聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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イラン テヘラン 聴かせて 政治情勢
イランというのは不思議な国で、強権的な体制で国民を抑圧しているイメージが強いが、映画界に目を向けるとアッバス・キアロスタミやアスガー・ファルハディといった逸材を生んでいる。確かに彼ら以外は(本作の監督を含め)国外に流出している例も多いが。ファルハディなど必ずしも国家観に沿った作風とも言えないように思うけれど。
この映画はヒジャブ着用をめぐって拘束後死去した女性に端を発する反政府デモを背景に、ある家族にじわじわ迫りくる閉塞感を描いている。アスペクト比の異なる画面は実際の記録映像と覚しい。父親が裁判所の調査官という言わば為政者側に属しているのが、とりわけ状況を複雑にしている。八方ふさがりの家族を襲うジレンマに、見ている方もずっと胸が押しつぶされる思いだ。
ところが一転、テヘランから脱出した後はにわかにぐだぐだな展開となり、銃の顛末もあまりにも肩透かしで、廃墟の追っかけっこのくだりは取ってつけたような。これで終わられても、残された家族もただでは済まないだろうし、あとは地獄の日々が待っているだけのような気がする。
【”女性の命、人権を蔑ろにする国、男にイスラムの神の加護はない。”今作はイラン革命裁判所の審議官になった男が、護身用に渡された銃を紛失した事で窮地に立たされ、本性を現し報いを受ける寓話である。】
<Caution!内容に触れています。>
ー 今作は、2022年にイラン・テヘランでヒジャブ着用を義務付ける法律に違反したとして、警察に逮捕された女性アフサアミニさんの不審死により、テヘランで起きた”女性・命・自由”運動を背景に描かれている。
そして、今作製作により有罪を言い渡されたモハマド・ラスロフ監督はドイツに亡命したのである。
ご存じの通りイランは、映画大国であるがモハマド・ラスロフ監督やジャヒール・パナヒ監督は、反体制的な映画製作により、度々国家から厳しい処分を受けている。
だが、モハマド・ラスロフ監督は、そのような危険を承知でこの運動を弾圧する政府の役人の一家をドラマとして描いたのである。ー
■革命裁判所の審議官に20年掛けて昇進したイマン(ミシャク・ザラ)は彼を昇進させた上司から護身用の銃を渡される。
抗議デモ参加者に対する山の様な判決書に目を通すことなくサインする事を裁判官から求められる彼は日に日に疲れが溜まって行くが、銃の紛失を切っ掛けに、それまで彼を娘達レズワン、サナたちからの糾弾から彼を擁護して来た妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)にも当たるようになり、到頭彼女達を郊外の叔父の家に連れて行き、誰が銃を盗んだのかを尋問する愚かしい行為に走るのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・イマンが昇進した当初、妻ナジメはお祝いをするし、食洗器を買ってくれと頼むし、官舎に引っ越すので娘達に部屋を与えられると喜びを隠せない。
だが、夫が革命裁判所の審議官になった事で、家族には政府に対する忠誠がじわじわと求められるのである。
・レズワンの親友がデモに巻き込まれ、散弾銃を顔に受け血塗れになってイマン家に担ぎ込まれる辺りから、物語はきな臭くなる。血まみれの顔から散弾を取り出すナジメの表情と娘達の怯えた表情。
・イマンとナジメはそれでも、娘達に政府に対する忠誠を強制し、娘達は激しく反発するのである。そして、ある日イマンの銃が無くなるのである。
イマンは最初、自分のミスと思い部屋中を探し回るが、徐々に疑いはあろうことか、妻や娘に向けられて行くのである。
■今作では、スマホで撮影したと思われる実際のデモで、道路に血だらけで横たわる学生やニュースなどが映される。
正式なカメラでは当然、無理だったのであろうが、それが逆に臨場感を増している。
・イマンは上司から見つからないと懲役3年だと叱責され、代わりの銃を渡されるが、焦りを深めて行くのである。街中で隣に停まった車の若い女性が、ヒジャブを付けていない姿を見た時の彼の険しい顔。
・到頭、彼は妻と娘達を郊外の叔父の家に連れて行き、誰が銃を盗んだのかを尋問する愚かしい行為に走るのである。妻とレズワンを牢に閉じこめるが、銃を盗んでいたサナは脱出する。
サナは父に向けて且つて家族が仲が良かった頃に行ったピクニックの時の音声を流すのだが、イマンにはその想いが届かない。そして、サナは逆に父を閉じこめナジメとレズワンを開放するが父も脱出し、激しい追いかけ合いが始まり、イマンとサナは銃を向け合うのである。
そして・・。
<今作は、イラン革命裁判所の審議官になった男が、護身用に渡された銃を紛失した事で窮地に立たされ、愚かしき本性を現し報いを受ける”女性の命、人権を蔑ろにする国、男にイスラムの神の加護はない。”事を描いた恐ろしくも哀しき寓話なのである。>
<2025年4月20日 刈谷日劇にて鑑賞>
ぶっちゃけ、ただの親子喧嘩の話しだよな?
