マミーのレビュー・感想・評価
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「空気」の支配とドキュメンタリーの臨界点
ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』は、犯人と思われた男のDNA鑑定が「不一致」で、逮捕にいたらないという結末だった。しかし、80年代のDNA鑑定は「DNA型鑑定」とも呼ぶべきもので、正確性に問題があった。本作では、当時の亜ヒ酸の分析が「パターン分析」であり、分析者の「主観」による断定だったとの検証がなされる。再分析では、林眞須美家にあったヒ素と、カレー鍋に混入されたヒ素は同一ではない、との結果だったそうだ。
和歌山毒物カレー事件は、マスメディアの取材が過熱していた。取材陣にホースで水をかける眞須美の姿は、見る者に特定の印象を植えつけた。
また、ある共同体で起こった惨事について、誰かに帰責して平穏を取り戻したい、との力学が働き、眞須美をスケープゴートとして差し出した、という背景があったかもしれない。
雑駁な印象だが、林眞須美という人は「自分にメリットのないリスクはとらない」というポリシーを徹底しているように見える。つまり、夏祭り参加者を無差別に狙うような事件を起こす動機が想像し難い。怨恨なら、怨みを抱く対象を確実に殺害できる方法を選ぶように思われる。奇妙な言い方だが、林死刑囚の人格を考えると、カレー鍋に毒物を入れる、などという行為は、不合理きわまりない。この事件の最大の謎は、動機だ。
原一男監督『ゆきゆきて、神軍』で、かつての上官を殴る奥崎謙三を淡々と撮っているカメラに向かって、上官の妻が助けを求めて声を荒げる場面がある。本作で、二村監督は、事件関係者車両にGPS装置をしかけ、不法侵入で送検、示談となっている。
この時代にドキュメンタリーを撮ることの意味と意義を考えさせられる。監督は「何か成果があるまで退けないと思った」と語っていた。「大義」ある行いに、法的制裁はなされるが、社会的には擁護される、という状況は、益々成立し難くなっている。ドキュメンタリストの今後も問われる映画だ。
タイトルなし
見てよかった。訴えられそうになりながらも 執念で撮っている監督はすごい。マルゲキで見ていたので、ますみさんが無実だろうことは知っており、もう映画は見なくてもいいかと思っていたけど、ちゃんと見て良かった。夫のリアリティが伝わる。ますみさんの長女が自分の子供を殺して死んでいたことは知らなかった 。ますみさんがその予兆夢も見ていたということは 衝撃だった。 この夫婦のやっていたこと自体が相当レアケースで普通には理解しづらい 。自分の詐欺のいきさつをとうとうと 語る 夫の存在自体も強烈だ。親戚中が警察官で、排除されていた青年が このうちに出入りしていたことも、まるでドラマのようだった。最初に鑑定をした学者はパーソナリティ的にも変だと見てわかる。ますみさんが悪女とされてきたけど、本当に悪いのは夫の方ではないのか? とはいえ、夫が自分が使い込んだ金を返そうとヒ素を飲もうとしたのをますみさんは止めなかったのか? 本当の悪女なら離婚届を送る優しさ?はないのでは。
子どもと旦那が明るい
事件当時、保険金狙いで麻雀仲間を二人くらいヒ素カレーを食べさせて殺害していると報道されていたような気がしたが死んではいなかったようだ。泉という被害者も、高度障害での保険金狙いで自らヒ素カレーを食べたり、原付で事故を起こそうとしていたりしたようだ。てっきりそんな極悪人が林ますみであると思っていた。確かに保険金詐欺の常習犯は悪人だが、無差別テロとは様子が違う。ヒ素をカレーに入れても利益が発生しない。町内全体に対する憎しみでもあったのだろうか。そうでなければ確かに動機がない。
それにヒ素が林家にあったものと明確に違うようだ。冤罪なのかもしれない。
林ますみが長女とお風呂に入っていたら溺死する夢を見たら、本当に娘が瀬戸大橋から身投げして子どもと心中していた。後付けの嘘でなければスーパーナチュラルの存在をさりげなく示す。長女はいったいどんな人生を送っていたのだろう。
