「【とても日本を感じる】」まる ジャパニーズ先住民さんの映画レビュー(感想・評価)
【とても日本を感じる】
劇場に人が入っていないのも納得だ。TV放映を優先しているのか、制作自体がTVメディア産業全体を捉えて描写されているように感じる。映画で映えるとは思えない剛ちゃんを、芸術と消費の境目を彷徨う主役に据え、綾野や吉岡が単純化された役を演じることで、映画的な体験よりも芸能プロ的なキャスティングと演技が目につく。
物語は、アリとの戯れから生まれた○が社会に流通し、「円相図」という意図しない形で社会的価値に置き換わり、やがて自身が○に囚われていく過程を描く。シンプルな円形がその形ゆえに人々の共感を呼び、一過性の流行として広がり、世界中の人々が便乗して消費していく様が印象的だ。
メディアが個人の小さな行為を過剰に記号化し、消費していく様子は、綾野が街中に○を貼り付ける場面でピークに達する。アート作品が流通する過程で本来の意図や個人性が失われ、まるで道端のしょんべん封じの護符のように、街全体が記号で覆われていく...
コンビニ店員のモーや剛ちゃんが仏教用語を日々の精神安定のために口にする場面も印象的だが、どこか空虚さが漂う。『波紋』のように、精神安定としての宗教が顔を見せるものの、ただの口癖や表面的な記号として用いられ、深みがない。宗教を通じた積極的な行動も見られず、「やってられない」と言わんばかりに「諸行無常」を口ずさみ、その無力さが強調されている。
劇中のアリと開けられた穴は、『アンダルシアの犬』の歴史的な重要なモチーフだが、展開が限定的で冗長に感じた。アリや部屋間に開けた穴も、いつもの荻上ならもっと違う処理をしたのではないかしら。制作、物語からテーマまで一貫してTV向けに感じる。そういう意味でとても納得できる。