「よくよく考えて作り込んだ完成度の高い「作品」」我来たり、我見たり、我勝利せり sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
よくよく考えて作り込んだ完成度の高い「作品」
一言でいうと巧みな映画。
胸糞なモチーフも、映像の美しさとヨハンシュトラウスで、鑑賞に耐えられるものに変わる「映画の魔法」は、ちょっとした驚きだった。
ストーリーが公式サイトであらかた示されていることからも分かる通り、今作は、展開の妙や、ドンデン返しの意外性で魅せる映画ではない。
サイコパスもしくはソシオパス(不勉強で違いがよくわかってないが)の登場人物たちが、大資本や政治的な力を持つとどうなるのかを、ある意味淡々と描いているようにみせかけて、細部までよくよく考えて作り込んだ、完成度の高い「作品」だと思った。
観終わってから色々と振り返ることで、様々な味わい(もちろん気持ちのよいものは、ほぼないけれど)が楽しめる。
<ここから少し内容に触れての感想>
・「みんな知っている」のに、捕まらないことで連想されたのは、自分は、ジャニーズ問題。この映画で描かれていることは、全然フィクションやファンタジーではないと思った。
・血縁にこだわらず、養子の子や連れ子を含めた家族を溺愛しているはずの主人公が、妻を泣かせてまで、妻との子を熱望し、結果的に願いを叶えているところがゾワゾワと背筋が凍る。
・ある意味、「関心領域」と同タイプの映画。全ての登場人物たちに対して、自分の関心領域を問いかけられる。
・2世のイカれっぷりで思い出したのは、「満ち足りた家族」の子どもたちと、「本心」の妻夫木の娘。金で解決できてしまうことの恐ろしさと、金がある中での子育ての難しさ。
・トマ・ピケティと哲学書に親しむ「まとも」な感覚を持ってる彼氏みたいな子も、カッコよく見える「ルール無視の結果至上主義者」に惹かれてしまうんだなぁ…と。ただ、現実社会でも、そうした人物たちが結果を出していることをどう考えればいいのか。
・映画の中で「生まれた時の貧富の差は選べないが、死ぬ時の貧富の差は本人の責任」という、まことしやかな言説を、あえて娘に語らせることの納得感。自分が元々有利な状況にある者は、その有利さを、自分の努力の結果ととらえ、相手の不利さを相手の努力不足と感じるという研究結果は、枚挙にいとまがないのだが、娘が語るような自己責任論の根深さはどこからくるのだろうか。
コメントありがとうございます。ううむ、東アジア温帯モンスーン気候のじめっとした稲作地帯の農耕民族には、これのリメイクは難しいのかな。でも、やっぱり新感覚の邦画には飢えております