息子と健司が泉を訪ねるシーンがある。二人ともすごく明るい。長男は自分は幸福にならない方がいいと、結婚もせず家庭も持たない人生を選択している。相手次第だけどそんなふうに決めつけず人生の可能性を探って欲しいと思うのだけど、長女の末路を思うと、選択が正しいのかもしれない。
冤罪であると訴える団体の皆さんがすごく熱心だ。彼らに何一つ利益があるとも思えず、単なる善意でやっているように見える。すごい人たちだ。選挙に出て世の中を正してほしい。
監督ががんがん行くタイプの人だと思ったら、取材相手にGPSをつけようとして被害届をだされていて、そんな様子も作品の一部にしている。偉そうでなくていい。
後ろの席のおじさんが豪快にいびきをかいていたし、斜め後ろの人もずっとビニールをパリパリさせていた。
夫の異常さ
林健治がクレイジーに語る場面が、もしかすると容疑者の審判に影響を与えたかもしれないと思われた。その前の週、めったに満員にならないミニシアターが満員で入れなかったため、超期待して観に行ったが、あまりグッとくるものはなかった。
有罪を正しく疑うも、無実は証明しない映画
1. 最低でも再鑑定は必須
当時の鑑定人の中井氏(東京理科大)が意図的に不正をした訳ではなくとも、河合氏(京大)の批判は合理的で、定量的な解析も複数の手法での検証もやった方がいいに決まっている。なので再審をするか否かの議論の前に、取り敢えず再鑑定だけはするべき。科学技術の進歩は目覚ましいので、当時以上に詳細に情報が得られる事は間違いない。その結果、事件で使われたヒ素がMommy家にあったと証明不能になるなら、有罪判決は支持できない。
目撃証言にも矛盾があるのかもしれないが、仮にMommyが蓋を開けていても、ヒ素を入れたと断定できないのだから証拠能力は無い。
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2. 無罪=無実ではない
ヒ素の同定に不備がある以上、Mommyは「推定無罪」の状態に思える。ただそれは、彼女が本当にやっていない事の証明にはならない。ヒ素を混入してから家宅捜索されるまでは、何週間かのズレがある。ヒ素を混入したのが誰であり、残りのヒ素が入っていた容器を何処かに棄てる時間は十分ある。捨てられた物は再鑑定できない。
ただ、Mommyがヒ素が成分鑑定され得るという化学的な知識があったというのは邪推かも。シロアリ業者に限らず、周辺にもヒ素を持つ家庭があるのが常識だったら、自分の家だけ狙い撃ちされるとも思わなそう。
とは言え、Mommyがヒ素を入れた証拠が無いのと同じくらい、彼女が入れていない証拠も無い。物証が不確定な以上「推定無罪」だが、無実と断定もできない。
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3. 詐欺師の証言を信じる根拠が無い
夫の証言を長時間撮れた事が、ドキュメンタリーとしての価値なのだろう。ただ、彼が滔々と語るのは、如何に上手く保険金詐欺を実行したかと言う事。Mommyが毒物を他人に摂取させた事はないと主張したいのは分かるが、どうして詐欺師の「騙り」を信じる必要がある? 貴方は語ってるのは、自分が如何に医師や保険会社を騙してきたという事。何で今の言葉が、妻を無罪にする為の「騙り」じゃないと信じなきゃいけないの?
面白かったのは、語れば語るほどMommyが保険詐欺の共犯者、あるいは主謀者の1人との心象が強くなる事。それがカレーに毒物を混ぜる動機には直結はしないが、犯罪傾向が高そうな印象は強まった。
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4. マスゴミの悪癖を繰り返す醜悪さ
Mommyのイメージが悪化した主要因の1つが、取材陣にホースで水をかけるシーンが繰り返し放映された事。本来、取材って依頼して了解を得た上で成立するもの。道を歩いていて、突然質問を投げかける取材者に応えなきゃいけない法的根拠って何だろう?
