聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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強権国家と家父長制の恐怖
イランを舞台にしたサスペンスでした。念願かなって予備判事に昇進した主人公のイマン(ミシャク・ザラ)の一家は、妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)と長女レズワン(マフサ・ロスタミ)、二女サナ(セターレ・マレキ)の4人家族。イマンは職務に忠実に真面目に働いて来たようですが、昇進した途端に検察による不当な起訴を追認するよう迫られ悩むことに。そんな暗い気持ちのイマンは、上司から貸して貰った護身用のピストルを紛失してしまい、自らも刑に処せられる危機に陥り、それがきっかけで家庭内の疑心暗鬼が増幅していくというお話でした。
俯瞰して観ると、イランと言う強権国家の中で、家庭においては家父長制が敷かれて父権が重んじられ、そんな父親が国家同様に家庭内で強権を発動し、やがて”狂犬化”していくところが見所でした。そんなストーリーも面白かったのですが、随所の映像がリアルで背筋が凍ったり、意外な展開があって覚醒させられたりと、印象的なシーンの連続でした。
インパクトがあったシーンを順番に列挙すると、まずは長女レズワンの友人が反政府デモに巻き込まれ、というか参加した結果、顔に大怪我を負ってイマンの家に逃げて来たシーンは本当にゾッとしました。画面いっぱいに晒された彼女の顔の怪我を、妻ナジメが応急手当するシーンは強烈なインパクトが。とにかく怪我の様子がリアル過ぎて、本当に怖かったです。
その後も、不当な起訴を追認したイマンへの報復として、反体制派により一家の住所がネット上に晒されたために、家族4人がイマンの実家に逃れる際のカーチェイスも印象的でした。反体制派のアベックに見つかり、スマートフォンで撮影されるに至り、アベックの車とイマンの車は砂漠の中の道でカーチェイスを繰り広げました。まるで韓国映画かと思うようなドタバタな展開は意外で、3時間近い長編に強烈な香辛料をぶっかけることで、観ている方の神経を覚醒させてくれました。
さらにはピストルを隠した”犯人捜し”のため、イマンが妻や娘を”尋問”するに至り、最終的に逃げる彼女たちを追いかけるイマンの姿に、さらに恐怖は増幅されました。自分の地位や名誉のため、掛け替えのない家族を反体制派の不満分子のごとく扱う彼の強権は完全に狂犬で、自らの身に置き換えると非常に恐ろしいシーンでした。
物語の前半では、家父長制下の貞淑な妻として夫を立て、若い盛りの娘を窘めていた妻ナジメも、最終的には「あなたの本性を隠して来た」と発言。つまりは夫が”狂犬”の本性を持つことを端から気付いていたナジメの言葉は、強烈かつ痛快でした。
以上、印象に残る場面が随所にあり、さらには冒頭にも言ったようにイランと言う強権国家が、言論の自由や政治的自由が確保されていないばかりか、三権分立すらも確立されていない現状を余すところなく告発し、また国家全体だけでなく、家父長制により家庭内も抑圧されている点を表ざたにしており、社会的意義もたっぷりの作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
政治的・社会的圧力の中で
支配欲とプライドからくるもつれ
自分の環境をコントロール下に置こうとする欲望によって、人間同士のコミュニケーションが破綻していくさまが印象的だった。
大きな世界(社会)においては、神権政治を絶対視する価値観とリベラルな価値観の二つが対立し、小さな世界(家族)の中では、家族の絆を大事にする価値観が、前述の双方の価値観と摩擦を起こしている。
単一の価値観を信奉できれば良くも悪くも行動選択は単純だが、異なる様々な価値観を内在化している人物はその調停に苦しむ。例えば母親は、家族の絆に中心的価値を置いているからこそ、神権(夫)とリベラル(娘)の両者を飼い慣らそうとする。とはいえ、ニュートラルな仲介者であることはできず、「親」や「妻」という自分に固有の社会的役割への意識も加わるからこそ、振る舞いはより強迫観念的なものとなっていく。長女も父もこうした葛藤の中に置かれているのは同様だが、それぞれの価値観に配分する比重や自分の役割に対する意識がひとりひとり異なるため、アウトプットもばらばらとなる。その状況がまた、家族の集団行動をさらに掻き乱す。
