我来たり、我見たり、我勝利せりのレビュー・感想・評価
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倫理(学)なんていらない、買うほどあるんだから
シナリオ的にはちょっとピンチを作った方が、盛り上がるようにも思ったのですが、そこはあくまで軽く、乾いた感じで、あくまで淡々とでした。
終盤の水中出産が、天罰が下る最後のポイントかなとやや身構えたんですが、まあ予定通り何事もなく完封勝利しました。
それにしても娘の方が怖い❗️頭は悪くないし、洞察力もありそう。それに少なくともあの執事とは仲が良かったですからねえ。
絵空事でも、突拍子もないフィクションでもなく、これから起こりうる、いえもう現実に起こっている現代の寓話なのです。
「やっちゃった、核のボタン押しちゃった」
やりきれない思いがした。
いくら自己増殖を旨とする資本主義の本質を突いているとはいえ、創造的破壊はともかくとして、狙撃や殺戮が、クラシック音楽を背景に語られることを許したままでよいのだろうか。独裁者の考えが、優秀な官僚たちに支えられ、大衆への前例のないプロパガンダによって広まり、大量の殺戮を許してしまった第三帝国と同じではないか。あの時も、背景にはクラシック音楽が流されていたが。
これまでも、同じ事態が語られる映画はあったが、少なくとも、第三帝国を扱った最近の映画では、ゲッベルスは事態を把握していて、自分でも責任を取った。また、映画化された「バンゼー会議」の結末としてのユダヤ人の大量虐殺は、世界に隈なく知られるところである。
それなのに、この映画では、いくら陳腐化を免れているとはいえ、何も起こらず、それどころか、能で使われる「謡」が、まるで神主の祈祷の時のように出てきて、天まで届けとでも言わんばかりだった。
Labeling
個性爆発なタイトルと上級国民の殺戮というところに惹かれての鑑賞。
序盤からいきなり衝撃的な持っていき方をしたのでかなり期待値が上がったんですが、その後の展開の盛り上がりのなさ、観たいと思っていたものとのズレが半端じゃなくイマイチ乗り切れなかったです。
突然どこからともなく撃たれるというスリルの表現は良かったですし、シチュエーション的に有り得んやろというところも使用人が優秀だからなんとかなるという強引な感じも憎めない良さがありました。
貧富の差というところを誇大表現として描いているのは分かるんですが、どうにもやりすぎな狩りの描写だったり、認知のズレだったりにのめり込めず、正直それらに対する庶民からのカウンターも多少欲しかったんですがそこんとこも無くてただただ消化不良になってしまっていたのも残念でした。
めっちゃ金持ちだからなんでも許される、警察や政治家なんかも丸め込んでしまえばOK、疑いをかけられたら塗り替えてしまえばいい、クソみたいな考えの連発で楽しむことはできませんでした。
娘が使用人を殺してしまった時なんか今作の悪い部分がバーっと出てしまったようにしか思えず、娘は余裕な表情をしながら使用人を撃ち殺しますし、それで捕まっても13歳だから刑事責任は問えないといって釈放されますし、それに対して父親が慌てふためいており、自分がやったんやで!という完全な虚偽発言をやってており、それはそれで別件で捕まらないの?となってしまったりとなんかご都合がまかり通っているなと思って冷めてしまいました。
クズすぎる父親以上にクズな娘にはそれはそれは大層な殺意を抱きました。
反則にしても犯罪をしてみても自分を肯定する意見しか述べないし、家族やその周りの人物への認知もどこか解釈違いですし、ラストシーンなんかもうクソアマすぎてスクリーンに向かってライフルぶっ放したいくらいには不快オブ不快でした。
だからといって今作の彼女の魅力的な部分にはなっていない気もしたので早いところ痛い目に遭って欲しいです。
全体的にシュールさの目立つ作品が故に高鳴りそうなところでグッと抑えつけられるの繰り返しで盛り上がれず、妙にダラダラ進むのもあって86分の作品とは思えないくらい長く感じてしまいました。
あと致命的なのは音楽で、既存の楽曲に何故か合いの手を入れているんですがこれが強烈に不快でした。
妙に鼻につくというか、不協和音というか、どういう意図を持ってこれを埋め込んだのかがさっぱり分からないです。
無いとは思いますが、続編があるのならばこの一家や関係者たちを残されたものたちがギッタギタにして血祭りにあげるものが見たいので誰かクラファンしてください。
そうじゃないとあの娘を許せないんです(怒)
鑑賞日 6/11
鑑賞時間 14:50〜16:20
モノローグが悪意無き非道と鬼畜に満ちていて印象的
最初から最後まで気分が悪くなる映画でしたが、面白かったです。
度々入ってくる主人公のモノローグが、悪意無き非道と鬼畜に満ちていて、とても印象的。
醜悪な近未来が描かれているようではあるけれど、まるで現実の世界のパラレルワールドのようにも見える。
19世紀の古風な貴族の生活にも思える主人公一家の生活の優雅さと、残虐な殺戮の対比が凄まじいです。
絵空事ではない
❶相性:下。
❷時代:
現代。
❸舞台:
オーストリア。
❹要旨:
①物語は13歳の娘パウラのナレーションで、タイトルの3つのパートに区分して進行する。
「Veni:我来たり」
「Vidi:我見たり」
「Vici:我勝利せり」
②主人公は、パウラの父アモン・マイナート。起業家とし成功し、巨万の富を築いた。最近でも、ヨーロッパ最大のバッテリー工場が完成して、政府高官他のセレブがお祝いに駆けつけている。広大な敷地の大豪邸で、家族や使用人と共に幸福で充実した人生を送っている。
