「妥協しない作り込み」宝島 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
妥協しない作り込み
かなりこちらの理解力を問われる作品だと思う。
作品中のセリフは沖縄語を中心としているのでなかなか聞き取りづらい。
わかりやすくするのは簡単だ。
会話時に字幕なり、見やすいように現代語として作ることはできたはず。
しかし、監督側は分かりやすくしようと思えばできたはずなのに、あえてそれをしなかったように感じた。
それは、沖縄の人の苦しみや寄り添う気持ちを感じるためにも曲げなかったのだろうと思うし、妥協しないこだわりを感じて興味深かった。
正直会話のほとんどは聞き取れず、意味などを100%は理解できなかった。
登場人物たちが会話している場面から想像して「これってこういう事を言っているのかな?」と推察することを求められる作品なので、かなり人を選ぶと思う。
なので、ただ話を聞いていれば理解できる作品ではなく、こちらが前のめりになって聞くことを求められる能動的な作品になっている。
会話をボーっと聞いていれば、それは本土の人間に対して言っていた「無関心」なのだろう。
こちらの集中力が問われるのは、当時の沖縄の現状をこちらが「知ろうとする」能力を問うているのかな、と勝手ながら思った。
序盤で戦果あぎやーが物資を強奪し、貧しい民に分け与えるところは、戦後の時代なのに彼らの衣装が江戸時代の町民が来ていた服装に見えた。
それがなんとも不思議な感覚を覚え、興味深い。
あぎやーたちが物資を奪って、貧しい市民とみんなで分けるという行為が、昔ながらの日本のイメージである助け合いがあったんじゃないかと思ってしまう。
それが年数が経つにつれ人の生活が変わっていくと、だんだんとお互いが疎遠になっていくところが微妙に描かれていてドライになっていくところが物悲しい。
上映時間が3時間以上あるし、体感的にもそれ以上に感じた。
それは原作が長編だから作品時間も長くなったとは思うのだけれど、その長尺が当時の沖縄の人たちの忍耐性を表したかったのかなと思う。
ひな様、こちらこそ共感とフォローありがとうございます!
お褒めのお言葉ありがとうございます!
この作品は演者の皆さんが流暢な沖縄語を駆使しているのを見て、ある種の執念のようなものを感じました。
と同時に、根底にあるのは「沖縄の人たちの怒り」の大きさを考えたのかな、と思ったんですよね。
怒りって我を忘れて、冷静ではいられなくなってしまうので、そのスピード感が出ているように思いました。
多分制作時には、この流れだとわかりにくいだろうと当然考えたと思います。それでも貫き通したのは、そういう理由だったんじゃないかな、と推察しました。
ひな様のおっしゃる通り、長尺や方言は私たちと沖縄側との、それだけ心の距離感が離れていることを示唆しているのもあると思います。
本作は我慢に我慢を重ねて、暴力や理不尽な事件をこれでもかと緻密に長時間紡いでいったのも、監督が狙ったように思うんですよね。
戦果アギヤーの裸足については今気づきました!俳優さんたちは肉色の足袋を履いていたんですね!教えていただきありがとうございます!
マルホランドさま、初めまして。
共感とフォロバ、ありがとうございます🙂
ここまで260件のレビューを読み続けて、ようやく腑に落ちて深く納得できるレビューに出会えました。
レビューでの低評価が散見される沖縄の方言や長尺は、ウチナンチュとヤマトンチュ=沖縄と私達の間にある、いつまでも超えられない“フェンス”なのかな、と考えながら観ていました。
日本本土にとっての沖縄の「空白の時代」と、その空白に確かに存在した沖縄の人達の心を、映画化した姿勢を評価したいと思って★5つを付けました。
戦果アギャーの服装は、足元が裸足なので気になりました。
貧しさのため、洋装で靴を履けるようになったのは60年代になってから、俳優さん達は同じ衣装を着続けて、肉色の足袋を履いて演技していたと知りました🤔
この映画の熱気は、生の人間だからこそ表現できるものを感じましたね。
沖縄の人の苦しみも描きつつ、アメリカ側にも組織の中でもがき苦しむ人も描いていたのが良かったです。
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