劇場公開日 2025年9月19日

「岩国でのFCLP, NLP にダブル」宝島 アツサミーさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0 岩国でのFCLP, NLP にダブル

2025年9月30日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

 沖縄には4度行った。最初は仕事に就く前、沖縄戦について知る必要があると思い「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」を読み訪れた。沖縄戦の終盤、人々も日本軍も南部へと逃れて行く。80年代半ばはまだ、その本の通りにその道を辿ることが出来た。本にあるガマにも入ったら、お供え物がしてあった。
 2度目は学年旅行で純粋に観光目的で、3度目は普天間基地、オスプレイ、嘉数高台公園、辺野古、キャンプ・シュワブ、沖縄国際大学等を意図的に見て回った。4度目は対馬丸記念館と、渡嘉敷島(A中の時、沖縄から友利先生一行がコミスク視察に来られた。その友利先生に集団自決のサバイバーの方を紹介してもらい、その人に当時の状況を聴くために行った。)47都道府県の中では明確な目的意識を持って訪れた県の一つだと思う。それは沖縄に対して私の中にある種の後ろめたさがあるからだ。

 大概の沖縄の人は「ウチナーンチュ」と「ヤマトンチュ」を区別する。そういう見えない壁がある。沖縄の事を知れば知るほどその壁は当然だよなと思える。
 沖縄県は全国1位の出生率で、全国最下位の所得水準だ。「貧しさ」と「子沢山」は相関する。それは地理的な制約に加えて、歴史的、社会構造的な要因に帰する。この映画はその苦悩を描こうとした、それは間違いない。以下、映画を見た感想。

・冗長過ぎる。編集で削れなかったのだろう。それは分かるけど191分をもろに感じさせた。
・しかし私がまだ知らなかった事も沢山出ていた。例えば「戦果アギャー」「悪石島の密貿易ルート」「知花弾薬庫のVXガス」

 で、結局何が言いたかったんだろ?
・コザ暴動へと至る過程、1972年の本土復帰前までの沖縄が置かれた状況をウチナーンチュの視点から丁寧に描いている。
・沖縄が置かれた状況、それは現在まで続くものだと思うが、「なぜ沖縄はいつも他国や本土に虐げられ第二国民扱いされるのか?」それは、次の様なヒエラルキー、階層構造があるから。トップアメリカ政府、次にアメリカ軍、日本政府、本土からの利益を得る沖縄の上層民、沖縄の一般人、沖縄本島の周辺部の島人、そして歴史の常として「分割統治」され、団結を防ぐために住民、国民同士を敵対させるから。
・例えば本土復帰運動が盛り上がる中でも、グスクが入ったスナックには「本土復帰反対」のスローガンが置いてあった。米兵の落とす金で生きる彼女にとって、それは生活の糧だ。日本政府?のエージェント下にあつた雇われボスが「こんな恵まれた信託統治領は世界中どこにもないぞ」と言うセリフ。
・武器を持つことの優位性、必要性Vs "友だち"を信じる、人との約束を守り信じる事で構築される平和の姿。
・米兵とのハーフの子どもでオンに育てられ死ぬ間際にそのオンの白骨体の場に3人を連れて行くレイは「命どぅ宝」の象徴のはずだ。それがタイトル「宝島」の由来でもある。しかしそのレイは米兵の銃弾を受けそこで死ぬ。

 私がこの最後の場面で思った事は、あの時代、レイの様な存在、それは刑事になったグスクもそう、そのカウンターパートのアメリカ人もそう。沖縄が「宝島」として生きて行く道は、二重属国で、中途半端なマージナリティ(Marginality)にあるんだと。そういうニッチな立ち位置こそ、これからの宝島なんだと、伝えたかったのではないか。

アツサミー
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