宝島のレビュー・感想・評価
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「ナンクルない」では終われない―突きつけられる沖縄の現実
映画「宝島」は、真藤順丈の小説『宝島』を原作としています。この小説は第160回直木賞を受賞しており、沖縄戦後の混沌とした時代を背景に、若者たちの成長と葛藤を描いています。
1952年、米軍統治下の沖縄。物資を奪って困窮する住民に分け与える「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいました。グスク、ヤマコ、レイの幼なじみ3人は、英雄的存在のリーダー・オンと共に活動していましたが、ある夜の襲撃でオンが“予定外の戦果”を手に入れたまま消息を絶ちます。残された3人は、それぞれの道を歩みながら、オンの行方を追うことになります。
当初は沖縄本土復帰50周年の公開を目指していましたが、コロナ禍による二度の延期を経て、6年がかりでようやく完成しました。総制作費は25億円に膨れ上がったそうです。大友啓史監督ならではの映像美は見どころで、米軍統治下の沖縄の空気をリアルに感じることができます。
上映時間は191分。3時間を超えますが、不思議と冗長さはなく、むしろ物語を描き切るために必要な尺だと感じました。
今をときめく日本映画界の豪華キャストも圧巻です。窪田正孝さんの放つ狂気には目が離せません。ヒロインの広瀬すずさんは、正義感と澄んだ瞳で観客を惹き込み、息をのませます。主演の妻夫木聡さんは、クライマックスでの叫びや、緊迫感あふれるレイとのやりとりに胸を打たれます。そして永山瑛太さんの存在感も忘れてはいけません。誰もが熱演し、作品全体に重厚さを与えていました。
映画「宝島」で描かれているのは、遠い過去の話ではありません。ほんの半世紀前、この国のすぐ隣の小さな島で起きていた現実です。戦後、日本(本土)は東京オリンピック(1964年)や日本万国博覧会(1970年)など高度経済成長に沸きましたが、その陰で沖縄が辿った苦難の歴史をここまで詳しく描いた作品は、これまでになかったかもしれません。
「知らないことは罪深い」
映画を観終えたあと、そう感じる人は多いでしょう。
私もその一人です。知っているつもりで実は知らなかった大切な事実を突きつけられ、胸の奥がざわつきました。それは、語りたかったけれど語れなかった沖縄の人々の心の声を、少しだけ代弁しているように感じられます。熱く、鋭く、ときに優しく、ときに苦しく――その声は私たちの胸に突き刺さります。
そして、その苦悩は「現在」にもなお続いています。歴史の「声なき声」に耳を澄ませるよう、映画は静かに問いかけてくれます。
私たちが知る沖縄は、多くの場合「観光地としての沖縄」です。ソーキそばやゴーヤチャンプルといった食文化、年中温暖な気候、「ナンクルナイサ〜」と踊り明かす陽気な県民性。どこか気ままで陽気な人たちだと、勝手に思い込んでいました。
作中でもその陽気さは描かれています。戦禍の中でも踊りをやめない人々。独特の沖縄弁は、最初は耳に馴染みにくいですが、30分もすると自然と心地よく響きます。長尺だからこそ、この言葉のリズムや響きが当時の世界観を体現する大事な演出になっていました。
観終えて感じる県民性は、観る前より少し哀愁を帯びて映ります。
クライマックスでグスクが叫んだ言葉がすべてを物語っています。
「なんくるないで済むか!!」
「ナンクルならんぞーーー!」
怒りや葛藤を抱えながらも、それでも米国と共存し、生き抜くしかなかった当時の沖縄。そのやるせなさを、この「ナンクルナイサ(なんとかなるさ)」という言葉は含んでいるように思えました。
時は2025年、大阪万国博覧会。
