マミーのレビュー・感想・評価
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「空気」の支配とドキュメンタリーの臨界点
ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』は、犯人と思われた男のDNA鑑定が「不一致」で、逮捕にいたらないという結末だった。しかし、80年代のDNA鑑定は「DNA型鑑定」とも呼ぶべきもので、正確性に問題があった。本作では、当時の亜ヒ酸の分析が「パターン分析」であり、分析者の「主観」による断定だったとの検証がなされる。再分析では、林眞須美家にあったヒ素と、カレー鍋に混入されたヒ素は同一ではない、との結果だったそうだ。
和歌山毒物カレー事件は、マスメディアの取材が過熱していた。取材陣にホースで水をかける眞須美の姿は、見る者に特定の印象を植えつけた。
また、ある共同体で起こった惨事について、誰かに帰責して平穏を取り戻したい、との力学が働き、眞須美をスケープゴートとして差し出した、という背景があったかもしれない。
雑駁な印象だが、林眞須美という人は「自分にメリットのないリスクはとらない」というポリシーを徹底しているように見える。つまり、夏祭り参加者を無差別に狙うような事件を起こす動機が想像し難い。怨恨なら、怨みを抱く対象を確実に殺害できる方法を選ぶように思われる。奇妙な言い方だが、林死刑囚の人格を考えると、カレー鍋に毒物を入れる、などという行為は、不合理きわまりない。この事件の最大の謎は、動機だ。
原一男監督『ゆきゆきて、神軍』で、かつての上官を殴る奥崎謙三を淡々と撮っているカメラに向かって、上官の妻が助けを求めて声を荒げる場面がある。本作で、二村監督は、事件関係者車両にGPS装置をしかけ、不法侵入で送検、示談となっている。
この時代にドキュメンタリーを撮ることの意味と意義を考えさせられる。監督は「何か成果があるまで退けないと思った」と語っていた。「大義」ある行いに、法的制裁はなされるが、社会的には擁護される、という状況は、益々成立し難くなっている。ドキュメンタリストの今後も問われる映画だ。
有罪を正しく疑うも、無実は証明しない映画
1. 最低でも再鑑定は必須
当時の鑑定人の中井氏(東京理科大)が意図的に不正をした訳ではなくとも、河合氏(京大)の批判は合理的で、定量的な解析も複数の手法での検証もやった方がいいに決まっている。なので再審をするか否かの議論の前に、取り敢えず再鑑定だけはするべき。科学技術の進歩は目覚ましいので、当時以上に詳細に情報が得られる事は間違いない。その結果、事件で使われたヒ素がMommy家にあったと証明不能になるなら、有罪判決は支持できない。
目撃証言にも矛盾があるのかもしれないが、仮にMommyが蓋を開けていても、ヒ素を入れたと断定できないのだから証拠能力は無い。
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2. 無罪=無実ではない
ヒ素の同定に不備がある以上、Mommyは「推定無罪」の状態に思える。ただそれは、彼女が本当にやっていない事の証明にはならない。ヒ素を混入してから家宅捜索されるまでは、何週間かのズレがある。ヒ素を混入したのが誰であり、残りのヒ素が入っていた容器を何処かに棄てる時間は十分ある。捨てられた物は再鑑定できない。
ただ、Mommyがヒ素が成分鑑定され得るという化学的な知識があったというのは邪推かも。シロアリ業者に限らず、周辺にもヒ素を持つ家庭があるのが常識だったら、自分の家だけ狙い撃ちされるとも思わなそう。
とは言え、Mommyがヒ素を入れた証拠が無いのと同じくらい、彼女が入れていない証拠も無い。物証が不確定な以上「推定無罪」だが、無実と断定もできない。
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3. 詐欺師の証言を信じる根拠が無い
夫の証言を長時間撮れた事が、ドキュメンタリーとしての価値なのだろう。ただ、彼が滔々と語るのは、如何に上手く保険金詐欺を実行したかと言う事。Mommyが毒物を他人に摂取させた事はないと主張したいのは分かるが、どうして詐欺師の「騙り」を信じる必要がある? 貴方は語ってるのは、自分が如何に医師や保険会社を騙してきたという事。何で今の言葉が、妻を無罪にする為の「騙り」じゃないと信じなきゃいけないの?
