「【”命どぅ宝。故に、なんくるないさあ、何て言ってられるか!”今作は太平洋戦争末期から現代まで、米軍及びやまとんちゅうに理不尽な行いをされ続ける沖縄の民の悲しみと怒りと命が炸裂する作品である。】」宝島 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”命どぅ宝。故に、なんくるないさあ、何て言ってられるか!”今作は太平洋戦争末期から現代まで、米軍及びやまとんちゅうに理不尽な行いをされ続ける沖縄の民の悲しみと怒りと命が炸裂する作品である。】
ー ”命どぅ宝” 沖縄で今でも頻繁に使われる言葉である。大和言葉で言えば、”命こそ宝”と言う意味であろう。今作を観ていて思い出した言葉である。-
■1952年の或る夜。困窮する沖縄の民に、米軍倉庫から物資を盗み分け与える”戦果アギヤー”のリーダーのオン(永山瑛太)、グスク(妻夫木聡)、オンの弟レイ(窪田正孝)はいつもように、嘉手納基地に忍び込むが米軍に見つかりオンが行方不明になる。
その事件の後に、グスクは刑事に、レイはやくざに、オンの恋人ヤマコ(広瀬すず)は小学校の教師になる。三人はリーダーを失った後に、沖縄の米国統治と基地問題に対し異なる接し方をして行くのである。
◆感想
・冒頭、グスクにより語られるが、大日本帝国は敗戦濃厚な中、米軍との本土決戦を避けようと戦場を沖縄にした。結果として沖縄の民の4人に1人が戦死したのである。
劇中、グスクたちがしゃれこうべを売ろうとした、多くの日本人女性を殺害した男の捜査でガマを訪れるシーンがあるが、沖縄戦末期には民間人の多くはガマ(洞窟)に隠れたが、米軍の火炎放射や、場合によっては赤子の泣き声で敵に見つかると言って自分達を守る筈の日本軍に殺された方も多いという記録を映画(「沖縄スパイ戦史」「生きろ 島田叡」etc.)や数冊の書物で読んだ事がある。
・今作中で、ヤマコが新任教師として赴任した小学校に米軍機が墜落するシーンがあるが、これは今でも同じである。
オスプレイという防衛省がアメリカに忖度して一機100億円で購入したアメリカ製の欠陥機が何度墜落した事か。けれども日本政府は米国に忖度し、”遺憾である。”と言う声明を発表するだけである。全く、何をやってんだか。
序に言えば、基地の傍に宿を取ると、夜間でもバンバン飛んでくる軍用機の轟音の煩い事と言ったら。現地に住む方々はあの音を昼夜聴いているのである。
だが、日本政府は沖縄の米軍基地撤廃に本腰を入れない。
ある政治家が且つて”基地がいざという時に、沖縄を守る。”と言った事があるが、馬鹿じゃなかろうかと思ったモノである。戦時に何処が敵に狙われるかと言えば、基地に決まってるだろうが。
・米国が沖縄の基地を手放さないのは今作でも描かれているように、ベトナム戦争時に活用した事と、描かれないが朝鮮戦争時にも重要な役割を果たしたからである。
現代で言えば、小太りとっちゃんが支配する国や、プーさんが統べる国へも射程距離だからである。
■今作では、グスクは刑事になり米軍諜報部と通じて、オンの行方を探し、ヤマコはデモ隊として米軍基地反対や本土返還を訴え、レイは暴力的に沖縄問題に対峙していく。その三者三様の戦後の沖縄問題に取り組む姿の描き方が、観ていて心に響くし、沖縄の民の長年に亘るアメリカ軍と大和民族(やまとんちゅう)への怒りや悲しみが伝わってくるのである。
それが、最も迫力を持って描かれるのが、米軍兵士の犯罪が見逃される事に対し、沖縄の民の怒りが炸裂したコザ暴動のシーンである。
・グスクとレイとヤマコが、オンの骨を偶然見つけるシーンは印象的である。オンは嘉手納基地から逃げる時に、米軍将校の子供を宿した女が産み落とした赤子(ウタ:栄莉弥)の命を助け、彼を育て、共に暮らし死んでいったのである。
そして、オンが命懸けで助けたウタは、撃たれた事でオンの遺骨の前で、命を落とすのである。
故に、オンの葬式のシーンでの、グスクとレイとヤマコの空虚な表情が、何とも言えない余韻が残るのである。特にレイが一人で海を見ている姿・・。
<今作は太平洋戦争末期から現代まで、米軍及びやまとんちゅうに理不尽な行いをされ続ける沖縄の民の悲しみと怒りと命が炸裂する作品なのである。
そして、本土復帰後53年が経つ現在、沖縄はオンやグスクやレイが望んだ”宝島”になったのかを、苦い気持ちで考えた映画でもあるのである。>
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