「戦後沖縄を物語る意義と違和感」宝島 nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後沖縄を物語る意義と違和感
まず強く感じたのは、この作品が戦後から沖縄本土復帰までの27年という、あまり共有されていない時間を真正面から描いたことの意義だ。
沖縄戦の悲惨さは、さまざまな映像や物語でかなり共有されていると思う。しかし、その後の復帰までの長い年月、沖縄の人々が米軍統治のもとで、戦後の日本憲法で規定された基本的人権の外に置かれ、無国籍者のように生きざるを得なかった事実は、あまり共有されていないのではないだろうか。
本作はその時代の出来事を史実に基づいて、エンターテイメント作品として描き出した。そこ大きな価値がある作品だと思う。
ただ僕自身はどうしても冷めてしまう部分があった。大きな理由は、この映画のリアリティラインににある気がする。史実をベースにしているから、僕は現実に近い人間の息遣いを期待していた。
ところが実際には、キャラクターとエピソードが象徴的に配置され、役者は物語の段取りどおりに感情を爆発させる。そこに見えるのは現実の人間ではなく、物語の装置としての記号だった。
リアリティラインが僕の期待よりもずっとエンタメ寄りに引かれていた(事実に基づいたエンタメという意味では「Always3丁目の夕日」とか「ゴールデンカムイ」とかに近い)ことが、感情を冷ます原因になったのだと思う。もちろんこれは個人的な勝手な期待とのずれに過ぎないのだけれど。
物語の中心であり、序盤で姿を消し伝説的な人物となるオンを中心に物語が進行する構図は、寓話としては理解できる。
けれど僕には、オンに心を寄せ続ける仲間たちになんとなく納得できなかった。役者の演技も記号的に見えてしまい、広瀬すずや妻夫木聡は「ここで泣く」「ここで叫ぶ」と段取りを踏まされているようで、役者陣が熱演すればするほど、こちらの感情は冷めていった。その中では窪田正孝演じるレイは無表情の抑制が逆に迫力を生んでいて、冷たい怒りを抱え込む姿にだけリアリティを感じた。
終盤のクライマックスでのレイとグスクの対立も同じだ。レイがさまざまに踏みにじられた怒りからテロに傾くのは説得力がある。だが、妻夫木演じるグスクが急に戦後民主主義的な理想を語り出すのは、そこまでの流れから見ても不自然に感じた。物語の段取りとして、論点整理をしているように感じてしまった。
ただし、この映画で描かれた現実の中でも、沖縄の人々がテロに走らず、コザ騒動にとどめたことのほうにこそ、沖縄が誇るべき倫理があるとも感じさせられた。
結局、この映画を観て僕は二重の感情を抱いた。沖縄の戦後を物語として可視化した、という意義を大いに評価したい。
だがもう一方では、象徴的にエンターテイメント作品として描かれたことで、その苦しさのリアリティは消費されてしまったように感じた。
意義と違和感の両方の間で、葛藤しながらの鑑賞となった。
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