ナミビアの砂漠のレビュー・感想・評価
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映画を観る意味
山中監督が、河合優実と出会うことで生まれた作品。脚本も監督オリジナル。そんな中、とあるシーンで、「映画なんか観ても意味ないし」というカナのセリフが出てくる。
それが衝撃的で、監督はどんな思いでこのセリフを語らせたのか聞きたいと思っていたら、本日の上映後の舞台挨拶で、監督自ら「(カナのセリフとして)自然と出てきた」と語られていた。また「カナにそう言わせたからには、映画を観る意味について考えなくては…」として、「人生で実際に出会える人は、おそらく数百人くらいだと思うけれど、映画は、多様な作品を観ることで、人生において出会うことのない人たちと出会えるということに意味があるのではと思うようになった」とも述べられていた。
本作のカナや、元彼のホンダ、今彼のハヤシは、まさに出会うことのない人たちにも見えるし、そこかしこにいるあの人や、もっというと自分自身にすら見える。
そして、そう思える自分は、その出会いを必要としているし、もっというと楽しみや喜びも感じているのだが、今のカナにはそのキャパシティがないのだろう。「少子化と貧困の中、目標は生存」という時代のせいもあるだろうが、そもそもまだ21歳。自分の好き嫌いすら模索中の時期だ。
側から見れば、元彼のホンダの分別ある態度やカナを思う気持ちの深さや責任感に対し、今彼のハヤシの薄ら寒いセリフや、持てる者の幼稚な全能感をもとにした自己中行動に「おいおい、そっちで大丈夫?」と言いたくなるが、カナだってなんでホンダよりハヤシなのか、うまく言えないのだろう。
ただ、自覚的ではないにせよ、鼻ピとイルカのタトゥで互いを束縛しあう関係になったことに関しては、カナもハヤシも互いに誠実(と言っていいかは不明だが)で、どんなに取っ組み合いのケンカをしても、罵り合っても、家を飛び出しても、ちゃんと戻ってくるし、何なら、ぶつかり合いながら、少しずつ新たな関係を築きあげていく様子が描かれる。
とりわけ、ラストでは、元彼が作ったハンバーグを2人で食べながら、「わからない」ことを認められる(マイナスをさらけ出して笑いあえる)関係になったことが象徴的に描かれて、ほんのり明るい気持ちになれた。
とまぁ、自分は年も重ねてきたので、ちょっと主人公たちに対して、上から目線な見方をしてはいるが、主人公自身が持っている自己中な感覚や、他者との関係の中で届いてこない言葉や態度に急に冷めてしまって感じる孤独感とか、打算的な思考回路とか、正直言って全然今もある。
そうしたことを映画を観ながら考えられたのは、スタンダードサイズ画面が持つホームビデオ感が、主観と客観の行きつ戻りつにピッタリだったからだと思う。カウンセラーとのやりとりの後、自分を一歩引いて認知できるようになったカナのイメージシーンの挿入などの演出もよかった。
それにしても、カウンセラーの問い返し(「なぜロリコンを例に出したのか」と「なぜ怖いと感じるのか」)は、自分にも刺さった。自分を知る糸口って、こういう問いの立て方にあるんだなぁと感心した。
また、隣人役としての唐田えりかの登場と、彼女が語るセリフの重みが、彼女主演の「朝がくるとむなしくなる」に重なって沁みた。映画として、とてもいいアクセントになっていたと思う。
ちなみに、タイトルの「ナミビアの砂漠」についてだが、最古の砂漠と言われていて、情報や物質が有り余る現代の東京と対極のようでありながら、実は人口の水飲み場を作ってそこに定点カメラを置いて、YouTubeで収益化をはかっているという。(山中監督談)
対極にあるように見えて、見方を変えると思わぬ共通点が見えてきたり、実は境界なんてあやふやだったりというのは、自分自身の主観と客観を行き来させられたこの作品のタイトルとして、お見事だと思った。
タイトルなし(ネタバレ)
絵に魅力が無いことが味の映画と言う以外にない。
特に後半の部屋の中での回転シーンのカメラはどうにかならなかったのかな?
撮影スタッフの力量なんでしょうか?