面白かったのは、語れば語るほどMommyが保険詐欺の共犯者、あるいは主謀者の1人との心象が強くなる事。それがカレーに毒物を混ぜる動機には直結はしないが、犯罪傾向が高そうな印象は強まった。
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4. マスゴミの悪癖を繰り返す醜悪さ
Mommyのイメージが悪化した主要因の1つが、取材陣にホースで水をかけるシーンが繰り返し放映された事。本来、取材って依頼して了解を得た上で成立するもの。道を歩いていて、突然質問を投げかける取材者に応えなきゃいけない法的根拠って何だろう?
抜き打ちの取材者に好感を持てる筈がないから、当然断る態度は平時より悪くなりがち。あまりにしつこくカメラを向けられたら、犯罪者ならずとも水くらいかけたくなるかも。そこでマスコミが発明?したのが、取材の不成立を上司に怒らえる位なら、取材対象者の断る姿を撮って流す手法。取材対象者が犯罪被疑者だったり、不祥事が噂される政治家や経営者だったら、悪く映りがちな断る態度は視聴者が期待するイメージにピッタリ。本来、拒否されて成立してない取材を放送する権利は無い気がするけど、日本では悪しき伝統芸能になった。
この悪しき手法を、本作は終盤で堂々と使う。カレー毒事件に関与した検事や捜査関係者に取材しては、拒否する姿を写し、こいつら何か隠しとんちゃう?という下世話な印象を観客にプレゼントする。ワイドショーだろうがドキュメンタリー映画だろうが同じ穴の狢。マスゴミには変わりはない。見処がある映画ではあったが、終盤で客観性に欠ける作品と露呈した。
いろいろ複雑だが見に行ってよかった
たまたま劇場の予告編で見て、これは見てみたいと思い見にいきました。
ちょうどこの事件当時は私は小学生でしたが連日報道されてもちろん知っていました。
劇中で息子さんが事件当時の話でグランダー武蔵のことを話していたのでおそらく息子さんと私は同世代だなと思いました。
さて、肝心のこの作品に関してですが私はとても興味深い内容で見入ってしまいとてもあっという間でした。不謹慎かもしれませんが面白かったです。
何の事件でもそうですがマスコミは騒ぐだけ騒いで逮捕されたりある程度のその事件のピークを迎えるともう報道しなくなります。
この件も林真須美が逮捕されてからその後は連日報道されなくなったのでその後のことは私は何も知りませんでした。
地域柄ヒ素が日常的に常備されてることや、分析の仕方が専門家によって見解が違う点、科学的根拠が不足してる点、近所の方の目撃証言の信ぴょう性、娘が自殺していることなどなかなか盛りだくさんの内容でした。
本当に林真須美は冤罪なのかどうなのかはわかりませんが、一つだけ本人たちも認めている話として保険金詐欺の話がありました。
夫である林健治がその話を自慢気に語るシーン、さらにはその詐欺に加担した元同僚?舎弟のような人に息子と健治が会いに行くシーンにこの家族の人間性が見えました。
詐欺に加担した元同僚は真須美に惚れていたためそれを利用して詐欺に加担させたり、真須美は10回以上もヒ素を入れた食べ物や飲み物を食べさせ飲ませています。
そんなことをした人に何十年ぶりに会いにいき悪びれる様子もない健治、息子も子供の頃、下に見ていたと話していたので会いに行った時も気遣ってはいるものの両親のやったことに対する申し訳ない気持ちなどはないような対応に見えました。
だからといって、真須美がカレー事件の犯人とは決めつけてはいけないのですが、明らかにこの保険金詐欺事件のことやこの舎弟のような人物への毒盛りの件があったので犯人として確定され、科学的な分析の調査も雑に行われているにも関わらず死刑確定したのではないかなと思います。
ま、でもそんな健治のメンタルおばけというか人間性も含めてこの作品の良さだとは思いました。
あと気になったのは駅前での林真須美の無罪を主張する団体の演説に対して「和歌山の人らはみんな真須美が犯人だと思ってる」と面と向かって発言していた方。
パッと見アンチの方に見えるがちゃんとその主張に向き合っていて、俺は犯人だと思っているがあんたらの気持ちもわからなくないと頑張ってくれと言って立ち去るのだがこうやって向き合うことが大事だと思った。
一番ダメなのは無関心なこと。
本当に林真須美が犯人なのか、真実はわからないが大事なことはちゃんと問題に向き合うことなんだと思う。
それと最後の最後で監督が捕まりそうになる?取り調べ受けてて、本当にこの方も体張って取材してて結果的にすごく興味深い作品を作り上げてくれたので。
題材が題材なだけにあまり公開期間が短く回数も少ないですがぜひ見てほしい。
なんなら劇場公開後は配信とかもした方がいい、この事件について知らなかったたくさんのことを知れたので私としては本当に見に行って良かったです。
興味ある方はぜひ見に行ってください!
