聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
全84件中、1~20件目を表示
前後半の想像を絶する転調ぶりに震撼させられる
かつて巨匠たちが創造性豊かな映画を作り出していた時代が幻想のように思えるほど、近年のイランは銀幕上で非常にキナ臭く映し出される。おそらく本作はその最高峰。167分と長丁場ではあるが、亡命したラスロフ監督にとってはその一分一秒が命と引き換えに獲得した貴重な時間の集積と言えよう。本当にこの国は誰が何のために戦っているのか理解しがたいところがある。それこそ「知らない」「わからない」は序盤において父の職業に対して向けられる言葉だが、中盤で不協和音が一気に高鳴ると、その全てが自己弁護のための切実な叫びに変わる。チェーホフさながらに不気味さの象徴たる銃の存在が際立つ一方、後半の家庭内ではまさにこの国の縮図のごとき超絶スリラーが展開。それに対し、未来を担うべき者はいかにして立ち向かうのか。その決死の転調と、撒かれた種が地を這って一斉に発芽するかのようなラストといい、息つく暇のないほどの緊張の連続だった。
“妻と子を守るべき家長”が“異分子を抑圧する独裁者”に変わるとき。国家とのアナロジーを思う
司法機関で勤勉に働く中年男性イマンが、昇進して調査官になる(さらに昇格すると判事になれる)。だが調査とは名ばかりで、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための決裁を膨大に処理するのみ。市民から恨みを買う仕事のため、護身用の銃を支給されるが、これが自宅で行方不明になる。
イマンには妻と2人の娘がいる。家族を養い良い生活をさせることも、彼が働く動機になっていたはずだ。だが銃の紛失を契機に、家族の関係が大きく変わる。父は家族を疑い、猜疑心を募らせていく。娘たちがデモの現場で大けがをした友人を助けたことも、自身の愛国心と相容れない。紛失が発覚すれば出世がなくなるイマンは追い詰められ、犯人が誰かを白状させるため強硬手段に出る。
家族であれ国家であれ、“家”=共同体を構成する各個人は互いを尊重し、助け合い支え合うのが理想であり、リーダーはそうした理想の実現のため皆を導く存在のはず。だがいつしか、個々人を守ることよりも共同体の体制を維持することや体面を守ることが優先され、導くべき存在が独裁者に変貌する。イマンと家族たちの物語は、国民の自由を抑圧し異論を封殺する国家のアナロジーのように思えた。
各所で紹介、解説されているように、イランで反体制的な作品を作るのは文字通り命懸けの取り組みだ。167分という大長編ではあるが、イランの映画人たちの気概と願いを心して受け止めたい。
後半の展開が合わなかった
こんなに面白い映画があって良いのか?
ミニシアターで滑り込みで鑑賞。2025年ベスト10になりそう。イランからは時々凄い映画が出てくるが本作もその一つだった。芸術とは何かを見せつけられた感じ。イスラム社会でも問題児とされるイラン社会の闇を暴きながらもちゃんとサスペンススリラーなエンタメ映画としても成立していて2時間50分近いのに全く目が離せなかった。前半こそはスローなシーンが幾つかあったが後半で一気に予測できない方向へ流れていく物語に圧倒された。
そしてこのイラン人ならではの決して派手では無い静かな抵抗、静かな怒り、静かな悲しみ、静かな不安、自らの信仰心と向き合い、宗教とは何かを問う内容に反逆の精神を強く感じて見ていて興奮が止まらなかった。ジワジワと迫ってくるような緊張感。彼らの生活感や何を恐れて生きているかを我々は知らないが彼らの身になって考えてみようという気持ちにさせてくれる映画だった。弱者を弾圧する側に飲み込まれた一家が主役という設定も素晴らしかった。
マイナス0.5は男性のシャワーシーンに興味がなかったから。笑
このシーンが何を意味するかはよくわかってるけど。イスラム社会では身体を清めることが物凄く重視されているからね。
様々な感情が湧き上がる素晴らしい映画だった。
平和ボケと
行動し、声を上げ続ければ、きっと変わる
1 国家に奉ずる家族の崩壊劇を通し、体制に抗う信念を見せる。
2 イスラム教の戒律の下、強力な国家体制のイランが舞台。予審判事に任用され上級役人の入口に立ったイマン。妻と娘二人の四人暮らし。女性に義務づけられているベールをつけず逮捕された学生の不審死を端緒に、改革を望む若者たちによる非合法の集会やデモが相次いだ。国家権力は参加者を逮捕し、抵抗した者は発砲や殴打により多くの血が流された。そうした中、イマン家において身辺自衛のため国から貸与された拳銃が忽然と消えた。果たしてその行方は・・・
3 本作では、国家権力の残虐性があらわにされる一方、それに抗う人々の姿を映し出す。公権力の影響は次のようなところに表れた。①元来誠実な仕事人であったイマンが次第に周囲に馴らされ、処刑マシーンとなる。②非合法といえども集会などに参加した同国人に対し公権力は発砲し、女学生が顔面に被弾。そして連れ去られた。③マスコミは政府発表をそのまま流し、真実を求める人は、ネットで情報を得ようとし、権力に抗う人は、スマホを構え実態を発信する。
4 そんな中、消えた拳銃の行方について、家族内の誰もが疑心暗鬼となり、犯人探しが続く。映画の終局において、拳銃の行方が解る一方で家族関係は崩壊する。サスペンスが不穏な空気を纏いテンポアップした後、この家族にとって悲劇的な最後を迎える。
5 それは、まさにイランにおいて長年女性に強いてきたしきたりや公権力の終焉を示唆するものであり、監督のストレートな思いである。願わくば、彼の国において近い将来、話し合いの下で不合理な弾圧が無くなることを望みます。
ストーリーはおまけ?