シナリオ的には、メンヘラであることを肯定され(ハッキリ描かれ)ちゃうと、もうその後は何があってもそういう人ということになってしまう。
また男性キャラの掘り下げや描き方が浅いように感じられた。
主人公目線で主人公の考え方を読み取る映画なんだとは思うけど、だったら若い女性が共感するのかが男としてはわからなかったことが残念。
無下には出来ない映画
分かる様で分からない。
カナの素直でありながらも、奔放で、病んでいる感覚。そして、いまを生きる感覚。そこへの鋭さは分かる。
納得のいかない事には反発するしかない、その素直な表現は羨ましくもある。
けど、あまりの社会性の欠如に共感出来ない僕は、もうおじさんなんだろうな。
彼女に振り回される男達が可笑しかった。
不登校児に学校へ行かなくてもいいとしか言わないような映画
主人公は無気力に刹那的に生きている、渋谷や新宿の繁華街に行けば24時間365日いつでも見つけられるような女だ。(劇中ではバカ〇〇〇と言われていた)。
彼女は、喫茶店で待ち合わせした友達に元クラスメートが自殺したと言われても誰かピンと来ないし、その友達の話も5分と経たずに興味がなくなる。
元気のない友達を気遣ったのかと思えばホストクラブに連れていき、それすらも浮気相手と会うまでの時間つぶし。深夜に浮気相手と別れると、同棲する彼氏の元にタクシーで帰る。
同棲する彼氏は酔いつぶれている主人公を健気に介抱したり、自炊して総菜を作り置きするなど、とても真面目なようだ。しかし、主人公は彼氏の手料理ではなく冷凍庫のアイスを食べる。人のやさしさを理解できない。
そんな彼氏を何も言わずに捨てて浮気相手と即同棲。案の定うまくいかず毎日取っ組み合いの喧嘩するうえ、新しい彼氏の夢も馬鹿にする。
何かのきっかけで受診した心療内科では、自分のことが知りたいと言って医師に病名をつけてもらおうとする。自分自身のことさえも誰かに決めてもらった病名で理解しようとする。
その後、紹介してもらった女性カウンセラーをアポなしで訪問し、プライベートな付き合いを求めて事務的に拒否され、傷つく。依存体質。
主人公は終盤で、「その気持ちわかるよって言われるの実は好きでしょ?」的なことを隣人の唐田えりに言われる。この映画が目指しているのはこの映画における唐田えり、つまり自分を無責任に肯定してくれる遠い存在なのかな、と思った。
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公式サイトを見た時は、何も考えてない女子大生がガンジス川に行くような映画と予想していた。そして、いい意味でそれを裏切って欲しいとも考えていた。
予想は裏切られた。約2時間強もの間、糞メンヘラの生態を見せられる。延々と精神の幼い共依存カップルの日常が流れ、主人公は成長どころか悪化していく。
自己愛が強いのに自分のやりたいことはない、そのくせそれを”他人から”認めて欲しい。くたばれ糞メンヘラと思いながら見た。
もし隣人が男だったなら、この主人公はクリエイター彼氏を捨て喜んで股を開くだろう。そして男漁りができなくなるまで同じことを繰り返し、最後は自殺もしくは理解ある彼君と子供を地獄への道連れにするだろう。
人生においてこんな時期があるのはわかる。しかし積極的に肯定するのは違う。自己責任という意味ではなく、自分の人生を幸せにできるのは自分だけだ。
テーマが迷走している
説明は野暮だとも思うタイプなのだが前半の三分の二ぐらいがどういうことか分からない。何かを食べていても何か汚い気がして、気持ち悪くなってしまった。
残りの三分の一でなぜか作風まで変わって、やっと半分ぐらいは理解できてくるが、躁鬱とか双極性障害とどう付き合うかの作品に変わってしまった気がした。
・ホンダが酔っ払って帰ってきたカナにピルを飲ませていたが、浮気を認めていたということ?
・風俗に行った事を謝られて出てったってこと?カナはもっと遊び歩いていたでしょ?冷蔵庫をなんで持ってったの?同居してたのをハヤシも気付くのでは?