冒頭、転職と転居をめぐる夫婦の会話からもわかるように、この映画の大人は(家族に対してさえ)見栄や体裁を気にしすぎている。弱さや恥を晒し、完全なコントロールを諦める覚悟があったら、ここまでの悲劇には繋がらなかっただろうに。
どんな恐怖映画より悍ましい現実
やりたい事多過ぎかも
権力に対峙する人間の心の変貌
前半は、価値観を強要する政府の権力に対する母娘の恐怖心が、
デモの暴動事件のSNS投稿動画、負傷者への対応などを通じて
家の中を主舞台にしながら増長していく様子が描かれる。
一転、後半はアクションあり、ホラーあり、サスペンスありの
エンタメ的な要素が満載の展開になるので楽しく、長めの上映時間は気にならない。
本映画は、置かれた状況から母娘の立場、視点を強く意識させられるが、
密かに変貌していく父イマンの姿がストーリー全体の幹となり、
それが枝葉のように母娘に絡まっていく様が面白い。
映像表現の趣向も全体に面白く、
長めのシャワー(水やり)、ヘアカット(伐採)のシーンなどは
父イマンがまさしくイチジクの木に乗っ取られつつあることを
比喩的に表現しているように思った。
実際のデモの映像が多く使われているので
特定の地域、文化圏の政府批判的な要素を強く印象付けられるものの、
その最前線から一歩離れて対峙する一般市民、家族の
心の有り様や変化を描いている点で
より普遍に昇華しうる物語になっていると感じた。
銃が無くなるのは後半。
前半この国の宗教的、社会問題がじわじわとこの家族に迫ってくる。たぶんこの引っ張り具合が上手くいってるのだと思う。ヒジャブを被らなかった女性が私警団に殺されたために起きたデモは日本でも報道された。その実際のデモ映像も使われている。父親の仕事と学生の娘2人、板挟みに合う母親。
劇中の台詞でもあるように「神の教えは変わらない!」「時代は変わってるのよ!」
つまりそう事である。
「唯一の神」と言う考えは地球が小さかった頃の話だ。
地球にいくつも宗教が有り、殺し合いの原因になっているのにそれでも宗教は人間に必要なのか?
必要な個人は居るんだろうなぁ。
しかし宗教が拡大、政治とつながり、人と人を繋ぎ留め縛るために機能し始めたあたりからヤバくなってきたような気がする。
話後半の流れはなかなかうまくやった感あり。
監督もこの映画で国を追われて可哀想なはなしである。
まるで黒沢清の映画みたい!
評価が難しい
跨ぐなよ。
モラハラ家父長制意識をあぶり出す作品
160分を超える内容だが、常に緊迫感があり、退屈しなかった。デモやそれに対する警察の弾圧など実際の映像も使われているため映画と現実の境目がわからなくなってくる。
舞台はホメイニ革命以降、特に家父長制の根強いイラン。レイプ被害者が拷問を受け、死刑判決が出る男尊女卑の権化みたいな国である。
本編における父親は一見家族のために職務に忠実にあろうとしている。
予審判事として出世が決まったことで、広い家に住んで娘達も一人部屋が持てると妻は大喜び。しかし実際の仕事は民主化や女性の権利を求めるデモの参加者などを毎日何十人もろくに調べもせず逮捕し、拷問し、死刑にするような過酷な仕事だった。正義に目をつぶればこの先も国家の公僕として安泰だが、逆らえば仕事も家も失う。
正義と国家との間で板挟みになる夫を妻は必死に励ましなだめる一方で、娘達はデモ参加者に理解を示し、擁護する。
そんな中、家に保管していた銃が消える。このままではこれまで積み上げてきた立場もすべて失うと恐れる父親。
微妙なバランスで成り立っていた家族が崩れていき、家族のため、と言い聞かせて仕事をしてきたその父親が、自身を苦しめている国家権力のように家庭で権力を振るっていく様がよく描かれている。
そもそも銃がきっかけでどんどん父親が横暴になっていくとは言え、この一家の危うさや家父長制っぷりは序盤から随所で描かれている。
夫がド深夜に帰ってきても妻は起きて待ってなきゃいけない