やはり、応援
それがどんなに苦労して制作されたものであろうと、つまらない映画はやはりつまらない映画です。作品の背景にかかわらず、その映画一作の内容のみで僕は良し悪しを判断しています。しかし、イラン政府からの弾圧で財産没収・懲役8年の宣告を受け、国外脱出してまでも撮り続けた作品となると、やはり応援したくなります。まさに命懸けの映画制作なのです。
反政府デモの参加者に不当な刑罰を盲目的に連発する裁判手続きを担わせられ、伝統社会・国家権力からの抑圧に悩む父親が、家庭では有無を言わせぬ圧政者になる歪な権力構造のコントラストが見事です。物語前半で、学生の抗議行動を支持する二人の娘、立場上そんな事を公に出来ない父親、その間に入って苦悩する母親、それぞれの議論が非常に示唆的で考えさせられました。物語としては、後半のミステリー的展開がハラハラの見せ場なのでしょうが、家族に犠牲が出ようとも、娘はなぜそんな行動を取ったのかをきっちり描き切ってミステリーとして完成させてほしかったな。そこを観る者に考えて欲しいというのが監督の狙いなのでしょうが。
たとえどんな映画だろうと、制作した出演したと言うだけで刑罰が下るなどというおぞましい世界が進歩出来ます様に。
え!って言う結末
2022年に22歳のマサ・アミニさんの不審死をきっかけに起きた抗議運動を背景に、イランの現状を実際の映像も盛り込みながら描いた作品。
テヘランで妻と2人の娘と4人で暮らしていたイマンは20年にわたる勤勉さを評価され、念願だった判事の前の調査員に昇進した。しかし仕事の内容は、反政府デモの逮捕者に不当な刑罰を下すための政府のしもべだった。報復の危険があるため護身用の銃が国から支給されたが、ある日、家でその銃が消えてしまった。イマンによる紛失と思われたが、妻ナジメ、長女レズワン、次女サナの3人に疑惑の目が向けられるようになった。さてどうなる、という話。
時の政府に都合の悪い人々を次々に逮捕、拷問、起訴、と自国民を弾圧する立場になってしまったイマンの葛藤、そんな夫や父に対する妻や娘の我慢の限界、そんなイランの現状がわかる作品。
これがイランで上映出来ないのはわかる気がする。
真っ当な選挙で選ばれない指導者が率いる国は多かれ少なかれ自国民を弾圧してるのだろう。
女性・命・自由、どれもがないがしろにされてるイランの現実が悲しくなる。
そして、あの結末はどういう事?
長女が隠してた拳銃を次女が奪って逃げ、父親を撃った様だが、そんなに父親を憎んでたのか?
最後はちょっと狂ってきたようだったが、それまでは真面目で良い父親に見えたけど。
次女に撃たれた父親は土に埋まって死んだの?助かった?