抜き打ちの取材者に好感を持てる筈がないから、当然断る態度は平時より悪くなりがち。あまりにしつこくカメラを向けられたら、犯罪者ならずとも水くらいかけたくなるかも。そこでマスコミが発明?したのが、取材の不成立を上司に怒らえる位なら、取材対象者の断る姿を撮って流す手法。取材対象者が犯罪被疑者だったり、不祥事が噂される政治家や経営者だったら、悪く映りがちな断る態度は視聴者が期待するイメージにピッタリ。本来、拒否されて成立してない取材を放送する権利は無い気がするけど、日本では悪しき伝統芸能になった。
この悪しき手法を、本作は終盤で堂々と使う。カレー毒事件に関与した検事や捜査関係者に取材しては、拒否する姿を写し、こいつら何か隠しとんちゃう?という下世話な印象を観客にプレゼントする。ワイドショーだろうがドキュメンタリー映画だろうが同じ穴の狢。マスゴミには変わりはない。見処がある映画ではあったが、終盤で客観性に欠ける作品と露呈した。
いろいろ複雑だが見に行ってよかった
たまたま劇場の予告編で見て、これは見てみたいと思い見にいきました。
ちょうどこの事件当時は私は小学生でしたが連日報道されてもちろん知っていました。
劇中で息子さんが事件当時の話でグランダー武蔵のことを話していたのでおそらく息子さんと私は同世代だなと思いました。
さて、肝心のこの作品に関してですが私はとても興味深い内容で見入ってしまいとてもあっという間でした。不謹慎かもしれませんが面白かったです。
何の事件でもそうですがマスコミは騒ぐだけ騒いで逮捕されたりある程度のその事件のピークを迎えるともう報道しなくなります。
この件も林真須美が逮捕されてからその後は連日報道されなくなったのでその後のことは私は何も知りませんでした。
地域柄ヒ素が日常的に常備されてることや、分析の仕方が専門家によって見解が違う点、科学的根拠が不足してる点、近所の方の目撃証言の信ぴょう性、娘が自殺していることなどなかなか盛りだくさんの内容でした。
本当に林真須美は冤罪なのかどうなのかはわかりませんが、一つだけ本人たちも認めている話として保険金詐欺の話がありました。
夫である林健治がその話を自慢気に語るシーン、さらにはその詐欺に加担した元同僚?舎弟のような人に息子と健治が会いに行くシーンにこの家族の人間性が見えました。
詐欺に加担した元同僚は真須美に惚れていたためそれを利用して詐欺に加担させたり、真須美は10回以上もヒ素を入れた食べ物や飲み物を食べさせ飲ませています。
そんなことをした人に何十年ぶりに会いにいき悪びれる様子もない健治、息子も子供の頃、下に見ていたと話していたので会いに行った時も気遣ってはいるものの両親のやったことに対する申し訳ない気持ちなどはないような対応に見えました。
だからといって、真須美がカレー事件の犯人とは決めつけてはいけないのですが、明らかにこの保険金詐欺事件のことやこの舎弟のような人物への毒盛りの件があったので犯人として確定され、科学的な分析の調査も雑に行われているにも関わらず死刑確定したのではないかなと思います。
ま、でもそんな健治のメンタルおばけというか人間性も含めてこの作品の良さだとは思いました。
あと気になったのは駅前での林真須美の無罪を主張する団体の演説に対して「和歌山の人らはみんな真須美が犯人だと思ってる」と面と向かって発言していた方。
パッと見アンチの方に見えるがちゃんとその主張に向き合っていて、俺は犯人だと思っているがあんたらの気持ちもわからなくないと頑張ってくれと言って立ち去るのだがこうやって向き合うことが大事だと思った。
一番ダメなのは無関心なこと。
本当に林真須美が犯人なのか、真実はわからないが大事なことはちゃんと問題に向き合うことなんだと思う。
それと最後の最後で監督が捕まりそうになる?取り調べ受けてて、本当にこの方も体張って取材してて結果的にすごく興味深い作品を作り上げてくれたので。
題材が題材なだけにあまり公開期間が短く回数も少ないですがぜひ見てほしい。
なんなら劇場公開後は配信とかもした方がいい、この事件について知らなかったたくさんのことを知れたので私としては本当に見に行って良かったです。
興味ある方はぜひ見に行ってください!