日本は平和に見えますが、平和ボケしている暇はありません。米軍基地の割合は本土返還当時より増えており、日本や東南アジアの防衛のため、沖縄の米軍基地が抑止力として不可欠になっている現実からも目を背けてはいけません。沖縄だけを国際政治の犠牲者にしてはいけないと強く思います。
戦争を知らない若い世代にこそ、ぜひ観てほしい作品です。歴史を知るための重要な映画であり、未来に向けた沖縄からのメッセージでもあります。
本土とは全く違う「戦後」の風景に脚光を当てる
沖縄の歴史を知るという視点、映画としての娯楽性という視点、個人的にはそれぞれの尺度での評価にギャップが生じた作品だった。
1972年以前の、アメリカの施政下にあった頃の沖縄の姿をここまでクローズアップした作品には多分初めて触れた。本土復帰という出来事を知識として知ってはいても、何故沖縄の人々がそれを求め、どのようにしてそこに至ったのかをここまで踏み込んで想像したことはなかったと、本作を観た後振り返って思う。
今年を戦後80年とマスコミは呼ぶが、沖縄にとっての戦後は1972年5月15日以降、しかもそれ以降もアメリカ軍は駐留したままだから手放しで喜べない戦後なのかもしれない。
本作ではいくつかの史実(厳密にはそれを元にしたエピソード)が描写される。宮森小学校米軍機墜落事故、糸満轢殺事件、毒ガス漏洩事件。沖縄の人々の怒りの発露とも言えるコザ暴動に至るまで、どんな理不尽が積み上がってきたかがよくわかる。
一方、沖縄の人々の生活の経済面は軍人軍属相手の商売に支えられており、問題の根の深さや解決の難しさを思わせる。
少し調べればそういった出来事や当時の社会構造は知識としては知ることができるが、本当に理解する必要があるのはその時そこにいた人々、直接影響を受けた人々の感情だ。物語はそこに思いを馳せる手助けをしてくれる。そういう意味で有意義な作品だと思う。
それだけに、エンターテインメント性という観点で見ると若干空回り感というか、もやっとしたものが残る感じなのが惜しかった。
要所要所ではいいと思える部分もあった。まず、主要キャストの演技は素晴らしかった。個人的には窪田正孝の危なっかしさ、奥野瑛太の振り切った今際の際、チラ見せなのに存在感あるピエール瀧が特によかった。コザ暴動の映像には迫力があった。
原作の主要キャラにまつわるエピソードや登場人物が結構削られていたが、それは原作付き映画の宿命のようなものだし、悪いことばかりだとも思わない。特に今回の原作小説は、語り部(ユンター)の口述という体裁を取っているせいかもしれないが、話が右往左往して一直線に進まないので、映画の枠に合うよう削ることで話の筋を追いやすくなった気もする。
ただ細部については、説明が足りないのではと思う場面がぽつぽつとあった。原作の情報からいくつか補足する。
グスクが洞窟(ガマ)に入った時錯乱したのは自身が集団自決の生き残りなのでそのトラウマが蘇ったからだということ、よって彼は天涯孤独であるからカリスマのオンちゃんに絆を見出していたということも重要な要素のような気がするが、映画の描写で果たして伝わるのだろうか。
また、グスクがヤマコを諦めたのは、原作ではヤマコがレイに無理矢理犯されたショックで引きこもりグスクを遠ざけたからなのだがここも削られて、グスクとヤマコの関係が軽く感じられた。(家に侵入したレイとヤマコの緊張感に溢れたやり取りはとてもよかったのだが)
終盤、住民たちに「戦果」を配ったのはレイの仕業なのだが、その説明は映画ではなかった気がする(私が見落としたかな? ガスマスクで推測できることではあるが)。
ウタに関するエピソードをごっそり削った煽りで、ラストのオンちゃんの遺骨に辿り着くくだりが少々不自然になってしまった(吐血はしたけど、生きてるなら念のため病院に連れて行ってほしいとつい思った)。