・引っ越した部屋が引っ越し先なのかしばらく分からない
・ベッドの中で「一度別れてまた会って」からの同居は意味が分からない。ホンダとのことを言ってたのか?
・遊び人だったと思われるハヤシが理不尽な暴力を振るわれても離れないのはなぜ
・カナも子供をおろしたの?嘘なのかまったく分からないし、見つけた写真と混同して困惑する
・急な鼻輪のリングに動揺を隠せない
・隣人?は隣の部屋にいたの?洗濯物を干そうとしてしゃがんで隠れたので正面に住んでいるのかと思ったけど‥
・あのバーベキューは何?元カノばかりいてハヤシの両親もいたってこと?
・濡れ場?はキス程度で脱がしたのが関係の無い着替えのシーンのみで、その意味はいったいなんだったのか。個人的には無くてよかったが、脱ぐならば複数箇所必要だったのでは、と。
などなど疑問ばかり残った。
他の方のレビューではずばりと内容説明をされてる方も多いですが、本編のみで理解できるところは少なかったのでは。「根深い男社会への不服を全身で表すカナ」ともあったのだが、そうは思わずむしろかなり男を利用していたように見えた。
男尊女卑をテーマにしてるとしたらテーマとして20年遅いかもだし、それは感じなかった。そもそも脱毛店は女性しかできないだろうし。
あと、タイトルと関連してそうなところは箱庭しか分からなかった。
私には向いてないことが分かった
河合優実が見たくて鑑賞。ただ、繰り返されるカナとハヤシの乱闘に、またかよ~と思う。これは良くない方の河合優実の映画。こんなヤバい人と、よく一緒にいられるね。
本作を観て分かったことは、私にはこの手の映画は向いていないと言うこと。河合の映画でも、「愛なのに」や「あんのこと」みたいな分かりやすい映画を選ぶようにします。
なんだコレ?って思ったんだけど…
終わった瞬間、隣の女性が「え、これで終わり?」って、つぶやいて。そーだよねーって共感しながら席を立ったけど、後からジワジワ思い出す。あのセリフ、なんだったんだろう。あれ、どういうことだったんだろうって。
浮いてるセリフがあって、その浮き加減が、時代の、現実の違和感を象徴している感じ。「お互い高めあう関係」「わかってるって言われたい」しよっ中聞くようなセリフなのに、こんなに変なセリフだったっけ?って。
物わかりの良さそうな彼氏の親が、あなたみたいな人に私たちは拒否感ないからね、っていう姿勢のイタさも、たぶん自分もやってるよなーって、そこついてこないでよって(笑)
カナみたいな女、絶対嫌だと思いながら、愛おしくもなる。最後までハヤシと別れなかったのは意外で、そこに人間の希望があるのかなあって思いました。
若者たちは、ポジティブな希望を見出せずに、《働かなくなる》世界的現状を映し出した映画
非常に言いたいことが、分かりにくい映画でしたが、
若者は敏感だから、成人した大人たちより、
もっと切実に不安を感じて希望を失っている。
コロナ(パンデミック)
ウクライナ戦争、
環境問題(地球温暖化)
日本なら《地震=南海トラフに、スコールのような大雨)
カナは大声で叫ぶ。
「日本なんか、少子化と貧困で、絶滅するんだよ!!」
世界的に若者は働かなくなっているそうだ。
事実2人目の同棲相手のハヤシ(金子大地)も仕事を辞めてるし、
カナ(河合優実)も、美容脱毛エステサロンを首になる。
美容脱毛なんて、一生続けたって脱毛は終わらない・・・そう
客に本当の事を言ったせいだ。
決して楽しい映画では無い。
カナは恋人と暮らしていたって、心は満たされていない。
今の時代、自分以外を愛する事は可能だろうか?