印象操作の方向性によって、事件は思わぬ方向へと逸れていくもの
2024.9.11 京都シネマ
2024年の日本映画(119分、G)
1998年に実際に起こった「和歌山毒物カレー事件」を「冤罪ではないか?」という視点で描いていくドキュメンタリー映画
監督は二村真弘
物語は、事件が起きて27年が経ち、死刑判決も出ている事件について、「冤罪の可能性」を追求するというテイストで作られている
監督の二村真弘は、ある日、林眞須美の息子・浩次(仮名)の講演を傍聴し、その内容に衝撃を受けたと言う
それによって、この事件には深い闇があるのではと考え、取材を行うようになった
裁判の判決文もなかなか入手できず、そんな中で、眞須美が誹謗中傷などに対する裁判を起こしていたことを知り、その裁判を調べていく中で、いくつかの事実に辿りついていく
それは、判決そのものの正当性と信憑性に真っ向から挑むもので、冤罪を訴える団体の検証なども含まれていた
判決では「目撃情報」「使用されたヒ素と同じものが眞須美の家と本人から検出」「これまでの余罪」などを含めて、状況証拠で死刑を確定させていることがわかり、事件の動機は「未解明」で、冤罪の可能性がずっと指摘されている案件だった
これまでにも何度も再審請求が行われてきたが全て却下されてきていて、2024年2月になってようやく和歌山地裁に受理されるに至っている
映画は、ジャーナリスト片岡健の視点、浩次から見た母親像、健治による余罪の告白などで構成され、死刑判決が妥当なのかどうかを真正面から訴えている内容だった
あまり知られていない知人男性I氏のことも詳細に登場し、彼が共謀した10件近い保険金詐欺事件の内幕まで登場する
そして、彼の背景となる家庭環境、林家へとつながりを持つことになった経緯、その印象などが語られてくる
その方が今どうしているのかはわからないが、裏読みすれば、いろんな思考が読み解けてくると言う感覚もあった
この映画は「冤罪である」という目線で描かれているので、少々のバイアスがかかっているとは思うものの、この内容が本当ならば、死刑を確定させるのは難しいのではと言う印象を持ってしまう
メディアスクラムで露出した眞須美の印象と、それを利用した世論誘導による判決が行われていたのは事実で、証言の信憑性なども不透明な部分は多い
一般人が知り得る情報は少ないのだが、パンフレットに掲載されている「判決文」を読めば、それだけで想像以上に異常な判決が出ていることがわかる
それゆえに、興味のある人はパンフレットを購入して、いろんな情報をあたってみるのも良いのかもしれない
語られていない動機を想像して嵌め込むと言うのは裁判の根底を揺るがすものであり、自白や決定的な証拠がなければ基礎すらできない案件だと思う
これまでに「自分の利益のために死者を出さない程度の詐欺事件を起こしてきた眞須美」が、いきなり「無差別テロ」のような事件を起こすのは不自然だと言う声も納得できる
実際に、彼女の周りで何が行われていて、どのような人間関係が構築されていたのかは当事者以外知り得ないのだが、亡くなった方が自治会長と自治副会長と二人の子どもというところも違和感があると思う
この事件は本当に無差別だったのか?という疑念もあって、色々と考えさせる事件だなあと感じた
いずれにせよ、かなり扱いの難しい作品であり、よく世に出たなあと思う
普通に生きていれば犯人扱いされることは稀に思うが、司法が狂っているのは国民も承知の事実で、メディアがおかしいのも誰もが知るところだろう
そう言った国に生きているという実感を持ち、いつ何時当事者として巻き込まれるかわからないということを念頭において生きていくしかないのかもしれません
いやぁ~
何とも言えないです…。
映画やドラマの見過ぎかも知れないけど、
昔の警察の取り調べって怖そうだし…。
証拠なくてもそのまま進めそうだし…。
冤罪ではないという自信があるなら、
検察も、再調査すれば良いのに…とは思わされたけど。
あと、そのヒ素のグラフのくだり?