また、この物語においてオンちゃんの行方というのは作品に娯楽性をもたらすミステリ要素にもなり得たと思うのだが、この謎の解明に至る道筋が断片的で中途半端な印象だった。そもそも原作自体にもその傾向があったが、映画化で色々削ったことで余計にそうなった気がする。
そんなわけで、おろそかにできない題材と頭で理解してはいても、エンタメ面での引力不足、人間ドラマの掘り下げ不足を感じた。
とはいえ、この時代の沖縄にスポットライトを当てたことの意義は大きい。私自身、そういえばあまり知らないなあと思って、ついネットでググったり新書を買ったりした。
「戦後」という言葉から浮かぶ風景が本土の人間と沖縄の人々とでは全く違うということ、かの時代を生きた沖縄の人々の感情を、本作から生々しく感じた。その違いを踏まえると、現在の沖縄の抱える問題の見え方もまた変わってくるのではないだろうか。
自分の目で確かめてほしい作品
2度の延期を乗り越え、6年かけて作り上げた作品からは、何としてでもこの歴史を、メッセージを、現代の私たちに伝えたいという想いで溢れていて、何度も心が熱い想いでたぎった。
確かに3時間は長いと感じる人もいると思う。
歴史物は難しく、時代背景的にも重い内容だから腰が重い人もいると思う。
沖縄の方言がきつくてわかりづらいというレビューもわかる。
けれど、見ないで判断しないでほしい。
見て、知って、感じる想いは100人いれば100通りある。この作品は届けたい想いで溢れているから、それを自分の目と耳と心で受け取った上で判断してほしい。
私は本当に見て良かった。
同じ3時間作品の「国宝」「鬼滅」と比べたら、個人的には圧倒的に最後まで没入して見ることができた3時間11分だった。あっという間だった。
私はこれまでたくさんの戦争を題材にした作品を見てきたけれど、戦後のアメリカ統治下だった沖縄をここまで描いた作品は見たことがない。
だからこそ初めて知ることも多かった。
思えば沖縄は唯一日本で地上戦が行われ、4人に1人が亡くなるという悲劇に見舞われた土地だ。
それなのに、戦後も沖縄だけがこんなにも理不尽な悔しさに耐え続けていた。同じ日本なのに。
特に今回描かれた本土復帰前の沖縄は、ずっと怒りと悔しさとやり場のない思いで渦巻いている。
そんなぐつぐつと煮えたぎる思いが、クライマックスのコザ暴動で爆発する瞬間は圧巻だった。あのシーンは本当に自然と涙が出たし、その後の妻夫木くん演じるグスクと、窪田くん演じるレイの対話は、現代に生きる私たちへのメッセージに思えて胸に響いた。
綺麗事でもいい。私も信じたい。諦めたくない。
暴力に支配される生き物ではなく、トモダチを信じられる人間でいたいと思った。
今の私に何ができるのか。
このたぎる想いを未来に繋げていきたいと思った。
是非多くの方に映画館でこの作品のもつパワーを感じてほしい。
たぎれ、日本!!
沖縄の”感情”に触れる機会をもたらす人間ドラマの力作
戦後沖縄をこれほど一連の感情として見つめた経験はかつてなかった。その意味でこの物語は我々に191分の爆発的な感情体験をもたらしてくれる。私が何より唸ったのは、妻夫木演じる役柄を主役に据えているところ。人間的なスケールで言うと英雄オンちゃんに誰も敵わない。が、本作では彼の失踪によって梯子が外され、行き先や目標をなくした妻夫木はじめ3人こそが舵を握るのだ。実際のところ、戦後沖縄の右も左も分からない状況で悩み、生き抜き、世の中の底力となり得たのは彼らのような人たちだったのかも。傷だらけで葛藤しながらも希望だけは失わない。そんな彼らは、オン以上に共感すべき等身大の「思いをつなぐ」人たちだ。ハードボイルド的なディテクティヴストーリーの体を取りつつ、過去から未来へと貫く躍動と祈りすら感じさせる本作。実際の歴史写真に彩られたエンドクレジットに至るまで、歴史のダイナミズムと次世代への想いが詰まった力作だ。
堂々たる大作