自分さえ愛せない若者も多い。
そんな自分に子供が育てられる訳がない。
自分に絶望してるのかもしれない。
ハヤシがパソコンの手を止めず、
「お腹が空いた!!」というカナに、
「映画でも観てて!!」とハヤシが言う。
「えーっ、映画なんか観ても意味ないし・・」
これが山中監督の本音だとしたら、
本音というか「映画なんかで空腹は満たされない」
これは現実で真理だから、
笑ってしまった。
満たされず苛立ちを募らせたカナは攻撃的になり、
ハヤシの言葉尻を捉えて難癖をつけ、暴力を振るった。
(女性からのDV・・多いらしい)
山中瑤子監督の脚本は、刺激的で性的な会話が多い。
ホンダ(筧一郎)が札幌に出張。
「ススキノの風俗に誘われたら行く?」
カナがカマをかける。
「絶対に行かない」と誓ったのに、
「ごめんなさい、上司の誘いを断れなくて風俗に行きました」
「気持ち悪くて出来なかった。勃たなかった」
「気持ち悪いって失礼でしょ!!」
確かに、カナはすぐ切れる。
ホンダ(筧一郎)が、なぜに泣いてカナに謝るほど低姿勢なのか?
家事全般を受け持ち、飲んで帰り吐いたら甲斐甲斐しく世話を焼き、
労いの言葉をかける。
(これが今の若者?)
河合優実はとても頑張って良い演技を見せていた。
美しく魅力的だった。
しかし河合が演じた《カナ》という人物に、共感するのは困難だった。
人物の背景が判然としない。
カナの母親は中国から日本の大学に留学して、そこで日本人と結婚して、
カナを産み、今は親族一同と賑やかに中国で暮らしているらしい。
ビデオトークが中国からカナに掛かってくる。
すごく楽しそうに画面の向こうは盛り上がっている。
「ママを出して‼️」と頼んでも、カナはニーハオとあと一つくらいしか
中国語が話せない。
これもカナのイライラの原因ではないのか?
愛に飢えている。
ハヤシにも、ホンダにも満たされない渇望。
カナが動画サイトで見ている「ナミビアの砂漠の水飲み場」
カナは乾いているの?
カナは早く言えば、両親に捨てられた娘なのかな?
ラストのナミビアの水飲み場で水を飲む動物たち方が
幸せそうに見えるんだろう、カナには。
しかしカナは分岐点に立っている。
そうやって無自覚に若さを消費してたら、ヤバいよ。
(いつまでも若くも美しくも、居られない・・・)
見始めたら最後、河合優実から目が離せなくなる。
冒頭の友達との会話が不謹慎ながら個人的にはうなずける内容で、「この映画絶対面白い!」と思った。
その後はずっと河合優実の身体とその動き、着てる服から目が離せなくなってしまった。
いろいろ心に残るシーン、セリフがあるけど、車椅子で都庁に行き、声が出ないのに頑張って喋ろうとして、金子大地と同じように耳をそばだてたらあの内容て!
河合優実はもちろん金子大地も良いけど、二人は素のチャーミングさが全面に出ている気がする。
一方、寛一郎は素でやってるようには見えない。完全に役に入った上で細かい段取りをこなしながら気持ちの乗ったセリフをしゃべっていた。
あれは相当な技術だと思う。
最後の「ティンプトン 」はカナ自身が「わからない」のかと思ってたら「わからない」という単語だったとは。
人によっては冗長に見える場面もありそうだけど、徹頭徹尾計算されてる映画だと思います。
あの素敵なキャンプ場に行ってみたい。
わかったような、わからなかったような……
最後まで集中力を切らさずに拝見しました。
起承転結のハッキリした作品ではなく、中途半端な描写も多いですが、全体として伝えたいことは理解できます。
その一方で同時に「いや、もっと他に表現したいことがあるのかも?」という感情も拭いきれない作品です。まあ、終盤は「まだ別れてないんだ、この二人」に終始しますがw
ただ、ピンクのトレッドミルだけは完全に理解不能で、笑うしかないです……。
作品を支えてるのは間違いなく主演の河合優実さんの演技力であり、そこは本当に見応えがあります。ある種の得体の知れなさとそれでいて抱える苦悩ややるせなさがキチンと伝わってくるため、わかりにくい作品に見るものを飽きさせない緊張感を与えています。
あと、唐田エリカさんはお久しぶりですが、やはり存在感はすごいものがありますね。
カナコの正体
カナの表情がダークな感じに変化したのは、ハヤシ家のキャンプのあとでした。
キャンプでカナコっていうハヤシの知り合いが登場するじゃないですか。その後ろのキャンプの参加者たちが、何故かこの再会を、固唾を飲んで見守っているように見えますよね。いや、表情とかは分からないんだけど、なんか雰囲気が。
つまり、カナコはハヤシの元カノ。あの写真の胎児を身ごもったのもカナコ。キャンプの参加者にはそれが周知の事実なので、カナコと2人の出会いを心配そうに見ていたというわけ。そのことに気付いてしまったカナは、キャンプから帰って以降、ハヤシへのモヤモヤがつのり、ハヤシがふざけてカナのお腹の音を聴いた時にキレたんですね。
ということが、三回観てやっと分かりました。
この映画はカナの生態観察日記でもあるわけですが、“カナって今なんでこんな表情してるんだろう”というのを解き明かすのも、この映画の楽しみ方のひとつですよね。
なので、この映画に無駄なシーンなどいっさい無いと私は思います。
終盤の、カウンセリングから隣人との焚き火の妄想シーンへの流れ。そして戦いのあとハンバーグをモグモグしながらの、ハヤシとカナの微妙な表情の移り変わり。ここで、何故か涙腺が緩んでしまうのでした。
?