夫に「食洗機が欲しい」といちいちお伺いを立てなければ妻は自由に家電も買えない
家族と食事すると決めたら、どんなに遅くなっても子供がおなか空かせてても父親の帰りを待たなきゃけない
父親は子育てにほぼノータッチなのに何かあれば母親のせいにする
国に統制されてるニュースに娘がケチつけただけでキレる父親
ヴェールをかぶらなかっただけの女性が不当逮捕され拷問されるニュースに、自分の娘はそんなふしだらなことはしないと権力側を擁護
娘が髪を染めるとか爪に色を塗ることを望んだだけで異常扱い
娘の友人がデモに巻き込まれて怪我をしても暴徒扱い
というか夫は髭くらい自分で剃れよ・・・・・・など
一つ一つは些細なことでもこんなことが積み重なればいい加減娘達は勘弁してくれと言いたくもなる。
そのたびに母親は折れて、娘を責め、必死に父親の機嫌を伺い、そんな母親の姿にも娘達はうんざりしている。
・・・とはいえ日本でもこの程度のモラハラDV男は残念ながらいくらでもいる。モラハラと認識すらされてないかもしれない。
日本のジェンダーギャップ指数ランキングは116位、イランは143位、いずれも最下位から数えた方が早く、日本は順位でいえば他の先進国よりイランの方がずっと近いのだ。
おそらく家父長が当たり前だと思っている人は、上記の父親の振る舞いの何が悪いかわからないだろう。父親に同情的にすらなったり、妻や娘を責め立てたりするかもしれない。
この映画を見せて父親に肩入れして擁護するようなら立派なモラハラ予備軍、あるいはすでにモラハラ加害者かもしれない。相手の男尊女卑意識をあぶり出す試金石にしても良いかもしれない。
監督はイラン当局から有罪判決を受け、命からがらなんとか海外に脱出したが、スタッフや俳優達は国内にとどまざるを得なかったため、カンヌ映画祭の授賞式に出席することすら出来なかった。
今でも女性の権利や自由をめぐる戦いは続いている。その戦いの場は、家庭内も例外ではないのだ。
家父長制の成れの果て
イランで暮らす一組の家族に起きた、ある事件。それは社会背景だったり、父の昇進だったり、これまでの家族生活の積み重ねだったり、信仰であったり。様々な要因が絡み合っての結末だったのかな…辛い。
日本でも少し前まで当たり前だった“父親が絶対”という家族の価値観。本作の母親は、画面に映っている間、ずっと働いているのが強烈に印象に残っています。朝から晩まで家事をして、子どもの世話をして、旦那さんの帰りを待ってから寝る。特に感謝もされず、当たり前のこととして受け取られる。個人的にはこの母親に一番感情移入が出来たと同時に、胸が苦しくなりました。
一方で娘2人は、とにかくもう…いい加減にしてくれ…とずっと思っていた…。特にお姉ちゃん…。
物凄い覚悟をもって制作された本作、色々考えさせられると同時に、イランの現状や文化を知る機会になりました。
熱い思いが込められた映画
イランのある抗議行動とその弾圧を背景に崩壊していく家族を追った物語
音楽を使わずじっくり見せていくスタイルだから途中ウトウトしたけど、挿入される実際の映像には震え上がった
クライマックスはハラハラして最後はね・・・笑
撮影直後に亡命した監督の熱い思いが込められた映画
絞め殺しの木
私は好きな髪型や髪色にして、好きな色に爪を塗る自由を生まれたときからもっている。髪を布で隠すことを強要されたこともないし、髪を隠さなかったからといって殺される恐怖を味わったこともない。
映画の中でうつしだされる、作りものではないスマホ動画をみるのはとてもつらかったが、同時に、彼女たちのリアルな痛みを生まれたときから自由をもつ私は真に理解することなどできないのだろうな、とも思った。
高校生のとき、カラオケで「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」と屈託なく歌えていたことがどれだけ贅沢だったか。
一見おとうさんの機嫌をとることだけに終始しているおかあさんが、平和で円満な家庭の維持にどれだけ腐心していたか、それを思うととてもやるせない。
映画の冒頭で、イチジクは他の木に巻きついて養分を吸い上げる宿木みたいな説明があったので、少し検索してみたら『絞め殺しの木』とでてきて、ちょっと暗澹たる気持ちになりました。
神とはなんぞや?
