「フィクションか、ノンフィクションか。」宝島 あんのういもさんの映画レビュー(感想・評価)
フィクションか、ノンフィクションか。
今まで戦後史といえば、焼け野原からの復興や、東京オリンピック、大阪万博といった輝かしい歴史の数々に光が当てられてきた。しかし、この映画は同時期の沖縄県を舞台にしている。沖縄の歴史といえば、戦時中の投降拒否による身投げや、白百合学徒といった非常に悲惨な記録を目にすることはあるが、戦争が終わってからの記録を目にする機会はなかなかない。そんな未知の戦後沖縄を知るための第一歩として、この映画を観る価値がある。観なければならない。この映画はノンフィクションではない。かと言ってフィクションとも言い切れない。映画の中で描かれた数々の事件や事故は実際に当時の沖縄で起きたことである。映画の中で描かれた様々な人々は、確かに登場人物としてはフィクションかもしれないが、間違いなく、当時こういった人々はそこに生きていた。このような歴史を我々は直視しなければならない。また、そこに至った沖縄の歴史を直視しなければならない。
沖縄県はかつて「琉球王国」と呼ばれる独立した国で、中国や日本、東南アジアと貿易をすることで繁栄を遂げた。しかし1609年に薩摩藩が攻め、支配されるようになった。表向きは琉球王国として残されたが、実際には日本の管理下に置かれた。そして明治時代になると、日本政府は国を一つにまとめるために、1879年に琉球王国を正式に廃止して「沖縄県」とした。その後日本は清や朝鮮を攻め、支配することで欧米列強と肩を並べる。しかし太平洋戦争で1945年に日本は連合国軍に降伏し終戦。終戦から7年後の1952年に主権を回復した。沖縄が本土復帰を果たしたのは終戦から27年後の1972年。
では、沖縄にとって最も幸せな道はどのような道だったのか。沖縄は日本に振り回されたといっても過言ではない。しかし日本が支配しなければ他の国や欧米列強に支配されていた。確かに日本は他国を攻め、支配してきた。今の感覚で考えれば到底許されるものではない。しかし歴史を考える上で、当時の情勢と常識を加味することを忘れてはならない。もし仮に、日本がどこの国も支配せずにお山の大将だったとしたら、アジア全体が欧米列強に支配されることは免れなかっただろう。支配せざるを得なかったのだろう。では戦中、戦後の沖縄はどうだろうか。前述したように戦中の沖縄は「捨て石」と呼ばれ、悲惨という言葉で言い表せないほどに悲惨なものだった。戦後もアメリカ軍が今現在に至るまで常に駐留しており、他の都道府県と比べても間違いなく負担が大きい。
ここまで沖縄を中心とした歴史について書いたが、話を映画に戻す。この映画には、戦後の沖縄がどう復興し、発展していったのか。なぜ本土復帰を目指し、米軍を沖縄から追い出そうとしていたのか。ということがよく描かれている。実はこの文章には矛盾がある。この矛盾が、この映画を観たことによって私が「幸せ」について考えるきっかけとなった。
戦後の沖縄、否、日本が復興を遂げられたのには間違いなくアメリカ政府や米軍が深く関わっている。これが復興することができた理由の一つだ。そして沖縄には米軍が駐留し、街に出ていた。これが発展した理由の一つだ。ではなぜ、本土復帰を目指したのか。米軍を沖縄から追い出そうとしたのか。それは米軍や米兵による数々の事件、事故が原因となっている。この映画には、その時代に沖縄で生きていた多種多様な人々の生活が鮮明に描かれている。そこには、米兵に体を売ってお金を稼いで良い思いをしていた人。米兵に酷いことをされて殺されてしまった人。米軍や米兵の事故で死んでしまった人。そして、それらの事件を捜査するも、MPに介入され逮捕できずにいる警察やそれに不満を持つ人々。人の数だけ考えや思想がある。この「人」の単位で幸せについて考えるまた見え方が大きく変化する。では結局、人の幸せとはなんなのか。それは、「今、そこに生きている人が幸せかどうか」が最も大切なことである。確かに戦争からの復興、経済発展を遂げられたのはアメリカ政府や米軍のおかげだったかもしれないが、そのせいで自分たちの暮らしが脅かされては元も子もない。国単位で見るか、人単位で見るかということである。私が矛盾に感じていた理由がそれである。国の視点と人の視点を持ち合わせていなかった私に、新たな視点をもたらしてくれた。そして何より、沖縄が大変な思いをして1番良い思いをするのは米軍ではなく日本本土である。そのことを、決して忘れてはならない。
エンドロールで、実際に撮られた、当時の沖縄の写真が流れる。果たして、フィクションなのか。ノンフィクションなのか。
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