「社会派的なメッセージと家族のドラマ」聖なるイチジクの種 ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
社会派的なメッセージと家族のドラマ
物語のモチーフとなっているのは、2022年に起きたマフサ・アミニという女性の不審死である。彼女はヒジャブを被らなかったという理由で警察に拘束されて亡くなったと言われており、この件を巡ってイランでは各地で抗議運動が起こったということだ。劇中には、その模様を写した映像が再三登場してくる。
自分はこの事件のことを全く知らずに本作を観た。
確かにイランでは女性の人権は著しく制限されている。そのあたりの事は、アスガー・ファルハディやジャハール・パナヒの映画でも描かれている。彼等は女性に対する理不尽な差別をテーマに掲げ、世界的な評価を得ている作家たちである。こうした問題提起、告発は今作の中にも明確に読み取れた。
さて、作品として観た場合、本作は中々ユニークな構成になっている。前半と後半でテイストがガラリと変わるのだ。
前半は、主人公一家が抗議デモに巻き込まれていく社会派サスペンスのような作りになっている。長女レズワンがデモ鎮圧の流れ弾に当たって負傷した親友を家に連れ帰って来る…という展開で進み、緊張感あふれるタッチが持続する。
後半は一転、家庭で起こる窃盗事件を巡るミステリ仕立てとなっている。疑心暗鬼に駆られ対立を深めていく家族は、やがて取り返しのつかない悲劇に飲み込まれてしまう。
一つの作品の中に、このような形で異なる方向性が入り混ざると、普通であればとっ散らかった印象になるものである。しかし、本作はそこも上手くチューニングされていて、社会派的なテーマと家族のドラマ。この二つがラストにかけて相即不離の関係で見事に昇華されている。
印象的だったのは、妻と娘たちが取調官に尋問されるシーンである。目隠しをされて筆記で調書を取るという、ちょっと今まで見たことがないような尋問シーンで実に不気味であった。そして、この尋問は後にイマンによって別のシチュエーションで繰り返されることになる。
この演出からも分かる通り、この家族は現在のイラン社会そのものを暗喩している…ということなのだろう。女性に対する抑圧、支配がはっきりと投影されている。
後で知ったのだが、本作で監督、脚本を務めたモハマド・ラスロフは、過去に反体制的な映画を撮ったことでイラン国内で実刑判決を受けたということである。彼は収監を逃れるためにイランから亡命し、本作のほとんどをリモートで撮影したらしい。そう考えると、よくぞここまでの作品を撮り上げることが出来たと感心してしまう。
ただ、これは撮影事情が関係しているのかもしれないが、作劇や演出面でかなり気になる部分もあった。
突然カーチェイスが挟まったり、イマンが次女をほとんど追求しなかったり、クライマックスの逃走劇も突っ込みを入れたくなる演出が目に付く。このあたりは実際に撮影現場で指揮を執れなかったことによる弊害かもしれない。
尚、ラスロフ監督のようにリモートでゲリラ撮影をするスタイルは、実はジャハール・パナヒもすでに行っている。先頃観た「熊は、いない」は正にそれをメタ視点で描いた作品で面白かった。