映画が始まってから30分、なかなか話しが進まずガールズトークが続く。これは必要だったのだろうか?
お父さんが拳銃を支給されるも、家の引き出しにしまっていたが無くなってしまう。でも、海外だから拳銃はそこらで買える筈だし、
馬鹿正直に拳銃を無くしてしまいました。ごめんなさい。
と言わなくとも、黙っていればよくない?イランって、拳銃を持ってはいけない国だったのだろうか?その辺がよく分かりませんでした。
お父さんは、毎日のように裁判で大忙しで病んでしまう。体制側の人間という事で、町をドライブしていても、どいつもこいつも襲撃者に見えてしまうがカースタントがゆるふわ系なので、特に怖くも無し。
それだと、お話しが転がらないので、お父さんはちゃんと反体制側に住居がバレて住所も公開されてしまう。得物はベレッタ一丁のみ。
お父さんは、生家に逃げる途中に、謎の車に追われる。
さぁ、やっと、37564タイムかと思いきや、予算の関係か車を壊さない程度のはんなりとした腑抜けどもカーアクションはあっさり終了。
おいおい、ここはどちらかの車が路上を何回転もしてスクラップになった車からはい出してからのー?
二丁拳銃、ショットガン、ライフル、バズーカ砲での特撮モノみたく爆破シーン挿入だろうよ?
スマホを持った女と、何か棒のようなモノを持った男が襲いに来た所で何が怖いのでしょーか?
肝心の拳銃を隠した家族が誰かを知る為に、お父さんは母親と姉と妹を尋問する。そして、犯人が分かってお父さんは犯人を追いかけて対峙するのだが...、
何ともあっけない終わり方で唐突に物語は終了しゅる。
映画本編後には、実際のデモの映像が流れて、群衆が体制側に勝利しているような映像で終了する。
これには、体制側も激怒ぷんぷんまるで、矢をもて追われた監督はイラン国外で撮影を実行せざるでござーる。
冒頭に、デモに参加していないのに巻きこれて、顔面にショットガンの実弾を食らって、投獄された、おにゃの子がいたが、あの映像を見て、
おっしゃ!許せねー、ワタシもデモに参加しよう!
と、思う人がいるだろうか?
そして、ラストでお父さんがお前等のつまらない正義感で、あんな事になってしまうが、残された、母親と娘二人はどうなってしまうのだろうか?
お父さんが家族の為に汚ねぇ仕事をして稼いできたお金で贅沢三昧をしていたのに生活レベルを落とす事が今更、できるのだろうか?
その後の三人の、どぶさらい劇場を映画にしていたら、国を追われる事もなかったのに...。
好奇心猫を殺す。つまらない正義感は毒にも、薬にも、ならないし、映画監督のキャリアも殺すというお手本のような映画。
パヨクにだけお勧めの映画だ!
家族の関係とは何かが良く分かる映画
イランの見ごたえのある素晴らしい映画でした。国家を大事にするあまり、家族関係が壊れていく様を観ることは胸が締め付けられる思いでした。また、最後のシーンに行きつくまでに流れを変えることは出来なかったのか残念に思いました。
なお、上映終了後、次女が銃を持ち出した理由について考えていたのですが、私は妹はお父さん、そしてその後ろにいる社会体制を純粋に困らせたかったのではないかと思いました。お母さんにかばってもらい、その後、お姉さんにかばってもらったシーンで、何故、正直に「お父さん、私が持ち出した」という一言が言えなかったのか、いや言わなかったのか、不思議でした。みなさんはどう思われましたか?
