「沖縄の戦後史の一端は示していた・・・」宝島 コショワイさんの映画レビュー(感想・評価)
沖縄の戦後史の一端は示していた・・・
1 沖縄の苦闘の史実を背景に、強い結び付きでそれぞれの戦後を生きてきた若者たちを描く。
2 直木賞を受賞した当時、原作を読んでいたが内容は忘れていた。ただ、アギヤーというかっぱらいを意味する独特の言葉は覚えていた。その後、佐野眞一の沖縄の戦後を巡るノンフ
ィクションを読んで、沖縄人のおかれていた境遇はある程度は理解した。そのうえで見に行った。
3 本作のさわりは次の如し。 1952年、沖縄の若者たちが米軍基地にアギヤ-を行い、逃走する場面から始まる。リーダー(おんちゃん)が永山、その弟(れい)が窪田、サブリーダー(グスク)が妻夫木。待ち人顔のやまこ(広瀬すず)が主たるメンバー。武器弾薬も盗んだ彼らを米軍が追い詰め、リーダーは行方不明となった。1958年、アメリカの信託統治下において、妻夫木は地元警察で刑事となり、米兵による夥しい性犯罪などを捜査していた。その一方で、おんちゃんの行方を探していた。それは、窪田も同様であった。この探索行はその後も続き、妻夫木は職務で得た信頼を下に密かに米軍内部の情報を探り、窪田はアウトローに身を落としながら暴力で情報を得ようとした。1970年に沖縄人の米への恨みがコザ暴動となった。そしてあの日の真実とその後が明らかとなった。
4 本作では、戦後の沖縄が晒された苦闘の歴史を縦軸に、仲間であったおんちゃんの行方探しを横軸に話が展開した。感じたのは、①沖縄の虐げられてきた戦後を手加減なく描いていた、それは良かった。その一方②妻夫木やれいたちが神格化したおんちゃんの行方探しを長年続けるほどの根拠は何だったのか?映画の描写だけでは理解できなかった。おんちゃんの関係はある種小説世界のファンタジー。映像でリアルな戦後史を描きながらファンタジーも描くのは無理筋。③コザ暴動下において窪田が取った冗談なような反米活動とそれに対する米側の浪花節的な対応の不可解さ、④おんちゃんが失踪したあの日にあった出来事の驚きとともにその後の呆気なさ。力作ではあったが、尺が長いだけで良作とは言えなかった。
5俳優たちの沖縄言葉が下手だった。
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