堂々たる大作だった。コザ暴動に至るまでの、沖縄県民たちの怒りのフッテージが高まる必然性が克明に描かれていた。アメリカにも日本の本土にも苦しめられてきた沖縄の歴史、その中で翻弄された人々の生き様が色濃く刻印された作品だった。こういう骨太の社会をえぐるエンターテインメント作品が日本で出てきたことは素晴らしいことだと思う。
本土復帰前の沖縄を再現するためには、25億円かけるのは必然だっただろう。ここが安っぽかったり嘘くさかったりすると、本気度も伝わらないし、沖縄の人々の怒りも薄まってしまっただろうなと思う。
役者陣も本当にいい仕事をしたと思う。沖縄出身の俳優をもっと主要キャストに入れることはできなかったかとか、色々と思うところはあるのだけど、妻夫木聡をはじめ、出演した役者はみないい表情をしていた。特に個人的には窪田正孝の「野良犬」感がすごく良かった。危険な匂いをプンプンさせているんだけど、放ってはおけない感じ。
広瀬すずは、『遠い山なみの光』と本作で子どもを守れなかった小学生の教師の役を演じている。奇妙な接点を持った2作が9月に相次いで公開されているので、合わせて見るといいかも。
沖縄の、日本の未来のために観られるべき超重要作
長く待ち望んでいた、日本現代史における大事件を題材とする社会派の劇映画がようやく登場した。同ジャンルの製作は韓国がここ10年ほど活発で、本邦で公開されるたび「日本はずいぶん遅れをとってしまった」と嘆いていたが、この「宝島」が流れを変えてくれたらと願う。
第二次世界大戦で連合国側に敗戦した日本は1952年発効のサンフランシスコ平和条約で主権を取り戻すも、沖縄県だけは米国の統治下に置かれた。米軍基地から市街に繰り出す米兵らによる若い女性への殺人や暴行などが頻発し、軍用機が墜落事故を起こして大勢が犠牲になるなど理不尽な出来事から県民らの不満が爆発して、1970年のコザ暴動が起きた――という大まかな流れを知ってはいた。それでも、真藤順丈の直木賞受賞作を大友啓史監督が映画化した「宝島」を観ながら、自分が知ったつもりになっていたのはごくうわべだけで、沖縄であの時代を生きた人々の苦しみ、悲しみ、怒りといった感情の部分にまでは思いが至っていなかったことを痛感していた。
ストーリーは「戦果アギヤー」と呼ばれた若者たちを中心に進む。ある夜の襲撃でリーダー格のオン(永山瑛太)が失踪し、時を経てグスク(妻夫木聡)は刑事に、ヤマコ(広瀬すず)は教師に、レイ(窪田正孝)はヤクザになる。オンの不在を内に抱えつつ、60年代の沖縄の現実を生きる3人。だが、度重なる米兵らの犯罪行為に住民たちの怒りがついに爆発し、1970年12月20日未明に米兵と軍属車両を襲撃する暴動が起きる。
観客も主要登場人物らに没入し、占領下の沖縄での出来事を追体験することになる。それによって、うわべの知識にとどまっていた沖縄の人々について、より自分に近づけて感じることができる。個人の自由について、国が独立することについて、より深く考えるきっかけを得られる。「宝島」にみなぎる演者と作り手の熱量が観る者にも伝わるからこそ、それが可能になる。
レビューの冒頭で現代史をベースにした社会派劇映画のジャンルで日本は韓国に遅れていると書いたが、この手の邦画がまったく作られなかったわけではもちろんない。ただ、国家権力、政治家、官僚や大企業などに関わる事件や不祥事を真正面から取り上げ、批判すべきことはしっかり批判して描く作品は、邦画界では避けられがちだ。これは単に作り手側だけの問題ではなく、観客側にもこのタイプの作品を積極的に求めないというマイナス要因があるように思う。一方の韓国では、こうしたジャンルの映画が観客に支持され大ヒットし、それが次の製作を後押しする好循環が続いているようだ。
現代史の不都合な真実、暗い部分に光を当て、きちんと向き合うことは、明日を、未来をより良く変えることにつながる。優れた劇映画にはそれを促す力があると信じるし、「宝島」に続く力作が今後増えることを切に願う。
