「個人の歴史と国の歴史との交錯」ボストン1947 うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
個人の歴史と国の歴史との交錯
太平洋戦争後、米軍の統治下にあった韓国のランナー達がロンドン五輪出場を目指し、ボストンマラソンから国際レースデビューに挑む物語。劇中に登場するランナー達は実在の人物で、本作は彼らの歩みを基にしている。
韓国のナショナルチームが国際大会に出場した実績がない・出場予定のランナーの記録は公式記録ではなくほぼ見込みのもの・そもそも韓国は他国の統治下にあり独立国家として認知されていない…という復興期ならではの事情が費用以上にチームの頭を悩ませる様は、現代日本の国内で暮らしているとあまり考えることのない、パスポートやビザの役割、国という単位に属する意味を意識させられた。
国内スポーツの灯を絶やさぬよう後進を育てたいスンニョンと、賞金目当てで始めたマラソンの魅力に目覚めるユンボク。ボストンマラソンへ出場することを最優先に考えていた二人が、ギジョンの「国内外の同胞たちに祖国の存在を伝えるために『韓国チーム』として出場したい」という執念を汲んで、チームとしての結束を新たにする流れが熱かった。
本来は彼らの同胞と言えば半島の北側も含まれるのだろうが、韓国の映画であるため、その点については「分断されている」ということしか触れられていない。史実ではギジョン氏の出生地は北側で、劇中でも兄弟が北にいるとされている。
映画『ぼくの家族と祖国の戦争』同様、占領から解放された国の戦後の混乱の一端を知ることができる作品だった。スンニョンやユンボク以外の出場者、そして出場を果たせなかったランナーにも、終戦からこの大会までに様々なドラマがあったのだろう。
劇中の、ランナーを補助する機能を追求し始める前のシンプルなシューズとウェアを見ると、本作の舞台となった時代では、まさに人間の生身の能力を競い合っていたことがわかる。
また、劇中のランナー達はもともとスポーツ教育を受けてきたわけではなく、子供時代の労働が走力や持久力、頑丈さの開花に繋がったと評されてもいる。市民が彼らを応援し活躍に涙するのは、世界の頂点を獲ったアスリートへの賛辞というだけでなく、彼らが体一つで成功した庶民のヒーローだったからでもあるのだろう。
本来のシンプルさのもとでスポーツや競技を楽しむことが恋しくなる作品だった。