印象操作の方向性によって、事件は思わぬ方向へと逸れていくもの
2024.9.11 京都シネマ
2024年の日本映画(119分、G)
1998年に実際に起こった「和歌山毒物カレー事件」を「冤罪ではないか?」という視点で描いていくドキュメンタリー映画
監督は二村真弘
物語は、事件が起きて27年が経ち、死刑判決も出ている事件について、「冤罪の可能性」を追求するというテイストで作られている
監督の二村真弘は、ある日、林眞須美の息子・浩次(仮名)の講演を傍聴し、その内容に衝撃を受けたと言う
それによって、この事件には深い闇があるのではと考え、取材を行うようになった
裁判の判決文もなかなか入手できず、そんな中で、眞須美が誹謗中傷などに対する裁判を起こしていたことを知り、その裁判を調べていく中で、いくつかの事実に辿りついていく
それは、判決そのものの正当性と信憑性に真っ向から挑むもので、冤罪を訴える団体の検証なども含まれていた
判決では「目撃情報」「使用されたヒ素と同じものが眞須美の家と本人から検出」「これまでの余罪」などを含めて、状況証拠で死刑を確定させていることがわかり、事件の動機は「未解明」で、冤罪の可能性がずっと指摘されている案件だった
これまでにも何度も再審請求が行われてきたが全て却下されてきていて、2024年2月になってようやく和歌山地裁に受理されるに至っている
映画は、ジャーナリスト片岡健の視点、浩次から見た母親像、健治による余罪の告白などで構成され、死刑判決が妥当なのかどうかを真正面から訴えている内容だった
あまり知られていない知人男性I氏のことも詳細に登場し、彼が共謀した10件近い保険金詐欺事件の内幕まで登場する
そして、彼の背景となる家庭環境、林家へとつながりを持つことになった経緯、その印象などが語られてくる
その方が今どうしているのかはわからないが、裏読みすれば、いろんな思考が読み解けてくると言う感覚もあった
この映画は「冤罪である」という目線で描かれているので、少々のバイアスがかかっているとは思うものの、この内容が本当ならば、死刑を確定させるのは難しいのではと言う印象を持ってしまう
メディアスクラムで露出した眞須美の印象と、それを利用した世論誘導による判決が行われていたのは事実で、証言の信憑性なども不透明な部分は多い
一般人が知り得る情報は少ないのだが、パンフレットに掲載されている「判決文」を読めば、それだけで想像以上に異常な判決が出ていることがわかる
それゆえに、興味のある人はパンフレットを購入して、いろんな情報をあたってみるのも良いのかもしれない
語られていない動機を想像して嵌め込むと言うのは裁判の根底を揺るがすものであり、自白や決定的な証拠がなければ基礎すらできない案件だと思う
これまでに「自分の利益のために死者を出さない程度の詐欺事件を起こしてきた眞須美」が、いきなり「無差別テロ」のような事件を起こすのは不自然だと言う声も納得できる
実際に、彼女の周りで何が行われていて、どのような人間関係が構築されていたのかは当事者以外知り得ないのだが、亡くなった方が自治会長と自治副会長と二人の子どもというところも違和感があると思う
この事件は本当に無差別だったのか?という疑念もあって、色々と考えさせる事件だなあと感じた
いずれにせよ、かなり扱いの難しい作品であり、よく世に出たなあと思う
普通に生きていれば犯人扱いされることは稀に思うが、司法が狂っているのは国民も承知の事実で、メディアがおかしいのも誰もが知るところだろう
そう言った国に生きているという実感を持ち、いつ何時当事者として巻き込まれるかわからないということを念頭において生きていくしかないのかもしれません
いやぁ~
何とも言えないです…。
映画やドラマの見過ぎかも知れないけど、
昔の警察の取り調べって怖そうだし…。
証拠なくてもそのまま進めそうだし…。
冤罪ではないという自信があるなら、
検察も、再調査すれば良いのに…とは思わされたけど。
あと、そのヒ素のグラフのくだり?