庇護と支配、リスペクトと服従
イランにおける国家権力と女性との関係を、家長である父と、妻娘に投影して分かりやすく映画にした感じ。
男は、弱くて劣ったものである女性を庇護し、良い暮らしをさせるために、外部のあらゆる敵と戦う。その代償は女たちからのリスペクトと自分への服従。
その女性達が男と対等な者として自己主張し始めたら。
リスペクトと服従を拒否し始めたら。
一転して恐ろしさを見せつけて力で支配下に置こうとする
イマンの本性を知った妻と娘は抵抗し、結託して彼をあえて崩れそうな場所に誘い込んで落下させる。
「父」とともに葬られた銃は暴力の、指輪はイスラム教的家父長制の権威の、分かりやすいメタファーだろう。
かくあれかし、というラストのよう。
映画はここで終わるが、ストーリーは終わらないと思う。
強権をふるう父を葬ったは良いが、妻と娘たちはこの後どうするのだろう。
今まで当然のことと受け取っていた良い生活は、父がもたらしたものだ。
彼女たちはこの瞬間から自分で自分を守り、食わせていかなくてはならない、茨の道なき道に突入したのだ。
専業主婦と世間知らずの若い娘たちには想像もつかないような、とんでもない苦難の予感しかない。
体制の権威を葬るということは、そのおかげで受けてきた恩恵も当然に手放すことだが良いんですよね、という覚悟を女性たちに問うているようにも感じる。
イマンが良心を犠牲にしてただ家族のためにと苦悩しながら今の仕事にしがみついているのを娘たちは知らない。パパを汚いとか非道だとか罵るけれど、パパがそうやって稼いだお金で良い暮らしをして大学にも行っている自分に対しては何も思いが及ばない娘たちに違和感があったが、娘たちの世間知らず、思慮の浅さを際立たせるための演出だったのかもと思ってしまった。
ちょっとズルくないですか
前半が硬派な社会派ドラマ、後半はファミリーホラー
テンポが良いとは言えず、大分冗長な感じがしました。
見事なジャンルMix作品
予告では銃盗難に焦点が当たっていたので、ミステリー中心の作品だろうと
思っていたら、それだけじゃなくてジャンルMixのエンターテイメント作品となっていた。
約3時間が次のジャンルで約1時間ずつ。
・イランという国の窮屈な体制を描く社会派章
・銃紛失or盗難事件のミステリー章
・家族内サバイバルホラー章
イランの体制は本当に窮屈だ。
宗教が要因ではなく、権力者の宗教の解釈によるものだと思う。
国にまつわる仕事は監視されていたり(盗聴エピソード)、
女性のファッション(ヒジャブ🧕など)、体型が出ないように、髪色、ネイルなど
自由がきかなかったり、若い子はやはりスマホで世界の情報を得ていることから
もっと自由になりたいのは自明の理。そこが自由にできない窮屈さが強調されている。
銃紛失・盗難疑惑も家庭内で起きてしまうが、
それも父親の秘密主義(これは仕事上、仕方のないことだが)及び
父親の仕事へのアンチテーゼが生んだ事件だと思う。
しかし、家族を疑い尋問にかけていく流れは、やはりお国柄だと思うし、
どんどん家族が崩壊していくきっかけになっていて、誰の犯行かはわからなかった。
長女の友達が犯人かも!?とも思ったが、動機がないよなぁと思ったり。
ラスト1時間はまさかの父親による妻&娘二人の監禁、
そして妻・娘が逃亡してからのvs構図になり、サバイバルホラー化していく流れは
実にエンターテインしている。オチも読めない。
ただ、次女が銃を盗んだことがわかり、次女が巧みに父親を誘い出し、
母親・長女を救い出しつつ、みんなで逃げる&父親に追われる構図には目が離せず、
ラストのオチも予想外でめちゃめちゃ楽しめた。
あまりにも面白く、パンフレットも購入した。じっくり理解を深めていこうと思う。
完成度高い
現代社会の病理が上手く描かれている。
最初は題名が可愛いと思った。
冒頭で流れるイチジクの生態。
結局、イチジクって誰(何)なのか?