予想以上にすごく良かった
見に行こうと思いながら口コミや時間などで出遅れたけど、やはり自分で見に行って良かった。
終戦後や本土復帰、暴動など歴史やドラマでしか知らないことが熱気が伝わる大迫力で描かれ、1人のおんちゃんを軸に各登場人物が各々の人生を歩み絡みながら沖縄の歴史を描いていた。もっとこの時代について学びたいと思った。
ただこの映画を見ると当時の人たちが、アメリカ出て行け!という気持ちが痛いほどわかり、暴動などもっともだなとも思ったので、アメリカに対して忖度する人たちは映画を見て欲しくないだろうなとも思った。沖縄にだけ地理的なことがあるとはいえ、人ごとでいいのかとも思いいろいろ考えさせられる映画でした。
ただ沖縄の人の明るさと海の美しさなどが、やけに救いになりました。見るべき良い映画だと思いました。
蹂躙され続けた人達
物語は今後、アメリカに占領され従わされた沖縄で基地から物資を掠め取るグループの登場から始まり、そのリーダーのオンちゃんの消息を探す2人の子分とその彼女の3人の物語です。
今も続く沖縄問題を知る為にも観ておいた方が良い映画でしょう。
戦争時は本土の身代わりに犠牲になり、戦後はアメリカの領土に。
そして日本に返還されても今でも地位協定でアメリカ人を裁けず、アメリカ軍基地の大部分を占める沖縄。
戦争、戦後と本土の代償として蹂躙され続けた沖縄。
今も本土の人と沖縄の人とでは平和の感覚は違います。
多分、アメリカは沖縄を世界戦略のほんの一部としか見ていないでしょう。
トランプ大統領に至っては日米安保条約の経緯すら知らないので、基地の負担の事を言って来るのでしょう。
でも、そこに住んでいる現地人の事をアメリカは考えているとは思えません。
映画自体はそんなにオンちゃんを探すミステリーとしてはそんなにミステリー要素は高くなく、ハラハラドキドキに振り切っている訳でもないので、巨大な製作費からは興行的に成功した方ではないと思いますが、本土の人達と沖縄の人達との平和の温度差を知る為にも観る事をお勧めします。
戦果アギヤー
戦後になっても平和を感じたことがない
インパクトもあり、ずっしりした言葉だ。
私が知らない1952~1972の沖縄を
知る事が出来た。
想像では分からない現実だったのだろう。
沈黙、国家の闇、犠牲
戦争に負けて他国に占領される
という嫌な事をストレートに描かれている。
日本の縮図。
兄を慕い想うレイ役の窪田正孝さん
の演技は狂気だが彼の気持ちや行動が
物語っている。怒り狂うはず。
何が怖いって世界でも変わらず
起きてる事。人間が一番おぞましい。
ドキュメンタリー映画だな
ハゲタカ、白洲次郎、龍馬伝と硬派で映像に迫力があるところが好きだ。
今回は、沖縄の今につながる現実を正面から描いている。私なんかでは理解しようにも仕切れない抑圧されたなかで、人々が懸命に生きている様が迫力の映像とともに伝わってくる。
押し付けられた平和や豊かさなんかクソ喰らえ。貧しくても仲良く助け合って、そして蔑まされないで生活したいとの思いが伝わってくる。
小学校への米軍機墜落事故、祖国復帰運動、コザ騒動など、丁寧に描いている。
ただ、沖縄の思いを余すことなく伝えたいとの思いからか、かなり尺の長い映画になっており、途中でトイレに立つ人、エンドロールが始まるや席を立つ人が多数いた。
内容がある映画だけに、長尺の国宝くらいの反響があってもいいようなものなのだが。
とても良いが、とてもモヤる……
あらすじが面白そうなので興味を持っていたものの、上映時間が3時間超えというのと低い評価を目にするのとで観ようか迷っていましたが、時間があったので観に行ったものです。
原作は未読です。
米軍統治下の沖縄の状況が描かれ、その理不尽さに対する怒りや悲しみの想いが強く伝わる作品でした。