そこが合ってないというのは大事なんだろうけど、ちょっと難しかったです。
中井さんの瞬きしなさ加減の方に!スゴって思ってしまいました。
にしても、やはり、動機が知りたい、というのはありますよね…。
とかいって、冤罪だったら、それはそれで、犯人野放しで怖いな…。
やっぱり冤罪じゃないかな
和歌山カレー事件のドキュメンタリー映画です。
この事件、広く知られていますがそれはやっぱり、逮捕されている林真須美さんの印象とかのせいですかね?
たまに何かで記事を見るのですが、スクープ記事なのか、ゴシップネタなのか
ただの憶測なのか、わからないものが多くてどれも本気で読んでいませんでした。
今回、映画になってゴシップネタぽいものの中に本当のこともあったんだな、と知り
興味を持って最後まで観ました。
なるべく客観的に見たつもりですが、やはり彼女は冤罪なんじゃないかって気がしました。
そもそも、この林家になんの得にもならないことだし。
証拠なし、自白なし、目撃もあいまい。
でも普段の行いが悪いから、疑われて
いろいろボロが出てリンクして考えられちゃったんじゃないかな。
映画の中で、彼女が「普通の生活からいきなり墜ちた」そんなこと言ってたのが
印象的。(その割りにはうろ覚え)
しかし、林健治さんのヒ素をペロッと舐めた、には驚いた。
あと、ラストはダメだと思う。
訴える人は、品行方正じゃないと!
全てが覆りますよね。
中途半端な力作
タイトルでしか知らないのですが、かの有名映像作家の「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言葉がずっと脳内を巡っていた。
典型的な一方への肩入れ視点で作られているので、この手のドキュメンタリーを見れば、容疑者擁護の気持ちが芽生えてくるのだが、あからさまなその作りと林健治のクズっぷりが伺えたので、「どうかこいつらが犯人であってくれ」という気持ちが湧いてきてしまった。それが恐らく林真須美の捕まるまでの行動言動で犯人と決めつけてしまった世論であり、自分もその世論を形成してしまった一人なのだろう。
イメージシーンを挿入したりドローン撮影を多用したりと、なんだか民放バラエティ番組の犯罪再現ドラマを見ているようで、しかしながら断られても断られても(少々強引とも思えるが)一般家庭への直撃取材を繰り返し、真相解明への熱意は伝わってくる。
事件の真相も解明されておらず(これからされるとも限らないが)、取材もまだまだ途中なのかもしれないけれど、鑑賞後はなんとも中途半端な気持ちしか残らなかった。
真相は?