そこが合ってないというのは大事なんだろうけど、ちょっと難しかったです。
中井さんの瞬きしなさ加減の方に!スゴって思ってしまいました。
にしても、やはり、動機が知りたい、というのはありますよね…。
とかいって、冤罪だったら、それはそれで、犯人野放しで怖いな…。
やっぱり冤罪じゃないかな
和歌山カレー事件のドキュメンタリー映画です。
この事件、広く知られていますがそれはやっぱり、逮捕されている林真須美さんの印象とかのせいですかね?
たまに何かで記事を見るのですが、スクープ記事なのか、ゴシップネタなのか
ただの憶測なのか、わからないものが多くてどれも本気で読んでいませんでした。
今回、映画になってゴシップネタぽいものの中に本当のこともあったんだな、と知り
興味を持って最後まで観ました。
なるべく客観的に見たつもりですが、やはり彼女は冤罪なんじゃないかって気がしました。
そもそも、この林家になんの得にもならないことだし。
証拠なし、自白なし、目撃もあいまい。
でも普段の行いが悪いから、疑われて
いろいろボロが出てリンクして考えられちゃったんじゃないかな。
映画の中で、彼女が「普通の生活からいきなり墜ちた」そんなこと言ってたのが
印象的。(その割りにはうろ覚え)
しかし、林健治さんのヒ素をペロッと舐めた、には驚いた。
あと、ラストはダメだと思う。
訴える人は、品行方正じゃないと!
全てが覆りますよね。
中途半端な力作
タイトルでしか知らないのですが、かの有名映像作家の「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言葉がずっと脳内を巡っていた。
典型的な一方への肩入れ視点で作られているので、この手のドキュメンタリーを見れば、容疑者擁護の気持ちが芽生えてくるのだが、あからさまなその作りと林健治のクズっぷりが伺えたので、「どうかこいつらが犯人であってくれ」という気持ちが湧いてきてしまった。それが恐らく林真須美の捕まるまでの行動言動で犯人と決めつけてしまった世論であり、自分もその世論を形成してしまった一人なのだろう。
イメージシーンを挿入したりドローン撮影を多用したりと、なんだか民放バラエティ番組の犯罪再現ドラマを見ているようで、しかしながら断られても断られても(少々強引とも思えるが)一般家庭への直撃取材を繰り返し、真相解明への熱意は伝わってくる。
事件の真相も解明されておらず(これからされるとも限らないが)、取材もまだまだ途中なのかもしれないけれど、鑑賞後はなんとも中途半端な気持ちしか残らなかった。
真相は?