ごめんなさい。結局のところ何が言いたいのかわからないまま終わった映画でした。というよりも、そもそも見る人に何か伝えたいのかどうかさえわかりませんけど。
もともとどこか身勝手な主人公ですが、後半壊れていきます。何が原因なのかもよくわかりません。壊れ方の表現も独特でよくわかりません。新しい彼氏の職業もクリエイターらしいのはわかりますが、どうやって稼いでるのかわかりません。ナミビアの砂漠というタイトルの意味もわかりませんが、他の方のレビューを読むにパンフレットを読めばわかるとのこと。ということは、作品の中でみんなに分からせる気はなかったということなんでしょう。極め付けは中国がわからなかった。中国人の血が入ってるの?入っててもそれはいいんだけどあんなにちょっとだけ見せる意味は?
ということでいろいろ分からなかったのですが、難解なわけではないです。理解するのが難しいわけではなく、詳細と共感がないから分からない、という独特な映画です。
よく理解できないものに出会うと天才と評しますが、天才か独特かは分けて評価して欲しいかな、と思います。
映画はほぼ河井優実の一人称で描かれるので、彼女の女優としてのポテンシャルは恐ろしいほど理解できます。彼女、彼女自身がどんな人なのか分からないんですよね。なんか空虚というか、彼女自身が虚像というか。役の入れ物みたいな、本当の根っからの俳優さんなんだと思います。きれいでとても好きなタイプの女性なんですけどわかりやすい美形でもなく、なんとなく上戸彩さんにも似てなくもないみたいな、個性はあるのに掴みにくいビジュアルも魅力的で今後も目が離せません。
監督はナミビアに行ったことがあるんだろうか?
主人公の女の子みたいな人と暮らしたいとは思わないが、予告とかで見て想像していた人より、ずっと普通でまともな人でした。
金子くんの部屋の棚の「太陽の塔」の模型がツボだった。
一番好きだったのは「キャンプだホイ!」のシーン。
あと、監督は、行ったことがないのはもとより、ナミビアのこと何も知らないのかもと思った。(さらに言えば「ナミビア」という国に対して興味すらないのかも)
青い渇望
30年前にみた20代で過ごした日々。1990年にみていた景色を思い出して、驚きました。
金子さんが魅せるドロップアウトしている卑屈さをスタイリッシュと勘違いしていた男の子やダルイといいながら構えている女子もいた。退屈を纏いながら安定を渇望していた感じは、時代が変わっても変わらないんだなぁと。
あの頃(わたしの中で)流行ったベアトリス・ダルと河合優美さんが重なり、でもベテイブルーほどぶっ飛んでない現実は、病名をつけようとしたところにあったのかなぁと思いました。
ちょっと不思議な映画でした。
少しズレますが、
パンフレットで金子大地さんのわからないというコメントが、面白かったです。そういうところが好きです。
広大で、何も無い、隠れ家の砂漠
粗筋が出る前から、河合優実主演で鑑賞決定。
結果として、鑑賞の価値もそれだけだった。
基本的に登場人物の使い捨て感が強く、イチカは外泊の言い訳に使った後は出てこない。
キャンプも2人のズレやカナの孤立を描いていただけで、会話もキャラもそのためだけのもの。
そのくせ、割いた尺ぶんの効果も感じなかった。
抑えた中で変なとこで入るBGMや、多用される長回しも狙いがよく分からない。
シーンの繋ぎも唐突で上手くない。
カナの情緒は“躁鬱”と言われてしまえば納得は出来る。