監督は、彼女の無罪を信じていて、その視点で話が進行する。確かに死刑判決につながったことに疑わしいことが多く、いろいろな意見や見解があるということ以上に、自分としてどれが正しいのか、ということは容易には言えない。ただ、再審は、すぐにでもすべきだと思う。
冤罪なのかどうなのか
林家をとりかこむマスコミの数がともかく異常。住宅地にここまで押し寄せる異常さが当時は容認されていたことにあらためて驚く。
冤罪かどうかは私にはわからない。
ただ、もし冤罪だとしたら、彼ら家族が耐えるしかなかったさまざまな苦痛や苦悩の詰まった果てしなく長い時間にたいして、誰がどのように償うのだろう、と思いながらみた。
作為的、恣意的な(と感じられる)イメージカットが入ってくるとドキュメンタリーの意味がうすれてしまってちょっともったいない。真実を知りたいあまりにイリーガルな手法をもちいてしまうのも、主張の真っ当さがうすれてしまうのでちょっともったいない。
林眞須美死刑囚は無実では、と思わせる検証内容
1998年7月、和歌山市園部の夏祭りで出されたカレーに猛毒のヒ素が入っていて、4人が死亡、67人がヒ素中毒を発症した事件が起こった。犯人として逮捕されたのは近所に住む主婦の林眞須美だが、彼女は一貫して容疑を否認しており、2009年に最高裁で死刑が確定した後も獄中から無実を訴え続けている。最高裁判決に異議を唱える本作では、当時の目撃証言や科学鑑定への反証を試み、当時の関係者にインタビューを行ったたドキュメンタリー作品。
彼女は犯人じゃない様な気がしてきた。
保険金詐欺は夫健治からの提案だったらしいし、いずみくんも本人が知ってて保険金詐欺に関与した様だし、ヒ素も似た様なものというだけで同一ではなかった様だし、林家以外にも自宅にヒ素を持ってた家が有ったそうだし、動機なし、自白なし、物証なし、目撃情報は信憑性なし。
ないないづくしなのに、保険金詐欺を夫に持ちかけられ共犯者となったことでイメージが悪くなり犯人にされてしまった様に感じた。
元検事の態度も感じ悪いし、東京理科大の教授も自分は悪くない、という姿勢で誠意が感じられなかった。
無罪の可能性が有るのだから、再審請求に応じるべきだと思う。
1998年7月に起きた「和歌山カレー毒物混入事件」。 地域の夏祭り...
1998年7月に起きた「和歌山カレー毒物混入事件」。
地域の夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入し、4人が死亡、数十人が重軽傷を負った事件だ。
犯人と目され、逮捕、最高裁で死刑判決がでた主婦・林眞須美は無罪を訴え続けた。
裁判で提出された「目撃証言」「科学鑑定」を再度検証し、判決は適切であったかどうか、当時の過熱したマスコミ報道の在り方に誤りはなかったのか・・・
といったところから取材がはじまるドキュメンタリー映画。
証言・証拠の再検証から「冤罪事件」とその原因を追うつもりだったはずだが、林死刑囚の夫・健治の口から、当時、事件の背景として世間から強力に非難された原因である保険金詐欺事件の全貌がアッケラカンと飛び出す。
健治が行っていた保険金詐欺事件・・・って、まんま『黒い家』やん。
『黒い家』では妻が主犯だったけれど、健治の保険金詐欺事件の主体は健治。
「楽勝やで~」などとの発言もあり、あまりの不謹慎さに取材する監督も魅了されてしまう。
結果、製作意図からドンドントとズレていき、良識とか常識の範疇からはみ出して行くという不謹慎な面白さに満ち満ちている。
良作とかからは遠いが、ケッサクといえるかも。
共感なし
保険金詐欺の件
同居人の呼び捨て
どれもネジが外れた人の行動
映画としても事実の積み重ねや、関係者の背景の丁寧な取材や整理がなく、上滑りのドキュメンタリーで、共感を得にくい映画だったと思う
町山さんの解説とは違う印象をもちました
ヒ素の特定の疑い、動機がないことから無罪ではあると思いますが、同じ地区のヒ素の所持の疑いが憶測レベルであること、家族の当時の行動が曖昧なこと、無罪に向けたの事実の積み重ねが浅かったとおもう
福田村事件と構造は同じってことに気づいた
「あいつらなら やりかねないよね」。