監督は、彼女の無罪を信じていて、その視点で話が進行する。確かに死刑判決につながったことに疑わしいことが多く、いろいろな意見や見解があるということ以上に、自分としてどれが正しいのか、ということは容易には言えない。ただ、再審は、すぐにでもすべきだと思う。
冤罪なのかどうなのか
林家をとりかこむマスコミの数がともかく異常。住宅地にここまで押し寄せる異常さが当時は容認されていたことにあらためて驚く。
冤罪かどうかは私にはわからない。
ただ、もし冤罪だとしたら、彼ら家族が耐えるしかなかったさまざまな苦痛や苦悩の詰まった果てしなく長い時間にたいして、誰がどのように償うのだろう、と思いながらみた。
作為的、恣意的な(と感じられる)イメージカットが入ってくるとドキュメンタリーの意味がうすれてしまってちょっともったいない。真実を知りたいあまりにイリーガルな手法をもちいてしまうのも、主張の真っ当さがうすれてしまうのでちょっともったいない。
林眞須美死刑囚は無実では、と思わせる検証内容
1998年7月、和歌山市園部の夏祭りで出されたカレーに猛毒のヒ素が入っていて、4人が死亡、67人がヒ素中毒を発症した事件が起こった。犯人として逮捕されたのは近所に住む主婦の林眞須美だが、彼女は一貫して容疑を否認しており、2009年に最高裁で死刑が確定した後も獄中から無実を訴え続けている。最高裁判決に異議を唱える本作では、当時の目撃証言や科学鑑定への反証を試み、当時の関係者にインタビューを行ったたドキュメンタリー作品。
彼女は犯人じゃない様な気がしてきた。
保険金詐欺は夫健治からの提案だったらしいし、いずみくんも本人が知ってて保険金詐欺に関与した様だし、ヒ素も似た様なものというだけで同一ではなかった様だし、林家以外にも自宅にヒ素を持ってた家が有ったそうだし、動機なし、自白なし、物証なし、目撃情報は信憑性なし。
ないないづくしなのに、保険金詐欺を夫に持ちかけられ共犯者となったことでイメージが悪くなり犯人にされてしまった様に感じた。
元検事の態度も感じ悪いし、東京理科大の教授も自分は悪くない、という姿勢で誠意が感じられなかった。
無罪の可能性が有るのだから、再審請求に応じるべきだと思う。
1998年7月に起きた「和歌山カレー毒物混入事件」。 地域の夏祭り...
1998年7月に起きた「和歌山カレー毒物混入事件」。
地域の夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入し、4人が死亡、数十人が重軽傷を負った事件だ。
犯人と目され、逮捕、最高裁で死刑判決がでた主婦・林眞須美は無罪を訴え続けた。
裁判で提出された「目撃証言」「科学鑑定」を再度検証し、判決は適切であったかどうか、当時の過熱したマスコミ報道の在り方に誤りはなかったのか・・・
といったところから取材がはじまるドキュメンタリー映画。
証言・証拠の再検証から「冤罪事件」とその原因を追うつもりだったはずだが、林死刑囚の夫・健治の口から、当時、事件の背景として世間から強力に非難された原因である保険金詐欺事件の全貌がアッケラカンと飛び出す。
健治が行っていた保険金詐欺事件・・・って、まんま『黒い家』やん。
『黒い家』では妻が主犯だったけれど、健治の保険金詐欺事件の主体は健治。
「楽勝やで~」などとの発言もあり、あまりの不謹慎さに取材する監督も魅了されてしまう。
結果、製作意図からドンドントとズレていき、良識とか常識の範疇からはみ出して行くという不謹慎な面白さに満ち満ちている。
良作とかからは遠いが、ケッサクといえるかも。
共感なし
保険金詐欺の件
同居人の呼び捨て
どれもネジが外れた人の行動
映画としても事実の積み重ねや、関係者の背景の丁寧な取材や整理がなく、上滑りのドキュメンタリーで、共感を得にくい映画だったと思う
町山さんの解説とは違う印象をもちました
ヒ素の特定の疑い、動機がないことから無罪ではあると思いますが、同じ地区のヒ素の所持の疑いが憶測レベルであること、家族の当時の行動が曖昧なこと、無罪に向けたの事実の積み重ねが浅かったとおもう