末娘って事ならかなり封建主義的な発想で父親がまさにその様な男性。
母親も母の鑑のような母性溢れる描き方をされている。
昔ながらの権威主義的な父親の方に肩入れしてしまうのは、自分の年齢のせいなのか、作品の作りなのか。
だって、隠蔽体質な権力は問題あるけど、YouTubeやSNSで発信される情報が全て真実と思い込むのも早計というか。
正しいからってそれが全て真っ直ぐ通る程世の中は簡単じゃないし。
結局、民衆は権力であれ、YouTube等の金権威主義的集団にであれ、誰かしらに搾取され続けて生きるしかないのではないかと思う次第で。
事前情報なしで観たので物語に意外性があって面白かった
2022年のイラン治安当局の役人の一家4人の生活と家族の崩壊を描く。
イランで起きた政府への抗議運動(と政府による弾圧や虐殺)を物語の背景にしており、映画では抗議運動と政府弾圧の実際の映像も織り交ぜている。
治安当局の役人の妻の視点を中心に物語は進む。
細かくは書かないが、物語の構造的には「シャイニング」のイランの政治的映画版と言ってもいいほどだと思います。
実質的な主役である妻を演じたソヘイラ・ゴレスターニがとても美しい。
事前情報なしで観たので、物語に意外性があって面白かった。
「聖なるイチジクの種」の意味は、映画の冒頭テロップから、各々が考えることだと思う。
監督のモハマド・ラスロフは、2024年に秘密裏にイランを出国している。そして、映画製作による国家安全保障に関わる罪で、欠席裁判により2024年5月に禁錮8年の実刑判決が出ているそうです。
撒いたものを刈り取る
治安維持のためにはある程度の市民の権利を制限することはやむを得ないと仕事に突き進む父親と、夫の本性を知りつつも良い暮らしと名声のためなんでも夫の側に着く母親。
そんな父を嫌いではないのだが友人の受けた不当な扱いやネット発の情報から、父のしていることや信条、父に盲従する母を受け入れられない娘たち。
思想信条や宗教は我が国とは異なっているが結構構図としては受け入れやすいものだったと思う。
では家族はどうすればよかったのかと問われると正直答えに窮する。
母に倣って父に盲従すれば裕福な暮らしを続けられたのだろうし、逆に父が信条に合わない仕事を拒めばクビになっただろうが家族の関係は改善したかもしれない。
ただどの選択肢も得るものと失うものがあるわけで難しい。
やはり父の撒いた種が実を結んだと言えるのだろう。
「関心領域」を思い出したけど…
期待し過ぎたせいか、3時間も使う必要あったかな…。実際のデモ映像は説得力ありました。けど家族に焦点を当てて宗教や政治の問題を描いたとしたら…あの次女があれ程行動する背景が描かれてなくて「あんたかい?!銃持ってんのは!」肩すかしでした。父親の仕事への葛藤や辛さは少しあったけど。母の「家族の為にも仕事が大切」的な感じが「関心領域」みたいで怖かった。宗教や政治の矛盾、女性の権利、社会は革命を起こそうとしてるけど【自分の生活は守りたい】。色んな事訴えたかったのかな、でも作品としては…何かが足りない。
現実と希望
国から有罪判決を下された監督が撮影した
ヒューマンサスペンス。
国の制度、立場、男性が優先で命より
大切なのか………。
家庭内に銃が持ち込まれて、庇護者の立場で
あるべきなのに女性達を抑圧していく。
それは家庭内だけでは無く、職場、学校、警察
あらゆる場所で。
宿主の木に枝を巻き付けて締め付ける。
そして元の木を殺してしまう。
痛烈なタイトルの影にある、絞め殺しの木。
独裁者が居続ける体制を信じ、その中で
生きてきた男性の末路。
好きな爪の色や髪も染めらない国。
混沌とした男性社会がうずめく。
聖なるイチジクの種は、どの世界でも
存在する。自由の為に。
イランの現実と希望を垣間観た。
展開の意外性に唖然、そして最後は納得。
すこぶる真面目な映画だった。
初めは、政治的意見や価値観の違いで家族が壊れていく話か、ないしはそれらを乗り越えてハッピーエンドに至るファミリードラマかと思って、それに何の疑問も持っていなかった。