たかがヒジャブで命を落とす無念が今も
イランの政権から目を付けられ、それこそ命懸けで映画制作を続けるモハマド・ラスロフ監督が本作で取り上げるのは、たかか布切れ一枚で、家庭がズタズタに切り裂かれる現実を寓意的に描く。イスラムでは必須の要求で当たり前かもしれませんが、本作のセリフにも「ヒジャブ着けないだけであり得ない・・・」のセリフが登場するから、私の感覚も違ってはいない。
直接的には2022年9月19日のニュースに基づく。イランの首都テヘランで、マサ・アミニさん(22)は13日、頭髪を覆うスカーフを適切に着けていなかったとして道徳警察に逮捕された。目撃者によると、アミニさんは警察車両の中で殴られ、その後、意識不明に陥り、アミニさんは16日に亡くなった。この事件がきっかけで、実際に抗議行動が起きるも、徹底的に弾圧される。まさにこの抗議の模様の実際映像が本作にも挿入される。頭を撃ち抜かれた死体がそのまま画面に登場する衝撃。マサさんの面影もそのまま映し出される。
この悲劇が本作の中で取り入れられ、テレビ映像も当時のものをそのまま使い、登場人物が不安にかられる描写がポイント。道徳警察による検挙を受けて、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための国家の下働きをするのが公僕が本作の主役。禿げ頭なれど実直で、昇進も順当で大理石をふんだんに使用したコンドミニアムに何不自由なく住む。絵にかいたような妻と2人の美しい娘の4人の家庭が舞台となる。現状の暮らしを維持するためには国民の反感をかう政権に寄り添うしかない。当然に彼の仕事柄、活動家達から個人攻撃の対象となってしまう。これが本作のシチュエーション。その上で、役所から護身用の銃を貸与されるも、それが忽然となくなって・・さあ大変ってお話。
イランの政治をウィキから引用すると、憲法では同時にイスラム教シーア派を国教と定め、キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教の市民は被選挙権などを一部制限される二級市民として、バハイ教徒・無神論者などは、国内での生活自体を認められていない。政治と宗教が相いれない原則をつくづく思い知る。女性に対する制約もまた、私達の理解を超えた理不尽の域。本作は、それらを糾弾するのではなく、国家の仕組みを一家4人の関係性に落とし込んで描き、世界に知ってもらうのが役割。
急進的な思想に染まる2人の娘を非難しつつも、母として2人を包み込む包容力で理不尽をのみ込む母親が素晴らしい。法律だ宗教だの前に根源的な産みの母が最優先なのは、当然。父親の仕事は政権に近いため娘達にも何をしいてるのか秘密って凄さ。そうこうするうちに抗議デモに参加した娘の友人が血まみれとなって家に運び込まれ、国家の縮図が家庭にすっぽりとハメられる。国家の為はひいては神のために、紛失した銃をモチーフにして、妻及び娘を疑い出した段階から、温厚な父親が秘密警察さながらの恐怖政治に一変する。
緩やかな前半と比し、後半は別の映画化と思うようにトーンが異なってゆく。疑心暗鬼が何を産むのか、サスペンス色が増し、周囲の何気ない日常の視線が一挙に監視に見えてしまう不幸。カーチェイスをしてまで監視を逃れ、ついには家族内で銃を向け合う狂気にまで突き進む。母親の有り様との対比が強烈で、ジレンマの極致のままクライマックスへ突入してしまう。言うまでもなく実に不毛なまま絶望的地獄絵図となる。
もとより父親の苦悩は判るものの、娘を監禁までするのね。肝心の次女の心理が今一つ不明確なのが玉に傷、よけいに父親をエスカレートさせてしまっているとしか思えない。これまでいい暮らしが出来たのも誰のお陰と思っているのか? と世の父親の嘆きが聞こえてくる。
宗教は違えど、情報収集にテレビよりインターネットってところが痛く沁みます。ビデオカメラに封印された仲睦ましい一家の笑顔の映像が、悲劇を強調してしまう。どこからどう見ても人間の道を外れた現実をイチジクの種に例え、テヘラン市内を隠しカメラでロケーションの心意気を讃えるべきでしょう。アフガニスタンではもっと酷い状況とか。国際世論に訴えるしか術がない事を、理解したいものです。冬はともかく、クソ暑い日本の夏でもイスラムの女性は頭をすっぽりと覆っていらっしゃるのを見かける昨今。変えたい人々が多ければそれを受け入れ改革する柔軟性が試されている。
イランの女性問題のドキュメンタリーで前半は実話
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