俳優陣の演技も、妻夫木聡や窪田正孝の怒りを含んだやさぐれ感や、広瀬すずの怒りや悲しみを堪えている凛とした佇まいなど、素晴らしかったと思います。
墜落事件でのヤマコの慟哭や、悲しみを飲み込み強くあろうとする様子。
血まみれのレイとヤマコとの感情がぶつかり合う緊迫感あるやり取り。
暴動の混乱ぶりや、その中を行くグスク。
基地を襲撃するレイと止めようとするグスクとのやり取り。
演技の素晴らしさもあり、印象深い良い場面でした。
襲撃時のレイとグスクとのやり取りなどは、やや目頭が熱くなってしまいました。
理不尽な状況は続いている今現在に、その想いが叩きつけられているのだろうと。
……と、良いところもありましたが、モヤるところも結構ありました。
グスクの語りで状況説明がされるのは良かったですが、その心情説明はいらないだろと思う部分も。
回想シーンも、長いと感じる部分や、入れるタイミングがどうかと感じる部分もありました。
血まみれのレイがヤマコの元へ来た場面など、緊迫感が高まろうかというところで回想シーンになり一旦緊迫感がそがれてしまったような気がするので、別の構成の仕方が良かったのではと。
クライマックスも、レイとグスクとのやり取りまでは良かったのですが、急にヤマコやウタや諜報員が集結してゴタゴタしたご都合主義な展開という印象に。
諜報員とグスクにそれまでどれだけ信頼関係があったのかが分かりづらいので、トモダチという言葉だけで信頼関係があったとして見逃す流れは、うーん……と。
何より、少年ウタの扱いがモヤモヤしました。
思わせぶりな登場の仕方の割に、主要人物との交流度合いの描写があまりなく、ヤマコが気にかけているくらいしか。
襲撃の場面では、何でこの状況で父親のことを聞くのかとか、レイを身を挺して助けるとか、唐突な感じで。
もっとウタの父親に対する想いやレイとの交流の描写があれば良かったと思いますが。
最後も、撃たれたのに病院に連れて行かないのかというところがモヤモヤして、オンの回想シーンも全然入ってきませんでした。
吐血してもう助からないだろうから本人の希望を聞こう、ということだとしても、モヤモヤします。
3人がオンの死を知り衝撃を受け悲しみに暮れるのも分かりますが、その横でウタが死にそうになっているのをほったらかしているのはどうなのかと。
オンの葬式は厳かに行われたようですが、ウタは?、と。
個人的なイメージとしては、こういった社会的なテーマの話では、少年とか若者といったキャラクターはやはり次の世代、未来の象徴なので、死んでしまうのはどうなのかと。
大人が何とか守ろうとするべきだろうと。
死んでしまったとしても、それは大きな悲劇であるという認識が必要なのではと。
オンの死については重要で悲劇的な扱いで描かれましたが、ウタの死については特に描かれずオンの死にかき消されてしまったという印象です。
オンが守った命、未来を失ったというのが最も悲劇的だと思いますが、そこに触れなかったのはかなりモヤモヤしました。
あと、そこに触れなかったためか、オンの存在や予定外の戦果がマクガフィン的とも感じてしまいました。
戦後沖縄の理不尽が強く伝わるところなど、とても良かったと思います。
が、少年の扱いの雑さがとてもモヤりました。
広瀬すずをなめてました
劇場で観れてよかった
公開されてすぐと、しばらくしてからの、二度観ました。平日の午前中もあってか両日とも客入は少なかった。方言など分からない言葉がでてきて、鑑賞後すぐ覚えてる範囲調べました。2度目は内容がわかっているからこそ、開始早々もう感情が揺さぶられました。自分の無知さに改めて気づき、知るきっかけとなり本当に良かった。
この力作を世に送り出してくださったことに、心より感謝とエールを送りたい
9月最後の土曜日、映画『宝島』を観た。
全国で観客の入りが芳しくないことをとても残念に思い、レビューを書き残しておきたい。