どうなったんだろうと、余韻の残るラストだった。
リアルとメタファー
マフサ・アミニさんの事件からのデモは、当時のツイッターでよく流れてきたので目にしていましたが、あそこまで生々しい警察の暴力までは流れてこなかったので、今更ながら衝撃でした。
家族の安全で豊かな暮らしのためのなんとか家族をコントロールしていたママ、なんやかんやで優しい。しかしデモで傷ついた友達や拳銃紛失で疑心暗鬼がどんどん広まっていく。
後半は前半で語られなかった父親の仕事内容が家族に向けられ、見事に彼の国の縮図を見せてくれ、背筋が凍る。
最後の方の追いかけっこはちょっと長かったかなー、だけど、映画的な画が欲しかったのかな?と思いました。
ヒジャブへの抵抗は敵(アメリカかな)の陰謀、っていうお父さん、まあちょっと分かるけど、やっぱり長女の反論がとても説得力あって、今も自由になりたい女性は沢山いるはず。神や信仰に背いたら死刑とかむち打ちとかマジ極端で怖いよ…
二時間半があっという間の、すごい映画でした。
社会派的なメッセージと家族のドラマ
物語のモチーフとなっているのは、2022年に起きたマフサ・アミニという女性の不審死である。彼女はヒジャブを被らなかったという理由で警察に拘束されて亡くなったと言われており、この件を巡ってイランでは各地で抗議運動が起こったということだ。劇中には、その模様を写した映像が再三登場してくる。
自分はこの事件のことを全く知らずに本作を観た。
確かにイランでは女性の人権は著しく制限されている。そのあたりの事は、アスガー・ファルハディやジャハール・パナヒの映画でも描かれている。彼等は女性に対する理不尽な差別をテーマに掲げ、世界的な評価を得ている作家たちである。こうした問題提起、告発は今作の中にも明確に読み取れた。
さて、作品として観た場合、本作は中々ユニークな構成になっている。前半と後半でテイストがガラリと変わるのだ。
前半は、主人公一家が抗議デモに巻き込まれていく社会派サスペンスのような作りになっている。長女レズワンがデモ鎮圧の流れ弾に当たって負傷した親友を家に連れ帰って来る…という展開で進み、緊張感あふれるタッチが持続する。
後半は一転、家庭で起こる窃盗事件を巡るミステリ仕立てとなっている。疑心暗鬼に駆られ対立を深めていく家族は、やがて取り返しのつかない悲劇に飲み込まれてしまう。
一つの作品の中に、このような形で異なる方向性が入り混ざると、普通であればとっ散らかった印象になるものである。しかし、本作はそこも上手くチューニングされていて、社会派的なテーマと家族のドラマ。この二つがラストにかけて相即不離の関係で見事に昇華されている。
印象的だったのは、妻と娘たちが取調官に尋問されるシーンである。目隠しをされて筆記で調書を取るという、ちょっと今まで見たことがないような尋問シーンで実に不気味であった。そして、この尋問は後にイマンによって別のシチュエーションで繰り返されることになる。
この演出からも分かる通り、この家族は現在のイラン社会そのものを暗喩している…ということなのだろう。女性に対する抑圧、支配がはっきりと投影されている。
後で知ったのだが、本作で監督、脚本を務めたモハマド・ラスロフは、過去に反体制的な映画を撮ったことでイラン国内で実刑判決を受けたということである。彼は収監を逃れるためにイランから亡命し、本作のほとんどをリモートで撮影したらしい。そう考えると、よくぞここまでの作品を撮り上げることが出来たと感心してしまう。
ただ、これは撮影事情が関係しているのかもしれないが、作劇や演出面でかなり気になる部分もあった。
突然カーチェイスが挟まったり、イマンが次女をほとんど追求しなかったり、クライマックスの逃走劇も突っ込みを入れたくなる演出が目に付く。このあたりは実際に撮影現場で指揮を執れなかったことによる弊害かもしれない。
尚、ラスロフ監督のようにリモートでゲリラ撮影をするスタイルは、実はジャハール・パナヒもすでに行っている。先頃観た「熊は、いない」は正にそれをメタ視点で描いた作品で面白かった。
念願の昇進、一家意気揚々のはずが… 前半、思ったテイストとは違い、...
途中からの転調が残念で勿体ない
事前知識が必要過ぎる労作
本作の凄みを理解するには以下の予備知識が必要。
1. 道徳警察によるMahsa Aminiの殺害と、その後の反ヒジャブ運動
2. 本作の制作陣への政府の圧力
監督は制作途中で亡命、母役は逮捕
3. 反ヒジャブ運動と政府の弾圧は国民に撮影され、VPNを利用してSNSに投稿されていた事
🎬️
これらの情報は英語版wikiに詳載されている。イラン人の常識を補完すると、本作が如何に命懸けで撮られたのか、何故政府を寄生者のイチジクに例えるのか理解しやすい。
ただ、イラン人には言わずもがなでも、世界に訴えたいのなら、国情や背景も説明する国際版の制作が必要。じゃなきゃ、単体の作品として高評価できない。中盤まではサスペンスとしても確かに面白いが、終盤の追っ掛けっこや、訪れるラストも正直ショボ過ぎる。ラストは現政府が辿るべき未来を象徴しているのは分かるが、家族と物語としてあのラストはいただけない。
本作が重要な事を描いている事や、命懸けで制作されたのを考慮しても、映画単体の評価は高くできない。ただ、本作のメイキングムービーが公開されたら必ず観に行くし、めっちゃ高得点を付けたくなる気がする。
疑心暗鬼の家族と、ヒエラルキー
完全に騙された、うえにすごい展開
全84件中、1~20件目を表示