよね。観て圧倒されたのは圧倒的に国宝。
でも事実を基にして書かれた宝島の映画化なので沖縄を知るきっかけには絶対になる。
でも暗い、とにかく暗い。
感動度は低め。音楽も暗い。長い。
クビ用枕持参して腰と首はマシでしたが
映画館で観なくてもサブスクで十分だと思います。迫力あるシーンもありますが映画館で観なくても全然いい。
音も静かなので聞き取りにくいなら尚のこと、サブスクでいい。
お客さんは今日上映2時間前までわたし1人でしたが最終、15人くらいでした。
このままだと早期に終了しそう。
沖縄の歴史
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