この映画が私たちにもたらしたものは、ただのエンターテインメントではない。それは、戦後沖縄が抱え続けてきた「魂の傷」と「真実の重さ」を、容赦なく、そして克明に描き出した映像の力ではないだろうか。
妻とともに観に行ったが、「本当にあったことか知りたくなった」「暗くて暴力が怖い」という率直な感想は、まさに『宝島』が成功している証だと感じた。観客が、通常の映画に求める「救い」や「答え」が不在であることに戸惑い、閉塞感を覚えたという事実こそが、この作品の真髄ではないだろうか。
なぜなら、この映画は、観客が目を背けがちな、あるいは知っているつもりでいた「簡単には解決しない現実」を突きつける、セミドキュメンタリーとしての役割を十全に果たしているからだ。
終始、観客を引っ張った「おんちゃん」という存在の謎と悲劇、そして、その絶望性が「命」の象徴であるウタの消滅とともに明らかになる終幕は、安易な希望を提供することを拒否している。それは、制作陣が「ヤマトの同情だけの責任逃れ」を排し、沖縄の現実と正面から向き合った、勇気ある姿勢の表れではないかと強く感じた。
観客は、救いのない暗さにダブルパンチを食らいながらも、この映画が「正しく、偽りなく、詳しく沖縄の抱える問題を描いている良い映画」であることを認めざるを得ない。大友啓史監督が見せた、史実に忠実なドキュメンタリー性と、飽きさせない演出、そして暴力表現の必要性とコントロールの妙は、この重い題材を3時間という長尺で見事に描き切っている。
『宝島』は、現代の戦争や世界の抱える問題の焦点として、沖縄の問題を人類全体の問題として捉え直すきっかけを与えてくれたのではないだろうか。
安易な「答え」がなくても、観客の心に火を灯し、「そんなに簡単なことではないが、生き続けなければならない」という言葉とともに、「そろそろ本当に生きる時がきた」と問いかける力。
この映画は、多くの議論と葛藤を呼び起こしながら、沖縄の過去と現在を未来へ語り継ぐ、かけがえのない「宝」となっている。この力作を世に送り出してくださったことに、心より感謝とエールを送りたい。
沖縄と本土の温度差
ネットニュースなどで、興行収入が…という記事を目にすることがある。
確かに興行収入は厳しそうで、そうなるとこのような大作は、これからなかなか作られることは難しいんじゃないかなぁと思ったりする。
何故このようなことになったのか…あくまで自分の主観ですが、映画にもあったように沖縄と本土との温度差にあると思います。
私は、沖縄に行ったことがなく、どこかハワイのようなリゾート地という感覚があるので、要は敷居が高いし、遠いところと思ってしまう。
ただ、本当に知らなかった。沖縄の方々がこんな苦労を強いられて、厳しい環境にありながら、心を一つにして強敵と闘ってきたことを…。本土の人間は、そのことを知らなすぎるかもしれない。
一つ残念なことは、もう少し深掘りして、人物の細やかな人物描写が欲しかったなと、折角3時間もあるので、そうするともっと感情移入できたかなと思います。
ですが、沖縄の人々や先人達の苦労を知ってもらえる映画を制作された功績は大きい。
個人的に、窪田正孝さん素晴らしかった。
宝であるべき命
大作なのに、、
この作品は見なくてはならない映画だと、期待していた。
3時間が長いとは感じなかった。
しかし、
自分が時代背景に詳しくないこと、沖縄訛り、回想と妄想が散りばめられ、
話の展開についていくのがやっとだった。
ストーリーを理解することに集中し、そこに生まれる感動とか、心の動きを感じるところまではいかなかった。
ウタはオンが助けた子供だったことが、特に驚くほどのこともなく、一体何だったのか?
もっと早くにヤマコやレイたちに伝える機会はあっただろうし、(ウタも父のことを知りたがっていたし)
アメリカが必死になって探していたのは、高官が子探しを命じていただけということなのか。
機密ではなく、親子愛?!