福田村事件と構造は同じってことに気づいた
「あいつらなら やりかねないよね」。
これが、我らが福田村が「5000人を死刑にした“正当な"理由」なので。
集団ヒステリーとは、つまり噂話とゴシップが大好きな一般大衆と、それに乗じる大本営の仕業なのだ。
この映画を観て、
誰が犯人なのかという答えは全く出てこない。
わかったのはこのカレー事件の騒ぎで、庶民は十二分に楽しみ、そして生け贄の祭りに満足し、今は口を閉ざしているということだけだ。
狭山事件の“殺人犯"石川一雄さんの家に、僕は行って、その家の中を説明を受けながら見せてもらったことがあるし、
また、知人が殺人犯の嫌疑で逮捕され、最高裁で無罪が確定するまで20年も、公権力とマスコミから殺人犯としての扱いを受け、言語道断の苦しみを加えられた姿をそばで見てきたし、
松本サリン事件の折には、その事件の現場はうちのごく近所だったから、第一通報者のKさんが犯人だと確信していた僕自身もいた。
衆愚である自分が、実はどれだけ危険な種を内包している存在であり、魔女狩りをしでかす危険を孕んだ存在であったか、
それを考えながら帰途についた。
最新鋭・専門家の罠
1998年7月、和歌山市園部で起きたいわゆる「和歌山毒物カレー事件」は連日ワイドショーを賑わし、怪しいと見られた林眞須美氏がカメラマンに向けてホースの水を撒く映像は繰り返しテレビで流されました。そして、ふてぶてしそうに映るそのイメージから「こいつが犯人に違いない」の決めつけが国民の間に定着して行き、やがて逮捕・裁判の結果、2009年に最高裁で彼女の死刑が確定しました。本作は、彼女が本当に犯人だったのかを一から再検証したドキュメンタリーです。一部の関係者の間では「彼女は冤罪なのではないか」という議論がかねてからあったのだそうですが、僕は全く知りませんでした。
当時の目撃証言の矛盾点・曖昧さ、物的証拠の弱さが一つ一つ指摘され、「へぇ~、そうなのかぁ」と驚かされる一方で、作中に登場する林家の家族の証言、特に、妻の眞須美氏にヒ素化合物で殺されかけたとされる夫の健治氏の語りには「なんじゃこの人?」と度肝を抜かれ、真実が一体どこにあるのか分からなくなってしまいます。そういう意味では非常によく出来た推理劇・法廷ドラマの様に「楽しめてしまう」のでした。
その様に、本作は非常に多層的な構造を有しているので一言で語り辛いのですが、僕が一番驚いた点を一つだけ挙げておきます。林眞須美氏の有罪を決定付けた物証として、林家の台所にあったシロアリ駆除用容器の亜ヒ酸と、カレー鍋の傍に捨てられていた紙コップに付いていた亜ヒ酸が同一物だという分析結果が挙げられていました。それには当時最新鋭のspring8 と呼ばれる大型の分析器が用いられ、新聞・ニュースでも大きく取り上げられました。僕もよく覚えているのですが、
「ええ?両者が同一物と証明できたと言う事は、台所にあった容器に含まれる微量添加物や配合物が亜ヒ酸に僅かに混入し、それが鍋の傍の紙コップからも検出できたと言う事なんだろうな。そんな物まで分析できるなんて、さすが最新鋭機はすごいな」
と驚いたものでした。ところが、それは全く違っていたのです。あの分析で判明したのは、「どちらも中国産亜ヒ酸である」と言う事だけだったのです。この映画を観てから改めて調べると、日本で用いられる亜ヒ酸の多くは輸入品で中国産が最も多いのです。だから、この分析結果は「どちらからも、最も一般的なヒ素化合物が検出されました」というだけで、これだけでは何ら決定的証拠になり得ないのは明らかです。せめて、林家の台所以外に和歌山県内には中国製亜ヒ酸はないと言う程度の検証は必要でしょうが、そんな調査は一切行われていません。
本作を観ても「彼女は冤罪である」とまでは言えないかも知れませんが、何人も疑う余地のないほど明らかに彼女の犯行であるとはとても思えませんでした。「疑わしきは被告人の利益に」は現在の裁判の大原則でしょうから、再審が認められるべきだと思います。
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