これが、我らが福田村が「5000人を死刑にした“正当な"理由」なので。
集団ヒステリーとは、つまり噂話とゴシップが大好きな一般大衆と、それに乗じる大本営の仕業なのだ。
この映画を観て、
誰が犯人なのかという答えは全く出てこない。
わかったのはこのカレー事件の騒ぎで、庶民は十二分に楽しみ、そして生け贄の祭りに満足し、今は口を閉ざしているということだけだ。
狭山事件の“殺人犯"石川一雄さんの家に、僕は行って、その家の中を説明を受けながら見せてもらったことがあるし、
また、知人が殺人犯の嫌疑で逮捕され、最高裁で無罪が確定するまで20年も、公権力とマスコミから殺人犯としての扱いを受け、言語道断の苦しみを加えられた姿をそばで見てきたし、
松本サリン事件の折には、その事件の現場はうちのごく近所だったから、第一通報者のKさんが犯人だと確信していた僕自身もいた。
衆愚である自分が、実はどれだけ危険な種を内包している存在であり、魔女狩りをしでかす危険を孕んだ存在であったか、
それを考えながら帰途についた。
最新鋭・専門家の罠
1998年7月、和歌山市園部で起きたいわゆる「和歌山毒物カレー事件」は連日ワイドショーを賑わし、怪しいと見られた林眞須美氏がカメラマンに向けてホースの水を撒く映像は繰り返しテレビで流されました。そして、ふてぶてしそうに映るそのイメージから「こいつが犯人に違いない」の決めつけが国民の間に定着して行き、やがて逮捕・裁判の結果、2009年に最高裁で彼女の死刑が確定しました。本作は、彼女が本当に犯人だったのかを一から再検証したドキュメンタリーです。一部の関係者の間では「彼女は冤罪なのではないか」という議論がかねてからあったのだそうですが、僕は全く知りませんでした。
当時の目撃証言の矛盾点・曖昧さ、物的証拠の弱さが一つ一つ指摘され、「へぇ~、そうなのかぁ」と驚かされる一方で、作中に登場する林家の家族の証言、特に、妻の眞須美氏にヒ素化合物で殺されかけたとされる夫の健治氏の語りには「なんじゃこの人?」と度肝を抜かれ、真実が一体どこにあるのか分からなくなってしまいます。そういう意味では非常によく出来た推理劇・法廷ドラマの様に「楽しめてしまう」のでした。
その様に、本作は非常に多層的な構造を有しているので一言で語り辛いのですが、僕が一番驚いた点を一つだけ挙げておきます。林眞須美氏の有罪を決定付けた物証として、林家の台所にあったシロアリ駆除用容器の亜ヒ酸と、カレー鍋の傍に捨てられていた紙コップに付いていた亜ヒ酸が同一物だという分析結果が挙げられていました。それには当時最新鋭のspring8 と呼ばれる大型の分析器が用いられ、新聞・ニュースでも大きく取り上げられました。僕もよく覚えているのですが、
「ええ?両者が同一物と証明できたと言う事は、台所にあった容器に含まれる微量添加物や配合物が亜ヒ酸に僅かに混入し、それが鍋の傍の紙コップからも検出できたと言う事なんだろうな。そんな物まで分析できるなんて、さすが最新鋭機はすごいな」
と驚いたものでした。ところが、それは全く違っていたのです。あの分析で判明したのは、「どちらも中国産亜ヒ酸である」と言う事だけだったのです。この映画を観てから改めて調べると、日本で用いられる亜ヒ酸の多くは輸入品で中国産が最も多いのです。だから、この分析結果は「どちらからも、最も一般的なヒ素化合物が検出されました」というだけで、これだけでは何ら決定的証拠になり得ないのは明らかです。せめて、林家の台所以外に和歌山県内には中国製亜ヒ酸はないと言う程度の検証は必要でしょうが、そんな調査は一切行われていません。
本作を観ても「彼女は冤罪である」とまでは言えないかも知れませんが、何人も疑う余地のないほど明らかに彼女の犯行であるとはとても思えませんでした。「疑わしきは被告人の利益に」は現在の裁判の大原則でしょうから、再審が認められるべきだと思います。
何でみんな観ないの?Part1
1998年7月におきた「和歌山毒物カレー事件」
67人がヒ素中毒発症、4人が死亡。
当時はまだ子供(?)だったので、事件の詳細までは理解していませんでしたが。。
押し寄せるマスコミ陣にホースで水をかける真須美氏の姿には驚いたし、机の上の札束!