レイはあんなにも覚悟をもって、毒ガス作って嘉手納に突入したのに、仲間を捨てて、車で逃げるのか…
グスクたちに任せて、なぜ基地に戻りはしなかったのか…
そして、まだ生きているのに、病院じゃなくあの場所に行ったのか…
すべては、最後のストーリーを展開するためのご都合主義感があったのは残念。
そして、広瀬すず演じるヤマコが妻夫木聡演じるグスクをニイニイと呼ぶから、てっきり兄妹と思っていたので、後半のグスクの恋心にハテナとなったり、かと思えば別の人と結婚していたり、、
詳しく描く余力がないのであれば、
そのへん飛ばしても良かったのでは?と思った。
ただ、1人1人の役者は熱量があり、
エキストラの迫力は素晴らしかった。
オンちゃんをみんなが慕う意味は永山瑛太から滲み出ている感じはあったし、その弟のレイの苦悩を窪田正孝が見事に演じていて助演男優賞!
複雑な沖縄の時代背景にお金をかけ、きちんと描かれていて、素晴らしい映像の大作に仕上がっていただけに、感情移入できなかったことは残念。
もう少し、誰かの人物像にフォーカスしても良かったのかも。
役者も映像も題材もいいのに、
ラストに辿り着くまでは良かったのに、
米軍基地内に主要キャスト集合して、この伏線回収に、「え?なんで?」となった。
これが隠していたこと?探し求めたもの?
原作があるから仕方ないけど、この映画、ココに辿り着く必要があったのかな??こんな結末見せるなら、通過点のひとつで良かったのに。
衝撃と感動とはならず、
「たぎれ!」と心揺さぶられ損ねた感じとなった。
こんなにも大作なのに、あっという間に上映回数が減ってしまい、ラストがラストなだけにもう一回見たいともならなかった。
本来なら、何度か見て、理解して、心が動く作品なんだろうけど…もったいない。
酷評のようですが、映像としては素晴らしく、映画館で見て損はない!!
艱難辛苦の沖縄
戦後の沖縄が舞台。
俺には対岸の火事だった沖縄の実情が語られる。
生まれる前の話ではあってもたかだか60年程前の話しだ。
故郷を占領された若者館
日本に見放された若者達
そんな人々が描かれる。
何をやっても何をしてても、その柵から解放される事はなく…米兵に殺されても犯されても、彼等を糾弾する事は出来ない。何をされても泣き寝入りを強いられる。
同じ人間なのに。
法治国家のはずなのに。
平然と特権階級が存在する世界。
「戦後からこっち平和であった事などない」
…とてつもなく理不尽な時代を沖縄の人々は生き抜いてきたんだなと思う。
本国の犠牲にされたと言われても仕方がないような状況が10年以上は続く。
漏れ聞こえてくる話はある。
けれど、ここまでダイレクトに描かれた事は無いようにも思う。
壮絶だった。残酷な描写があるわけじゃない。台詞の端々に引っかかる当時の感情や情景がそう思わせる。
方言を操る俳優陣は熱演だった。
今は…当時の沖縄程、表面化してないだけなんじゃないのかと思う。日本全体が抑圧されてるような空気感がある。
しかも、日本人によって。
政治家が罪を犯しても罰せられないし、政治家が決めたルールによって僕らの生活は圧迫されていく。
妻夫木氏は叫ぶ
「そんなもん最早、人間じゃなかっ!」
窪田氏は応える
「それこそが人間だ!」
…本当に。
どちらの主張も間違ってないと思う。
とちらの主張を聞いても悲しくなる。
平和や平等って単語はあっても、実現などされないのだなと思う。そんな絶望の中を生きねばならない。
後半はなんか駆け足だったようにも思う。
3時間を超える大作だから、俺の集中力のせいかもしれないが。前に進まない物語のせいかもしれんが。
そして、帰結が分からなかった。
高官の子供だったから何だというのだろうか?そんな境遇の子供は山程いただろうし、その事で高官が罪に問われる事もない。
澱みに澱んだ物語だからピリオドを付けるのも難しいのかもしれないけれど。
沖縄の話ではあったけど、沖縄だけでは収まらない話だった。
野心作!
全667件中、1~20件目を表示
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