マフサ・アミニさんの事件を発端に起きたイランの政情不安も、長女の親友の一件も、あくまで家族の問題や絆を描くためのバックグラウンド、エピソードとして設定されているのかと思った。
前半~中盤にかけての人物描写はしっかりしていて、特に母親の複雑な心情の見せ方にはとても好感が持てたし、しっかり感情移入できて、さあ、問題を抱えたこの家族が、どうなっていくんだろう。価値観の違いが家族を破壊するのか、それとも許しと共感の展開が待っているのか…。ドキドキ。
そんな感じで観進めていくと、起承転結の「結」に入るあたりから、なんだか予想と全く違う展開になっていく…。
アレ、アレ、何だこれ、といった混乱の中で一気にラストまで到達。
そこで初めて、「ああ、これは100%政治的メッセージが主眼の映画だったんだ。」と気が付いた(あくまで私の見方です)。
太古の昔から人間社会が本来的に抱える男性の優位性と、近代以降それを是とせずに様々な試行錯誤を繰り返して来た歴史、それでも未だ全く道半ばで、ジェンダーに関わらず自由な幸福追求が出来ているとはお世辞にも言えない現実、それらについて思考を迫り、問題解決を阻んでいるものは何かを、強く考えさせられる映画でした。
こんな声が聞こえてくるよう。
「男どもよ、胸に手を当ててよく考えてみろ。お前は大丈夫か?」
同じく年ごろの娘二人を持つ父親としては、中々身につまされた…。
タイトルなし(ネタバレ)
2022年9月以降のイラン。
巷では、道徳警察に拘束された後、不審死を遂げた22歳の女性マフサ・アミニの事実解明を巡って抗議活動が続けられていた。
彼女はヘジャブの着け方を理由に道徳警察に拘束されたのだ。
若い世代では厳格化するイスラム政治に対する不満が高まっていたのだ。
20年間の勤務態度が認められて予審判事に昇進したイマン(ミシャク・ザラ)のふたりの娘レズワン(マフサ・ロスタミ)、サナ(セターレ・マレキ)もそんな若い世代だった。
妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)は、ふたりの娘にいくらかの理解は示しているが、それでも厳格な夫イマンを裏切るようなことはしない。
しかしながら、予審判事に昇進したイマンの様子が次第に変わっていく。
以前は家庭的であったが、現在は道徳警察から提出される膨大な起訴状を処理するだけで疲弊し、起訴内容も吟味できないまま、道徳違反・神法に対する反逆の名目での若い者への死刑判決への押印も押さねばならない状況だからだ。
そんな中、レズワンの親友の女子大生が大学の抗議活動に巻き込まれて負傷してしまう。
親友は革新的な思想の持主なのだ。
レズワンとサナは、彼女を家に匿って手当をしたが、一段落ついたところで彼女は学生寮に戻り、その夜、道徳警察に拘束され、そのまま行方不明となってしまう・・・
といったところからはじまる映画で、このあたりまでで中盤。
ポスターなどで喧伝される「家庭内で消えた一丁の銃・・・」というサスペンス映画を期待したら、この中盤までの社会派部分がすこぶる面白い。
残り1時間ほどになって、イマンが護身用に当局から借り受けていた銃が家庭内で行方不明となってしまうわけだが、この段になってからはまるで別の映画のよう。
小規模のヒネったサスペンス映画風で、家庭内に国家の暗喩を凝縮する狙いは面白いが、いささか平凡。
というか、あまり面白くない。
というのも、あまりに性急な展開で、イマンが強権国家の代替になるあたり、うまく描かれているとは思えない。
ま、業務多忙で、国家の権力に毒されてしまったのかもしれないが。
そんなヒネった(描写的にはグダグダな)サスペンス映画から、エンディングでは再び社会派の顔をみせる。
この構成は悪くない。
タイトルの「聖なるイチジク」が暗示するところは、疑念・信念・神の念・新しい時代を願う念、といくつもに解釈可能ですね。
<以下、ネタバラシ>
おまけとして、銃紛失の顛末、実際はどうだったのか。
真相が明確に語られないので、次のとおり推理しました。
なお、妹が銃を所持していたのは映画で描かれている。
姉が銃の存在そのものを知らなかったのは、彼女のリアクションで当然という前提。
父親による尋問に対する告白、その後のリアクションから考えると