それを囲む林家の様子は鮮明に覚えていて
「ヤバ!」と思ったし、普通の人達じゃなさそう。。って印象でした。
ヒ素や睡眠薬を使用しての保険金詐欺、保険金殺人未遂事件。
様々な犯罪に手を染めていた事実。
上記の犯罪で真須美氏が逮捕され、カレー事件の犯人も彼女だったとし、2009年最高裁で死刑確定。
刑が執行されぬまま今に至る。。
個人的にリアタイでのTVでの情報しか入っていないので、マスコミの情報操作に影響されている。。と、言われればそれまでなのだが、、
私も犯人は真須美氏なんだと思っていた。
だって"警察"が逮捕して"最高裁"までいった裁判で"死刑"が言い渡されているんだもん。
"冤罪の可能性"なんて頭になかった。
否認し続けていたのは知っていたけど、正直、そりゃそ〜だろ。って位にしか思っていなかった。
鑑賞前に少しだけ事件の事を調べてから本作に望んだのだが。。
知らない事だらけで驚いた。
何だか何を信じれば良いのやら(°▽°)
正直困惑しかないです。
監督の行き過ぎた取材で、ドキュメンタリーとしてどうなの?とか、冤罪だという考えに持っていかれがちだった印象も拭えずで、更に困惑させられる。
「疑わしきは被告人の利益」
裁判というと"人を裁く"という印象ですが、実際は、検察官が合理的な、疑問を残さない程度の証拠を提出出来たかどうかを判断するものですよね。
証拠に基づき、検察官の言い分に確信が持てるか。。
確信が持てなければ、被告人に有利な方向で判断しなければならない。。
本事件は、この大前提に沿っているのか。。
真須美氏、健治氏が保険金詐欺をした事は事実ですが、カレー事件については犯行を否認し続けている現状。
どう捉えれば良いのか。。
保険金詐欺事件とカレー事件を一緒の事として考えるのはどうなのか。。
動機もわからなければ、犯人が誰なのかも私にはさっぱりわからないし、冤罪なのか否かもわかりません。
2024年2月時点で再審請求が受理されたとのこと。
今後の動向に注目したいです。
ちょっと本音。。
やっぱり健治氏は人としてどうなの?!としか思えず。。
長女の人生も驚きでしかない。
被害者が加害者になる背景。。
本事件で林家の子供達も被害者なのは間違いないが、負の連鎖を断ち切るって難しいなと思う。
呪いのようです。
こちらの皆さんのレビューが読みたいのに、鑑賞してる方が少ないのなんでなんで??
わかったことと新たな疑念
事件が起きた当初から、夏祭りで出すカレーにわざと毒を入れる人なんているのかしら、という疑問があった。ある時期に、様々な冤罪事件を取り上げた小さな映画会で、林死刑囚のことも含まれていることを知り、まだ冤罪の可能性が消え去ったわけではないと知った。本作で、どのような事実経過が明らかになっているのかを確認してみたかった。しかし、亜砒酸の最初の検査傾向は明らかにされているが、異議を唱えた研究者の調査結果が不明瞭に感じられた。夫の保険金詐欺事件の実態を知って呆れた。そこはそこで罪を償うべきだと思った。娘の心中事件には、配慮が必要だと思った。監督の取材での対象者とのトラブルの顛末を描いたのは、正直ではあるけれども、不安を感じる要素ともなった。
独自の目線 真実は多数決ではない
「疑わしきは被告人の利益に」これが刑事裁判の原則。
林 眞須美といえば、記者に水をかけるシーンが思い浮かぶが、あれも記者が「暑いから水をかけてくれ」って言ったという噂もある。
袴田事件では再審請求から無罪判決も出ている。
真実を追求することが仕事のはずなのに、バイアスや別の成績が絡むと道を外す可能性があるという事を示した作品だった。
警察、検察にしてもメディアにしても、林 眞須美に罪を被せやすかったのだろう。林夫妻は決して善人ではない。保険金詐欺をしてた事は本人も認めてる。
が、毒物カレー事件の一点については無実を訴えている。
裁判において人間性や他の犯罪歴は関係ない。
状況証拠で固められた「真実」も動機がハッキリしない。