ただ、ハヤシと幾度も喧嘩しては毎度仲直りを挟まず元に戻っているのは納得いかない。
描かれてないだけ、ではダメだと思う。
各キャラの背景もあまり明かさないし、みんな独りよがりで共感出来ず。
長々とプロレス見せられてからのワイプからのランニングマシン、そして『キャンプだホイ!』…
意味不明過ぎて笑ってました。
プロレスしてて最後に駅弁スタイルになるとこも。
『愛に乱暴』に続いて、出す意味を感じない乳も。
いや、自分も男だし見たくないとは言わないが、映画の中で出すからには“意味”が発生してしまうし。
河合優実はじめ、演技はみな良かった。
冒頭の、隣の会話が気になって友人の話が入ってこないという音の演出は上手いし面白い。
映画の中で「映画なんて観てなんになる」と言うのも。笑
黙って出ていくのはまだしも、冷蔵庫を持っていくのは鬼畜の所業です。
役者陣の奮闘が素晴らしい!
「あんのこと」で印象的な演技を魅せてくれた河合優実が、また熱演を魅せてくれました。ただはっきりとしたメッセージ性が感じられた「あんのこと」と異なり、本作のストーリーはかなり難解で、その点好みは分かれるかなという感もありました。
まず序盤は、河合優実扮する主人公・カナと寛一郎扮するホンダの同棲生活が描かれます。手の込んだ食事を作ったり、何かとカナの面倒を見る優しいホンダだったのに、カナは何が不満なのか金子大地扮するハヤシと二股を掛けている。その後ホンダの前から突如姿を消したカナは、ハヤシと同棲を始める訳ですが、今度はハヤシに暴力を振るったりと無茶苦茶なカナ。
この辺りを総合的に観ると、一体何を見せられているんだという気がしましたが、落ち着いて考えてみると一般的な男女関係の逆転現象が描かれているような気がしてきて、そういう見方をすると何となく合点が行きました。浮気にDVと言えば、何となく男性の専売特許という気がしていましたが、別に女性だってそういうことをやる可能性はあるんだと、変に納得した訳です。
ただそうしたカナの一見奇異にも思える行動の原因が、最終的には双極性障害であることが分かり、その点はちょっとしっくり来ませんでした。病気が原因となれば何でもアリになってしまうので、個人的にはもう少し捻りがあっても良かったように感じたところでした。
そう言うはあったものの、河合優実の演技は全編に渡って力強く、しなやかで、かつ美しかったし、寛一郎の弱々しい男の演技や、カナの暴力を受け止める度量がありつつも、何となく薄っぺらい感じのハヤシを演じた金子大地も素晴らしく、役者陣の活躍ぶりは満点でした。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
でっ?!
わかる、わかるぅー
って、なるかいっ!
河合実優さん、寛一郎さん、
金子大地さんたちが良かったなー。
トイレ一緒にするとか、
背骨数えるとか、
二人が溶け合うというセリフとか
ルームランナーのとことか、
監督のドヤ顔が浮かぶシーンが苦手です。
それが、まったく自然に感じなくて、
使いたかっただけにしか感じなくて、
あー、そういうのが好みの監督かぁ…って冷めちゃいました。
若さゆえの何か、を見せたいのかも知れませんが、
自分が若いときに観たとしても、
共感しないかな、こういう人たちには。
面倒くさって、30回ぐらい心の中でつぶやいてた 笑
また、タイトルの「ナミビアの砂漠」って、
カナが観てた動画ってことだけ???