③アモンの趣味は「人間狩り」。獣を撃つように、サイクリストや若いカップルたちを、猟銃で射殺していく。死体は執事が処理する。事件は連続狙撃事件としてマスコミを賑わすが、捜査は進展しない。目撃者が名乗り出ても無視される。理由は、莫大な財力を持つアモンが政治家たちを支配下に置いているためである。敏腕弁護士の妻ヴィクトリアは、事件を合法的に処理していく。
④パウラは次第に父親の感化を受け、自分も「人間狩り」を楽しむようになる。
⑤もやは、アモン一家に歯向かうものはいない。
❺まとめ
①この種の反社会的な映画は、全く肌に合わない。強い嫌悪感を持って観ているうちに気が付いた。本作は反面教師なのだと。
②アメリカのトランプ大統領のように現実にもこれに近い状況がある。本作は絵空事ではないのだ。
③莫大な財力を持つと、政治家を支配下に置き、更には、自身が国家権力者になろうとする。
④富める者はますます富み、 貧しき者はますます貧しくなる構図である。
⑤本作はそんな世界にしないようにするための警鐘と思う。
❻トリビア:Veni Vidi Vici
①「Veni Vidi Vici」(ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)とは、ラテン語で、「来た、見た、勝った」という意味(Wikipedia)。
②ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前47年のゼラの戦い(カエサル率いる共和政ローマ軍とファルナケス2世率いるポントス王国との戦い)の勝利を報告する際に使ったとされる言葉で、その簡潔さから広く知られている。
③この言葉を初めて知ったのが、『クレオパトラ(1963)』(監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ。出演:エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、レックス・ハリソン)。
上映時間 192分、製作費4400万ドル(現貨換算で3億ドル以上)、製作期間4年の超大作だが、空前の製作費を回収出来ず製作会社の20世紀フォックスを経営危機的状況に陥れた。
④映画雑誌「映画の友」(編集長:淀川長治)に、この作品のこぼれ話として記載されていた。記憶力が貧弱な小生だが、この記憶は今でも鮮明だ。
どう観たらよいものか
どこの国でも突き抜けた大富豪は、何をしても許されてしまう。
登場人物ほぼ全員すごく気持ち悪い。マイナート自身は善悪の判断がついた上での所業だけど、妻が心底気持ち悪い。出血した時ちょっとザマァと思ったけどチッ。
パウラはすでにマイナートを凌駕するモンスターだなぁ。
せめて何かひとつだけでもバチが当たればよかったけど、どんなに頑張っても無駄ですよといわんばかりの、まったくスッキリしない胸糞映画。
まあ最近のニュース見れば、まあそんなもんだよねって感じ。
誠実がいちばんだそうです
自分にはルールが適用されないと思ってたり、ルール破りに価値を見いだしたりする者たちの行状を描いた超胸糞悪い一作。
ラストの家族狙撃シーンも、一瞬天罰と思わせておく底意地の悪さよ。
ここまで徹底すると一周回ってある種の感動を呼ぶし、単純勧善懲悪モノよりは面白い(?)が、もう一回観たいかと訊かれたら答えはもちろんNOだな。
存在するものは、滅びる価値がある
アモンにはローレンス・ルップ🙂
愛想がよく、誰にでも爽やかに接する一方で、人間狩りを趣味とする狂人な面を持つ男。
笑顔の裏に潜む非人間的な部分を、微妙にかもし出すのがうまかったですね🤔
娘パウラにはオリビア・ゴシュラー🙂
こんな一家で育ったらおかしくなってしまうものなのか、中盤では仲間とある行為に及んだり。
実弾が入った銃を人に向けたり、やりたい放題😰
ある意味父親よりも危険な人物を、冷たい目で表現しています。
この映画はどう理解すればいいのかイマイチ分かりませんが、億万長者は犯罪まがいのことをしても許される部分があるという事実を、風刺的に描いたものという印象です🤔
エンディングもブラックさ全開で、こんな世の中になったら平凡な暮らしをしてる人達は命がいくつあっても足りないと思わざるを得ません。
映画の中の話とはいえ、AI技術が進歩している昨今、300年後辺りには似たようなことにならないか、考えてしまいます😔
人間のクローンができて云々…など。
しかし警察が警察として機能しないというのは、見ていて無念さと憤りを感じますね。
作中狩猟監視員がアモンを告発するべく警察に訴えたりするのですが😥
その時の対応が、私のぼったくり被害を相談した時の対応を思い出させる感じで…訴えてる人物に感情移入しました😔
まあなんにせよ、色んな解釈ができそうな1本です👍
上映後のトークショーでは
ダニエル・ヘースル氏
ユニア・ニーマン氏
の両名が登壇🙂
2人とも日本が好きということで、嬉しい限り😁
ダニエル監督は
冗談を交えながら、タイトルを決めた経緯などを語ってくれました。
ユニア監督は
なぜ我々が億万長者に憧れるのか、ある意味では搾取されてるとも言えるのに、
といった部分の考えを聞かせてくれましたね😀
思い切った題材の映画ですが、現代の社会に鋭くメスを入れるような作風はユニークな面白さがありました🤔
一般公開は、6月6日です🎬
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