証拠の正当性が提供されてるのだから裁判所も聞く耳を持つべきだろうな。
監督も不起訴とはいえ捕まったって笑っていいのか悪いのか。それは隠してもわからないだろうけどちゃんと顔出しでスクリーンに映したのは良いオチだったな。
再審請求については、大阪の裁判所近くでもビラ配りされてたので知っていた。もう10年以上前のことだから、ずっと活動し続けていることは余程の信念が無いとできない事だろうな。
タイトルなし
始まってすぐ、お芝居と簡単にわかる疑似ニュース音声や歌声、遺族男性を受けて回り込むカメラワークなど「悪い意味でやばい」空気が充満していたが、あっという間に素材の良さが凌駕する。和歌山カレー事件に関わる人間たちの素材としての素晴らしさ。これは監督そりゃ夢中になるし人生賭けちゃうわ。林真須美に動機はないのは勿論、この世の誰にも動機がないこの事件。黒沢清の映画なら全く気にならないんだけど、現実だしな。
林健治の保険金詐欺を話す時の屈託のなさからどうして妻は無罪と言いきれるのかの意味のわからなさや、裏切り者との和気あいあいとしたやり取りが、常人離れして素晴らしい。
あとパンフレット開くと"ストーリー"の項があって笑ってしまった。何だよストーリーって。わかるけど。
無罪かどうか、死刑でいいのか、さっぱり分からない。その裏にめちゃくちゃ適当に生き物に死刑判決を出す日本人の恐ろしさがある。司法行政立法から家族親戚隣の家まで、全員日本人なのって怖い、信用ならない。というわけでまともな人間が一人も出てこない作品。
僕は、最高裁判所 判決を支持します。 それが正義です。
最初のシーンで、マスコミ取材において"取り直すシーン"があった。
これが この映画の真髄であり、真実と事実の違いと、その重要性である。
この夫婦が関係した 疑義を 僕なりに調べたが、吐き気を催すほどの悪量である。
それを制する 正義 が無ければ、彼女らは 何時までも 更なる悪を繰り返し、次々に模倣犯まで産みだすと考えられる。
よって、悪戯の多々を繰り返した末のこの大罪による報いである。
薬物(ヒ素)を誰が、いつ 入れたかは、重要ではない。
サイコロを振った人間よりも、賭博場を作り出した経緯と元締めが最大の悪である。
滑稽なのは、支援者たちに載せられた 帝大教授。
私立R大の研究者が「SPring-8」実験装置を使って、判定を行った事への"焼きもち"が
見え隠れし、載せられたのは、良く判るが、
「100%ではない」と言う屁理屈をK大の傘の下で、平然と言い切る 醜い男の1面の様を、映画で魅せられてしまった。
K大教授は、必要条件と絶対条件の違いを指摘しているに過ぎないが、神しか判らない事を言った事を、掬われてしまい、それを裁判に引き出した 支援者達の企みは、アッパレ優れ者です。
どんな豚にも支援者が存在する日本は、「捨てたものではない国」だと、映画を鑑賞中ずっと、実感していました。
監督は、取材をしながらも、本人の実力なのか、偶然なのか 真 なのかと
I氏を疑い、
隠密取材をしようとして、ヘマをしでかしたようだが
世にバトンをパスされても。。。彼は模倣犯だとは考えられますが、
警察は、事件後の"保険金の流れ"だけは 必ず確認されただろうから、真ではないと考えられます。
映画はきちんと構成され、撮影も素晴らしく
編集もよく、とても見易く 良い映画作りをしている素質がある素晴らしい監督だと判るので、
今後は、もう少し大きな"山"を取材して、映画にしてほしいと 僕は望みます。
この映画を観たら、
マイケルムーア監督の「華氏119(2018年)」をお勧めしたい。
僕は、この映画を観て、批評とは 全く別な 反対的な感想を持った程
凄い映画だった!
最後に、この豚共の犠牲になられた方々の 尊い命に、ご冥福をお祈りいたします。
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