とりあえず、この監督の作品は初めてだったので、
もう一本ぐらいは観てみようかとは思っております。
河合優実の独壇場
マッドマックス怒りのデスロードのロケ地でもあるナミブ砂漠。
ナミブは現地語で、なにもないという意味らしい。21歳のこじらせ女の空虚感と存在感を弱冠23歳の河合優実がまるで実在の人物に憑依したかのように全身で表現。
魅力的でリアルなクソ女をやらせたら、まるで水を得た魚のように演じる河合優実の右に出る女優は過去にも未来にもいないと断言できる気がした。
寛一郎、金子大地といった高身長俳優に166cmのスレンダーボディの河合優実の組み合わせはバツグンの絵になる。
長い綺麗な足。肉感的な大腿。綺麗なおっぱい。うすいベージュのパンティーを履いていたようだが、ほぼほぼノーパンチラ見せカメラワーク。
狭いユニットバスでの便座上対面座位同時放尿シーンには度肝を抜かれた。ヤラシイ監督だねぇ。監督のオリジナル脚本。この監督、刺激的な女性向けポルノを作らせたら売れるね。日活が白羽の矢をたてるかも。
130分の長尺はガマンギリギリだった。テレビドラマの間ではないから、確かに映画だったけど、話のスジはつかみにくい。茫漠とした砂漠にいるような日常を表現したかったんだろう。寛一郎演じる料理が得意なロン毛の優しいイケメンサラリーマンの彼氏がいる脱毛エステサロンに勤めるカナ(21歳)はホストに入れ込むアホ糞女だと思った序盤。金子大地だったとあとになってわかった。ヒゲで違う人に変装してた?映像編集や脚本を書く繊細な男がカナを独占したくなる心理も謎。鼻輪もやべえ。カナは寛一郎から簡単に乗り換える。誠実で正直すぎる寛一郎がものすごく痛々しくて、笑えない。
脱毛エステサロンに入ってきたわがままな新人(18歳)の教育係になるが、逆に見下されてキレたせいなのかクビになってしまう。上には上がいるのも恐ろしい。
唐田えりかがちょうどいいサイドメニュー。
寛一郎が丁寧に冷凍保存したハンバーグを向かい合って黙って食べる長回しのラスト。
女性監督自身の実話だったら怖すぎる。
都内新宿の単館のみの上映かと思っていたら、浦和と新都心のシネコンが急に参戦上映してきた感じ。河合優実人気に便乗だね。
埼玉の中学生には刺激が強すぎて、鼻血が出ちゃっても知らないよ😎
最後、部屋が反転しているのはなぜ?
みなさん、気づきましたか?
最後のシーンの部屋、左右が反対になってましたね。
でも、フィルムを裏返しにしたわけではなく、字とかはちゃんと正しく表示されているので、わざわざ間取りが逆の部屋を用意して、全部の備品を反転した位置に置き直して撮りなおしているのがわかります。
ここ、どういう意図なんでしょう? 山中監督! おせーて!
人付き合いの砂漠
最初の喫茶店から、人の話を聞いてるようで
聞いてないカナ。
人付き合いの砂漠に降り立った動物のよう。
対人関係は面倒くさいが、自分の感性のまま
生きたいだけ。
あの世の中を蔑んだ目。
だが、常識的に声色を変えて働いたり、彼氏も二人。
要領良く生き延びてる。タクシーから窓を開けて
嘔吐するし、好きな人と会う時は華やかだ。
自由奔放で自分好きだが、本人も分かっている
ようで分かってない。
『日本は少子化とか貧窮で終わっていくので
今後の目標は生存で』のセリフが印象的。
今の若者にも共通する感覚があるのでは。
問いかけのような本能。
自分自身の苛立ちと性格がぐらんぐらんと
大人と少女の間で葛藤している。
言葉にもするけど、出来ない表現を
全身全霊で成し遂げてる感じ。
本質が見れないし、分からない
若しくは本質を見透かされたくない
のか土壇場で悲劇のヒロインに成ってしまう
男性との対比も絶妙。
社会に出て格好良く生きてる割りには逃げたり謝ったり
で目の前を視てない方々も多いのでは。
社会という砂漠で泉を求めて、本能で生きてる
動物のようだった。
全71件中、41~60件目を表示