1 母親がベッドサイドの引き出しから盗んだ(告白どおり)
2 盗んだ銃は母親が冷凍庫の中に隠した(告白どおり)
3 妹が冷凍庫から偶然、発見して所持
4 母親は冷凍庫の銃が紛失していることから「運河に捨てた」と告白した
ということかしらん。
前半と後半では大差はあるが、通してみれば、評価はこのぐらいといったところでしょうか。
家庭内の緊迫感の描写が今一つに感じます
2022年9月ヒジャブを着けなかったとして若い女性が道徳警察に逮捕され死亡した事件を基にした映画です。その映像をドキュメンタリーとしてイランでの人権抑圧を描写しています。
一方、それだけでは芸術性が薄いので、革命裁判所で調査官として働く男性の家族の問題や対立とセットにして、作品化しています。
しかし、両者がうまくかみ合っているようには見えません。
取り調べを重視せず判事のさじ加減で有罪にする現状に悩みながらも、男性は生活のためと割り切って生きるようになります。
長女は友人が受けた暴力、そして警察に連行される事態に誠実に向き合います。
母親は反政府活動に関わらないように2人の娘に諭します。
そのような中、父親の護身用拳銃が家の中から消えてしまいます。残念ながらこの事件が問題の種であるにもかかわらず、唐突すぎて違和感を覚えます。
男は、自身の組織内の保身のため、家族内の犯人を捜すことに必死になります。
このあたりの描写が冗長に感じますし、男の凶暴さも不徹底で鬼気迫るというほどではありません。家父長制の強い社会では、父親の存在感や圧迫感はとても強いと思うのですが。(私の経験では)
権力機構の末端に属することの象徴としての拳銃所持と、それが失われた失態に対する怖れは理解できます。
しかし、父親の拳銃を隠し、父親を危険にさらす向こう見ずな思春期の末娘の心理が不十分に感じます。
最後に、家族に対する詰問・軟禁、そして末娘とのドタバタもなぜか緊張感がありません。
上映の約3時間が、やや間延びした印象を与えます。
イチジクの種を撒こう‼️
イチジクの種はワガママ、嘘、ジコチュー、独断、偏見といった鳥の糞に包まれて運ばれ、他の木にまとわりつくように大地に根を張る‼️判事に昇格した主人公は、報復の危険から身を守るための拳銃を支給される。ところがある日、その拳銃が消えてしまう。本人はもちろん妻、長女、次女を巻き込んでの疑惑合戦へ・・・‼️イランで行われる反政府デモを絡めて物語は進行‼️拳銃が見つからないとクビになり、懲役刑の恐れもあることから、主人公は苛立ち、ついには郷里への里帰りと見せかけ、妻、長女、次女を監禁し、自白させようとする‼️長女の友人がデモで負傷し、その友人に関わりたくない妻、友人を助けてくれない父や母に不満を募らせる長女、拳銃を探す過程で家族全員を疑わざるをえない主人公‼️中盤まではその心理戦みたいな描写が見事で、郷里での終盤では、自分たちを撮影しようとするカップルとカーチェイスしたり、キレた主人公が家族を追い回すホラー映画みたいになって、その緊迫したスリリングな演出はヒジョーに素晴らしいと思います‼️ただ、結局銃を盗んだのは次女で、主人公の家庭内における独裁者的な振る舞いに我慢できなかったみたいな動機らしいんですが、主人公の暴君ぶりを印象づける描写も無いため、イマイチしっくりこない‼️私的には家族のために一生懸命働いてる良き父親に見えたんですが‼️一日300人もの容疑者を扱い、疲労困憊となり、挙句に拳銃がなくなって失職と懲役の危機‼️誰だって気が狂いますよ‼️次女ももうチョットやり方があったはず‼️結局、ラストで父親を殺したことになってるんですから‼️私的には一人で家計を支え、家族のために身を粉にして働いてる父親を尊重すべきだと思う‼️それさえも凌駕するような父親の家族へのヒドい描写があったら話は別ですが‼️
映画で他国の内情を知る。
レバノンの実状を知る映画でした。
娘の反抗心、怖いです。
家族で裕福な良い生活を続けるか、女性の人権活動をして撃たれるか。
父親の職務を避難する方法は難しい。
壊れ行く家族、壊れ行く国家
79年に起きたイラン革命により西洋文化を排除し厳格なイスラム国家となったイランは国民にイスラムの教えを徹底した。その象徴的なものが女性の髪を覆うヒジャブの着用だ。
すべての女性がヒジャブを着用することでイスラム支配が及んでいることを視覚的にアピールできる、すなわちヒジャブは国民すべてがイスラム支配を受け入れていることを内外にアピールできる便利な代物なのだ。だから政府は道徳警察を動員してまでヒジャブ着用を徹底した。その中で起きた不幸な事件、ヒジャブを正しく着用しなかったとして連行された女性が死亡する事件が起きたのだ。
今までも女性たちによるヒジャブ反対デモは小規模ながら起きてきたが、今回ばかりは国を揺るがすほどの大規模デモにまで発展する、不満を抱いていた女性だけではなく経済制裁で苦しむ国民をも巻き込んで。
79年の革命によって誕生した政権は皮肉にもその革命以来の大規模反政府運動に対して強権的に応じる。多くの拘束した市民をろくな審理もせずに見せしめに処刑した。またデモ制圧のために子供を含む多くの死傷者も出した。
あれから現在に至り革新派の大統領が就任しヒジャブ着用は以前ほど厳しく取り締まれることはなくなったが、いまだイランが政教一致の抑圧的神権政治であることに変わりはない。
もはやイランではZ世代を中心にイスラム教離れが進んでいる。留学に訪れた国々では厳格な宗教の教えなどなくてもその国の国民が幸せに暮らしている姿を目の当たりにしてイスラムへの懐疑心が生まれている。また何よりも若い世代は家父長制やら男尊女卑を内容とするコーランに拒否感を抱く。もはや西洋化は止められない、西洋化は自由平等を意味するからだ。イスラムによる強権的支配は長くは続かないだろう。
政府の公職に就くイマンの家庭は典型的なイランの家父長制の家庭だ。敬虔なムスリムである父親のイマン、夫である彼を支える妻は娘たちに父を敬うよう常に言い聞かせる。かつて日本のどこにでも見られた家庭の姿がそこにはあった。日本も戦前からの家父長制の名残が戦後しばらく続いた。
家長であるイマン自身が家父長制のイスラムの教えに縛られていることを象徴するシーンがある。浴室で妻が彼の整髪を行う、綺麗に整えられる彼の髭はムスリムの証でありイマンがイスラムの戒律に縛られていることを暗示している。そしてそれが彼を破滅へと導いていく。
イマンの昇進を機に家庭にも変化が訪れる。イマンは予審判事に昇格したとたん審理もまともに行われていない死刑執行の書類に署名を命じられる。出世と自分の信念とのはざまで苦悩するが、彼が昇格したのがまさに反政府デモが激化した時期であり政府による見せしめの処刑が次から次へとおこなわれた時期でもあった。彼は悩む暇もなく署名を強いられ罪悪感に苛まれるが次第にその感覚は麻痺して行った。
そんな最中、護身用に支給された拳銃が家から消えてしまう。どこかに置き忘れたのかどんなに探しても見つからない。出世どころではない実刑にあたる致命的ミスである。最初でこそ家族を疑うことを嫌った彼だが次第にその疑いの目を家族に向け始める。
彼には少なくとも二度の選択の機会があった。信念を曲げてでも死刑の署名をするかそれとも出世をあきらめるか、家族を信じて拳銃をなくしたことを報告して出世をあきらめるか。
拳銃が見つからずすべてを失うと恐れた彼に対して妻が言う、私たち家族がいるではないかと。このとき彼は家族を選ぶべきだった。しかし彼は出世を選んだ。出世はすなわち政府への服従を意味した。
拳銃を隠し持っていたのは次女だった。もしイマンが家族を選び家族の声に耳を傾けていたらこのようなことにはならなかっただろう。
護身用に渡された拳銃は力による抑圧、国家権力を象徴するものだ。それをイマンはうかつにも家庭に持ち込んでしまった。家庭に国家を持ち帰ってしまったのだ。
反政府デモに対して国家は言葉ではなく力で押さえ込もうとした、多くの市民を虐殺した。これが独裁国家の姿だ。その象徴である拳銃をイマンは家庭内に持ち込んだのだ。次女の行動は国家に対する抗議行動と同視できる。家庭に拳銃はいらない、私たち家族との会話を大切にしてほしいという彼女のサインだった。イマンが家族を思い何よりも家族を優先していたならその次女のサインに気づけたはずだった。しかし彼は家族よりも出世を選んだ、家族との会話よりも国家に従うことを選んだのだ。本来家族を幸せにするための出世の道、目的と手段が逆転していたのだ。
多くの死刑判決に加担したイマンも国家の犠牲者である。彼の篤い信仰心を利用して従わせようという国家体制の下では彼はがんじがらめにされて機密扱いの自分の仕事について娘たちに話すこともできない。自分のつらい立場を理解してもらうこともできないのだ。国家にどっぷり浸かってしまった彼を娘たちは国家と同じだと感じる。そんな父に昔の彼に戻ってほしいという思いから次女は拳銃を隠したとも考えられる。家族間の対話をも奪い家族を崩壊させた国家体制がなんとも罪深い。
家族を信じられなくなったイマンの暴走はもはや止められない。国家が市民を拷問するように彼は家族を監禁し拳銃の在りかを聞き出そうとする。
逃げ出した次女が姉や母を救出し追ってきた父に銃を向ける。暴発した弾丸が父の足元の床を打ち抜き父は生き埋めとなる。
そこは何千年もの歴史を持つイランの古の遺跡だった。古き戒律に縛られた父親が遺跡に埋もれて死に、未来を担うであろう娘たちと母親が生き残った。まさに古き宗教的戒律、家父長制からの解放を象徴する結末だった。
古き宗教的戒律に縛られた家庭は崩壊し女性たちは自由の身となった。古きイスラムの教えに縛り付けられている国民もいずれは解放される時が来るだろう。
聖なるイチジクの種、それは発芽すると根を他の木の根に絡みつかせて締め上げながら成長するという。国が力により国民を押さえつけるという考えに縛られたらその考えは国を覆いつくすだろう。国は独裁国家となりやがては崩壊する。家長がその権威により家族を縛り付けようという考えにとらわれてしまえばいずれ家庭は崩壊するように。
終盤面白い
序盤から中盤の、お父さんが仕事で悩み、娘は友達がデモ活動して家でかくまい、お母さんが困るなどのドラマがあまり面白くない。拳銃がなくなるのも大変な問題だけど、解けないまま長々と続けられてもきつい。これで3時間近くはきついと思っていたが、テヘランを離れてからが途端に面白くなる。あおり運転とカーチェイスから小屋に行ってからのめちゃくちゃな展開に引き込まれる。
うちも娘がひどいいたずらっ子でスマホやリモコンなど大事なものを隠してこちらが慌てているのを見て大喜びしている。本当にやめて欲しい。
山小屋の周りの洞窟でのサスペンスは田中登監督の『女教師』のクライマックスのようで興奮した。
ただ序盤から中盤は本当にあんまり面白くないので短くしてほしい。
聖戦
期待していた作品だが、ちょっと散らかった印象。
冒頭、ナジメに銃を見せるイマンの指が引鉄にかかっているのが凄く嫌…
序盤は主人公家族に加え、過熱する抗議運動とそれに対する弾圧の様子が、実際の映像を交えて描かれる。
しかしこれが、あくまで背景にしかなっていない。
家族の誰かが関わることもないし、サダフの件も途中から忘れられるのに、力を入れ過ぎでは。
職務に対するイマンの葛藤もあまり伝わってこない。
中盤を過ぎてようやく銃の紛失が起こる。
家族のために出世や保身を望んでいたかに思えたイマンの、ナジメ曰く“本性”がここから顕在化していく。
その目的は銃からウソへ、そして罪へと移り変わり、行動はエスカレート。
家族へのそれもだが、故郷への道程で出くわす夫婦に対する蛮行はイカレてます。
最も印象的だったのは、ナジメの母性。
家族第一主義でありつつサダフを冷酷に扱いきれないのは、“娘の友達”だからではなく“誰かの娘”だからだろう。
夫への「服従と信仰」を捨て、最後まで“母”であった彼女が主人公では。
銃を盗んだ動機はぼんやり想像できなくもないが、いつ存在を知って、どう盗んだかは不明。
(主題でないのは分かるが…)
最後の鬼ごっこや落下はコメディに見えてしまった。
あそこで終わりというのも半端だし、ここまで長尺にする必要があったかも疑問です。
とはいえ動きのない話で緊張感を途切れさせない演出や演技は見事。
もう少し重心を明確に短く纏まってれば秀作だった。
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